!「碧落に星」浅月さん宅夢主、音波奏くんと共演させて頂いてます
いつもなら誰かしらいるはずの寮の談話スペースには見計らったように僕らしかいなくて、妙に静かな空間が、僕らを急かすようだった。
「かなちゃんて、みょうじさんのこと……す、好きなのかな……!?」
「俺が知るかクソが!!」
【幼馴染式恋愛ソリューション】
きっかけというには細やかすぎる疑問だったと思う。昼休みの話だ。僕はかなちゃんと、飯田くん、轟くんと並んで食堂に向かっていた。空いたお腹を満たすため、エネルギーを補給するため、午後に備えるため、理由は様々あれど、友達と食べるご飯は美味しい。
「あ」
不意に隣を歩いていたかなちゃんが、どこかを見ながら短く呟いた。どうしたのだろうと尋ねる前に、彼は「ごめん先行ってて」と僕らから離れた。
「どうしたんだ音波くんは」
「さあ……?」
飯田くんと僕が首を傾げる間で、轟くんがかなちゃんの向かった方を見ながら淡々と言った。
「みょうじじゃねえか?ほら」
轟くんに促されて視線を辿る。その先にはみょうじさんが持っているノートの山をさらりと奪うかなちゃんがいた。半分、ではなくさりげなく三分の二持つあたり、彼の紳士さというか物腰の柔らかさが見て取れる。
「みょうじくんは日直だったか」
「うん、今日は提出物とか課題多かったしね」
食堂に向かう生徒が多い中で、両手が塞がったまま移動するのは大変だろうと想像できる。きっとかなちゃんもそう思ってみょうじさんに手を貸しに行ったのだ。二人が階段を降りていくのを見ながら、僕らは食堂に向かう。
「さすがだな音波くんは!クラスメイトをよく見てる!」
誇らしげに飯田くんが笑う。「俺も見習わねば!」と言う彼は今日も委員長然としている。飯田くんは既に僕らのことをよく見ていると思うけど、飯田くんとかなちゃんでは気の配り方や、応じ方が少し違う。優劣があるわけではなく、飯田くんは気がつけばすぐ声をかけて迅速に解決に向けて対応するが、かなちゃんはあくまでさりげなく、さらりと手を貸す。今だって僕らに詳しく言わずに手を貸しにいくところが押し付けがましくなくて凄いなと思う。飯田くんは頼りがいがあるし、僕も色々助けてもらっているけど、かなちゃんはどれもがスマートで自然だ。二人ともヒーローらしい。
「みょうじのことよく見てるよな。音波」
僕の正面で蕎麦を啜る轟くんの言葉に、僕はカツ丼を飲み込み損ねた。慌てて水を飲んで、つかえそうだったものを無理やり流し込む。「大丈夫か緑谷くん!」と心配してくれる飯田くんに、身振りで大丈夫だと伝える。
「ごほっ、そっ、そうかな……!?」
「違うのか?」
首を傾げる轟くんのオッドアイが、不思議そうに僕を見る。違うのか、と聞かれれば違う気もするし、違わない気もする。例えばノートを運んでいたのが麗日さんでもかなちゃんは助けたと思うけど、言われれば確かに、かなちゃんは普段からなにかとみょうじさんを気にかけているような気もする。
「かなちゃんは優しいし誰かを手伝ったりすることなんて自然にやるから気にしたことなかったけど言われると確かにそうか……?でもさっきのが別の女子だったとしても手伝ってたと思うし決定的にはならないような……」
「出たないつもの」
「あっ、ごめん」
人差し指と親指で下唇を捏ねながら、ついいつもの癖が出てしまった。箸を握り直して、卵で閉じられたカツを見ながらも、頭の中ではかなちゃんとみょうじさんのことがグルグルと頭を回っている。
「音波くんはみょうじくんに限らず周囲への配慮が行き届いているんじゃないか?」
「ああ……そう言やそうか」
「う、うんうん」
「とは言えみょうじくんとコミュニケーションが取れるようになったのは音波くんがいてこその面が強いがな」
飯田くんの言葉に、僕は納得せざるを得ない。
みょうじさんは時期外れの転校生で、筆談でしか会話をしないため当初はクラスを困惑させた。本人も僕らと距離を取っておきたかったようで、デリケートな問題かもしれないし僕らが強く踏み込めないところに爆弾を落とした……というよりは爆弾を放り投げ、爆破させたのはかっちゃんだった。
ヒーロー基礎学の授業でみょうじさんとペアになったかっちゃんは、意思疎通の測れないみょうじさんにとうとうブチギレて、彼女に掴み掛かるまでした。それを止めたのが一年A組の爆弾処理班ことかなちゃんで、みょうじさんの言葉を引き出したのもかなちゃんだった。
思い返せばそれ以来、かなちゃんはみょうじさんのことを気にかけている気もする。
面倒見のいいかなちゃんだし、最初はクラスに馴染めるように色々気を回しているんだなとは思っていたけど、もうそんな必要もないくらいみょうじさんはクラスに馴染んでいるし、今日だって麗日さんや蛙吹……っゆちゃんと休み時間に笑っていた。
気にかけている、それは良いことだと思う。問題はそこに込められた意味だ。
友人として?親切心で?それとももっと、特別な感情で?
急にカツ丼の味がわからなくなった。ざわざわとした落ち着かないものが胸を這う。
「かなちゃんて、もしかして……」
「僕がなんだって?」
「ワッ!」
声のした方を見ると、僕の左後ろにかなちゃんが立っていた。手にしているトレーには日替わり定食が乗っている。
「席取ってあるぞ」
「ありがとう」
飯田くんの正面、僕の左隣にかなちゃんが座る。今日の日替わり定食はサバの味噌煮がメインのようだった。
「で、僕がなんだって?」
「えっ!え〜と」
「音波とみょうじが仲良いなって話だ」
「轟くん!」
なんだってそんなにはっきり言うんだ君は!?
轟くんはキョトンとした顔で蕎麦を啜る。くっ、顔がいい。だからってどストレートが過ぎるし、もっとこうオブラートに包めなかったかな。
ちらりとかなちゃんを見れば、かなちゃんもキョトンとした顔で首を傾げていた。アイマスクに描かれた目もキョトンとしている気がする。こちらも顔がいい。照れたりとかはない。
「そうかな?」
「違うのか?」
さっきまでと同じような会話を聞きながら、僕はなぜか落ち着かない気持ちになる。この様子なら、かなちゃんは特に意識しているわけじゃないのかもしれない。そのことにホッとする自分がいた。
「仲が良いのはいいことじゃないか、それに音波くんはみょうじくんをよく気にかけているだろう?」
「そうかな……別に普通だと思うよ」
サバの身をほぐすかなちゃんはいつもの淡々としたマイペースな空気を纏っている。というか轟くんも飯田くんも凄いな。こういう男女の仲の話をするってこんな淡々と穏やかにできるものなのかな。峰田くんとか上鳴くんだったらきっとこうはならないよ。
「さっきもみょうじのとこ行ってたんだろ」
「ああ、うん。困ってるみたいだったから」
「よく見てるよな」
「それは消……あ〜、いや、みょうじさんわかりやすいからね」
なにかを濁して、ふ、と柔らかく目を細めた紺色の瞳の奥に、滲むそれはなんだろう。クラスメイトを想う瞳だろうか。それよりかもっと、なにかもっと。
「そう言えば、午後のヒーロー基礎学だけどさ。職員室行ったら相澤先生に委員長に伝言してくれって言われてることがあって……」
「むっ、本当か」
話が緩やかに方向を変えていく。授業の話が始まっても、僕の頭の中にはかなちゃんとみょうじさんのことが残っていた。
一度気になるととことん突き止めて分析したいというのが僕の性分だ。とは言え僕は男女の色恋には疎いという自覚があるし、かなちゃんやみょうじさんの気持ちを無視して揶揄するようなことはしない。ただ、純粋な興味がある。かなちゃんがみょうじさんに特別な感情を抱いているのか否かということに。
そんなわけで改めてかなちゃんのみょうじさんへの様子を注意深く見てみた。そして見れば見るほど、かなちゃんはみょうじさんに対して優しい。いやかなちゃんは誰にだって優しい。僕にだって優しい。かっちゃんにだって優しい。でもなんか、優しさの糖度とでも言うのか、その優しさには甘さを含んでいるような気がする。
中学の頃から、なんなら小学生の時だってかなちゃんは女子に対してモテていた。そりゃ顔もよくて個性も強くてあんな紳士的な人が近くにいれば、女子はみんな好きになるんじゃないかと思う。幼馴染の贔屓目だとしてもそう思う。中学の時はかなちゃんにラブレターを渡して欲しいだとか、バレンタインのチョコを渡して欲しいだとか頼まれたことがあった。代わりに渡すたび、「こういうの断っていいからね」とかなちゃんには言われたが、いつも断りきれなくて仲介役をしてしまっていた。今思えば僕を経由することでかなちゃんは受け取るしかなかったのだ。それもわかっていたなら女子って怖……いや、凄い。
