「にしても、まさかこの石の世界でケータイ作りとはね〜」

 ぱちぱちと鳴る炎の傍らで、今晩の糧を食らいながら語らう村民たち。それらをBGMに、ゲンは間延びした声で呟いた。日中に石神村の絵描きの少年、ナマリが描いた大きなロードマップを脳内に浮かべては、歪な笑みに冷や汗を浮かべる。

「道のりもだいぶ長いし、春に間に合うのかどうか……」
「間に合わせるっきゃねえよ。まあ、村まるごと手に入ったんだ。サルファ剤作ってた頃よかよっぽどゴールが見えてやすいだろ」

 随分と慣れてきた土や草木の匂いよりさらに強く、旨味を覚える香ばしい匂いが鼻を抜ける。焼き上がった焼き魚の櫛を満を持して手に取るゲンの横で、千空が同じように手にした魚に勢いよくかぶりついた。咀嚼した身に混ざった小骨を、爪の先で器用に摘出しながら、彼は小さくため息をつく。

「硝酸さえありゃ、マンパワー増やしまくれんだがな……」

 硝酸は、石化を解く復活液を作るために必要不可欠な素材だった。しかし今は、千空と対立する司に硝酸源を押さえられている。もとより、硝酸があれば携帯電話よりも先に火薬を量産していただろう。

「うんうん。そりゃ〜そうだよね。そんな千空ちゃんに、硝酸通り越しては〜いこれ」
「あ?」

 マジシャンの一面も持つゲンは、身体中のあちこちにあらゆるものを仕込んでいる。だからその広い袖口から、どうやって隠していたのかも疑問な小瓶が出てきたとて、千空が不思議に思う道理はない。しかし千空は、出てきたそれを見るや否や、驚いたように目を丸めた。

「!! まさかそれ……てめ、どうやって……!」
「俺を誰だと思ってんの? 一人分ちょろまかしてくるくらい朝飯前よ♪」
「やるじゃねえかメンタリスト!」
「おぅ、なんかあったのか?」

 手渡された小瓶に声を上げる千空のもとへ、魚を頬張りながらやってきたのはクロムだった。日も落ち始め、闇を増す村の中で、好奇心に満ちた彼の目は明るい。

「あ゛あ、ゲンの野郎がかっぱらってきたんだよ。天下の復活液様、お一人分な!」
「ふっ……かつ、液って、おいおいおい! それって誰か一人、あの石の奴を起こせるってことか!? ついに復活の瞬間を拝めるのか!? ヤベーッ!」

 未知なる現象に触れられる期待に、彼の周囲の光度がさらに増した。その雄叫びを聞いて、コハクやスイカなど科学王国初期メンバーがわらわらと集ってくる。

「おお、なんだ。千空やゲンのような科学を知る人間を呼び起こせるということか?」
「わー! すごいんだよ!」
「いやぁ〜、俺をそこの戦力に数えられても困るっていうかぁ〜……」
「つーか、そう単純な問題でもねーよ」

 伝播した盛り上がりに水を差すように、千空は一瞬で落ち着きを取り戻していた。彼の言葉に旧現代人仲間のゲンもうんうんと頷く。

「そうそう、問題は誰を起こすかだよね〜」
「あぁ……適当にそのへんの奴を叩き起こしたとして、俺らに協力的かどうかなんてわからねえ」
「起こし損だけはごめんだよね〜。だったらこっそりとっておいたほうが、いざって時に切り札として使えるかもね〜」
「ま、でも考えたって埒が明かねえ。適当にそこらの石像にブッ掛けるか!」
「ってちょちょちょストーップ!! このやりとりなんだったの!?」

 今しがたの応酬をまるまるなかったことにする千空に、ゲンが声を荒らげた。しかし千空は意見を変える様子もなく、残りの魚を咀嚼しながら至って真面目そうに答える。

「今は人員確保が第一だ。どんな現代人でも、村の奴らよりは科学にだって馴染みあんだろ」
「いやだって司ちゃん的思想の奴だったらどうすんのよ」
「それこそお前の口八丁の出番だろ、メンタリスト」
「ええ〜……」
「……なあ、千空は?」
「あ?」

