新しいものが好きだ。未知に触れるのが好きだ。
 渋谷区の繁華街で買った、フードのついた羽織。町の出店で、新しく売り出されていた珍しい匂いのお香。自由気ままな野良猫について行った先の、通ったことも無い散歩道。大きなのぼりに釣られて買った、蛙の卵のようなものが入った飲み物。
 羽織は今も火消装束の上に着ているし、お香はヒカゲとヒナタも大層はしゃいでいた。散歩道はたまに通るルートになったし、飲み物はたぴおかという名前を覚えたほど気に入った。
 初めて出会ったものは、どんなものでも一度受け入れてみる。それがみょうじなまえの流儀であり、今生を目一杯楽しむ為のこつだった。

「だーから駄目だって! けえってくれや!」
「そこを何とか、大隊長殿への取り次ぎを……」
「皇国の犬を若の前に連れていけるかってんだ!」

 今日も散歩の途中で、新発売したという果物の大福を土産に買って帰路についていると、その道すがらで何やら喧騒が聞こえてきた。元より喧嘩の多い町だ、普段なら気に留めることもなかったが、その顔ぶれになまえは思わず足を止めた。
 なまえの所属する第7特殊消防隊、その隊員の一人が言い争っている相手は、他の特殊消防隊の装束を纏っていた。大きく着膨れする防火コートには、なまえの足元に施されているのと同じ青い発光体。頭の頭巾に刻まれた「8」の文字は、彼らが自分達よりもさらに歴史の浅い、第8特殊消防隊であることを証明していた。
 数名いるうちの、一番前に立つ大柄な男が大隊長だろうか。そう当たりをつけながら、なまえはその集団に近寄った。

「こんにちは、どうしたんですか?」
「あっなまえ中隊長! 中隊長からも何か言ってやってくだせェ! コイツら全っ然聞きゃしねーんだ!」
「そういう貴方はちゃんとあちら様のお話聞きましたか? 聞いてないならお互い様ですよ」
「どっちの味方ですかィ!?」

 文句を垂れる仲間を無視して、なまえは第8の面々に向き合う。突然現れた訳知りの──中隊長と呼ばれた女に、彼らは僅かに身を固くした。

「お初にお目にかかります。私は第7特殊消防隊の中隊長、みょうじなまえと申します。第8の方々ですよね?」 
「あ、ああ、これはどうも。申し遅れました、ワタクシ第8の大隊長を務める桜備秋樽・・・・です」

 彼の口上に、なまえはわずかに瞠目した。しかしすぐに調子を取り戻し、先ほどよりもさらに糸を緩めたような笑みで頷く。

「お話はかねがねお伺いしてます。して本日は如何様な御用件で?」
「先ほど電話でもご連絡させて頂いたのですが、例の伝道者に関する調査を浅草でさせて頂きたく」
「伝道者……ああ、なるほど。浅草に何か手がかりがあるのですか?」

 なまえの問いに、桜備は事のあらましを説明した。過去に第8が関わった事件における焔ビトが、白ずくめの服装に身を包んでいたとの報告が上がったという。遺留品には見慣れない赤のクロスがあり、遺族はおらず、勤め先の会社がそそくさとそれを引き取りにきた。その会社というのが、浅草に所在しているらしい。

新門紅丸・・・・大隊長は面倒な手続きがお嫌いと聞いたので、直接来ることにしたのですが……」
「なるほど……承知しました。ではご案内します」
「エッいいんですか!?」

 隊員の男のほうはとりつく島もなく、こうなればいよいよ無理にでも振り切ろうかと考えていた分、こうもあっさり承諾されたことに桜備は思わず声を上げた。困惑よりも安堵が沸き起こるのは致し方ないだろう。隊の頭脳である火縄はどこか疑わしげに眉を潜めていたが、他の面子は桜備と同じように明るい表情を見せていた。
 「此方です」と促すなまえに、しかし桜備らが反応するより早く、隊員の男がその両肩を掴んで揺らした。

「ちょっなまえ中隊長! こいつら若の前に通す気ですかィ!?」
「いけませんか?」
「いやいやいやまずいでしょうが! こいつら皇国の犬ですぜ! 若ブチ切れますって!」

 何がいけないのかわからない、と言った様子で笑みを深めるなまえ。「中隊長さんはいい人ですね」二等消防官の森羅がひそひそと桜備に囁き、彼もうんうんと頷いた。彼女を味方につければ、案外調査の件もあっさり許しが出るかもしれない。最終的な決定権は大隊長にあるだろうが、彼女の進言があれば、あるいは──

「大丈夫、若は私のことが大好きなので許してくれます。たぶん」
「ついこないだ頭潰されかけてたでしょうが!」
「じゃあその時は、止めたけど無理やり押し切られたとでも言いましょう」
「えっ」

 手のひら返しの算段をいけしゃあしゃあと話すなまえに、桜備は短く声を漏らした。







「なまえ、まァたお前……」
「まあまあ若、せっかく来てくださったんですからお話くらいは」
「チッ……余計な拾いモンしてくんなって言ってんだろうが」
「若だって拾い物がお上手でしょうに」

 思い当たる節があるのか、舌を打って目を逸らす。彼──第7特殊消防隊の大隊長を務める新門紅丸は、そのまま闖入者の面々へと視線を滑らせた。
 突如押しかけてきた第8特殊消防隊の六名が立ち並ぶのは、第7の詰所の玄関口。許可を下ろしてもいないのにここまで押し掛けた太い神経には、ある種の賞賛を覚えた。