そんな中学時代を思い出して、かなちゃんが特定の女子に対して優しくするのはやはり今までにないことだった。他の子たちにだって当然優しいけれど、みょうじさん相手には群を抜いている気がする。でもそれがイコールとして、男女の仲に結びつけてしまっていいものか。決定打には欠ける気がする。
「そういえばかなちゃんとそういう……恋バナ?って言うのかな。そういうのしたことないな。いや、縁もなかったし僕相手じゃつまらないからかもしれないけどう〜ん。かといって正面切ってどう思ってるのか聞くのはだいぶキッツイぞ」
「うるっせえぞクソナード!!」
「わっ!かっちゃん!」
背後から低い声で怒鳴られて肩が跳ねる。パッと周りを見れば談話スペースのソファに座っているのは僕だけ、周りにも誰もいない。外を見れば月が高く昇っていて、みんな就寝するなり自室に戻るなりしたのだろう。いるのは不愉快そうに顔を顰め目をつり上げる幼馴染だけだ。
「テメェは一人でブツクサうるせーんだよ!聞かされるこっちの身にもなりやがれ!」
「ご、ごめん……!」
素直に謝れば、即座にチッッと鋭い舌打ちが返ってくる。この舌打ちも少し前ならば震え上がるものだったけれど、今ではそんな風に思うことも減った。
「かっちゃんはどうしたの?いつもならもう寝てるよね?」
「人の就寝時間把握してんじゃねえよ!本当にキメェな!距離を取れ!」
「えぇえ」
かっちゃんが寝るのが早いことなんて、寮で共に生活をしている者ならみんな知っている。つまりクラス全員の共通認識としてあるわけだ。それなのにこの言いがかりはひどいぞ。
かっちゃんはどうやら水を飲みに来たらしく、両手をズボンに突っ込んだまま、ドスドスと大股でキッチンの方へ向かった。その後ろ姿を見ながら、ふと思う。
かっちゃんなら、なにか知っていないだろうか。
僕とかなちゃんの関係性と、かっちゃんとかなちゃんの関係性は違うと思う。幼馴染で括ってしまえばそこまでだけど、それを言ったら僕とかっちゃんだって幼馴染だし。
僕とは話さないことでも、かっちゃんとなら話しているかもしれない。そう思うとソワソワと落ち着かなくなってきた。かっちゃんは水を飲んで満足したのか、コップを片付けるとさっさと戻ろうとしてしまう。僕は慌ててソファから腰を浮かせた。
「あ、かっちゃん!」
「んだよ」
「あの、ちょっと聞きたいことがあって」
「俺ぁねみーんだよ!ブツブツなら奏にでも聞かせとけ!」
「いやあの、そのかなちゃんのことなんだけど」
かなちゃんの名前を出すと、かっちゃんはピタリと足を止めた。そして不愉快そうに眉を顰めたまま顔だけでこちらを振り返る。
「んだよ。あいつがどうした」
「いや、あの、たいしたことじゃないんだけどね?ちょっと僕一人じゃ結論が出せそうにないから君の意見も聞かせてほしいなって」
「うるせー!はよしろ!」
「はいっ!」
かっちゃんに吠えられて、思わず気をつけの姿勢になる。いざ聞くとなると緊張するぞこれ。僕はちらちらと視線をさまよわせながら、頬に熱が集まるのを感じていた。まずい、かっちゃんがイライラしている。
「か、かなちゃんて……」
僕は両手をギュッと握って、顔を上げてかっちゃんを見た。
「かなちゃんて、みょうじさんのこと……す、好きなのかな!?」
言った!言ったぞ!
僕が達成感に満ち足りている正面で、かっちゃんは薄く口を開けたまま固まった。眉間のしわは薄くなっているが、見開かれた橙の瞳が、瞬間メラリと燃え上がる。ゆらりと一歩踏み出しながら、かっちゃんが両手の平を上に向けた。
「俺が知るかクソが!!」
両手で爆破を起こし叫ぶかっちゃんに、慌てて人差し指を口の前で立てる。
「ちょ、静かにしてよ!」
「うるせー!このクッソナード!なにを考えてんだテメェ!?クソナードがクソナードなこと言ってんじゃねえーーー!!」
「声でかいって!かなちゃんに聞こえるだろ!?」
ハイツアライアンスの建物内ならば、かなちゃんの可聴領域だ。僕は人差し指を立てたままあたりを見回す。誰かが降りてくる気配はない。よかった。かなちゃんももう寝てるのかもしれない。余程のことがなければかなちゃんは起きないはずだ。
かっちゃんはいまだピキピキとこめかみに血管を浮かべながら僕を睨みつけている。大きな声を出したせいか、呼吸を整えながらもいつでも爆破してやるぞという殺意を感じられた。
「僕だっておかしなこと言ってるとは思ってるよ!でも一度気になったらはっきりさせたいというか……!」
「っつーかなんだよみょうじって!なんの根拠があってそんなクソみてえな発想になるんだアアン!?」
「いやだって、かなちゃんみょうじさんに優しくない!?今まで特定の女子に優しくすることなかったろ!?」
「はあ!?そんなもん……」
言い返そうと口を大きく開いたかっちゃんの動きがピタリと止まる。眉を顰めたまま、何かを思い出すように視線を右上へと持っていく。どうやら思い当たる節があるらしい。そのままかっちゃんはしばらく考え込むと、反論する言葉が行き場を失ったのか、僕の顔面に向けて右手で爆破を起こしながら殴りかかってきた。
「っ〜〜死ねっ!!」
「なんで!?」
「テメーなんざ豚に食われて死ね!」
「馬に蹴られてだろ!?」
思わずフルカウルで避ける。これで爆破されたら理不尽にもほどがある。僕は思わず両手を構えながらかっちゃんと向かい合った。喧嘩はまずい。また謹慎になってしまう。わかっているがこれは正当防衛だと僕は思う。
僕らはしばらく睨み合ったまま、硬直状態が続いた。それを先に解いたのはかっちゃんで、両手をぶらりとおろすと、不服そうに僕を睨みつけたまま、先ほどまでの勢いを殺して尋ねてくる。
「……んでそう思ったか言え」
「ええ……きっかけは轟くんなんだけど……」
僕はなぜかなちゃんとみょうじさんのことを気にするまでになったかの経緯を話す。かっちゃんは相槌も返事もしてくれないけど聞いてはくれているようで、目はじっと僕を映す。話し終えると、かっちゃんは思案顔で視線を動かしながら呟いた。
「鈍い轟がそう思うくらいにはわかりやすいってか……?」
「う、うん。かなちゃんは普通だって言ってたけど、みょうじさんに対して結構気を遣ってるように見えるんだ」
かっちゃんは僕の言葉を聞いて、眉間のしわを濃くしてから、両手をポケットに入れ直した。僕に話しかけられてめんどくさい、というよりは納得できないとか、不愉快みたいな感じだ。
「つーかよお……」
かっちゃんは舌打ちをひとつしてから、ぐっと目を眇めた。
「口無し女は先生に惚れとんだろうが」
「あ……やっぱりかっちゃんも気付いてたんだ」
「ったりめーだわ。あいつ隠す気ねえだろ」
「いや……本人は一応隠してるつもりなんじゃない……?」
「は?雑魚かよ」
雑魚て。
みょうじさんは、プロヒーローで僕らA組の担任、相澤先生のことが好きらしい。人としてもあるだろうけど、その好きは恋愛の好きらしいのだ。そしてそれはクラスメイトのほとんどが知っている。彼女の好意はわかりやすくダダ漏れでもしかしたら先生だって気付いているかもしれない。
「テメーでも気付いてんだ。奏だってわかってんだろ」
「と思うけど……」
そうだ。そこなんだ問題は。もしもかなちゃんがみょうじさんに友人以上の感情を向けていたら、それはきっと報われない。叶わない想いなんだ。
そう思うとじわりと苦いコーヒーが舌に広がるように胸が苦しくなる。だってそんなのは悲しすぎるじゃないか。かなちゃんには幸せになって欲しいんだ。
かっちゃんは一蹴するように鼻を鳴らす。
「望み薄いやつにわざわざ惚れるかよ。アホくせえ」
そうだろうか。そう言われてしまえばそうかもしれない。けど人を好きだと言う気持ちは、そんな簡単に変えられるものじゃないとも思う。まあ恋愛経験皆無の僕が言ったって説得力ないけど。
「わかんないじゃないか。それだけ好きってことかもしれないし」
「はあ?趣味悪すぎんだろ」
「いやそれ失礼だからね!?」
なんてこと言うんだかっちゃん!今の女子が聞いたら全員敵に回すぞ!と心の中で叫ぶ。
でも確かに、好きな人がいる人を好きになるっていうのは、結構、いや相当辛いものなんじゃないだろうか。苦しい思いをしても抑えられないからこそ恋と呼ぶのかもしれないけれど。できれば僕はかなちゃんにはひたすら優しくて幸福で満ちるような恋をして欲しい。だってかなちゃんは本当に優しい人だ。優しくてかっこよくて、幸せにならなきゃいけない人だ。
「でもかっちゃんから見ても、かなちゃんはみょうじさんのこと気にかけてると思うってことだよね?」
結局はそういうことだよね?と首を傾げて聞けば、かっちゃんはヒク、と口角を引き攣らせた。目は爛々と狂気じみた光を放っている。それどういう感情からくる表情?
