04
どこかで雪が降っているらしく、風花が舞い始めたのは午後の3時過ぎだった。
ファミレスで腹ごしらえを終えた3人は、アパートの点検が終わる時間を見計らって南沢の部屋へと戻ってきた。予定通りに点検は終わっていて、電気はしっかり通っている。まだ日は沈んでいないものの、曇っているせいか部屋は薄暗く、南沢が室内灯の電源を入れた。
「相変わらず面白味のない部屋ですな」
「うるせえ、追い出すぞ」
「こんな寒空の下に?こんなか弱い少女を?」
「か弱いを調べて出直してこい」
2人のやり取りを横目に、被っていたキャップを外しながら天はコタツに入る。まだ温まっていないコタツの中は頼りない闇のようだった。
「みょうじさん、先輩の部屋によく来るの?」
「ん?そうですなあ、来る時は専ら五月雨氏も一緒の時ですな」
なまえは着ていたコートを脱ぎながら視線を宙に浮かせて首を捻る。
「五月雨氏は私がセンパイの部屋に来るの渋るけど」
「男の部屋に簡単に上がるなってことだろ」
「え〜、センパイ私のことをそんなケダモノの目で見てたんです?私こわ〜い」
「うるっせえ!頼まれてもお前になんて手ぇ出さねえよ!」
この光景は、よく見る。
なまえが南沢を揶揄って、時にはそこに天も混じって、本気ではない言葉を投げ合って、笑う。よく知ったものだ。よく見るものだ。
でもだからこそ、余計にわからなくなる。
「……先輩とみょうじさんは、今も連絡取り合ってるんですね」
天の言葉に、2人はそれまでの豪速球での会話のキャッチボールをピタリとやめた。それから不思議そうな顔で天を見てから、互いを見やる。
純粋な疑問だ。天の目に映る2人は現実主義者で、ドライな面が多々あって、あまり物事に執着するようなタイプではない。それは人間関係も同じに思える。大事な人は大事にして、それ以外はそれなりに、適度な距離感を保つ。だから2人がこうして歳を重ねて、大人になっても頻繁に連絡を取り合っているというのが、天には少しばかり不思議だったのだ。それとも2人はそれほどまでに親交を深めていたのだろうか。その姿もやはりちょっと浮かばない。天にとって2人は、なまえの言葉に南沢が苛立ち、半ば投げやりなやり取りをするのがデフォルトだ。
外からは車の音や、人の話し声が聞こえてくる。その間を縫うように、まず口を開いたのは南沢だった。
「そりゃお前がいるからな」
真顔でそう言う南沢に、天はキョトリと空色の目を丸くする。天にはよく意味がわからなかったがらなまえは正しく理解したようで、ひとつ頷いてから南沢に続いた。
「そうですな、五月雨氏がいますからな」
「……ちょっと意味がわからないですけど」
眉を顰める天に、南沢が薄く笑う。笑って、「今はまだいいんじゃないか?わからなくて」と言うものだから、天は首を捻ることしかできなかった。
だから天はもう1つの方の疑問を問うてみることにした。
聞かない方がいいかもしれないと、まだ頭の中では思っている。
けれど確かめたい気持ちも確かにあって、部屋の中が暖まってきたことに、何故だか安心してしまったから、ポロリと口が滑ったのかもしれない。
そういうことにしておこう。
「2人共、まだ僕と連絡を取ってるんですね」
声は落ち着いていたと思う。頭もちゃんとクリアで、冷静でいると自分でわかる。だから気付いてしまった。天の問いに、2人が僅かに体を強張らせるのが、ほんの少し見開かれた目が、この問いが2人にとって予想外のものであるということが。
答えがYESであることは明白だった。
会話の中から、さりげない仕草から、今もこの2人は未来の自分と接点を持ち続けているのだろう。わかっていて聞いたのは、2人の反応が見たかったというのが大きい。何故今も自分といるのか、そういった意味を、暗に含んでいる。
カチリ、部屋に置かれた目覚まし時計の短針が6度右に傾いた時、止まっていた時間が動き始めた。
