さて、私がこの世界に来てから約二週間が経ってしまったわけだが一向に帰れる気配がない。最早この近辺の土地もだいたい頭に入っているし、顔見知りも微々たる人数だが増えた。これはやはり朱雀を探さなければいけないというわけだな! 分かってるよ!
それとなく勤め先の人にも聞いてみたが、怪訝な顔で「……何ですかそれ、中国のアレ?」と返されるばかりだ。そりゃそうだ。中国のアレ? ってなるわ。朱雀本当なんなのお前。
家の中も隅から隅まで、さんざん調べて回ったけど、これといったヒントは何一つ得られなかった。これはもう、いよいよ詰んできたというわけだ。
……と、言うには、やはりまだ早いのだろう。
このかぶき町に引っ越してきたばかりの"私"を、知っているかもしれない人物。しかも、彼はこの世界の主人公でもある。私の身に起きた謎現象を解く鍵になる可能性は、相当高いに違いない。
あとはあの、厳重に隠されていた刀。どうしてあんな、法外なものをこっちの私は所持していたのだろう。あれは一体、何なのだろう。"私"は一体、何なのだろう。
私は箪笥にしまわれていた刀を、もう一度取り出した。それを両手で掴み、左右に引っ張ればそこから覗いたのは厭に光る刀身。
(……どーすっかなあ)
いよいよ面倒になって、がしがしと乱暴に頭を掻いた。いっそ、あの鍛冶屋の鉄子にでも見てもらうか。そしたら、例えばどこかの一流刀鍛治が打った名刀だったーとか、それ繋がりでこっちの私の親が実は超金持ちだったーとか、そういうことが分かるかもしれない。そこからこっちの私の親の所在が判明したりして、朱雀について訊けるかもしれない。
ぱっと思い付いたにしては、我ながらなかなか冴えてると思った。今のところの打開策としては、一番の名案だ。
しかし、だ。ここで最大の問題が浮上する。鉄子ちゃんに刀を見てもらうには、それを私は持って出歩かなければいけないということだ。どう見ても逮捕ですありがとうございます。
とまあふざけるのはさておき。候補としては刀を何かでカモフラしながら持ち運ぶ、か、鉄子ちゃん自身に此処へ来てもらう。このどちらかだろう。
だが前者はまず何で隠すんだという話だし、後者もそもそも鉄子ちゃんと私は知り合いでもなんでもないしというか鉄子ちゃんどこにいるのかも知らないし。あ、なんだ駄目じゃん。いや、詰むの早くない?
だが、足踏みしているわけにはいかない。他にヒントがない今──坂田銀時の存在を除いた場合、ではあるが──この刀に纏わる謎を解き明かすしか、私の身に起こった摩訶不思議な出来事について知る手立てはないのだ。なにせ、私は私とクリソツの『赤目』について、しかし何一つとして知らないのだから。
ならばやはり、一先ず鉄子ちゃんとコンタクトを取るべきだろう。もしかしたら事情を察して、こちらまで刀を見に来てくれるかもしれないし。まあ、それより先に警察に通報されるかもわからないけれど。この世界の刀鍛冶にとって、違法に刀を持っている人がどう映るのかなんて、私にわかるはずがないのだ。
だがしかし、人生行動あるのみ。他に手立てが無いのだから、とりあえず行くしかない。そう自分を奮い立たせ、私は早速家を出た。表に停めてあった、最近自分のものであると知った原付に跨がり(ちなみに私も赤目も普通免許を持っている)そして、気付いた。
……いやだから、鉄子ちゃん何処にいるの?
ああ、馬鹿か。だから困ってたんじゃん。小さく舌打ちし、ベルトにくくりつけていた鞄代わりの巾着からケータイを取り出す。そしてまたも気づく。……え、これ、なんて検索すりゃいいの?
うがああああ! なんだよもう! 駄目じゃん! 行けないじゃん! 思わず頭を抱えたくなった。
そんな私は、三度気付いた。
ここは江戸。現代じゃない。つまり、周囲の道行く人々に訊いて回ったって、さほど不自然じゃないのではないか。それだ流石私! 名案!
そうなってくると、原付は少々邪魔だろう。私は再びそれを停め、徒歩で鉄子ちゃんの元へ行くことに決めた。
*
適当な方角へ歩くこと数分。私はその違和感に気付いた。おかしい。もうすべてがおかしい。──通行人が誰一人としていない、とは、一体全体どういうことだ?