「……死ねっ!!」
「なんでだよ!?」
かっちゃんは再び右の大振りで僕に殴りかかってきた。今度は反応がギリギリだったため前髪が少し焦げた気がする。酷いよかっちゃん。
かっちゃんはまたドスドスと大股で談話スペースを出ていく。肩を怒らせながら歩く後ろ姿はとても気が立っているように見えた。
△▼△
朝、起きた途端に寒くてクソだなと思った。共有スペースのテレビでは天気予報が流れていて、アナウンサーが「今日は最低気温更新の見込みです」なんざぬかしている。ふざけんなクソが。たたでさえこっちは気分が悪いんだよ。それなのにさらに萎えるようなこと全国放送してんじゃねえわ。
昨晩、クソデクのせいで寝た気がしねえ。今思い返してもなんの実りもないただただ無駄で不愉快な時間だった。奏がみょうじに惚れとるだあ?クソか。テメェは人の恋路気にしとる場合か!豚に食われて死ね!
「お、爆豪くんおはよう!」
上の階から降りてきたのだろう麗日、蛙吹、みょうじが並んで現れる。今見たくない面ナンバーワンのお出ましに、自然と目がつり上がる。
「チッッッ!」
「出会い頭に!?」
「爆豪ちゃん今日もキレてるわね」
麗日が丸い顔を顰めて、カエルはいつもと変わらん顔で反論してくる。口無し女も眉間にシワをよせて俺を窺うような顔を見せる。うぜえ。つーかこいつのどこに惚れる要素があんだよ。
「おはようも言えないのかお前は」
「でっ!?」
もう一発舌打ちが漏れそうになったところで頭頂部に痛みが走る。同時に舌も噛んじまった。人の頭を起き抜けにパカパカ叩くやつは一人しかいねえ。
「奏テメェ!」
「朝会ったらおはようだろ」
「おはようの挨拶も必要なくしてやろうか!ああん!?」
両手で爆破を起こすと、奏は硝煙を煙たそうに手で扇ぎ、眉を顰める。心なしかセンスの悪いアイマスクの目もこちらを貶している気がする。なんなんだテメーのアイマスクは。
「三人ともおはよう」
「おはよう音波ちゃん。ケロ」
「朝からお疲れさまだ!音波くん!」
奏は俺の肩越しに女子どもと顔を合わせると、顰めた眉を伸ばして穏やかに微笑んだ。
奏を押し退け、朝メシを食いに行く。背後で「朝から悪いね」と奏が三人に言ってるのが聞こえた。そういうところが気に食わねんだよ。そう思いながら肩越しに振り返る。振り返った先では、奏とみょうじが目を合わせて笑い合っていた。瞬間、脳裏をクソナードが駆け抜ける。
――かなちゃんて、みょうじさんのこと好きなのかな。
だから俺が知るかクソが!!
「おーっ!爆豪はよーっす!」
「死ねクソが!」
「朝から酷くね!?」
記憶の中のデクを爆破で蹴散らす。アホ面がなにか騒いでいるが気にしないことにする。近くにいた轟が「今日補講だぞ」と言ってくる。わーっとるわクソが。轟の隣にいたデクは睨み殺した。
朝メシを食って、歯を磨いてクソ菌を殺し、制服に着替える。マフラーを巻く季節になって、間も無く冬が来るのだと嫌でも思い知らされる。
「行くぞ爆豪」
「俺に指図すんじゃねえ」
一階に降りると、既に支度を終えた轟が立っていた。クソが。俺の前を歩くんじゃねえ。
玄関で靴を履く。この扉の向こうは最低気温を更新した世界なのだと思うと思わず身構える。冬は調子がクソなんだよ!一生夏でいろや!と外に向かって睨みをきかせていると、不意に後ろから名前を呼ばれた。
「勝己」
「あ?」
振り返った先には奏が立っていて、目が合った瞬間に「これ」と何かを投げつけられた。パシッ、と勢いの死ぬ音がして、胸の前でそれをキャッチする。じわりと手の中が温かくなった。
「今日寒いって。持ってきな」
手の中を見ると、ホッカイロだった。すでに温まっているそれは、開けてから多少の時間が経っていることを知らせている。
「あんま怪我してくんなよ。轟くんも士傑の子と喧嘩しちゃダメだよ」
「余裕だわクソが!」
「最近上手くやってる」
「はは、いってらっしゃい」
奏は腰のあたりでひらひらと手を振って俺らが出るのを見送る。ホッカイロを掴んだままポケットに手を突っ込んで、舌打ちをひとつしてから寮を出た。
寒いことなんて知っとるわ。つーかテメーも寒いのダメだろ。虫みてーに動かなくなんだろが。人のこと気にしとる場合かどいつもこいつも。
募る苛立ちはいくつもある。けれど右手に持ったホッカイロの温度がそれを溶かしていく。それがまた苛立って、もう一度小さく舌打ちをした。
幸いと言うべきか、今日の補講では戦闘訓練が主だったので、暴れることで鬱憤が晴れ、いくらか頭の中がすっきりした。そしてやっぱり奏がみょうじに惚れるとかねえなと結論づけた。
そもそも奏は恋愛とかクソさみいもんできるようなやつじゃねんだよ。帰りのバスに揺られながら改めてそう思う。ガキんときからのクソみてえな腐った縁のせいで、あいつの対人関係にある程度の理解はある。
あいつは他人に惚れた腫れただの感情を抱けるような人間じゃない。浮いた話なんざ聞いたこともねーし、そもそも他人に興味がねえんだ。興味がねえから、上っ面だけで誰にでも優しくできる。他人に向ける感情が薄いから、誰に対しても深入りしない、させない。
窓の外の流れていく景色を見ながら、まあでも、と続ける。
クラスの連中には、多少なりとも情が湧いてるみてえだがな。
雄英に入学してからの奏の言動を振り返り、フンと鼻を鳴らす。そもそも人付き合いは上手い方だった。でもガキんときも、中学も、デクの子守りばっかしてるから自然と交友関係が狭くなる。本人は微塵も気にしちゃいなかったけどな。つーかデクがクソナードの時点で奏が誰かに惚れるなんてありえねんだよ。あいつで手一杯だろ。
そうだあり得ねえ。考えるだけ無駄だったわクソが。帰ったらクソナードは爆破し殺す。ついでに奏とみょうじも殺す。
バスを降りて、雄英の敷地に入る。降りた途端に北風が髪を撫で、頬を刺す。ポケットに手を突っ込むとまだホッカイロはぬくかった。ポケットの中でホッカイロを弄び、寮までは歩いて五分もかからない。轟に「俺の前を歩くんじゃねえ」と肩をぶつけながら歩くと寮の建物が見えた。すると横からモブ共が並んで歩くのが見えた。寮に向かって歩く奴らを見て目を疑う。
モブ共は奏とみょうじで、二人は並んで歩いていた。
「は?」
「どうした爆豪」
「はああ?」
横から轟がなにかを言っているがシカトして、並ぶ二人を見る。奏とみょうじは並んで、時折視線を絡ませて、互いに薄く微笑みながら歩いている。
なんで二人で。そんな疑問が浮かんで消えぬままこびりつく。
固まったままの俺を見て、轟が隣で「ああ」と呟く。どうやら舐めプのクソカスも二人に気付いたらしい。
「音波とみょうじか。あいつら仲良いよな」
「はあああ!?なにふざけたこと抜かしとんだカス!」
思わず両手で爆破を起こす。すると爆破音か、それとも声で気付いたのか、奏とみょうじが振り返った。
「あれ、二人ともおかえり」
無駄によく通る声が俺と轟の帰りを迎えた。薄っぺらく笑う奏の横で、みょうじが小さく頭を下げる。なんだテメーそれは。なにポジション気取っとんだクソが。轟が「ただいま」と返す横で俺は二人を凝視する。
なんでテメーら寮の外から二人で歩いてんだクソが。説明しろゴラ。あ?
「なんで勝己キレてんの?顔やばいよ」
「キレてねえわ……!!」
顎を突き出しながら言えば、奏は「キレてんじゃん」と返し、みょうじはサッと目を逸らした。轟は奏とみょうじをゆったりと見比べ、淡々とした口振りで言う。
「二人は揃ってどうしたんだ?」
よくやった轟。褒めてやってもいい。テメェにしちゃいい仕事した。思わず手に力が入り、奏の言葉を待つ。奏はみょうじに一瞬目配せをした後、いつものように緩やかに口角を上げた。
「たまたまだよ。ゴミ捨て当番だったからさ。ね?」
奏がみょうじに目を向けると、みょうじもこくりと頷いた。おいおいおい。なんださっきの意味ありげな目配せは。ああ!?奏テメェも含みのある言い方してんじゃねえ!!
「クソどもが……!」
「ほんとになんでキレてんの?」
つーかみょうじテメェよお、先生に惚れとるなら惚れとるでほかの男とうろうろすんなや!それともなんだ奏に靡いてんのか?あ?少し喋れるようになったからって調子こいてんじゃねえぞ!
