「あれ、なまえさん?」

 とうの昔に聞き慣れてしまった声に、なまえは思わず眉をひそめた。反応を見せる前に、その少年はなまえの隣へと並び、彼女の腕に掛かるカゴを覗き込んだ。

「偶然だねぇ。買い物?」
「スーパーで買い物以外の何をすんの」
「アハハ、だよねぇ」
「それよりアンタこそ、なんでわざわざこっちのスーパーにいるわけ」
「僕がどこに買い物に来ようが僕の自由でしょ?」

 そうカラリと笑う先崎に、なまえはほんの小さくため息をついた。相手にするだけ時間の無駄だ。彼女は先崎を無視するように追い越し、手元のメモに目を落としながら買い物を続行する──つもりであったが、先崎はその後ろを当たり前のように着いてきて、再び隣へと並んだ。

「なになに、今日はカレーかな?」
「……それは明日」

 先崎はカゴの中身に加え、無遠慮に覗きこんできだ買い物メモの内容から夕食のメニューを推測した。それができるということは、彼は意外にも料理ができるタイプなのだろうか。しかし彼がエプロンを掛けキッチンに立つ姿はどうにも想像ができず、そもそも彼が普通にものを食べている姿すら頭に描けない。いつもヘラヘラと楽しそうな先崎がどこかに纏う、人間味とは離れた無機質さのようなものを意図せず再認識した。

「なまえさんなまえさん、卵お買い得だってさ」
「こないだ買ったからいらない」
「あ、トマトも大分安いね」
「あー……それは買う」
「何個?」
「二個」
「はい二個ね」

 言うや否や、先崎はトマト売り場に軽い足取りで近寄った。「……って、なんなのさっきから」ナチュラルに馴染む先崎にうっかり流されそうになり、なまえはかぶりを振る。しかしそれ以上は、先崎が戻ってくるのを待つ以外どうすることもできない。
 先崎はビニール袋をプツリと一枚取って、艶やかに並んだ赤い実を吟味し始めた。うんうん、と何度か頷いてから、一つを袋越しに転がすようにして全体を見る。傷などがないこと確認して、さらにもう一つ、そこから三つほど離れたトマトの様子を確認。それから選ばれしトマトたちを、ビニール袋にホイホイと入れてなまえの元へと戻ってきた。

「はい」
「……どーも」

 低くそっけない返事でトマトを受け取り、カゴに入れる。肘に掛かる重量がまた少し増した。

「カート使わないの?」
「動きにくいからあんまり好きじゃない」
「でも重くない? ここに牛乳も足すんでしょ?」

 先ほど覗いたメモから、心配する素振りを見せる先崎。確かに、普通であればカートのお世話になりたい量かもしれないが、それでもなまえは頑なにカゴを手に持ち続けている。先崎はしばし考えるような素振りを見せると、ピンときたように表情を明るくした。

「わかった、百円玉なかったんでしょ」
「……」
「当たりだね。ここ、鎖で繋がれてるもんねぇ」

 先崎の観察力、もとい目敏さになまえはまたため息を吐いた。ここのスーパーマーケットは置き去り防止にカート同士が鎖で連結されており、百円硬貨を差し込むことでそれが外れて使用できる。つまりは定位置に戻して鎖で繋ぎ直さなければ、入れた百円玉は返ってこないわけだ。
 行きつけでもないスーパーに恐らくは偶々寄っただけであるというのに、先崎は周りの客のカートか元のカート置き場かを見てそれに気がつき、さらにはなまえのカゴが最終的には手で持つのに苦労するほどの重量になることを推理した。加えて、なまえができる楽は我慢せずにしていく性分であることを踏まえ、導きだした答えは見事大正解だ。普段はカート用の百円玉を財布ではなく鞄に直接入れているのだが、この間うっかり使ってしまったことに、なまえは今日ここに買い物に来てから気がついたのだった。無論、財布にも百円玉は一枚もなかったわけである。
 何がそんなに楽しいのか、ニコニコと笑みを深める先崎。そんな彼を振りきるように、なまえは乳製品売り場へ向かい始めた。

