流れ星のような人だった。
「流れ星が消える前に願い事を3回唱えるとその願いは叶うんですって」
そう話すなまえの声は空を流れる雲のようだった。行き先など決まっていなくて、のびのびとして穏やかに風に流れていく雲のような。
その声を聞いていると眠れないとわかっているのに瞼を閉じて聞いていたくなることがある。今も閉じていた目をゆっくりと開いて、ミスラはなまえを見た。
「はあ、なんです?それ」
「賢者様の世界にはそういうおまじないのようなものがあると教えてもらいました」
魔法舎の中庭で、ミスラは芝生に寝転び、なまえは噴水の縁に腰を掛けながら会話を重ねる。
「はあ……星に願わないと叶えられないだなんて、人間はつくづく弱い生き物ですね」
ミスラの呆れるような吐息は夜風に流された。芝生が揺れて、耳元で草がざわめく。夜の空気を吸い込むと、夜とひとつになれるようで心地が良い。夜は好きだ。
「ミスラさんはないんですか?願い事とか」
「あるわけないでしょう。星に願わなくても自分で叶えます。俺はオズを倒す男なので」
「あ、オズさんを倒したいという願望はあるんですね」
「はあ?当たり前でしょう」
なにを当然のことを。ミスラは眉を顰めてなまえを見上げた。けれど彼女の視線の先は夜の空に向いている。うっすらと雲がかかって、今日は星もよく見えない。雲の切れ間から取りこぼした砂糖のような光が見えるだけだ。自分の方を見ていないことに腹の奥が気持ち悪くなり、ミスラは口を曲げる。
「あなたはあるんですか。星に願うようなことが」
なまえはその言葉に一度ミスラへ視線を向けた。けれどまた星を探すように、あるいは答えを探すように視線を空に戻す。
ちょっと、俺が話しかけてるんだから俺の方を見るべきでしょう。
そんなミスラの苛立ちも知らずに、なまえは遠い空を仰ぐ。
「う〜ん、あるような、ないような……」
「はあ?なんですかそれ、ふざけてるんですか」
「なんでちょっと怒ってるんですか……」
あるわけがないでしょう。だって俺がいるんだから。星なんかよりも、俺に頼めばいいことなんだから。
それは間違いのない事実のはずなのに、なまえは悩ましげに手を口元に当てて首を捻る。
「はっきりしてくださいよ。ないですよね?」
「なんで決めつけるんですか……ないと言うか、選べないが近いかもしれないです」
風が吹く。夜風に靡く木々の音はなまえに考える時間を与えた。風に吹かれる、色素の薄い柔らかそうな髪を見ていると引っ張りたくなるが、それを我慢してミスラはなまえの言葉を待った。風が凪いで、なまえが言葉を紡ぐために息を吸う音が聞こえた。
「願い事って大なり小なり色々あるんと思うんですよね。世界平和から、明日の天気まで」
「はあ……」
「星に願うなら、明日の天気くらい軽いものの方がいい気がするし、同時に、絶対に叶えたいような、人生を賭けるような願いこそ星に願うくらいの方が真剣な気もします」
「はあ……」
なまえの言っている言葉の意味がわからずに、ミスラは曖昧に返事を返すことしかできない。こいうことはよくある。彼女が話す言葉の半分も理解できないとき。ミスラは大抵諦めて興味を失うが、今回は最後まで聞いてやってもいいと思いながら、なまえを見上げる。
「本気で叶うとは思ってないけど、運良く叶えばいいなと思う願いもあるし、私はなにを願いたいんですかね」
「……はあ?俺が聞いてるんですけど?」
「いや、なんかわかんなくなってきちゃって」
ミスラは顔を顰めた。願いなど己が一番わかっているだろうに。
「馬鹿馬鹿しい。自分の願いもわからないなんてどこまで愚かなんです?」
「辛辣……」
「大体、星に願うこと自体が愚かしいんですよ」
星に願いを叶える力なんてあるはずがない。多少の不思議の力はあるかもしれないが、万人の願いを叶えるだなんて。
ミスラはなまえを見上げる。彼女が困るか、同意すると思いながら。
また風が吹く。夜の気配を濃くして。靡く髪を、今度こそ掴んでやろうかと思う。なまえはそんな思惑に気付かないまま一度空を見上げ、雲の切れ間から覗く、こぼした砂糖のような星々を見つけて薄く笑った。その笑顔のまま、ミスラを見る。
