「…寝てるし」
ソファで横になり小さく寝息を立てている坂田さんを見下ろし、ため息を吐いた。
大量生産しすぎた夕食の肉じゃがのおすそ分けに来たのだが、インターフォンを鳴らしても家の中からは人の声どころか物音すら聞こえてこず。試しに扉に手を掛けてみたらいとも簡単に開き。躊躇しつつも部屋へ入ってみれば、これだ。昼間でもないというのに、鍵も掛けずに昼寝?不用心だ。不用心すぎる。
だいたい、新八くんと神楽ちゃんはどこへ行ったんだ。と、思ったがその理由はすぐに分かった。テーブルの上に乱雑に巻き散らかされている長方形の紙。一度も本物を見たことがないから分からないけど、多分これらは競馬の券的なやつだろう。それに、よく見ると坂田さんの左頬がうっすらと赤く腫れている。大方、坂田さんの金遣いの荒さに、二人の堪忍袋の緒がとうとう切れてしまったに違いない。
自業自得。身から出た錆。かといって、同情の気持ちが一切湧かないわけではない。むしろその腫れた頬を見て、痛くないのかな、大丈夫かな、冷やした方がいいんじゃないか……なんて心配をしてしまうのは、まぎれもなく私がこの駄目男に…、その……所謂、世間一般的に言うところの、その、恋、的なものを、しているからであって、あー、あーあーあー!あああ死にそう死にたい嘘死にたくない!
恋は盲目、なんて言葉があるが、まったくもってその通りだと思う。
というのも、坂田さんはまさに「チャランポラン」を体現したような人だからだ。この人についての事をいくつかピックアップするとまあ、パチンコで散財したり、家賃を何ヵ月も滞納したり、大酒かっ食らっては二日酔いで潰れたり、従業員にお給料をあげなかったり……などなど。最早反面教師を育てる教師にでもなれてしまいそうな、そんな駄目な人なのだ。駄目に駄目を乗算したような、そんな駄目人間。
しかしその駄目っぷりすら、なんだか可愛く見えてしまってとても愛しく感じるわけで、駄目だやばい、重症だ。
もちろん、素敵なところもたくさんある。さりげなく優しいところや、かっこいいところ、強いところ……あと、なんだろ……あのアレ、その他諸々……。
ほら、あれだ。例えば、この間買い物帰りにたまたま坂田さんに会った時、私の両手の荷物を見て「重そうだなァーみょうじさん、手伝ってやろうか?」なんて笑いながら、彼は袋一つをかっさらっていった。まあ、私の家と万事屋が近いから、ついでというのもあるかもしれないけれど。それでも、嬉しかった。それに並んで歩く時に、さりげなく車道側を歩いてくれたりして、本当に、この男は罪深い!いや、もしかしたら男の人は誰でも当り前のようにそうするのかもしれないけど、男慣れしてない私からしてはそんな些細なことさえ、心拍数を著しく上昇させる要因になるわけだ。
あと、甘いもの食べてる時の幸せそうな表情とかは、もう、最高。
「…やっぱ、好きだなあ」
ぽつりと呟いてみて、急に恥ずかしくなって、しかし坂田さんの寝顔を拝める機会なんてこれから先もう一度訪れるかすら危ういので、羞恥を端に押しやって、そのお顔をしっかり目に焼き付けておくことにする。
床に両膝をつき、ソファのふちに手を掛けてそっと坂田さんの顔に近づく。パーツ一つ一つが整っていて、唇とかはさすがに女の子みたいに潤ってて艶々ってわけじゃないけど、カサついてもいない。肌も思ってたよりも綺麗で、ってなんだ私は変態か。いや変態じゃないし。いや変態か?もう、変態でもいいや。ああ、写真とか、撮りたい。
自分ではストパーだったらモテてただなんて負け惜しみを言ってたけど、天パのままでも十分かっこいいしモテそうなのにな。じ、実際に好意を寄せている女の子が、ここにいますしね!
というか、実際に坂田さんはモテているじゃないか。お妙さんとか、あの赤眼鏡の、さっちゃんさん?とか。神楽ちゃんも塩対応に見えるけど、傍から見たって坂田さんのことが大好きなのはよくわかる。他にも、綺麗な女の人と喋ったりしてるのを何度も見かけたことがあるし。ってよくよく考えたらなんだよ坂田さん、美女にばっかり囲まれて!――残念ながら、その「美女」の中に私は含まれていないのだけど。
いや、一応努力はしている。肌のお手入れとか、食べ過ぎないようにだとか、夜更かししないとか。でもホラ元の顔が誰の目を惹くわけでもない、限りなく普通の顔だからさぁ……。それでもめげないのは、やっぱり私が根っからのポジティブ気質だからなのだろう。それに、そんな簡単に諦められるほどのあっさりした気持ちは持ち合わせていない。
(さて……そろそろやめとこう)
こんな間近でガン見して、万が一坂田さんの目が覚めてしまったら終わる。すべてが。
そう思い顔を遠ざけようとした時、
「……なまえ」
耳を、疑った。……今、聞き間違いじゃなければ、
坂田さんに、名前を呼ばれた?