「なに?補講でなんかあった?」
「いや、いつも通り暴れてたぞ」
「表現の仕方」
「っるっせえぞぼんやりクソ男ども!!」
「めっちゃキレてんだけど」
誰のせいだと思ってんだ!と爆破してやりたくなるのをグッと堪え、代わりにポケットの中のホッカイロを握りしめる。今回ばかりは苛立ちも溶けることはなかった。
翌日。今日もまた寒い。ふざけんな冬。昨日も結局クソムカついて寝た気がしねえ。クソが。今日はヒーロー基礎学もないから暴れられる場所がねえ。クソすぎんだろ。
便所から教室に戻ろうと廊下を歩いていると、曲がり角の影からモブが現れた。向こうも避けようとしたが肩が軽くぶつかって思わず舌打ちが漏れる。
「あ?」
「……!」
視線をずらすと、そこには今日も見たくないツラナンバーワンがいた。馬鹿みてえに伸ばした髪が揺れて、橙色の目に俺が映っている。
「みょうじ……」
みょうじは気まずそうに眉を顰めた後、軽く頭を下げて俺の横をすり抜けようとする。咄嗟にその腕を掴んだ。
「!?」
「ちょうどいいわ……ちょっとツラ貸せや」
腕を掴んだまま、顎をしゃくる。みょうじは無駄に長いまつ毛を震わせながら何度も瞬きをして、俺の掴んだ腕を振り解こうとしたが力の差に諦めたのか、黙ってついてきた。
教室に戻るはずの道から進路を変え、人気のない方へ進んでいく。校舎の隅、突き当たりの壁に追い込んで、逃げられないようにみょうじの顔の横でダン、と力任せに壁に手をつく。みょうじが身構えるのがわかった。
「おい」
みょうじは唇をきつく結んだまま、眉間にしわを寄せて俺を見上げてくる。表情から、屈する気はないと訴えられているようで思わず下瞼が引き攣った。
「テメェはよお……相変わらずイラつかせるよなあ……」
低く這うような声に、みょうじがさらに目を鋭くする。なんも言い返さねえくせに、反抗的な態度。こういうとこがイラつくんだよ。またひとつ舌打ちをしてから、苛立ちを隠さぬままに問う。
「おい、テメェ奏のことどう思ってんだ」
「………」
言えば、みょうじはパチリと瞬いてから、訝しげに顔を顰めた。それからゆっくりと首を傾げる。言ってる意味がわかりませんという表情にイラッとして、眉がつり上がる。
「奏のことどう思っとんのか聞いてんだよ!あ!?テメェのその耳と口は飾りかあ!?」
グワ、と勢いを乗せて言葉を吐けば、みょうじは一瞬縮こまったあとに、困ったように視線をうろつかせ始めた。見ている限り、みょうじだって奏のことを憎からず思っているのだろう。むしろ先生よりも近くにいる分、ワンチャンという可能性すらある。奏にもそういう算段があるのかもしれねえ。今こいつの中で奏の存在がどれくらいなのか確かめられれば……つーかちゃっちゃと答えろや!奏もこんな口無し女のどこが……!
そう思ったところで、ピンとくるものがあった。もやが晴れるような、一筋の風が吹くような。ハッとして引き攣っていた顔面から力が抜ける。
――ツラか?
みょうじは未だ困ったように目を伏せて橙の目を左右に揺らしている。黒い睫毛は毛先までスッと伸びていて、肌は冷たそうに白い。スラリとした手足は掴みやすそうだ。顔のパーツの配置も悪くない。
おいおいおい、おいおいそういうことかよ……?ツラか!?あいつそんな薄っぺらい理由なんか!?つーかこういうのが好みなんかよ!?
そう思うとまた顔面に力が入る。目と眉がつり上がり、怒りに噛み締めた歯が軋む音がする。みょうじはびくりと肩を跳ねさせた。いつまで経っても答えねえみょうじに痺れを切らし、攻め方を変える。
「チッ……じゃあ先生のことはどう思ってんだ」
「……!?」
先生、という言葉に、みょうじは目を見開き、ブワッと顔面を赤く染め上げた。
「……っ……」
固く閉ざされた唇が震えている。目元まで赤くなって、薄らと膜が張っているように見えた。蒸気した頬が、下げられた眉が、震える睫毛が、言葉にせずとも訴えてくる。黒髪の隙間から見えた耳も赤くなっていて、見ていて体が痒くなる。そして肺の奥が冷え切るような感覚が迫ってきた。
「……もういいわ」
壁についた手を離し、みょうじの顔を見ないようにして背を向ける。今度こそ教室に戻ろうと歩き出した。
みょうじのあの顔を見れば、言われんでもわかる。わかっちまった。言葉なんてなくとも、あれがすべてだ。なあ奏。
「勝ち目なんてねえじゃねえか」
日陰の廊下に落ちた声は、きっと耳のいいあいつにだって届かないだろう。
△▼△
かっちゃんにかなちゃんとみょうじさんのことを相談してから早三日、一昨日はなぜか補講から帰ってきたかっちゃんに出会い頭に爆破されたし今日はすれ違いざまに親の仇かと言うほどに睨まれた。顔が凄いことになってたよかっちゃん。
かなちゃんがみょうじさんのことを好きなのか。答えがはっきりと出ないまま、僕は悶々としながら授業を受けていた。
仲が良い。良いことだ。うん、凄く良いことだよ。かなちゃんにとって、みょうじさんが女子の中では一番話しやすいとか、そういうことなのかもしれない。その可能性だって十分あるし、むしろその方が自然だ。小学生のときから一緒にいて、今までそういうところを見たことがなかったから、僕らが大袈裟に騒ぎ過ぎているのかも。
「出久、なに険しい顔してんの?」
「へあ!」
昼休みも後半になった頃、お昼を食べてから姿が見えなかったかなちゃんが、僕の前の席……つまりかっちゃんの席に座りながら僕を見た。
「あ、ええと!今日の数学難しかったなって!」
「ああ〜、あの応用ね。あれ確かに複雑だったかも」
「ね!」
かなちゃんは思い出すように視線を宙に上げながら、ペットボトルのコーヒーを飲む。あれ?
「かなちゃん、無糖なの珍しいね。いつも微糖なのに」
「ん?あ、これ?」
かなちゃんは僕を見てから、手に持ったペットボトルへと視線を移した。かなちゃんは飲み物とかお菓子とかを買うときにあまり冒険をするタイプではなくて、気に入ったものを淡々と買い続けるタイプだ。学内で飲み物を買うときは大体いつも同じコーヒーの微糖か、カフェオレ、お茶あたりを飲んでる。けど今かなちゃんが持っているペットボトルのラベルには微糖の二文字が印刷されていて、珍しいなと疑問に思った。
「これさっきみょうじさんと図書室行った帰りに」
「ん!?」
僕は思わず椅子からわずかに腰を浮かす。ガタンと椅子が鳴って、慌てて座り直し、椅子ごと前に移動して机に上半身を乗り出した。今なんて?
「ちょっ……と待ってかなちゃん……」
「ん?」
僕は俯き、右手で額のあたりを押さえながら、左手の手のひらを見せるようにかなちゃんに向けてストップをかける。
「え……?みょうじさんと……?」
「うん、図書室に行ってきて」
「今?」
「今……まあ、さっき?ご飯食べてから」
「いないなと思ったら……!」
驚き動揺を隠せない僕に対して、かなちゃんはいつもとまったく変わらない。アイマスクの目も変わらない。くそう……!
「え、え?なんでみょうじさんと図書室に……?」
「ああ、今ヒーロー活動における法律のとこ授業で習ってるじゃん」
「ああ、うん。色々細かい規定が多いし、成り立ちからもわかりにくい……というか、覚えることが多いし難しいよね」
「うん、それ。でさ、兄貴にその辺の内容ならわかりやすい参考書籍があるからって薦められて、図書室にあったから借りて読んだんだけど確かに結構わかりやすくてさ。解説とかも丁寧だし」
「え!そんなのあるの!?」
「うん、で、その話をみょうじさんにしたら読んでみたいって言うから。他にもいくつか兄貴に教えて貰ったやつがあって、それも気になるって言うからじゃあ一緒に図書室行く?ってなって」
「はあ……」
かなちゃんの説明に、僕は曖昧に頷く。
え?仲良くない?
僕の頭に浮かんだ言葉はシンプルで、仲良くない?という言葉一つだった。
だっておすすめの本を紹介するとか難易度高くない!?少し仲良いくらいじゃしないよね!?双方の読む本のレベルというか……!本に対する好き嫌いとか!ジャンルとか色々あるよね!?いや!待て待て落ち着け緑谷出久!今回はあくまで授業!そう!授業のため!ならクラスメイトとして普通のやり取りでは……!?いや、でも、いや……
「出久?そんなに頭抱えなくても……お前も読みたいなら教えるよ?」
「ありがとう……」
僕が今頭を抱えているのは授業のことじゃなくて君たちのことだけど、というのは呑み込んだ。
「あ、で、図書室から戻るときに自販機寄ろうってなって」
「ああ……うん……」
そうだ、そもそもコーヒーの話してたんだっけ。導入の情報が多すぎて正直もう大したことじゃなく思えてきちゃったよ……
「みょうじさんが買うときに、後ろから人にぶつかられてさ。そのとき間違って押しちゃってコレ買ってたんだけど」
「……ん?」
「みょうじさんになに買うつもりだったのか聞いたらコンポタって言うからさ。コンポタからアイスコーヒーの無糖はさすがにかけ離れすぎてて可哀想でさ、僕買う前で、どうせコーヒー買うつもりだったし、コンポタ買って交換したんだよ」
……仲良しエピソードを追加してきた……だと……!?