「大変でしょ」
「別に問題ない」
「またまた〜。うわ結構重っ」
「は? ちょっと、」
「なまえさんは逞しいな〜」

 素直な賛辞か、からかっているのか。恐らく後者だろう。なまえのカゴを半ば無理矢理かっさらい、自分の腕に掛ける先崎にじろりと視線を向ける。一体なんだと言うのだ、さっきから。嫌がらせか? しかしそのわりには、先崎は「余計なこと」はしていても「邪魔」をしているわけではなかった。だからこそ、強く邪険にするのも妙に憚られた。

「なまえさんはさ」
「……何」
「なまえさんも……、」

 不意に何かを尋ねようとした先崎だったが、何か思うところでもあったのだろうか。先程までペラペラとよく回る口が、そこで急に閉ざされた。
 突然なまえの耳に、店内放送の妙に明るい音楽が流れ込んでくる。なまえはこの曲を別段好きでも嫌いでもなかったが、今だけはなんとなく耳を塞ぎたくなった。売り場を移動する数十秒の間も、先崎は黙り続け、その横顔も口元だけはつり上がっているが笑ってはいない。売り場を移動した頃、なまえがいよいよ薄気味悪さを覚えたところで、ようやく先崎は喋り出した。

「なまえさんち、どの牛乳買ってるの?」

 何の気なしに問われ、素直に「これ」と奥の賞味期限が長い方から取ると、先崎はそれをかっさらってカゴに追加する。「僕んちと同じだ」「……そ」「あとは?」「これで全部」「じゃレジ並ぼうか」そんなやりとりをして、また沈黙。
 主婦層で混む時間帯のため、どのレジも似たような混み方をしていた。そのうちの比較的列が短い所に二人は並ぶ。
 なまえは隣の不可解な荷物持ちをちらりと覗き見た。深緑がかった黒髪は癖がついていて、その重ための前髪は何かを閉じ込めるように十字のヘアピンに留められている。それなりに年相応の顔立ちをしている彼に、幾分か幼い印象を与えているように見えた。
 大きなつり目は、前を見たまま少しだけ伏せられている。一体何を考えているのだろうか。オープンなようで、何一つ見せていない。近くにいるようで、絶対に踏み込ませないラインを大きく引いている。彼のことを、なまえはほとんど知らない。
 ただ、深く暗い緑の目。明朗なようで、その瞳は笑いながらも時折光を失す。──先崎要は、嘘つきの目をしている。

「先崎」
「何? なまえさん」
「アンタ、何か買いに来たんじゃないの」
「ああ、いいの。買いたいもの、なかったから」
「……あっそ」

 今のはどちらだろう。目当てのものが並んでいなかったのか、それとも買うものなんて元々なかったのか。後者であれば何故このスーパーに入ったのかは甚だ疑問であるが、先崎は元々変人の気があるし、彼が含みのある言い方を好むこともわかっていた。
 先崎はなまえに薄く笑いかける。愛想笑いではなかったが、楽しげな笑顔にも見えなかった。
 しばらくして順番が回り、会計を済ませる。サッカー台までカゴを運ぶのも、なまえが財布を鞄にしまっている間に先崎が行っていた。

「あれ、ガムなんて入ってたっけ」
「……さっきレジ前で入れた。気付いてなかったんだ」
「ああ、うん、ちょっとボケッとしてたかもね」

 先崎は袋詰めには参戦せず、なまえの作業を傍らから眺めるだけだった。会話に出たそのガムを、なまえは袋には入れず先崎に差し出す。

「え?」
「好きな味じゃなかったら捨てて」

 唖然としながらもそれを受け取った先崎に、なまえは袋を持ち上げてカゴを置き場に重ねた。それから素っ気なく踵を返して、彼を置き去りに一人出入口へ向かう。じゃあねの一言もなく背を向けたなまえには、先崎はどんな顔をしていたのか、知る由はない。

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