「じゃあ実際にやってみますね、見ていてください」
果たしてどうしてこうなったのか。あぐあぐと口を動かすも、意気揚々とした彼女を止める言葉はなにも出てこない。ステラは黒髪が揺れるその背中を、ただ見送ることしかできなかった。
そもそもの発端は、「どうしたらなまえさんと新門大隊長のような関係になれるでしょう……」と誤解を生む発言を零してしまったことだった。ステラとしては、「幼馴染みとして気の置けない、信頼し合った仲になりたい」という意味合いだったのだ。もちろん、彼女が幼少の頃から共に育ってきた男、アーサー・ボイルとの関係において。
しかし彼女は何分、心の内をオープンにさらけ出せるタイプの人間ではなかった。アーサーの前に立つとたちまち心拍数が上がり、頬はうっすらと熱を持ち、心臓部が溶けるような愛しさが溢れ出す。陰から「かっこいい……」と漏らすことはあれど、本人に正面切って気持ちを伝えられたことなどついぞなかった。──とはいえ、彼女の反応はいささか分かりやすすぎて、アーサーにも自身がステラに特別に想われている、という自覚はあるのだが。
そんなわけで、ステラは自分たちと同じく幼馴染関係であるなまえと紅丸に、憧れに近い感情を抱いていた。自分もあんな風に、アーサーくんとの信頼を深めたい。ほんの少しでも、アーサーくんにとっての拠り所のような存在になれるように頑張りたい。
しかし残念なことに、ステラの本意が正しくなまえに伝わることはなかった。……否、伝わったのかもしれないが、なまえが見せてくれるというレクチャーは、少なくともステラが必要とし、期待していたものとはかけ離れていたのだ。
腰を下ろしていた縁側から、稽古場となっている庭に視線を向ける。すっかり日は暮れ、空は橙から濃紺に染まり始めていた。
稽古に一段落つけた紅丸、シンラ、アーサーに、なまえが「お疲れ様です」と声を掛けた。彼女の手元には、白いタオルが二つ。一つは息も絶え絶えなシンラへ、もう一つは汗のひとつもかいてない紅丸へ。
「いらねェ」
「あら、そうですか」
「そこで転がってる奴に渡してやれ」
「ああいえ、彼にはちゃんと"担当"がいるので」
「あ?」
「ほら若、衿元乱れてますよ。髪の毛も」
なまえの白い手が、紅丸の衿の合わせを整える。それから無造作に伸ばされた黒髪を、さりさりと指先で撫でた。紅丸は少しくすぐったそうに目を細めたが、はね除けるのも面倒なのか、はたまたそうされることに慣れているのか、無抵抗でなまえに髪を梳かれていた。
「若は男前ですねェ」
「あ? なんだ藪から棒に」
「背中で語る! って感じで、とっても恰好良かったです」
「ただの稽古だろ」
「うふふ」
言いつつ、なまえの期待したような瞳がこちらにちらりと寄越された。「……!」大袈裟に肩を跳ねさせたステラの手元には、先程なまえに渡された一枚のタオル。庭には、まだタオルを渡して貰えず、仰向けに倒れこんで息を整えている男が一人。
(い、い……今の流れをやれと言うんですか!?)
──絶対無理に決まってる!!!
ステラは内心で吼えた。あんなさらりと自然なボディタッチだとか、流れるように直球で褒め言葉を紡いだりだとか、無理だ、無理すぎる。しかも衿元や髪の毛に触れるなんて、パーソナルスペースのうちのうちにまで入らないとできない芸当だ。想像するだけで顔が熱くなってくる。
なまえの視線を跳ねのけるように、ぶんぶんと首を横に振るステラ。しかしなまえは「気合いです!」とでも言いたげに拳を固めて見せてくる。いやいや、だから絶対無理ですってば! そこまではできません! やっぱり私には、タオルを手渡すだけでもう限界が……!
「うう……」
不意に聞こえた声に、ステラは再度肩を震わせた。地面に倒れていたアーサーが、ようやく体勢を立て直し、起き上がろうとしている。いけない、タイミングを逃してしまう。早くタオルを渡すだけでもしないと。
「あっ、アーサーくん!」ステラは慌てて立ち上がると、上体を起こした彼のもとに駆け出した。──その直後、背中に容赦ない衝撃が走った。
「「うぇーい!」」
この元気な二重ソプラノボイスは、あの双子の女の子たちか。それを理解した時には、ステラの体は一気に前方に押し出されていた。はて、一体何が起きた?
のけ反った体が前に倒れないよう反射的に片足を出し、勢いづいたせいでさらに逆の足も大きく前に出た。ステップを踏むように前進した体は、しかし結局バランスを保ち切れず前に倒れ込んでいく。その先にあるのは──地面に座り込んでいたアーサーの姿。
「うわあっ!?」
「うおっ!?」
どしん、と体の前面に衝撃を受ける。痛くはない。ふわりと漂う自分のものではない香りに、ステラは呼吸が止まるような心地を覚えた。恐る恐る、顔を持ち上げる。
「……大丈夫か? ステラ」
「…………っ、…………!!」
こちらを覗き込む、深く澄んだやさしい碧眼は海のようで。眼前でさらりと揺れるブロンドヘアは、まるで太陽の光を束にして集めたようで。自分を受け止めてくれた──形としては、完全にステラが押し倒したような構図ではあるが──逞しい体は、ステラを易々と包み込んでいて。
倒れ込んだ拍子に高く投げ飛ばしたタオルが、ようやく地面に着地した頃。ステラは目を回してアーサーの胸に倒れ込んだ。
「……なにやってんだあいつらは」
「青春ってやつですよ、若」
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