 クロムが出し抜けに問うた。要領を得ないそれに、平生聡い千空も眉をひそめ、人の心を読むことに長けたゲンですら疑問符を飛ばす。

「千空はよ、誰か、すぐに復活させて会いたいやつはいねーのか?」

 彼の言葉が意外だったのか、千空は一瞬動きを止めた。近くで焚かれる火だけがぱちぱちと間を繋ぐ。しかし彼はすぐに視線を下げて、何かを考えるようにわずかに目を伏せた。周囲の面々は彼の返答に聞き入るように、しんと息を潜めていた。

「……あ゛ぁ。いるにはいるな」
「えっジーマーで?」
「おぅ誰だ!?」
「友達なんだよ?」
「女の子!? ねえ女の子!?」
「同じ年頃か?」
「彼女!? ねえ彼女でしょ!? 千空ってば隅に置けないんだからぁ〜!」
「銀狼しつけえ! ちげーよ、いたって合理的な理由だ」

 ずっと聞き耳を立てていたらしく、いつの間にか混ざっていた銀狼が一際騒ぎ立てたが、否定をしなかったあたり、女で間違いはないのだろう。千空はヒビの走る額に手を当てて、面倒くさそうに言葉を続ける。

「アイツは昔っから俺の『お手伝い』してっからな。この科学王国の戦力底上げにはうってつけだ」

 簡潔な説明ではあったが、千空が他人を語るのは珍しく、そして誰も知らないその人物の像に、誰もが興味津々だった。突如現れた、常人離れした頭脳と根気を持つ千空という男の、まだ知らない一面を見られたような気がして、皆一様にそわそわと浮足立っているようにも見える。千空は妙に居心地が悪くなって、ひとり口元を曲げていた。

「じゃあよ、そいつをさっさと起こそうぜ!」
「そうできればよかったんだがな……ここに来るより前に大樹と捜し回ったこともあんだが、見つからなかったんだよ、石像が」
「……!」
「どっかに流されたか、地中に埋まっちまってるか、はたまた壊れてバラバラにでもなっちまってんのか……」

 淡々と、いつもとそう変わらない様子で思いつく可能性を連ねていく千空だったが、その瞳には日没だけが原因ではない、わずかな翳りが差していた。それはある種の諦観か、寂寥か。先ほどまで盛り上がっていた一同は、話す言葉を見つけられずに押し黙る。──その沈黙を破ったのは、クロムの力強い声だった。

「探そうぜ!」
「あ゛ぁ?」

 千空は反射的に上げた顔を、呆れたように引きつらせた。両拳を握ったクロムはやる気に満ち満ちており、その勢いに千空はわずかに気圧されるが、負けじと口を開く。

「オイ、今そんな悠長な時間があると思って……」
「だからだよ! お前が真っ先に挙げたくらいだ、ソイツを復活させれば作業スピードも断然上がるだろ! それにもし壊れてたらよ、風化する前にくっつけなきゃいけねーんだろ!? おぅ、なら急ぐしかねーだろ!」
「壊れてたとして、それが何年何十年と前のモンならもはや風化してくっつくこともねえ。バラバラの死体になるだけだ」
「でも! 可能性はある! なら諦める理由にゃならねーだろ!」
「ハ! クロムの言う通りだ。それに、みなで探せば見つけられるかもしれないしな」
「皆って……だから、んな人員割く余裕なんてどこに、」
「みんなー聞いてくれ!!」
「まーてまてまてまて」
「ぐえっ!」

 猪突猛進、さっそく他の村民に声を掛けようとするクロムを、モヤシと揶揄される千空の細腕でも止められたのは彼にとって幸いだった。千空は眉根を寄せるクロムの顔を睨み返す。

「いいか、近場にいなかった以上、どこに遠出してっかもわからねえんだ。最後にゃ人類全員復活させるとはいえ、今たった一人を捜し出すなんて無理ゲーなんだよ。それに一番可能性のある地元は、つまり司帝国のあたりだ。そこに向かうわけにも行かねえ」
「でもさ〜、とりまアタリをつけるくらいはしてもいいんじゃないの〜?」

