「若はほんに愛らしいお人ですねぇ」
黒く丸い頭部に、白い手が滑る。赤子を慈しむようなやわらかな手つきが、するりと頬を撫でた。
極端に下がった眉は、生まれつきであって困惑しているわけではない。彼女が触れてくるのはいつものことで、慣れたことで、日常の一部でもあった。けれどその手はいつもよりも弱々しくて、まるで皹の入ったビードロを壊さないように、そっとなぞっているようだと紅丸は感じた。
「なまえ」
「はぁい、なんですか若」
表情を緩ませ、なまえは答える。目の前でやわらかく目尻を細める彼女に、紅丸は無抵抗に撫でられながら二度ほど静かな呼吸をした。
「なまえ」
今一度、小さく紡ぐように呼ばれた名に、なまえは今度は閉口した。自分でも、驚くような声が出たと思う。なまえの手が離れていく。それから数秒して、彼女はまた穏やかに口もとを弛緩させた。
「紅ちゃん。いつでも鎧の紐解いていいんだよ」
昔日の呼び名が、紅丸の耳朶を打った。自分を覆う時が、少しだけ巻き戻ったような感覚。彼女の浮かべた微笑は、何故だか泣き出しそうに見えた。
「……鎧なんて元々着ちゃあいねェよ」
「邪魔だったら、どこかに行くから」
紅丸の言葉には答えず、風が包むようなやわらかい声で呟く。下げた眉が、こちらをまことに想っていることを表していた。彼女のいなくなったこの部屋を思い描いてみる。その光景は、紅丸の胸の内に燻る形容し難いそれを増幅させた。
「……いや」
たった一言、絞り出すように告げたのは否定の語。それきり黙ってしまう紅丸に、足を崩していたなまえは畳に手をついて、膝を立てる。
「紅ちゃん」
なまえが伸ばした腕は、紅丸の肩を越え、ゆるりと後ろに回り、その体をぎゅうと抱き締めた。紅丸は振りほどくことも、抱き締め返すこともせずに、ただ黙ってそれを享受する。
解け合うような他人のぬくもりが、静かな鼓動が体に伝わる。えも言われぬ充足感。ぬかるんでいた足元が、固められたような安心感。
眠るように目を伏せる。なまえのとうめいな馨りがより感じられる気がした。伸ばされた艶やかな髪が首筋にあたる。少しだけくすぐったかった。布越しに触れる皮膚のあたたかさは、自分と彼女が、何よりも生きている証だった。
跡形もなく消えてしまったはずの灰が、今日も音もなく肩に積もる。それを払い落とすことはしない。守ってやれなかった、ただ鎮めてやることしかできなかった「皆」の灰だ。
重みはない。紅丸の動きを鈍らせることも、視界を曇らせることも決してない。けれど、それは紅丸の肩を、背を確実に覆っていく。
だけど傍らにいて、それごと抱き締めてくれる相手がいるから。同じものを共に背負っているから。
新門紅丸は今日も、幾百人もの灰を背負いながら生きていく。
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