驚愕の事実をさらりと言われて、僕はもう口を半開きにするしかない。そしてやっぱりかなちゃんはみょうじさんに優しい。というかみょうじさんはかなちゃんをどう思ってるんだろう。今の自販機の話だって、紳士的なかなちゃんの振る舞いに……こう、ときめいたりしないのだろうか。
相澤先生は先生として素晴らしい人だし、僕だって尊敬している。かっこいいと思う。でもかなちゃんだって負けてないと思うんだよな……
僕がそんなことを考えていることも知らずに、かなちゃんは自販機での話を続けている。
「コーヒーのボタン押しちゃったときのみょうじさんおかしくてさ、はは」
そう言いながら、コーヒーに目を落とすかなちゃんは、柔らかく笑っている。楽しそうに話すのは、その出来事からか、一緒にいた人を想うからか。僕にはわからない。
「……そっか……大変だったね」
「みょうじさんはね、僕的にはむしろラッキーだったかな」
かなちゃんはペットボトルからラベルを剥がしながら言う。分別するにはまだ早いと思う。中身残ってるし。かなちゃんはラベルを僕の机に置いた。
「はいこれ」
「え?」
「出久集めてるでしょ。これ」
ラベルを見る。QRコードがラベルの端っこに印刷されている。ヒーローボイスキャンペーン!とオレンジ色の文字が入ったそれは、確かに僕が今集めている物だ。
対象商品を買って、ラベルに印刷されたQRコードを読み込むとコラボヒーローのスペシャルボイスが聴ける。プレゼント・マイクやベストジーニストなどをはじめとした、人気ヒーローボイスが揃っている。全十二種+シークレット。僕はすでにノーマルの十二種を聴いていて、残すはシークレットのみだ。ちなみにまだ諦めていない。ここ数週間、僕の水分は対象商品の烏龍茶でできている。
「こ……これってヒーローボイスキャンペーンのシークレットボイス!?わああ!や、やっぱりシークレットはオールマイトだったんだ!」
「みょうじさんが出したコレにシークレットって書いてあってさ」
「わああ!」
「みょうじさんにはちゃんといるか確認してあるから。出久にあげるよ」
「ありがとうかなちゃん……!」
「いえいえ」
ついにシークレット、しかもオールマイトのが聴けるぞ!早速寮に帰ったらQRコードを読み込もう!
うきうきと貰ったラベルを丁寧にファイルに挟む。嬉しい。嬉しいのはシークレットが手に入ったからってだけじゃなくて。
かなちゃんを見ると、穏やかに笑って僕を見ていた。細められた目と、緩く持ち上がった口角。
嬉しいのは、かなちゃんが僕の好きなものをこうやって覚えて、尊重してくれるからだ。優しくて、あったかくて、大好きな僕の幼馴染。優しい君に優しくしてくれる人と、幸せにしてくれる人と想いが通じ合ってほしい。
心から、そう思ってるんだ。
放課後になって、オールマイトといつもの個人的な面談を終え、さあ帰ろうとリュックを背負ったところで教室にクリアファイルを忘れたことに気付いた。あれにはかなちゃんから貰った例のラベルが挟んである。いけないいけない。方向を変えて教室まで戻ると、机の中に無事ファイルは入っていた。誰かに盗られる心配をしていたわけじゃないけど、早くオールマイトのシークレットボイスが聴きたい。
校舎にはまだ結構人がいて、教室に向かう途中で佐藤くんと口田くんにすれ違ったし、教室には葉隠さんと芦戸さんもいた。
リュックにファイルを丁寧にしまって、背負い直す。芦戸さんに「忘れ物あった?」と聞かれたので大きく頷いた。
さあ今度こそ帰ろうと勇んで教室を出た。出て少ししたところに、麗日さんとみょうじさんがいて、相澤先生に授業のことでなにか質問をしているのか、先生がみょうじさんの手元のノートを覗き込む。
あ、と思った。
みょうじさんの頬がじわりと熱を帯びるのがわかった。相澤先生を見る目が、幸福と切なさを混ぜたような色をしている。きゅ、と閉ざされた唇は、溢れ出る言葉を抑えているように見えた。
ああ、恋する表情だ。恋なんて知らないくせに、まるで初めから知っていたように、胸に落ちてきた言葉。やっぱりみょうじさんは相澤先生のことが好きなんだ。見ていてこちらまでみょうじさんの熱に当てられてドキドキしてしまう。
見てはいけないものを見てしまった気分になって、思わず目を逸らす。逸らした先に、かなちゃんが立っていた。
かなちゃんはポケットに片手を入れたまま立ち尽くすようにして一点を見ていて、ハッとして視線を辿る。先にいるのはみょうじさんで、それに気付いた瞬間に心臓が嫌な音を立てた。
かなちゃんはどこか遠くを見るような、それでいて寂しげに曇らせた目をみょうじさんに向けている。なにかに耐えるような横顔が、僕の心臓の音を速くした。
あれ、待って。これって、もしかして決定的なんじゃ。
思わず開いた口が塞がらない。僕がそのままそこに固まっていると、いつの間にか隣にかっちゃんがいた。かっちゃんも眉間に皺を寄せ、中途半端に口を開いてかなちゃんとみょうじさんを見ている。同じような表情をした僕らは、互いに目を合わせて動けなかった。
△▼△
僕らは寮の裏手の茂みに身を屈め、頭を突き合わせていた。一生のうちでかっちゃんとこんな風に同じことで悩み、考え、相談し合うなんてことがあるとは思わなかった。そしてその内容がまさか幼馴染の恋路についてだなんて欠片も想像していなかった。
「クソが……どう見ても脈なしじゃねーか!」
「まだわかんないだろ!ここからどんでん返しがあるかもしれないよ!」
「んな都合のいいもんあるか!」
かっちゃんはヤンキー座りの体勢で声を荒げるので、傍から見ればもうヤンキーそのものである。対して僕は膝を抱えて蹲み込んでいて、コソコソと茂みに隠れて男子高校生二人が密談をしている姿など怪しさ満点だろうな、誰にも見つからないといいな。
「かなちゃん……やっぱりみょうじさんのこと……」
「……チッ」
僕がうつむいて言えば、かっちゃんは舌を打った。かなちゃんに好きな人ができたなら、それは喜ばしいことだ。相手が他の人だったら僕だって喜んで応援していたと思う。けどよりにやって、他の男の人を好きだとわかりきっている子に恋をするだなんて。
「かなちゃんが……辛い思いをするのは嫌だな……」
みょうじさんは聡明な人だ。自分の過去と向き合ってヒーローを目指す強い人だ。素敵な人だと思う、本当なら応援したい。けどみょうじさんのあの表情を見てしまえば、なにも言えなくなってしまう。みょうじさんだって本気で相澤先生を想っているのだろう。みょうじさんが相澤先生を想っている以上、かなちゃんの想いは叶わない。じゃあみょうじさんの想いは叶うのかと言われたらわからない。けどそちらも結構な確率で厳しいものだろう。一方通行とは切ない。
かっちゃんは冷めた表情で、吐き捨てるように鼻を鳴らした。
「は、そもそも奏には恋愛なんざ無理だろ」
「え!なんで!?恋っ…びととかできたら絶対大事にしてくれそうじゃない!?」
「クソナードが照れてんじゃねえきめえ」
「酷いな!?」
恋人、というワードが言い慣れなさすぎて詰まったことはしっかりと拾われてしまう。かっちゃんは冷たい目で僕を見る。君ほんと酷いな。
僕の中で、かなちゃんは恋人ができたらきっと大事にするだろう、大切に愛を育むだろうと思っているけど、どうやらかっちゃんは違うらしい。恋人の前にそもそも恋愛ができないとは相当な言い草だぞ。
「でも僕、正直かなちゃんは相澤先生に負けてないと思うんだけど」
「あ?」
僕は膝の上に置いた手を見つめながら、そっと切り出す。かっちゃんは首を傾げて乱暴に僕の言葉を煽った。
「いや、そりゃ先生はプロだし大人だし!色々勝てないところはあるけどさ。でもかなちゃんが負けてるとは思わないんだよ」
「……まあ、つけ入る隙はあるわな。それこそ歳だろ。でもみょうじが枯れ専なら終わってンぞ」
「いや別にみょうじさんも年齢で先生を好きになったわけじゃないんじゃない?」
それはさすがに飛躍しすぎだと思うよかっちゃん。それで言ったら相澤先生より歳上の人なんて雄英ヒーローにもたくさんいるし……もっと内面的なものに惹かれたんじゃないかと思う。
「かなちゃんは優しいしかっこいいし頭もいいし大人っぽくて個性も強いし優しいし!正直ダメなとこなくない!?」
「口うるせえとことクソアイマスク」
「それ君にだけだろ」
「テメェにもだろが!!」
かっちゃんが今にも襲いかかってきそうなので慌てて両腕を顔の前に持ってきて身構える。確かに普段から僕らはかなちゃんに色々言われたり怒らせたり叱られたりしてるけど、それは僕らだからであって、他の人にはそうそうないよ。アイマスクについてはなにも言い返せないけど。
「かなちゃんの魅力がみょうじさんにも伝わればワンチャンあるんじゃないかと思うんだけど……」
腕の隙間からかっちゃんの様子を窺いながら言うと、かっちゃんは思案顔で宙を見上げた。襲われる心配はなさそうで腕を解く。
「現時点で口無し女は先生しか眼中にねぇんだ。ただ好いてるだけじゃなんも変わらねー」
声のトーンは低く、落ち着きを含んでいた。おお、かっちゃんなりに考えてくれて、勝利のルートが導き出されたのかもしれない。そんな期待から自然と高揚感が湧き上がり、頬が緩む。しかしその考えも束の間、次の瞬間にはかっちゃんの目がギンッとつり上がった。橙の瞳は日陰にいるせいかより濃く、赤みが増して見える。かっちゃんの背後にはどこか禍々しいオーラが見えた。
「いいかクソナード……なんもしねえでどんでん返しなんて起こんねンだよ……!やるなら徹底的に!略奪するしかねえんだよ!」
声は一層低くなり、地獄の底から響いてくるようで、思わず身震いする。略奪ってなに!?なんでそんな物騒な言葉が出てくるの!?