 真剣な声色の正論に、クロムが口を挟むよりも早く、ゆるい声が引き裂いた。

「場所さえ推測できれば、司ちゃん帝国に乗り込む時にあわよくば誰かが見つけ出せるかもしれないしさ♪」
「おぅ、そうだそうだ!」

 軽い調子で笑うゲンに元気よく同調したクロムは、千空の腕を振り切って駆け出してしまった。彼に続いて、コハクやスイカ、銀狼もバタバタと妙な張り切りを見せている。その場に取り残された千空がしばし呆気に取られていると、今度はゲンが長い裾をひらめかせてゆるりと真横にやってきた。

「まあいいじゃないの。どうせこれからまた村総出でドイヒー作業させられるんだから、今のうちにやりたいことやらせてあげたほうがモチベーションも高まるんじゃない〜?」
「てめーまでそっち側かよ……」
「ま、見つけられる保証もないってわかってたものをさ、うっかり口にした千空ちゃんの負けってことよ♪」

 大きな袖口を合わせ、手を隠す姿は相変わらず胡散臭い。ゲンは「いつもなら、口を滑らせる場面じゃなかったんじゃないの〜? 千空ちゃん、その子にはそこそこ情があるみたいね♪」と自由勝手に言い残して、軽やかな足取りでクロムたちを追いかけた。

「……深読みだバカ」

 見透かしたようなメンタリストの視線は、彼が消えてもなお絡みつく。数テンポ遅れてからようやく発した言葉は、珍しくキレの悪いものだった。千空はいよいよ諦めたように、深く息を吐いて頭を掻く。

「ったく……見つかる保証もねぇたった一人のために割く人手のほうがもったいねー、非合理だろうが……」
「オホー、千空。珍しく鈍いの」

 独り言のつもりであったが、低くしわがれた声に呼ばれて眉をしかめる。今度は村の腕利きの職人、カセキが、いつの間にか傍らに立っていた。石化を自力で解いてからの半年、その後大樹と二人で過ごした半年。あの期間の体感時間はあまりにも長く、常に多くの人間がそばにいるということに、未だ慣れない気持ちが、心のどこかに残っていた。

「皆、ヌシのためになにかしてやりたいと思っとるんじゃよ」

 染み入るような穏やかな声。胸の内側あたりに、妙な風でも吹いたような、科学的でない名状しがたい感覚を覚えた。自分らしくもない。カセキの禿げた後頭部に視線を落としながら、千空は人知れず利き手を握り固めて、集中する神経を分散させる。

「長いこと地道に積み重ねて、巫女様の命をも救い、村をひとつにし……村のために誰より頑張ってくれたヌシに、報いたいんじゃろう」
「別に村のための慈善活動行った覚えはねえよ」
「そんなヌシが、一人で……友達とも離れ離れで、寂しいんじゃないかと、皆心配しとる」
「だっから寂しかねーっつってんだろ、どいつもこいつも……」

 いつだったか、お前は寂しいのではないかと、しきりにクロムたちに問われたことがあった。千空はそんなタマじゃないと返したが、それには嘘も強がりも含まれておらず、まったくの本心だった。しかしクロムたちの、こちらを窺うような、心配するような、寂寞に沈んだ顔が、今も記憶から剥がれ落ちてはくれない。
 文明は滅んだ。思い出の品一つ残っていない。けれど、今はまだ会えないが、遠い昔からの思い出を共有する大樹に再び出会った。杠に出会った。硝酸さえ手に入れられれば、復活液はまた作れる。石化したほかの、自分の人生にまつわる人間たちも、いずれはその長い眠りから呼び覚ますことができると、彼は確信していた。
 ──けれど。
 カセキは名前こそ出さなかったが、そこには暗に、千空がもう会えることもない家族のことも含まれていただろう。
 あの夜、千空は一人、父の百夜の墓前に居た。たった一人、足元に染みては消えていく雫を見ていた。

『千空さん』

 「彼女」の石像は、復活液作りに成功するまでの一年間のうちに、大樹と共に捜した。捜して、捜して、それでも見つからなかった。もし、壊れて、取り返しのつかないことになっていたらと、考えたことがないわけではない。