「私だってちゃんと見極めてますよ」

 傍らでそんなことをうそぶきつつも、相変わらず来るものを拒まないなまえの気楽さにもほとほと呆れたものだ。だが──原国主義者の多い町であることに配慮したのか、他の消防隊には必ず存在する聖職者の姿は見えず、こちらの名も自らの名も「姓・名」の原国式に則って呼んでいる。媚びるような白々しさが窺えないこともないが、それ以上に浅草のやり方を尊重し、それに歩み寄ろうとする姿勢は感じられた。
 郷に入っては郷に従えと言うが、第8はそれよりも皇国主義、原国主義などと宣うよりも大事なものがあるように見受けられる。
 紅丸は大儀そうに後頭部を掻きながら、上がり框に下ろしていた腰を持ち上げて第8の面々と視線の位置を合わせた。そう大柄ではない森羅やアーサーと比べても、紅丸はさらに小柄であるが、大隊長の貫禄を背負う彼はがたいの良い桜備に迫力負けしていない。

「……勝手に来ちまったことはまあいい。だが伝道者の調査だかなんだか知らねェが、俺たちのシマを勝手に荒らされるわけにはいかねェんだ……。第7には第7のやり方がある」
「大隊長会議も途中退場されてましたが……第7は伝道者の一味を無視していくおつもりですか?」

 桜備の指摘に、皇国の定めた敵にさして興味はないと返す紅丸。次はこの町の人間が『人工焔ビト化』の犠牲者として狙われるかもしれない、と森羅に訴えられたが、それも紅丸は一蹴する。常に自分が実際に見聞きしたものだけを信じてきた紅丸にとって、信頼に置けない人間からの言葉ほどくだらないものはなかった。いくら自分はその現場を見た、だのと宣われても、彼は一切聞く耳を持とうとしない。

「疑うことを知らねェ犬っコロの話なんざ聞きたくねェ」
「……疑うだけ疑って、何もしねェ奴には言われたくないね」

 とうとう我慢の限界を迎えたらしい、怒りを滲ませた森羅に敬語も忘れて非難され、紅丸の垂れた眉がぐっと寄せられた。気だるい紅赤色の瞳が、獣のような獰猛さを孕む。それまで身をわきまえて閉口していたなまえが、「あれまァ……」と困ったように苦笑を浮かべた。

「威勢がいいなクソガキ……」
「第8はいい教育してるじゃねェか」
「若、紺さん、そうカッカせずに」
「止めんななまえ、若を虚仮にされて黙ってられるか」
「若の口の悪さとどっこいですよ。お互い様です」
「あァ? どっちの味方してんだてめェは」
「無論若に決まってるじゃないですか」

 なまえは楽しそうに目尻を細めると、苛立った紅丸を宥めるようにその頭に両手を伸ばした。わしわしと艶のある黒髪が撫で回され、紅丸は一瞬目を伏せ享受しかけるが、すぐに身を屈めて彼女の手から逃れた。

「おい、第7の大隊長! あんた最強の消防官なんだろ!? 強すぎて消防官仲間にするしかねェって町の火消しを皇国に認めさせたんだろ!? だったら今度は俺があんたをぶっ飛ばして認めさせる番だ!」
「火事と喧嘩は江戸の華ってか?」

 仲間の制止も振り切って強く言い放った森羅は、臆することなく紅丸を見据えた。対する紅丸も引く様子はない。
 互いが互いの出方を伺うようにして、空気が張り詰める。──一触即発の空間を揺らしたのは、けたたましい鐘の音だった。

「火事だァ! 火事だァァ!」
「なっ!?」
「焔ビト!?」

 半鐘を打ち鳴らす甲高い音、続けざまに聞こえてくる叫び声に、場の空気が一転した。ざわめきと動揺が一同に波及する。詰所の外でも、徐々に喧騒が増していくのが聞こえた。

「若が縁起でもねェこと言うから……」
「クソッ……おいてめェら、俺が戻ってくる間に消え失せろ」

 森羅たちに吐き捨てるようにそう告げると、紅丸は暖簾をくぐり詰所の外へ。「派手好きの勘太郎が焔ビトになっちまった!」間を空けず聞こえてきた名前に、残されたなまえが肩を揺らしたのを森羅は見逃さなかった。

「……ごめんなさいね、若はなかなか聞かん坊で」

 振り返った彼女は、柳眉をしなやかに下げて人の好い笑みを浮かべていた。それが作りものであると分からないほど、森羅は鈍感ではない。先ほど紅丸に食って掛かったのが、途端に後ろめたく感じた。
 ──彼ら第7の管轄は、浅草という限られた地区。そして彼らの経歴から考えると、恐らく隊員の多くは浅草で生まれ育った者だ。
 同じ町の、長年親交のある人間が、何の罪もないのにその身を炎に焦がされる。それを、手ずから鎮魂する。
 名前も顔も知らぬ、初めて出会った者の鎮魂でさえ、その重圧に心臓を抉られるような思いをするのだ。遺族の嘆きに、呼吸がしづらくなるのだ。それを、彼らは。

「お話はまた後程しましょうね」

 なまえは火消し装束の上に羽織っていたものを素早く脱ぎ、下駄箱の上に畳まずに放ると紅丸の後を追って駆け出す。憂いの色を帯びたなまえの瞳に、森羅はとうとう返す言葉を見つけることができなかった。


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