文明の滅んだ石の世界でのケータイ作り。もはや無謀とも思えるようなそれを、しかし「彼ならやり遂げるだろう」と手放しに頷けるほどの確信が、私の中にはあった。
 原始を生きてきた石神村の人たちと協力して、一つ一つ、着実にステップを踏んでいく日々。私は昔から千空さんに散々こき使われ……もとい『お手伝い』をしていた中で、色んな実験をしたし、色んなものを作ってきた。流石にケータイ作りの手順が一から分かるわけではないけど、おかげで私は千空さん直々に指名を受け、化学チームとして彼の補助役を担っていた。
 千空さんはとてもしっかりしている子だ。自分自身の限界はもちろん分かっている。だけど合理が感情を上回ることも多く、元来好きなものには寝食も忘れて没頭すきらいもあったから、隣にいる理由があって良かったと思う。誰かがそばにいないと、少し、心配だったから。現に、ほら。

「……スゥ、スゥ……」

 細い寝息に合わせて肩が動く。あどけない、子どもの寝顔だ。普段は凛々しくつり上がった眉も、いつもより角度がやわらかい。すっかり力の抜けた顔つきに、少しでもよく眠れますようにと祈る。

(……いくつになっても可愛いなぁ)

 自分の膝に乗った頭に、思わずそうっと手が伸び、そのまま撫でた。重力にも負けない強い癖毛は、見た目とは裏腹に案外やわらかさを持っている。草木のような緑に染まった毛先は、三七〇〇年前と変わらない。人波に紛れてもすぐに見つけられる、彼の綺麗な髪の毛が私は好きだった。
 起こしてしまわないように、ゆっくりと頭から手を離す。千空さんと私の石化が解けた時期には、どうやら一年以上のブランクが空いているらしく、多少年齢差が縮まったのだというが、それでもまだまだ幼い愛し子のように感じられていた。
 少しだけ仮眠を取ると言って、ラボ内の地面に直接座り込んだのが体感十五分とか、そのくらい前。よほど疲れが溜まっていたのだろう、一瞬で寝落ちた彼の頭が、横に揺れたのがそのすぐ後。やっぱり、ちゃんと布団で寝たほうがいいと勧めれば良かった。作業の手を止めて、千空さんの隣に横座りをすると、案の定、彼の頭は私の太腿の上にぐらりと落ちてきた。
 膝を貸すくらいはいつだって、いくらでもしてあげられるけれど、これじゃあ体を痛めそうだ。かといって、彼を起こさずに布団のある科学倉庫まで運ぶなど至難の技。というか、ほぼ不可能だろう。あと少しして、彼が自発的に起きなかったら肩を揺すってみようと思う。
 膝から体温が伝わる。伏せられた目の下には、少しだけ隈があった。投げ出された指先は、擦り傷や汚れでボロボロで、前より少し、ごつごつとして見えた。

「…………、」

 彼を見ていると、時折、言いようもないほどに胸が軋んだ。
 幼い頃から、とても聡明で、我慢強く、したたかな子だった。父親の百夜さんが宇宙飛行士の訓練でほとんど家に帰ってこられないことに、嘆いたことも、不満を漏らしたことも、彼は一度としてなかった。それどころか「俺は俺の、百夜は百夜の夢を追うだけだ」と、百夜さんが用意してくれた研究道具を大事に大事に使いながら、他には一瞥もくれずに言っていた。彼にとっての喜びはきっと、本当に、心から、百夜さんが夢を諦めるより家を飛び出て夢を追うことだったに違いない。
 ナイーブでもないし、センチメンタルに陥ることだって、私が見てきた中では一度もない。泣いたところを見たのだって、せいぜい実験に爆発した際に煙が目に染みたとか、玉ねぎを切ってる時とか、本当にそういう理由くらいだ。感情に起因した彼の涙を、これほど共に過ごしてきた私ですら、ついぞ見たことがなかった気がする。
 だけど。世間一般にはまだまだ甘え盛りであろう小学生の子が、誰もいない家に鍵を開けて帰って、一人でご飯を食べることは、きっと寂しい。授業参観にも、運動会にも、一人だけ家族が来なかったら、きっと寂しいのだ。
 私のエゴかもしれなかった。だけど、独り善がりだろうとなんだろうと、彼を一人にはしたくなかった。それは彼が高校生になった今でも同じで。少しでも、彼が一人でいる時間を減らしたかった。なんでも一人でこなしてしまう彼が、この先の人生、誰にも頼らずたった一人だけで生きていけるようには、なってほしくなかった。

(……あの日、もし、彼の近くにいたらなぁ。そうしたら、もしかしたら、あるいは……)

 彼が経験した、たった一人きり、文明もなく、ゼロから全てを始め、大樹くんが目覚めるその日までの孤独に、私は過去に戻って寄り添うことはできない。
 獅子王司くんとの問答で、自ら選択するほかなかった、確実な死を前にしたその瞬間の、きっと途方もなかった恐怖を、共に背負うことはできない。
 百夜さんのことを知ったその月夜に、ただただ、隣にいることすらできない。
 千空さんは今、辛くはないだろうか。寄る辺なさや、胸を抉られるような想いに襲われてはいないだろうか。
 お願いだから、すべての苦しみから見放されてほしかった。頑張る彼の前に、もう何者も立ちはだからないでほしかった。お願いだから、そのためだったら私のこの身のひとつなど、くれてやるから。
 ──そんな大それたことを思っても、科学の世界に神などいないし、千空さんだって望んじゃいない。この両手を祈って塞ぐくらいなら、目の前の可能性を地道に探って、掴んで、引き寄せるほうが賢明だ。

(……進まないとなぁ)

 それでも。
 本当だったら、私たちは今も数々の文明の中で、生きていたはずだった。本当だったら、生きるために、殺されないために頑張ることなどないはずだった。本当だったら、千空さんは、あと何回でも、百夜さんに『おかえり』を言えるはずだったのに。
 本当だったらと、考えていけばキリなどない。だけど、他でもない、隣を歩く彼が頑張っているから。当たり前のように、努力を重ねて前進を続けるから。私もその隣を、歩み続けたいと思う。それは自分を好きでいるためであり、彼を少しでも支えたいから。
 立ち止まることもなく頑張り続ける、ひたむきで少しぶっきらぼうで、とてもやさしく愛おしいこの少年が。この先に触れる全てのものが、どうか、彼にやさしくあってほしいと、やさしくありますようにと思う。そのためなら、やっぱり私は、きっとどんな苦難にだって立ち向かえる。
 不意にくぐもった声がした。私の膝に頭を預けていた千空さんが、小さく身じろぎをする。少しだけくすぐったくて困っているうちに、彼は朧気ながら目を覚ましたようで、地面に手をついて体を起こした。懐かしい温もりが離れていく。

「おはようございます、千空さん」
「……はよ、なまえ」

 少し、舌が回っていないような甘えた掠れ声だった。私がすぐ近くにいたのが予想外だったのか、それとも寝惚けているのか、彼はしょぼしょぼと何度か瞬きをしている。それからようやく現状を把握したような顔をしたが、さして気にすることもなく後頭部を掻いて、猫のようにあくびをした。軽く目元を擦ると、千空さんはその意志の強い瞳をしっかりと開く。

「──じゃ、続きに取り掛かんぞ」

 強く地面を踏みしめて立ち上がる彼に、私も「はいっ」と短く返事をして続いた。

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