「……」

 千空は早々、負の感情に呑まれることはない。三七〇〇年もの間、何も見えない、聞こえない、動くことさえできない暗闇の中で、秒数を正確に刻みながらその意識をつなぎ続けた。鉄にも勝る理性と、強靱な精神力は、現代を生きてきた人間には途方もないこのストーンワールドで、彼を生かし前進させ続ける。

「だからヌシが会いたいと思ってるそやつを、是が非でもヌシと会わせてやりたいと思っちゃってのー」
「合理的なご指名だっつってんだろ! 一個も話聞いてねーじゃねーか!」

 だけど、もし。その不撓不屈の心に、針の先ほどでも、揺らぎが生まれるのだとしたら、その理由はきっと──。







「それじゃあ、まずはアテを絞ろうか」

 半円になるように並ぶメンバーの前で、ゲンが愉快げに人差し指を立てた。村の面々はやる気に満ちた顔で、彼の話に聞き入る。千空はすでに諦めたようで、ゲンの隣で面倒くさそうに眉間にシワを刻んでいた。

「てなわけで千空ちゃん、彼女の当日の行動は? わかる範囲で」
「あー……一限終わりの曜日だったはずだ。石化光線食らった昼の時間帯は、もう学外にいた可能性が高い」
「ふ〜ん、大学か院生あたりなわけね」
「ダイガクカインセーってなんだ?」
「ウンそこ話長くなっちゃうからひとまず置いとくね〜」

 耳慣れない単語に首を捻るクロムをさらっと流し、ゲンは顎に手を当てる。

「そこからの足取りは?」
「わからねえ。ただ、あの日は急遽ウチに来るっつー連絡が朝来てな。そこはずっと引っ掛かってた」
「え、家に? え? やっぱり千空ちゃんの恋人……」
「ちげーっつってんだろ。元々ウチで家政婦バイトみてえなことしてたんだよ。百夜が訓練に行く前に勝手に取り付けやがった。俺の義務教育が終わるまでっつー契約だったが……切れてからも何かと押し掛けてきやがる」
「な〜るほど、色んな意味で『お手伝いさん』だったわけね。科学以外に無頓着そうな千空ちゃんが、これまで健やかに生きてこれた理由がわかった気がするな〜。千空ちゃん、ほっとくとコーヒーだけですませたりしそうだし」

 大きな袖口を口元に寄せたゲンに、千空は「ちゃんと栄養も摂るわ」と反論した。料理も科学だと、実際にゼロからラーメンを作った彼が、料理ができない道理はない。しかし心当たりがないわけではないのか、彼がゲンの目を見て返すことはなかった。

「で、アイツはそう寄り道するタチでもねえし、そのまま自宅に戻ったか、先に俺の家に来てるかと思ったんだが……どっちの周辺にも居やがらねえ」
「う〜わ合鍵まで預けてると……」
「ただのお手伝い時代の名残だわバカ」

 そう大きく年の離れていない異性に、いつ勝手に家に上がられても問題ではないという千空は、やはり飛び抜けて変わり者だとゲンは改めて感じていた。そして、そんな彼と長く付き合っているらしいその人物に対しても、やはり類は友を呼ぶのだろうか、と考える。

「まあそれは置いといて」

 ゲンがたおやかに手を振り動かしてみせると、一同の視線が無意識的に彼のほうに集約した。それは一種のパフォーマンスでもあり、その場がメンタリスト・あさぎりゲンの独壇場に塗り変わる合図だった。

「少し巻き戻すよ。急遽ってことは、彼女はいつも、家に寄る日は事前に決めてたんだよね? じゃあなんでその日は突然来ることにしたのか。話を聞いた限りじゃ、気分屋ってことでもなさそうでしょ。なんらかの理由があったわけだ。でも、ただ話したいことができたってだけなら、別に電話でもLINEでもいい。となると、直接会いに来ることに意味がある可能性が高いよね〜。だけど例えば千空ちゃんに何かを直してほしいとか、そういう何らかの頼み事っていうなら、それこそ事前に伝えておくはず。恋人じゃないっていうし、カワイイ服買った〜とか髪型変えた〜って見せに来る線も薄い。つまり千空ちゃんに何かをしてもらいたいじゃなくて、してあげたい側ってことかな。元お手伝いさんでもあるわけだしね。何かを千空ちゃんに渡したいか、してあげたいか……千空ちゃんがとくに詳細も聞かされてなかったっていうなら、サプライズって線が濃いかな〜」