最初に動きを見せたのは南沢だった。彼は片手で頭を押さえると、肺の中の空気を全て出し切るような勢いで盛大なため息をついた。予想だにしないリアクションに、天は眉を寄せながらも驚きに肩を跳ねさせる。ため息を出し切った南沢は、ちらりとなまえと目を合わせると、なまえはふるふると首を横に振りながら肩を竦める。そうすると今度は2人揃ってため息をついた。
「何なんですかそのノリ!見てて腹立つんですけど!?」
思わず両手をコタツ板について身を乗り出す。南沢はそんな天を無視して頬杖をついた。
「はあ〜あ、まじかよこいつまじかよ……」
「まあ仕方ないですよ、中1の五月雨氏ですし」
「これ苦労するぞ……いや実際したけどな……」
「懐かしい話ですな」
天にだけわからない話をする2人に、天は顔を顰めながら首を傾げる。窓の外で舞う白い結晶が、いつのまにか雪に変わっていることに、この時の3人はまだ気付いていなかった。
05
単調だが軽快なメロディが鳴り響いた。それが南沢の携帯の着信音だとわかるまでに僅かな時間を要して、天の知らない南沢の携帯はとても薄くて、まだ天の時代では発売されていない機種なのだろうとわかる。
「わり」
「ほいほーい」
カラカラとベランダのガラス戸を開けて外に出て行く南沢の背中を見送る。ひやりとした外気が入り込んで来て、天はコタツの布団を肩の方まで引っ張った。
(……光って、る)
室内灯の光を、指の銀色が反射させる。上品な光を灯すそれは、なまえの白く細い指を、より美しく際立たせる。
(普通に考えれば……剣城くん、かな)
この時代の剣城はどんな風に成長したのだろうか。なまえと並んでも違和感のない青年にはなっているのだろうなとは思う。左手の薬指に贈られる指輪が特別な意味を持つことを天は知っている。つまりはなまえにそういう相手がいるということなのだろう。
(剣城くんか先輩くらいしか正直思い浮かばないけど、大学生ならもっと別の人って可能性もあるんだよなあ)
そんなことを考えていると、今まで無意識に避けてきた未来が、ほんの少し拓けた気がした。
意識しないように、深く考えないようにしてきた。自分には今、訪れるかもしれない未来を知る、見る術があって、だから気にしてしまわないようにと。
けれどなまえの指先から、水紋が広がってゆくように緩々とした興味に近い、けれど別の感情が浮かんでくる。
(……空)
まず最初に、未来の姉に想いを馳せた。
彼女は笑っているだろうか、何も失うことなく、穏やかな日々を送れているだろうか。
天はコタツの中でそっと祈るように手を握り合わせる。
幸せであればいい。平穏であれば、酷い不幸にさえ襲われてなければ、それでいい。細やかで暖かい毎日を送れていればいいから、どうかと手を握る。
「五月雨氏は」
「!」
なまえの声に、天はハッと我に返ってパッと顔をあげた。それからすぐにお得意の笑顔を貼り付ける。
「ごめん、なに?」
「……五月雨氏は」
金色の瞳が天を映した。夜空に浮かぶ月、或いは真昼の太陽のような、光を宿す瞳が天を見て、射抜く。
「何も聞かないんだねえ、この時代のこと」
自分の知るなまえよりも幾分か柔さを含んだ声で、目の前の彼女が言った。天はほんの僅かな時間、息を止める。この目も知っている。まるでこちら側を見透かすような目だ。空と少しだけ似た、けれどもっと鋭い目だ。
天は自分の未来を考えない。
未来は平等に訪れないのだと、約束された明日はないのだの気付かされてしまった時から。
例えば明日の天気だとか、やらなければいけない予定だとか、そういうことではない。自分のなりたい姿を想像しない。未来に希望を抱かない。いつもどこかで諦めて、見離している。
だからこの時代においても、天は未来を見ないようにしていた。
だってこの未来は約束されている?簡単に変わってしまうんだよ未来は。過去と違って、変えられてしまう。だから知りたくなかった。幸せになっている自分なんて想像できなくて、したくもなくて。