「でも、星に祈るほどの願いがあるって素敵じゃないですか」
声は風に流されることも木々のざわめきに攫われることもなくただミスラに届いた。
願いなど己で叶えるべきだ。星に願うなど弱者の象徴だ。ミスラはそう思うのに、なまえはそれすらも愛おしいと笑う。
ミスラは思わず身体を起こして、反射か、あるいは漠然とした焦りのような感情から、ミスラはなまえに手を伸ばす。風に靡く柔らかな髪ではなく、その細い腕を掴もうとした。
「あ!流れた!」
掴む前に、パッとなまえが声を上げた。いつもよりはしゃいだような声に、ミスラは伸ばした手を止める。自然と口が薄く開いて、顔を歪ませる。
「はあ?」
「流れ星!見ましたミスラさん!ほら!」
なまえが遠い夜空の向こうを指差す。雲の切れ間、取りこぼした砂糖粒。なまえにつられて、ミスラは目を凝らす。
「どこです?」
「ほら!あそこです!」
なまえは立ち上がって、背伸びをしながら空を指差す。ミスラも立ち上がりなまえの隣に立った。彼女の細い、すぐに折れてしまいそうな指の先を丁寧に追う。
流れ星なんて何万回と見てきた。今更流れ落ちていく星を目で追ったところでなんの感動もないとわかっている。それでも、言われるがままに星を探した。
「――流れた」
一筋の光が、広い夜空を横断するように走り抜けた。駆け出す瞬間に一際強く瞬いて、その光を携えたまま空の塵になっていく。
「あなたも見ました?今流れたの」
ミスラは静かに尋ねるが答えはなかった。それはいつものことで、相手からの返事の有無に関係なく、ミスラは語りかける。
「ほら、あそこですよ」
ミスラの節くれだった指が雲ひとつない夜の空を指差した。遮るものがなにもない空を、星がまたひとつ、駆けていく。
人工的な灯りの少ないここでは星がよく見えた。人気もなく、ミスラの淡々とした声だけがポツポツと夜に溶けていく。
彼の隣には、彼女の名前の刻まれた、冷たい墓石がなにも言わずに佇んでいる。
流れ星のような人だった。
突然に現れて、前触れもなく光って、勝手に消えていく。瞬きをする間に。
願いを叶える力などないくせに、願いを受け止めることばかりが上手かった。
「結局、あなたあの時なにを願ったんです?」
もういつだったかも思い出せない。数年前のような、数百年前のような、二人きりで見た流れ星。なまえは流れ星にはしゃいで、言葉にせずともなにかを願うように、祈るように両手を握り合わせた。なにを願ったんですかとは聞かなかった。それが叶ったのかも聞けないまま。
「まあ、星に願ったところで叶うようなものなんてたかが知れてますけど」
星なんかじゃなくて、俺に願えばよかったじゃないですか。3回なんて唱えなくても、ただ一度その願いを口にすればよかったのに。そうしたらきっと叶えてやれた。望むものを与えてやれた。
あなたが星に祈るほどの願いってなんだったんですか?それはちゃんと叶ったんですか?叶わなかったら、あなたはその心残りを残したまま死んだんですか?
星に願うことなんてないはずだ、自分がそばにいるのだから。そう思っていた。けれど結局彼女が願ったのは流れていく星屑で、そうなってしまったらもう、叶いましたよね?と言うしかない。
叶わなかったならそれは彼女の心残りになってしまう。彼女の心残りなど、自分だけでいいはずなのだから。
ミスラはゆっくりと瞼を降ろす。夜露の匂いがした。瞼を降ろして、あの木漏れ日のような笑顔を思い出す。自分の名前を呼ぶ声を思い出す。
『ミスラさん!ほら!また流れた!』
はしゃいで、幼い子供のように笑う彼女が今もまだ鮮明に瞼の裏に灼きついている。
あの日に灼きついたのは星の光なんかじゃなく、あなたの笑う姿でしたよと言ったら、あなたどんな顔して笑ったんでしょうね。
その疑問を口にしたところで言葉が返ってこないことは知っていたから、ミスラは瞼を閉じたまま。隣に静かに佇む石も黙ったまま。
それでも並ぶ二人の上を、星はまた流れていく。
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