い、や、いやいやいや待て待て待て、落ち着け私よ。よく思いだしてみろ。坂田さんは常日頃から私を何と呼んでいる?「みょうじさん」じゃん。ガッツリ他人行儀じゃん。それがなぜ、しかも寝言?夢に私が出てんの?それで、なんで、いつもと違う、名前呼び?
これは、まさか、もしかして……少し、自惚れてもいいの?
「い……やいやいやいや」
たまたま、同じなまえさんが坂田さんの知り合いにいるだけかもしれないじゃん。それで、区別するために私を名字呼びしてるんだと考えれば辻褄だって合う。だって坂田さん、だいたいの女の人は名前を呼び捨てだ。せいぜい、お登勢さんとさっちゃんさん?くらい……えっ待ってなんで坂田さんさっちゃんさんだけちゃん付けなの?えっえっ……えっ……!? って、いやそうじゃなくて!
もし、本当に、私のことだったら、
「……ぎ、んとき、さん」
………
……………………………………………………………、
(っだァあああああああァァァ恥ずかし恥ずかし恥ずかしい!!なァァァァに名前なんか呼んじゃってんだおどれはァァァ死ねェェェェこの世から一片のDNAも残さず消え去れボケェェェ!!)
馬鹿か、どうしたんだ私。駄目だ、アレだな。いまだかつてないほど坂田さんをガン見しちゃったから頭が極めて可笑しい状態になっちゃってるんだなウン!!帰ろう!!肉じゃがもろとも!!おすそ分けなんてまたいつでもできるしね!!これ以上ここにいてはいけない!彼の領域内にいてはいけない!!
なんて。この時の私はテンパりまくってて、坂田さんのだらしなくソファから垂れ下っていた左腕が動いていることに気がつかなかったのだ。
後頭部に、軽い衝撃。
「は──、」
目の前の坂田さんの瞼が、おもむろに開く。いつもの、気だるそうなその瞳が私を捉えた時、私の心臓は今までで一番、生きてきた中で一番大きくドクン、と脈を打った。
頭の後ろに添えられた手が、私の顔を、坂田さんの顔へとさらに近づける。鼻先と鼻先がくっついてしまいそうなほど顔が近づいたところで頭を押す力が止まり、しかし私をこの場から逃げ出させないようにするみたく、その手はそこで固定されてしまった。
顔に熱が集まっていくのが分かる。口からは声にもならない掠れた音だけが出た。坂田さんの藍色の瞳に射抜かれて、瞬きすら許されないような緊張感に支配される。なんで、こんな、坂田さんの呼吸の音が聞こえるほど、こんな、近くに、私の影に隠れて、瞳孔が少し大きくなってるのさえ分かるくらい、こんなに、目の前に、
「なァにィ?寝込みでも襲う気だった?"なまえ"」
「〜〜〜〜っ!!」
さりげなく変態呼ばわりされたことより、今度こそ、やっぱり、確実に、名前を呼ばれたことに対する衝撃と、嬉しさと、それをすべてかき消すほどの恥ずかしさで顔の熱がさらに上昇する。多分、今なら顔をフライパン代わりに目玉焼きを作れるほどに。
そして、彼の、いやこいつのニタァッと弧を描いた口元を見て、私は気づいてしまったのだ。
こいつは、最初から起きてやがったと!!
「なァ、もっかい呼んでみて」
「な…に、を」
「すっとぼけるつもりかァ?」
分かってる。分かってるわ。名前だろう?もう一回「銀時さん」と呼べ、そう言ってんでしょ?簡単に言ってくれんじゃねえええよおおおおお呼べるかあああ!!
……というか、あれ?最初から起きてたって、つまり―――
『…やっぱ、好きだなあ』
あああああああああいやあああああああ!!マジほんっと死ねよ過去の私あああああああああああ!!
「なァ、なまえ?」
「あ…や、その…えと…」
坂田さんが喋る度に吐息がかかり、私の頭はもうショート寸前で。ぐるぐるのぐちゃぐちゃに絡まって、何も考えられなくて、今どうすればいいのか、何を話せばいいのかもわからなくて。
「ホラ、早く」
「や…ちょ、待っ…」
「呼ばねーとちゅーすんぞ」
「はっ!?」
「まー冗談だけど、それはそれで、満更でもねーんだよなァ?お前の場合」
「いやっ、そのっ」
「十秒以内に呼ばねーとマジでしちゃおっかなー」
「い゛っ!?」
「はいじゅーう、」
「ちょっ、待っ、待っ……!」
「はーちろーくにー」
「えっちょっそれ飛ばして……!」
「ぜーろ」
「っ……!!……え、」
「なーんちゃってェ〜。まさか本当にするわけな」
「坂田さんのダァホ!!」
「あべしっ!!って全然痛くねえ!!」
うるせー!好きな人本気で殴れるわけねーだろ馬ーーーー鹿!!
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