部屋は随分と暖まっていた。部屋が暖かいせいか、思考が上手く回らない。南沢に出されたココアの湯気が、ずっとふわふわと漂っているような、そんな感覚だけが強くなっていく。
暖かい部屋は本当に油断できない。だってほら、また口が緩む。
「どうしてみょうじさんは、まだ僕といるの」
なまえにされた質問を無視して、問う。なまえは大きく瞬きをした。
先程の問いに似た、けど決定的に違うものだ。なんでこんなことを聞いているのか自分でもわからなかった。ただ言葉は糸を編むように紡がれて、紅茶に入れる砂糖のようにゆっくりと沈んでいく。
強い瞳から逃げるように目を伏せた。時計の音がうるさくなって、無機質な音だけで出来上がった旋律は、酷く息苦しい。
もう息は止めていないのに、酷く息苦しかった。
06
何かを言おうと、なまえが息を吸うのがわかった。天の名前を紡ぎかけたその時に、カララララッと勢いよくベランダのガラス戸が開く。その勢いに思わず肩が跳ねて、2人は揃ってベランダの方を見ると、寒さに鼻を赤くした南沢が難しい、何なら少し顔を蒼くして立っていた。
「……まずいことになった」
「は?」
天が眉を潜めると、南沢はガラス戸もそのままにサンダルを脱ぎ捨ててバタバタと玄関へ向かい、今度はバタバタと天の靴を持って戻ってくるとそれを押し付けてくる。
「なに、何なんです急に」
「あいつが来るから隠れてろお前」
「は?あいつって誰──……」
言って、理解する。
眉間のシワが自然と伸びて、天は一瞬表情をなくし、それから声を上げた。
「僕ですか!?」
「そう言ってんだろーが!早くしろよ!」
言ってないでしょ!と天が反論するも、南沢はバタバタと天がいた痕跡を消していくだけだ。なまえは「タイミングですなあ」とぼやく。
「いや……つーかバタバタしてて忘れてたけど今日あいつと鍋やる約束してたんだよな……」
「は!?」
「え、何それ私聞いてない」
「お前は誘わねーよ」
目を逸らしながら気まずそうに言う南沢に、天もなまえもそれぞれに違う感情を抱きながら衝撃を受けた。「なんっですかそれ!」と天が言えば「うるせーなレポート終わってテンション上がってたんだよ!」と南沢が返し「私誘われてません」となまえが入ってくる。
「とにかく隠れろ!もう近くまで来てんだよ!」
「隠れろってどこに!?トイレ……は駄目か!あ、ベランダ!」
「待てコート着ろ馬鹿!」
「うわ雪降ってる!」
放り投げられたコートに袖を通しながら靴を履いてベランダに出る。
それと同時にピンポーンとおもちゃのような音が鳴って、一瞬3人の動きが止まる。「ピンチでは?」小声で言うなまえに南沢も極力小声で叫んだ。「わかりきったこと言ってんじゃねえ!天が帰るまでは隠れてろ!」ピシャンとベランダのガラス戸を閉められ、更にカーテンも引かれてしまえば中の様子は見えなくなってしまった。
「私も鍋パしたい」
「いや……えっ!?待ってみょうじさんは隠れなくてもよくない!?」
「五月雨氏、しー」
並んでガラス戸の向こうを見つめるなまえの存在に違和感を覚えた天は思わず大きな声を出してしまうが、なまえは人差し指を口元に運んで宥めるだけだ。天は両手で口を塞いで、中の音に耳を澄ませると南沢と、もう1人の話し声──恐らくは未来の自分の声が微かに聞こえてくる。それから足音もして、天は慌ててなまえの手を取ってガラス戸に影が写らないようにベランダの端まで移動する。
そっと2人しゃがみこんで、すぐ近くで互いを見やった。
声がガラス戸越しに聞こえてくる。それなりの勢いで何かを言い合っているようだった。けれど声の中には芯からの怒りは双方に含まれていないとわかる。
聞こえてくる声に、室内の空気を感じ取って、天はギュッと唇を固く結んだ。知らない感情が胸の奥で揺らめいている。早く消えてしまえばいいのに、なかなか消えないそれに、天は苛立った。