思わず縮こまる僕をよそに、かっちゃんは凶悪な笑みを浮かべて滔々と話し出す。
「みょうじにいかにテメーと先生が不釣り合いかを説いて知らしめてやんだよ!そうすりゃ自然と奏に……」
「待って待って!」
思わずストップをかけると、かっちゃんは話を遮られたのが不満なのか「んだよ」とキレ気味に僕を見た。
「……え?なんか不穏な空気を感じたんだけど……」
僕が恐る恐る尋ねると、かっちゃんはハン!と悪びれるどころかシレッとした顔で言う。
「一旦失恋させるか諦めさせんのが手っ取り早いだろ」
「もっと平和的にいこうよ!」
「ああ!?略奪に平和もクソもあるか!」
「まず略奪から離れようよ……」
かっちゃんは顎をしゃくり「じゃあテメーが考えろや」と不貞腐れたように顔を背けた。かっちゃんはたまに凄く子供っぽいところがある。
「みょうじさんに、かなちゃんを好きになって貰えばいいんだよね?だったらみょうじさんにかなちゃんの良いところを知ってもらうとか……さりげなく二人の時間を増やすとか……」
「ハッ!ザッコ!さすがクソナードだな!そんなんやってたらあくびが出るわ!」
僕の出した案はかっちゃんの罵倒と共に一蹴されてしまう。自然とみょうじさんが相澤先生からかなちゃんに心変わりしてくれるのが一番平和的だと思ったんだけど……
どうするのが一番良いか、僕はまた自分の唇を指で弄びながら考えてみる。かっちゃんは「つーかよぉ」と切り出した。僕はまた文句を言われるかもしれないと、パッと手を離してかっちゃんを見た。
かっちゃんは顔を横に背けたまま、眉間にシワを寄せていた。その横顔は、どこか言葉に迷っている様子が伝わってきた。かっちゃんは歯に衣着せぬ物言いがニュートラルで、パッと言葉を出すのに、こんな風に迷う素振りを見せることがもう珍しい。黙って様子を窺っていると、かっちゃんは極めて冷静に言い放った。
「もう奏に諦めろって言った方が早えだろ」
「え……」
かっちゃんの提案に、僕は頬の筋肉から力が抜けた。というか、どんな顔をすればいいのかわからなかった。ヒュ、と頬を撫でる風の冷たさを思い出して、外はこんなに寒かったんだと気付いた。
北風が揺らした木の枝が葉を落とし、渇いた音と散っていく。
「かっちゃん……」
「ンだよ。ほんとのことだろーが」
僕は反論しようと口を開いて、なにも言えずに閉じた。かっちゃんは目だけを僕の方に向けて、睨むように目を細める。けどその目は僕に敵意をぶつけているんじゃないとわかる。自分が言った言葉を貫き通す意思を固めているだけだ。
言い返す言葉が見つからなかったのは、そうかもしれないと思ってしまったからだ。
みょうじさんのあの顔を見て、そしてかなちゃんの顔を見て、今日までの二人を見てきて、それが……かなちゃんが諦めることが、一番いいのかもしれないと思ってしまった。
最低だ。友達のことを応援できないなんて、あまつさえ諦めた方が幸せかもしれないと思うだなんて。
みょうじさんは聡明な人だ。だから相澤先生に対してなにかを求めるような素振りを見せない。教師と生徒という自分たちの立場をしっかりと理解していて、苦しい道だとわかっていて、それでも想い続けるっていうのはそういうことだ。
かなちゃんはきっとそのみょうじさんの気持ちをわかっていて……それでも、好きだと言うのなら、本当は尊重するべきだ。見守っているべきだ。でも、でもそんな報われない想いを抱えたまま、かなちゃんに苦しみ続けてほしくない。
きっとかっちゃんもそう思ったんだろう。だからあんな提案をした。
僕らはしばらく黙ったままで、でもどちらもここから動く気はなくて、ただ冷たい風を受けることしかできなかった。
それからどのくらい経ったか、寒さのせいで鼻をすする。決して泣きたくなったからではない。
「かっちゃ……」
かっちゃん、そう呼ぼうとした僕の声を遮ったのは、耳に馴染む聞き慣れた声だった。
「――お前らこんなとこでなにしてんの?」
声のした方に、かっちゃんと同時に顔を向ける。そこには今僕らの頭を占めている本人が立っていた。
「か、なちゃん……」
一度寮に帰ったのだろう。かなちゃんは手ぶらで、制服から着替えていた。下はジャージで、上はシャツにオーバーサイズのカーディガンを羽織っている。
「帰ってこないなと思ったら……なんだって寮の裏なんかに……」
「え、と……」
僕らの方に向かってくるかなちゃんを見ながら、僕は思わず立ち上がり、かっちゃんも気怠げに立ち上がった。かなちゃんは眉を顰めて僕らを見ているが、その目にはどことなく心配の色が滲んでいる。
「なにしてんのこんなとこで。まさかまた喧嘩しようってんじゃ……」
「や、ちが、違う違う!喧嘩なんてしてないよっ!ねっ!?かっちゃん!」
よからぬ疑いをかけられそうで、慌てて両手を前に突き出して掌を左右に激しく振る。同意を求めてかっちゃんの方を見ると、かっちゃんはズボンのポケットに手を突っ込みながら僕より一歩前に出た。
「てめえこそなんでこんなとこにいんだ。あ?」
「僕?僕はさっきまでみょうじさんと……」
かなちゃんは自分が通ってきた方に目を向けながら口を開く。かなちゃんの口から出た言葉に、かっちゃんはピクリと反応した。グッと眇められた目が、怒りとはまた違うなにかを表している。
「おい」
「ん?」
「テメェあいつに惚れとんのか」
かっちゃん!!!!!
僕はかっちゃんを見て青ざめる。君いくらなんでもストレートが過ぎない!?轟くんといいかっちゃんといいなんなの!?