「ええ……? いやいや……」
そういえば、朝からなんだか外が騒がしかったような気がする。私はせっかくの休日だからと、ずっと家でダラダラと引きこもってたわけなのだけれど。一体なんだというのだ? どっかでお祭り? それともライブでもやってんの? いやいや、だからって人っ子一人いないなんておかしいでしょ。
なんて、そうやって思案していた時だった。
「……うおっ!?」
なにか、地響きのような音。地震ではない──例を挙げるなら、巨大な生物がゆっくりと、一歩一歩進んでいるかのような、揺れ。それは一定の間隔を空けて、鳴り続いている。しかも、揺れと音は少しずつ、確実に大きくなっている。
その時私は思い出した。朝からテレビなんて付けていなかったこと、新聞だって取っていなかったこと。このアパートは結構小さくて、住人もわりと少なく、大家さんもかなり大雑把な人だったこと。ついでに、まだ私は全然ご近所付き合いができていなかったこと。
そして、新八が銀さんと出会ってから半月後、原作における第二訓で、何が起こったのかを。
駄目だ、振り返ってはいけない。そんな警報と、今すぐ振り返って、それを確認しなければいけないという気持ちが、入り乱れ、
私は、恐る恐る後ろを振り返った。
「──あああァァァあああぁぁあああ!?!!?」
その、身の毛がよだつような化け物を視界に捉えた私は、瞬間狂ったように走り出した。
規格外の巨体。おどろおどろしい色合い。不揃いに生えた歯。半分出っ張ったような目玉。気色の悪いうねった体。野蛮な動き。奇妙な質感。グロテスクな顔面。
脳が煩いほどに痛いほどに警鐘を鳴らす。目の前がぐらぐらと、ちかちかと、安定しない。髪も呼吸も酷く乱れ、目尻からは生理的な涙がこぼれ落ち、地面を蹴る足も死にもの狂いで振る腕も小刻みな震えが止まらない。苦しい。口からも鼻からも上手く息ができない。やだ、死にたい、うそ、死にたくない、なんで、わたしが、何もしてないのに、ここまで必死に生きてきたのに、こんな目に、こんな、怖くて苦しくて、孤独で、寂しくて、辛くて、死んだ方がマシみたいな現実に、独りで投げ出されないといけないの。
走って、走って、喉から血の味が滲むほど走り抜いて。それでもその化け物は、私の努力をあざ笑うかのように、あらゆる建造物を破壊しながら私を追いかけるように地面を這う。多分、ここはすでに立ち入り禁止区域となっていて、私だけ、それに気づけず、誰かに気付いてもらえることもなく、取り残されたのだろうと。だから周りには誰もいなくて、あの化け物も、唯一目に留まった生き物を、ただ本能のままに追いかけているのだろうと。そんな、なんの解決にもならない思考を回しながら、もう顔も頭もぐちゃぐちゃのまま、息もほとんどできないくらい苦しいのに、足だって今にも縺れそうなのに、ただひたすらに走った。走らないといけなかった。一瞬でも足を止めれば、私はあんな化け物に、たった一人きり、知らない世界に投げ出され、誰かと仲良く話せることもなく、孤独に、苦しみ悶えながら殺されることになるのだから。
でも、どうやったって世界は私に試練しか与えてくれなくて。ご褒美の一つだって、救いの手だって与えてくれなくて。
視界に紫色の何かが映った。かと思えば、途端に全身を駆け抜ける浮遊感と凄まじい吐き気。腹に化け物の太い腕が巻き付いたことを理解した時には、すでに私はその大きな大きな口の真上にいた。
奥歯がカチカチと不愉快なほどに鳴る。涙で視界がぼやけて、息が上手く吐き出せない。喉の奥が苦しくてたまらない。それなのに、こんなに怖くて苦しくて辛いのに、私の体はそう易々と気絶なんてさせてくれないのだ。逃げることすら許してくれない。
きっと私にもう少しの勇気があれば、舌だって噛み千切れただろうに。どうしたって、そんな痛そうで怖いことできないし、まだ死にたくだってないんだ。私の世界で、私の親と、友人たちに囲まれて、過ごしたい。たしかに毎日仕事の愚痴だって言ってた。嫌な友達に笑顔で付き合ったりしてた。つまらない、くだらないって思うことだってたくさんあった。なんで生きてるんだろうなんて、馬鹿みたいに考えたこともあった。この漫画の主人公は楽しそうだ、羨ましいなんて、愚かにも思ったことだってあった。でも、それでも、私は私の世界が好きだった。きっとどこよりも心地の良いもので、私はあんなにも恵まれていたはずだったのに。
きっと、罰が当たったのだろう。
自分が幸せに包まれていることにも気づけないで、ただただ他を見て羨ましいと、そんなことを嘆いていたから。自分が今持っていたものを、大切にできなかったから。
「ひっあああぁぁぁぁあああ……!!」
だからなのだろう。私がこの世界に来て、まだ一つも大切なものを持てていないのは。それどころか、唯一元からあった大切なものを、自分自身を、こうして破滅させることになろうとしているのだから。救いようなんて、あったもんじゃない。
「や……だ……やだやだやだやだやだやだやだごめんなさいごめんなさいごめんなさい誰か助けて死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない」