 ペラペラと語って聞かせるような推理は、欠片のような些細なヒントから多くの情報を引き出していた。千空が口を挟むことはなく、それはゲンの推理に納得を示している証拠であった。

「すっごい、全部見透かされてるみたいなんだよ……ゲンはその人に会ったことないのに、すごいんだよ!」
「ま、全部仮説ではあるけどね〜」
「しっかし、サプライズ、ねえ……」
「彼女の平均行動範囲にいなかったなら、それを用意するために遠出してる〜なんて可能性もあるよね〜。千空ちゃん、なにか心当たりは? あ、ホラ、千空ちゃんパパが宇宙に旅立った記念とか」
「それはもう当日に押し掛けてきやがったからちげーな。誕生日でもねえ、なんかの功績残した直後とかでもねぇ……」
「じゃあ、千空ちゃんが喜ぶことって例えばなに?」
「あ!? 自分で列挙しろってか!!」
「いいからいいから。ヒントはひとつでも多いほうがいいでしょ」

 ずいずいと迫られ、千空は渋々と頭を掻く。逆立った緑の毛先がそれに合わせて揺れた。

「あ゛ー……ラーメン……? 取り立ててサプライズにゃならねえな。新しい機材のプレゼント……いや、例のカードがある俺に無駄にそんな大盤振る舞いする意味はねえ。未知の科学……唆る事象に触れる……、」

 どうにもきまり悪そうに口元を歪めながら、一つ一つ、可能性を手繰り寄せては手放してを繰り返す。不意に言葉が途切れ、ゲンが覗き込むと、千空は大きなつり目をさらに見開いていた。

「──ツバメ」
「え?」
「そういやあの日の前日、LINEが来てたな。急に降って沸いたツバメの石像について」
「へぇ。文面は?」
「あー……『聞きましたか? ツバメの石像のこと』『今回もとにかく調べまくるんでしょう? 私も手伝いますよ』」

 記憶を辿って棒読みする千空の、恐らく一言一句違わないのであろうその記憶力にひそかに感嘆しながら、ゲンが人差し指を立てて小首を傾けた。

「な〜るほどね。じゃあ彼女は、千空ちゃんにそのツバメの研究に関する素敵な何かをプレゼントしようとしたのかな」
「アイツん家に高価な機材があるわけでもねえ。一体何……」

 そこで再び気付きを得たように、寸刻息を止めた千空。放心したようなその顔は、次第に彼がよくするニヤリとした笑みへと塗り替えられていく。

「ククク、珍しく幸先良いじゃねーか」
「おっと、なになに?」
「アイツのじーさん、石彫の職人でな」
「!! それってワンチャン、調べてもらえるよう頼み込みに行ってるってことだよね〜?」

 千空に呼応するように、ゲンの顔もまた悪戯っ子のようにニヤニヤと歪み出す。持ち上げられた頬で、笑った口のようなヒビがその口角をつり上げた。その不敵な笑みにあてられた村民たちもまた、どんどん顔を明るくしていく。

「体を悪くして引退はしたそうだが……ちょうど──あ゛あ、ここから司帝国とは逆方向……そう遠くはねえところに住んでんだ」

 千空の言葉を受けて、一同は一斉に沸いた。







 思いがけず近場にある可能性が浮上した、千空のよく知る人物の石像。その捜索班として抜擢されたのは、唯一本人の顔を知る千空のほか、ゲン、クロム、コハク、スイカといったお馴染みの面々、それから体力のある若者たち数名だった。ちなみに銀狼は渦中の石像が女性と聞いて誰よりも同行したがっていたが、ルールはルールだと金狼に首根っこを捕まれ、泣く泣く門番の仕事に引き戻された。
 ゲンは先頭の千空に追随しながら、手元にある絵を眺める。千空の証言を基に、ナマリに描かせた捜し人の似顔絵だった。千空が記憶の中から計算した身長等も含め、見た目の情報がそこには記されている。とはいえ、文字を読める人員など限られてはいるけれど。