「……ん?なんて?」
「だァから、惚れとんのかって」
「かっちゃん!!」
かなちゃんは眉を寄せて首をゆっくりと深く傾げた。追求を続けるかっちゃんに、僕は思わず彼の名前を叫ぶ。思わずかっちゃんの腕を掴もうと手を伸ばすとそれを振り払われた。結構痛いぞ。
「やめとけや。脈ねーから」
かっちゃんはバッサリとそう言い捨てた。かなちゃんは首を傾げたままスッと目を細めた。眉間のしわが深くなる。
「かっちゃん言い方……!」
「話が見えないな……」
右手をうなじに当てたかなちゃんは、呆れてるようにも、困っているようにも見える。話を避けたがっているようにも、見えた。かっちゃんもそう捉えたんだろう。畳み掛けるように言葉を続ける。
「わかってんだろが、テメェだってよぉ。あいつ先生しか見てねえぞ」
「……」
「無駄だろ。やめちまえさっさと」
かっちゃんは顎を引いて、ただかなちゃんを見据えた。かなちゃんも目を逸らさずに、正面からかっちゃんを真っ直ぐ見つめ返している。
「か……かなちゃん」
僕は振り絞ってかなちゃんを呼んだ。青く深い瞳が僕の方に向く。かっちゃんは言った。僕も言わなきゃいけない。
「君の……君の気持ちは尊重したい。尊くて、きっと大事にするべきものだそれは。でも……でもその気持ちを抱え込むことで、君が傷つくのが、嫌なんだ」
「出久……」
かなちゃんが僕の名前を呼ぶ声が好きだ。笑う時に少し下がる眉も、撫でてくれる手も好きだ。だからただ君の幸せを。
「かなちゃん……!」
僕は顔を上げてかなちゃんと目を合わせる。強く握った手が、ほんの少し震えた。
「っ……ごめん僕……!かなちゃんがみょうじさんを好きなことを応援できない……っ!」
ごめんかなちゃん。僕ってやつは。君の、大事な友達の恋心すら守れないようなダメなやつだ。でも……でも君に嫌われても、君には幸せになって欲しいんだよ。
昂った気持ちが、涙腺にきた。じわりと溶け出すように水分が溢れる。僕がこんなの、絶対ダメだ。慌てて目元を拭う。
「出久……勝己……」
かなちゃんが僕らの名前を呼んだ。僕も、多分かっちゃんもかなちゃんの方を上手く見れなかった。
かなちゃんが薄く口を開くのがわかった。冬の空気が濡れた目元を冷やす。鼻の頭が冷たかった。喉を通る息が肺を凍らせるようだった。
「――なんの話?」
かなちゃんは訝しげな表情で僕らを見ていた。気のせいだけどアイマスクの目がなに言ってるんだコイツらと言っているような気すらする。
「テメェここにきてまだシラ切ろうってか!?」
「いやまじでなに言ってるのかわかんないんだけど……は?なに?僕がみょうじさんを……?」
キレ出したかっちゃんに対して、かなちゃんは本当にわけがわからなそうな、困惑した表情でいた。その様子に、僕とかっちゃんは思わず顔を見合わせる。僕らの間を北風がすり抜けた。
△▼△
「――はあ!?惚れてる!?僕がみょうじさんに!?」
かなちゃんは普段滅多に出さないような声で叫んだ。顔を顰めて。それから右手で眉間を押さえる。
「なんっ……だってそんな話に……」
「ち、違うの……?」
僕が恐る恐る聞くと、かなちゃんは右手を離して僕らに顔を向けた。それからどこか据わった目で僕ら二人を見る。
「違うに決まってるだろ……!」
「ええぇええ」
真正面から否定されて、僕の口からは情けない声が出た。とは言え、数々の状況証拠があるのに、はいそうですかとは頷けない。
「だ、だってかなちゃん、みょうじさんに優しいじゃん!」
「いやそれ普通だよ」
「テメェやたらとみょうじと二人でいるじゃねーか!」
「いやそれたまたまだよ」
「「はああああ!?」」
かなちゃんの返答に、僕とかっちゃんの声が揃った。かなちゃんは僕らの声にびくりと肩を揺らして怪訝そうな顔を見せる。アイマスクの目もなんだこいつらと言っているようだった。不思議なことに、アイマスクの目は時にかなちゃんよりもわかりやすい。
「そんっなんで納得できるか!」
吠えるかっちゃんの横で、ブンブンと首を縦に振る。さすがに僕だって流されないぞ。僕らが詰め寄ると、かなちゃんは困り果てた表情で首裏に手を当てる。風が僕らの髪を撫でたがもう冬の寒さも気にならなくなっていた。
「いや……別にみょうじさんが好きとかはないけど、気にかけてるのはまあ……そうかも……?」
「ほら!!」
「いやだから別にそういうんじゃないよ。友達としては好きだけど」
「あ゛!?まだしらばっくれようってか!?」
「なんでキレてんだよ……」
いよいよブチギレそうなかっちゃんを前に、かなちゃんは小さくため息をついた。
「確かに気にはしてるけど。あれはなんて言うか……牽制?」
「あ?」
「え……そ、それって先生に対して……」
急に強気な言葉が出てきて、僕はどきどきしてしまう。かっちゃんも満更でもなさそうに身を引いた。かなちゃんは腕を組みながら、「まあそれも間違いではないか……?」などと言うものだから、僕とかっちゃんのボルテージが上がっていく。諦めて欲しいとは思いつつも、かなちゃんの口からこう言った類の話を聞いたことはなかったし、かなちゃんなりに勝機を見据えているのなら見方も変わってくる。
「まあ困るよね。みょうじさんと相澤先生に万が一があったらさ」
「お、おおお……!?急にストレートだねかなちゃん……!」
僕は顔に熱を集めながら、両手の指先を口に当てる。なんかこう……なんかこう!溢れ出そう!あれだ、ヒーローの活躍をテレビで見てると気持ちが昂ってよくわからない焦燥感というか、なにかを発散させたくなる感じに似ている……!
自己分析をしている間も脈打つ鼓動は速くなる。かっちゃんもどことなくソワソワしている。わかるよその気持ち。
「先生がみょうじさんの気持ちに応えるなんてまずあり得ないけど、それでもまあなんかあったら困るし…みょうじさんわかりやすいからね、他のクラスとか教師に変な噂とか立ったらまずいだろ。そういう牽制」
かなちゃんは淀みなく、つらつらと言葉を並べ立てていく。僕とかっちゃんはその温度差についていけなくなりそうだった。
「消太く……先生もはっきり断ればいいのになにを気遣ってんだか中途半端にしてるのがよくないんだよね。受け持ちの生徒から好意を向けられてて対処しないってのは体裁悪いだろ。おまけにみょうじさんはわかりやすすぎるし……妙な噂とか立てられたら先生の立場が悪いしさ。困るってのはそういうこと。相澤先生に不祥事で辞められたら困るんだよ」
かなちゃんは言い切って、「わかった?」と僕らを見た。かなちゃんの口振りからすると、彼が気にしているのはみょうじさんではなく、どちらかと言えば相澤先生の方だと言うように聞こえる。僕らは呆気に取られて固まるしかできない。やがてかっちゃんが目をつり上げて叫んだ。
「……略奪は!!」
「なんだよ略奪って……」
かなちゃんは引き気味にかっちゃんを見る。そりゃ急に略奪とか言われても意味わかんないよね。けれどつまり?つまり……
「かなちゃんがみょうじさんを気にしているのは、彼女の先生に対する好意が第三者から見ても筒抜けなのをカモフラージュするため……」
「まあそうだね。わかりやすく二人きりとかさせたくないね」
「そこには特別な感情も……?」
「一切ないね」
「今日、放課後みょうじさんを見てたのは……?」
「え?それいつ?あ、廊下に麗日さんといたやつ?あれはまたわかりやすく顔に出てるなって思って見てただけだよ」
「つまり……」
つまり全部、僕らの勘違い?
僕はゆっくりとかっちゃんの方を見た。かっちゃんはブルブルと震えていて、これは多分寒いからとかそういうあれではない。抑えきれない感情からくる震えだ。
「死ねククソナード!!!!」
「僕のせい!?」
爆破音が響き渡って、あたりの温度がちょっと上がった。
△▼△
寮に帰ると、室内は暖かくて、知らない間に随分体が冷えていたんだなと気付かされた。談話スペースにいたクラスメイトたちが僕らの存在に気付くと声をかけてくれる。
「おーっ!お前ら遅かったな!」
「おかえりー」
「ただいま……」
上鳴くんと芦戸さんがテレビの前に座っていてひょいと手を挙げてくれる。クラスのほとんどが一階にいるようで、寮生活が始まって、学校とは違うみんなの一面が見えるようになったのは嬉しいことだ。
「緑谷遅かったね〜、忘れ物まだあった?」
「あ、いやそれは大丈夫」
芦戸さんは僕が教室を出た時間を知っているから、後から帰ってきた僕を心配してくれているようだった。ありがとう、でも本当に違うんだ。
あの後、僕はかっちゃんに爆破されて、二人揃ってかなちゃんに呆れられて「暇なの?」とすら言われてしまった。かなちゃんに「みょうじさんに迷惑かけてないだろうな?」と言われて、僕はそこは大丈夫だと大きく頷く横で、かっちゃんが目を逸らすのをかなちゃんは見逃さなかった。なにをしたんだかっちゃん。
僕は脱力しながら、まあでも勘違いだったなら、それはそれで……と悩みのタネがなくなったことに安堵すらした。かっちゃんはただただイライラしているようで、もう顔が凄いことになっている。かなちゃんはすでにいつも通りだ。相変わらず切り替えが早い。
「幼馴染でなにしてたん?」
一緒に帰ってきたら僕らを見て、上鳴くんが言った。言葉に深い意味はないのだろう。ただ聞いただけ、というトーンで上鳴くんはソファに座ったまま、顔だけを僕らの方に向ける。けど僕はなんと答えるべきか言葉に詰まって、かっちゃんに助けを求めれば彼はさっさと洗面所の方へ行ってしまう。