頭がぼんやりとしていた。まだ中にいた時の温度を体が覚えているのたろうか。吐く息は白いのに、体の中にある熱は冷めてくれない。
「五月雨氏?」
なまえが覗き込むように天の顔を見た。金髪がカーテンの隙間から漏れる光を浴びてキラキラと光っている。星が瞬くように揺れる光から、天は逃げるように俯いた。
ああ、なんだこれは。なんなんだよこれは。
苛立ちに似た、けれどもっと違う、別の感情がずっと漂っている。この感情はなんと呼ぶものなのか、天は知らない。
『2人共、まだ僕と連絡を取ってるんですね』
『どうしてみょうじさんは、まだ僕といるの』
違う。聞きたいことは、知りたいことは、そんなことではなかった。
本当に問いたいことは、問いたい相手は、なまえでも、南沢でもない。
この時代にいる、未来の自分だった。
(なんで僕は、2人といるんだろう)
いつ途切れても大丈夫なように、天は今を生きている。それはなまえと南沢に対してもだ。寧ろ天は、いつか途切れるだろうと信じてすらいる。
風化しない繋がりを、無理やりに断つことだってきっと自分はできる。
それなのに2人のいることを享受して、それを当たり前のように過ごして。
なんで。
そんな疑問ばかりか浮かぶ。だって本当にわからないのだ、今の自分では。どんな気持ちで、2人と共にいるのか、今の自分ではとても。
疑問が雪のように積もっていく。考えれば考えるほど思考が鈍るようで、体温が無駄に高いような気すらする。寒いせいか息をすると鼻の奥が痛くて、目が霞む。
ふっと、窓から溢れていた光が遮られて、顔を上げると目の前になまえの顔があった。その距離に、天は体を固める。金色の瞳が暗い中でもよく輝いていた。ドクリと重たく心臓が鳴って、無理やりに呼吸しようと短く息を吐く。伸びてきた細い指先が天の前髪を流して、こつりと額と額がぶつかる。
「……五月雨氏、熱ある?」
「……は?」
なまえの言葉を上手く理解できずに、間の抜けた声が出た。
なまえは額を離して、ぺたりと、今度は手のひらで天の体温を計る。熱の高さに、なまえは僅かに眉を寄せた。
天も熱があると指摘されると、漸くその症状を自覚した。手のひらで額を押さえる。自覚してしまえば体が重くなるのを感じた。膝をついて、冷えたコンクリートが触れた肌から体温を奪っていく。
「五月雨氏」
なまえが天の体を支えた。声はいつもより余裕がないように思う。大丈夫だと伝えたいのに、視界がちらつく雪に遮られるように狭まっていく。
金色の瞳が自分を見ていた。僅かに、だけどさっきよりもしっかりと寄せられた眉根が、自分を気遣っていると示している。
(ああ、そんな顔、君は)
思考は巡る。熱を孕んだままに、揺蕩うように。
疑問はいくつもあった。何で自分は未来の2人との繋がりを絶たないのか。何で南沢はタイムジャンプした天を受け入れたのか、タイムジャンプのことすら、天は南沢に話していない。それなのにこの時代の南沢はタイムジャンプのことも知っていた。自分が話したのだろうか。
(何でだろう。タイムジャンプだなんて信憑性のない話を、僕は先輩にするかな)
カロリーを消費しそうな内容だ。あの話を正しく伝えるとしたら、とても疲れる。そんなことはこの時代の自分だってわかる筈なのに。それでも話すことを選んだのなら、自分はまるで
(先輩、に……信頼を寄せてる、みたいな)
そう考えると自然と口元が緩んだ。自嘲が溢れる。
馬鹿みたいだと、熱が上がりそうな話だと、天は思考を打ち切ろうとした。なまえに笑い掛けて、安心させなければいけないのに、閉じそうになる瞼の裏に、自分の名前を呼ぶ2つ年上の南沢を見た気がした。
(面倒で、意味もなくて、突拍子もないこんな話を)
話してもいいと思う日が来るのだろうか。いつか、近い未来で。
遠くなる意識の中、狭まっていく視界の端で、星が強く瞬いた気がした。
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