「そういえば千空ちゃん、ほむらちゃんのことだけど」
「あ゛ー、構やしねえよ。監視って言われたら守るタイプなんだろ。こっちに着いてきてようが、村のほうに残ってようが、この段階で襲いかかってくることはまずねえ」
「? なんの話だ?」
「なんでもねえよ」

 司帝国のほむらに、村全体を監視されていることをまだ知らないクロムは、二人の会話に首をかしげるばかりだ。
 千空の計算によると、彼女が学校から直接祖父のところに行ったと仮定すれば、石化光線が降ってきた時間にはちょうど着いてる頃だった。その付近を中心に捜索範囲を広げていく予定だ。
 数時間をかけて進み、先頭の千空がへばったため休憩を挟んだ。これまで石神村と司帝国を往復していたゲンは、前よりも多少の持久力はついたようだったが、旧現代人の二人は村のメンバーよりも明らかに疲労困憊だ。最年少で小柄なスイカは、これまでこのストーンワールドの大自然の中で生きてきた故か、彼らよりも余程元気そうだった。
 しばらくして一同は再び動き出した。朝、村を出発してからどれほど歩いただろうか。ようやく目的地が近づいてきたところで、メンバーはあらかじめざっくりと区割りしていた範囲に向かって、四方に散らばり捜索を開始した。

「……」

 千空は大木がしっかりと張った太い根を跨ぎながら、ふと、見つからなかった時のことを考えた。
 元々博打のようなものなのだ。文明が発達した旧現代、少しの運賃を払えばどこへだって行けた。もしかしたら見当違いかもしれない。もっと遠くへ行っているかもしれない。河川の氾濫に巻き込まれ、行き先も推測し難いくらい流されているかもしれない。そうでなくとも、もう、何十年も、何百年も、何千年も前に、壊れてしまっているかもしれない。
 見知らぬ石像たちを何人もやり過ごし、草木が生い茂る道を進んでいく。旧現代の靴よりよっぽど薄いそれで、荒れた地を踏み締めることにはもう随分と前に慣れた。
 半ば村人たちの勢いに押される形で、ここまで来た。しかし日が落ちても見つからなかったら。どの段階で諦めようか。どの段階で、やはり無理だったのだと判断しようか。誰よりもやる気を出して捜してくれているクロムたちを、どうやって説得しようか。まあ、ゲンが上手いこと丸め込んでくれるだろう。
 文明が復興すれば、科学が発達すれば、広範囲を対象に地中に埋まったものを探すことなど今よりずっと容易であるし、千空はいずれ、すべての地にいる全人類を救おうとしている。無論、彼女もだ。だから彼女の石像だけを捜すことは、今、やるべきことではなかった。わかっていたはずだ。

「──……」

 その口が誰にともなく何かを紡ごうとして、やめた。かすかな余韻が広大な自然の中に溶けていく。
 結局千空の捜したあたりに彼女の石像はなく、彼は合流地点に戻った。他のメンバーも次第に集まってくるのを見ながら、ここからどこまで捜索範囲をずらすか……と考えていると、刃のような叫びが空気を切り裂いた。

「千空! 向こうだ!」

 コハクの声だった。彼女は木々を伝って忍者のように現れると、力強く地面に降り立つ。それから千空の視線が向けられるのを確認するや否や、その勢いを殺さずに木々の繁る脇道を真っ直ぐに駆け出した。

「おいおいおい……!」

 千空はほとんど考える間もなく、反射的に彼女の後ろを追い始めた。コハクの声につられて集まった他のメンバーも、コハクの姿を見失わないように慌ててついていく。
 心臓がやけにばくばくと暴れている理由は、全力疾走していることだけではなかった。前方を駆け抜ける眩しい金髪を追って、運動の苦手な足をひたすら動かす。元々先頭にいたはずの千空は、クロムに、転がるスイカに、他の面々に次々追い越され、気付けばほとんど最後尾でゼエハアと不格好に走っていた。ゲンもゲンで、彼の横をヘロヘロとひた走っている。
 しばらくして、ようやく村民らが集う大木まで追いついた。地面に横たわる石像が見えたが、千空は息も絶え絶えでまともに視認することができない。