そもそも、原作じゃあ、たしかマダオが新八を餌にして、あの化け物の処分許可取ろうとするって流れだったじゃないか。だったら何で、新八ではなく私が捕食されようとしているんだ。なんて、そんなの、とっくのとうに分かりきっていることだった。
「助けて助けて助けて助けて助けて死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない」
だってさ、本来の銀魂には、銀さんと相席になったイレギュラーなんて、みょうじなまえなんて、存在しないじゃんか。
「死にたくない」
でも、それでも私は。
いくら世界から弾かれたって、ここで誰からも必要とされてなくたって、いなかったはずの存在だとしたって、本当の本当に独りぼっちだったって、
「生きたい」
──生きたい。まだ生きていたい。
じゃあ、駄目だよ。これじゃあ駄目じゃん。何もしないで、叫んでるだけで助けてもらおうなんて。きっとここじゃ通用しない。あまりに甘い考えすぎる。
あの時。お妙さんが助けてくれた時。あれは本当にただの偶々で。とてつもなく運が良かっただけだったのだ。それをあたかも必然的に助けられたみたいに、愚かなことを思ってしまった。違う。違うんだ。あれはほんのひずみが生み出した"偶然"に過ぎなかった。
本当は、どんなに助けを求めても、漫画みたいに、タイミングよくヒーローなんて現れてくれない。
だってもうここは漫画の世界じゃなくて、現実なんだから。
震える腕を必死の思いで伸ばす。化け物の仰々しくぎらつく牙を両手両足で、全身の力を込めて押さえつけた。
「ふっ……ぐううううううぅぅぅぅぅううう!!」
筋肉が痙攣する。喉がつぶれそうだ。力が足りない、全然足りない。このままじゃ押し潰される。
化け物は追い打ちをかけるように、腹に巻き付けた腕を口の中に押し込もうとする。手足は後ろに、胴体だけ引きずり込まれるように前に出て内臓が苦しい。一歩間違えれば朝ごはん出そうだ、はは。
「かっ、が、ろ……んが、え、ろ、かん、がえろ、考えろ、考えろ……!」
全身が震える。もう感覚がない。喉の血の味が一層濃くなる。脂汗が滲む。食い縛った歯も瞑りすぎた瞼も痛くて痛くて痛くて仕方がない。化け物の怒号が至近距離で鼓膜を殴る。頭が締め付けられたようにギリギリと痛い。息ができない。上手く吸えないし、上手く吐けない。頭に酸素が回らない。それでも、考えろ。考えなくちゃ。
あの時。銀さんはたしか化け物の口の中で、木刀一本、ほんの一瞬で、退治した。どこに刺した? 喉? 舌? それとも振り回して斬り刻んだの? わからないけど、化け物はそのおかげで血の雨を降らせた。
じゃあ、きっと。この化け物はそんなに強くない。図体がでかいおかげで、弱点も大きいに違いない。倒すとまではいかずとも、そこに何か衝撃を与えられれば、その反動で私を手放すかもしれない。
わからない。確信なんてない。それでももう、時間がない。腕も足ももたない。一か、八か。
がくがくと震える肘がとうとう砕けるように曲がり、そこで塞き止められていた私の体が、口の中に押し込まれる。蠢く口内に背筋が異常なほど粟立つ。鉄臭さのような生臭さのような異臭が鼻を貫いて、内臓から何かせりあがってくる感覚。それを必死に飲み込み、もう力なんて碌に入らなくなった足に、死ぬ気で、残った全ての力を無理矢理集約させて、
その口の奥、舌の付け根あたりに、私は全力で踵を振り落とした。
一転。
赤紫のおぞましい口内から、清々しいほど綺麗な青に、目の前が切り替わった。
襲いくる風圧と液体。内臓が浮くような感覚。汚い唸り声のような、悲鳴のような声が全身を容赦なく叩き、そして遠ざかっていく。
化け物が大きくえずいたことを理解した時には、私の体は宙に投げ出されていた。
「は、」
心臓が痛いほどに過剰に跳ね上がる。どこにもすがれない恐怖と、体と内臓が引き剥がされるような殺人的な浮遊感が襲い掛かってくる。涙か鼻水か汗かもわからない水滴が空中に散らばる。苦しい。風が痛い。死んでしまいそうだ。
「は、え、あ、」
死物狂いで感覚のない手足をばたつかせる。疲れきってもなお動こうとする思考が絡まる。地面がどんどん近付いてくる。この高さから、この勢いで叩きつけれたら、ぐちゃぐちゃに飛び散って死んでしまうだろうか。ああ、一発で死ねたら良いけど、首の骨とか背骨とか尾てい骨が折れてなお意識あったら、どうしよう、それこそ死ぬほど痛いんだろうな。なんて、考えた時だった。
「……て、まて、待て、待て待て待て待て待てェェェェェェ!!」
衰弱しきった頭を醒ますような、その声が。
目が眩むほどの、銀色が。
「ふんぐっ!!」
その力強い腕で、私を受け止めた時。護るように、抱き留めてくれた時。私は思ったのだ。
ああ、やっぱりこの人は。ここが現実となろうと、私という異物が介入しようと揺るがない。波に抗って、壁を壊して、こんなところまで手を差しのべてくれる、絶対的な"主人公"なのだと。
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