「ええと……」
「え?言えないこと?」
「まさか君たちまた喧嘩をしたんじゃなかろうな!?」
「ち、違うよ飯田くん!それはないから!大丈夫!」
下手に言葉を詰まらせたのがまずかったのか、その場にいたみんなの視線が僕らに集まる。切島くんにいたっては「おい爆豪」と引っ込もうとするかっちゃんを呼び止める始末だ。ああ、まずいぞ。どんどん言いづらい雰囲気になっていく。とてもじゃないが正直にかなちゃんがみょうじさんを好きなのか気になって……とは言えない。みょうじさん本人もそこにいるし。心配そうに僕らを見てる。とは言えなんて言って誤魔化せば……
「みんなが心配するようなことはしてないよ、大丈夫」
僕の後ろから、そう言ったのはかなちゃんだった。かなちゃんはいつものように薄く笑って、みんなの視線が僕から移っても臆さない。かなちゃんの言葉は僕よりも信用があったようで、疑わしい視線が和らぐ。
「じゃあこんな時間までなにしてたんだよ?」
「ん〜」
瀬呂くんに問われて、かなちゃんは視線を宙に放り、僕と、かっちゃんそれぞれをゆっくりと見て、それからフッと目を細めて笑った。不敵で、ニヒルさを纏った笑みだ。その笑みを崩さず、彼は言う。
「強いて言うなら……恋バナ?」
かなちゃんの口から出るとは思えないような単語が発せられて、僕とかっちゃんを含めて、この場にいた全員がポカンと目を丸めて動きを止めた。壁に掛かった時計の秒針がカチッと鳴ったのを合図にしたように、みんなが一斉に動き出す。
「えーーーっ!!」
「なにそれっ!なにそれっ!」
「マジで!?」
「猥談なら混ぜろよ!」
芦戸さんと葉隠さんが叫び、上鳴くんが興奮したようにさっきまでとは違う笑い方でソファの背もたれから身を乗り出す。峰田くんが抗議するように腕を突き上げた。
八百万さんと耳郎さんは薄く頬を染めて、瀬呂くんは意外そうに眉を上げた。
「お前らそういう話すんのね!?」
「意外……」
「緑谷と爆豪でよくそういう話になったな」
「デクくんもそういう話するんや……」
「乳派?尻派?足派?」
「峰田ちゃんは黙って」
一気に賑やかになった空間に、かなちゃんはなぜか楽しそうに笑って共有スペースを通り過ぎてしまう。かっちゃんはこめかみに血管を浮かび上がらせながら目をつり上げて舌を強く打った。
これはかなちゃんなりの意趣返しなんだろうか。あの笑みは恐らくそういうことなんだろう。
「落ち着くんだみんな!緑谷くんたちだって恋愛について意見を交わすこともあるだろう!」
「おめーが一番声でけえよ」
両手を大きく開いて、飯田くんが誰よりも大きな声でこの場を納めようとしてくれる。
恋バナ、というのは間違ってないような気もする。間違いなく僕らはありもしないかなちゃんの恋の話をして頭を悩ませていたのだから。
ちらりとみょうじさんを見れば、彼女も僕の方を見て、大きな目を見開いてどこか高揚しているように頬を蒸気させている。うっ、胸が痛む……
僕が胸を押さえている間に、みんなの熱は段々と静まってきた。それでも話は流れない。
「でもまあ〜、緑谷と爆豪は知らねえけど。音波は好きなやつとかいなそうだよな。少なくとも今は」
「いや爆豪もいねえと思うぞ」
「それ言ったら緑谷もじゃん?」
「大丈夫かお前ら。十代捨ててねえ?」
上鳴くん、切島くん、瀬呂くん、峰田くんにそう言われて、僕はきょとんと彼らを見た。洗面所で手洗いを済ませただろうかっちゃんが通りかかって、「おいアホ面」と上鳴くんを呼んだ。
「ん?」
「なんでそう思った」
「え?なに?怖いやめて?」
「いいからはよ言え!」
「え〜、なに、音波のこと?」
肩を竦める上鳴くんに、「僕も聞きたい」と近寄る。上鳴くんは僕らを交互に見て、呆れたような、困ったような笑みを見せる。
「え〜……だって、なあ?」
「うんうん。音波はないだろ」
「ないね☆」
「わかるー!勿体無いよね!」
「つーかお前ら自覚ないのね……」
上鳴くんがみんなに同意を求めるように見回すと、みんなは上鳴くんの言っていることがわかるようで、深く頷いている。え?なんで?僕とかっちゃんだけ?
「あ゛ぁ゛!?なんだテメェら!」
「いや〜だってさ〜」
上鳴くんは歯切れ悪く、言葉を続けた。
「音波に好きな人できたらさあ。わかると思うのよ。つまりお前らと同等かそれ以上に大事にするわけじゃん?そんなの一目瞭然よ?」
上鳴くんが再度、「な?」とみんなの方を見回すと、みんなはただ黙って頷いている。僕とかっちゃんだけがよくわかってない。え?どういうこと?
「マジで自覚ねえんだな……音波かわいそ……」
「お前らわかりやすく音波に大事にされてんのよ。おわかり?」
「謹慎無自覚ボーイズめ」
みんなの反応と言葉で、僕はようやく理解に辿り着く。と同時に、じわじわと顔面に熱が昇っていく。つまりだ、みんなはかなちゃんに好きな人とか恋人ができれば、僕らに対してのような扱いになるはずだからすぐにわかるだろうと言っているらしい。基準が僕らだというのがおかしい気がするけど、みんなはそうは思わないようで、呆れたように笑っている。うわあなんかそれ、凄く恥ずかしいな!?
「わかったか?ばくごーのかっちゃんくん」
上鳴くんがソファに座ったまま腕を伸ばして、かっちゃんの肩にポンと手を置く。その瞬間に、僕にはブチッと何かがキレる音が聞こえた。
△▼▽
今頃、二人はみんなに色々聞かれてるんだろうな、と思うと自然と頬が緩んだ。キッチンでまだ済ませていない晩ご飯の準備をしながら、共有スペースの方から聞こえてくる声にその場の様子が伝わってくる。
「おう音波、戻ってたのか」
「うん、砂糖くんはなに作ってるの?」
「アップルパイ。エリちゃんに食わせてえなと思ってよお」
「へえ、いいね」
エプロンをした砂糖が現れて、キッチンの様子から何かを作っている途中で一旦離れたんだろうなというのは推測できたが、さすがになにを作っているのかまではわからなくて、素直に尋ねればそれはアップルパイだと言う。りんごが好きなエリちゃんならアップルパイも喜ぶだろうな。「音波も食うだろ?」と砂糖くんが言うので、「ぜひ」と答えた。
「なんか向こう騒がしいな?」
「ふふ、そうだね」
砂糖くんが共有スペースの方に目を向けて言う。僕は思わずこぼれた笑いを我慢できずに、食器を取り出す。砂糖くんのアップルパイ作りはもう終盤らしい。オーブンの準備に取り掛かっている。
「おう、みょうじ」
砂糖くんの声に顔を上げると、みょうじさんがキッチンに入ってきた。彼女は視線をさまよわせて、どこか落ち着かない様子で僕の隣に立つ。けれどなにかを言う様子はなく、どうしたんだろうと首を傾げた。
「あっ!しまった、部屋に忘れもんしちまった!音波!悪いけどちょっとオーブン見ててくんね!?」
「ああ、いいよ」
「悪いな!」と顔の前で手を合わせてキッチンから出ていく砂糖くんに、気にしないでと手を振る。足音が遠くなっていくと、コンコン、とキッチンの台を叩く音がした。
音の方に目を向けると、みょうじさんが僕を見ながら人差し指でキッチンを叩いている。
その意味はすぐにわかって、僕は彼女の指の動きを待った。
――音波くんは、好きな方がいるんですか?
指が鳴らす音はそう尋ねている。さっきの恋バナ発言のことだろうか。僕は食器の準備を進めながら、足先で床を叩いて返事をした。
僕らは時々、こうして言葉以外で会話をする。モールス信号を彼女が知っているときは驚いたけど、二人でやる音のやり取りはなかなか面白い。もう喋れるはずの彼女がこうしてモールスを使うということは、一応話の内容に気を遣ってくれているのだろう、
――生憎、そういう相手はいないんだ。
そう返答をすると、みょうじさんがわかりやすく眉を下げた。期待に応えられなくて申し訳ない。そう言えば、と思い出して僕はまた足先で床を鳴らす。
――ところで、最近勝己になにか変なことされたり言われたりしてない?
問い詰めたけど結局あいつ口を割らなかったからな。もう直接みょうじさんに聞いた方が早いかとそう尋ねれば、みょうじさんは少し考える素振りを見せてから、規則的に指を鳴らした。
――音波くんのことをどう思っているか聞かれました。
「はあ?」
思わず声が出てしまい、みょうじさんの方に顔を向ける。彼女はパチリと瞬きをして固まった。しまった。
「ごめん、つい……」
あいつ……直球が過ぎるだろ。会話下手くそかよ。僕が謝ると、みょうじさんはフルフルと首を横に振ってくれた。それからトトン、と指を打つ。
――質問の意味がわからなくて、そのときは答えられませんでしたけど。
――ああ、うん。それでいいよ。無視してやって。
――でも、
みょうじさんは一度指の動きを止めて、またすぐに再開した。唇が緩く弧を描いていて、彼女の表情も随分柔らかくなったなと思う。一文字に結ばれていたものはいつの間にか開かれて、今じゃ三日月にも舟にもなる。
みょうじさんはさっきまでよりも丁寧に指で言葉を綴っていく。
――でも、大事な友達ですと、答えればよかったなと思いました。
みょうじさんは僕を見て、笑った。勝己とはまた色味の違う橙が温かな色をしていて透けるようだった。今度は僕が大きく瞬きをして、それから僕らは静かに笑い合う。共有スペースの方からはもうお馴染みの爆破音が聞こえていた。
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