「千空、どうだ、違うか? まとめた髪も、体格も、特徴は一致しているように見えるのだが……」
「てっ……てめ、ゼエ、いや、どんだけ、ハア、遠くから、見つけ、」

 両膝に手をついて、荒い呼吸をどうにか整える。哀れなほど上下する薄い背中がようやっと落ち着いた頃、千空は眼前の光景を見て僅かに呼吸を詰まらせた。
 不細工に伸びた木の根が絡みついていたのを、コハクがその怪腕と得物で切り裂いた跡が窺える。それは──「彼女」は、新しい木の断面の傍らで、苔や蔦や泥にまみれて横たわっていた。

 ──あ、千空さんおかえりなさい。

 刺激された記憶の中で、かつての声が次々と再生されていく。

 ──今日は煮込みラーメンです!
 ──これ? 百夜さんに渡す千空さんの写真ですよ。
 ──科学って楽しいですねえ。

 忘れもしないその声に、心臓が動き続ける。仲間たちに静かに見守られながら、千空は「彼女」にゆっくりと歩み寄る。

「……お前の献身にゃ、お涙が出るな……よォ、ようやく見つけたぜ」

 翼を広げた形で固まったツバメを、守るように手に抱えた女の石像。
 ずっと捜し続けていたその姿を前に、千空の眉が酷く、懐かしそうに歪んだ。せぐり上げそうになるものを喉の奥に押し込んで、代わりにいびつな笑顔を浮かべる。

「やはり、この者が千空の……!」
「ああ……」

 千空の返事に、コハクたちは一斉に声を上げて歓喜した。空気が震え、木々から鳥が飛び立つ。千空は一人黙って、変に力の入った唇をごまかしながら、彼女の石像の横にしゃがみ込んだ。
 千空のために探したツバメの石像。千空のために向かった祖父の家。ゲンの読みは全て正しかったのだろう。人類の時が止まるその直前、彼女が何を思い、何をしていたのか。数千年越しに触れた真実に、小さく、喉が震えた。

 コハクが背負っていた袋から、村で用意していた衣服を取り出した。たとえどんな動きで固まっていても着せられるようにと、あらかじめ切れ目の多いものだ。片側から石像に着せていき、もう片側をその場で簡易的に閉じていく。
 服を着せ終えると、千空は腰に取り付けている袋から取り出した小瓶の栓を開けて、躊躇なく石像に掛けた。「いや情緒!」誰かが叫んだが華麗にスルー。小瓶から注がれた液体は、頭を流れ顔を伝い、肩へ、手元の小鳥へ、全身へと流れていく。
 空になった小瓶を袋に戻し、反応が起きるまで誰もが息を殺して待つ。草の匂いが、やけに濃く感じた。それから幾ばくか経って、ピシリと何かが割れるような音がした。
 石像の表面に無数の亀裂が走り、全身へと波及していく。ピシ、ピシリ。その連鎖は止まることを知らず、体を覆う石の膜はみるみるうちに割れていき──

 パキンッ!!

 一挙に弾けた無数の石片をくぐり、ツバメは解き放たれた翼をはためかせて青空へと飛び立つ。その艶やかな羽がひらりと一枚、彼と、彼女の間に舞った。

「──千……空……さん……?」

 女の目が彼を映し、その口が小さく、小さくその名を紡いだ。千空は、感情に揺れる水面のような瞳を細めて、口の端をやさしくつり上げる。

「ククク、三七〇〇年ぶりだなァ──なまえ」

 髪をまとめていたであろう何らかの飾りは、とうの昔に劣化して無くなっており、石の膜の支えを失った彼女の黒髪が一拍遅れてほどけていく。
 なまえと呼ばれたその女は、未だ事態をのみ込めていないように、数千年越しに開けた瞳をぱちりぱちりと瞬かせていた。

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