※未来設定
※話の都合上夢主の容姿描写が多いです
「懐かしい長さになってきたな」
随分と伸びた髪を手で掬うと、感触なんてないかのようにするりと流れ落ちていく。水のようだと思った。流水ではなく、水面に手を入れて掬ったような、より穏やかな感触であった。
「そう、ですか?」
揃いのカップに入れたコーヒーを飲んでいた彼女は、それをローテーブルに置いてこちらを見た。三人がけのソファーを二人でゆったり使っているため、くっつくほど近くに腰を下ろしてはいなかったが、手を伸ばせばすぐ届く距離にいた。彼女は元来、とくに俺に対して過剰に照れ屋なところがあり、こうして髪に触れた程度では動揺しなくなるのにも、随分と時間が掛かった。
いつだったか、打ち明けられたことがある。高校時代、床に届きそうなほどに伸ばした髪をずっと切らないでいたのは、必死に想いを籠めた願掛けであったという。
最初は、周りを傷つけないように、自分が傷つかないように。まるで無力な防御壁として、悪あがきのように伸ばしていたらしかった。けれど彼女はいつからか、伸ばす理由が変わったのだと、長年閉ざされたその口は言った。
彼女の大胆な断髪は、過去との決別でもあったのだろう。肩より上で揺れる毛先の、細やかな動きを今でも覚えている。
その先も短いままでいたのかと思えば、そういうわけでもなく。ただ、もう髪の毛の長さごときに囚われることはないのだ、とも捉えられた。
後頭部の高い位置でも結べそうなほど、十分に伸びた髪の毛を、彼女は自分の指でも確かめるように触れた。
「最近、ずっと忙しかったから……美容院、予約しようかな」
「切るのか?」
「えっ?」
単純な質問だった。そして、特段深い意味もなかった。しかし彼女はぱちぱちと目をしばたたかせ、わずかに逡巡したのち、感情の窺いにくい顔で小さく首を振った。
「やっぱり、やめます」
「……なんで? お前の好きにすればいい」
「そ、うじゃなくて……」
切ってほしくない、と自分が思っていると捉えられたのだろうか。本当にそんなつもりはなかったのだ。彼女がどんな髪型にしようと自分は気にしないし、髪型ひとつで揺れるような気持ちは向けていない。だから彼女が本当に自分のしたい髪型にすればいいと思った。俺ごときに囚われることなく、自由に生きてほしいと思った。
「……消太さんが、」
「俺が?」
やはり理由は俺か。何かを言った記憶はないが、なにぶん女の子の気持ちというのはわかりにくいところがある。それでも彼女の心の機微には敏いつもりであったが、ここまできても身に覚えがない限りは本当に「つもり」でしかなかったのだろう。
消え入るような小さな声。けれど、霧散することもなく、透明感はあるけどしっかりと色付いて、俺の耳に届く。
「……指で梳いてくれるの、うれしい、から」
じわりじわりと耳を染め上げていく朱は、とうとう顔全体にまで。それも俯かれてすぐに見えなくなったが、また唇をぎゅっと引き結んでいるのだろうということは想像できた。そして鏡を見ずとも、自分の顔も虚をつかれたように固まっていることが容易に思い浮かべられた。それから、彼女の発言を何度か咀嚼して飲み込むと、フッと小さく息が漏れた。
「……なまえ」
名前を呼べば、彼女は風呂上がりのような血色の良い顔を上げた。困ったように下げられた眉が、どうしようもなく愛おしく思えた。
なまえの髪に片手を伸ばす。身体の向きを斜めにして、ほんの少しだけ彼女との距離を詰めた。そのまま俺とは似ても似つかぬ綺麗な髪に、するりと手ぐしを通していく。細くて真っ直ぐで、しなやかな髪の毛。なんとなく、猫を撫でている時の気持ちを思い出す。この髪の一本も、俺のもの。……いや、傲慢だな。彼女の髪は誰のものでもない、彼女のものだ。だけど彼女に次いで近い人間と言われれば、やはり他の誰よりも俺、なのだろう。それを、嬉しいことだと俺は思う。
なまえはどこか気恥ずかしそうに、それでいて心地良さそうに目を細めると、俺たちの間にあるスペースに両手を置いて、また少し距離を詰めた。
「なん、ですか?」
「いや、なんでもない」
素直で無垢な瞳があまりに愛おしいものだから、うっかり笑いそうになるのをなんとか抑える。ぽんぽんと愛情籠めてその頭を撫でると、なまえははにかむように、幸せそうに笑った。
五周年フリリク/相澤と元生徒
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