サマーホリデーの間、ハーツラビュル寮の一年生達は、ハリネズミのお世話のために最低一日は登校しなければならない。どの日を登校日とするかは話し合いで決めるようにと寮長直々に通達があったが、まあこの学校の生徒達が穏やかに話し合いなどできるはずもなく。言い争いになったり喧嘩になったり買収したり騙されたりと散々揉める中、俺の希望は誰にも邪魔されることなくすんなりと通った。
 真夏日。半袖シャツから露出した腕が、ギラギラとした太陽に灼かれていく。あっちぃな。温度調節機能が装備されている寮服であれば、ここまで汗をかくこともない。けれどもこの日のためだけに寮服を用意するのも億劫で、つい私服で来てしまった。人ひとり見当たらないガランとした校舎を、私服姿でうろつくのはなんだか不思議な感じがする。だらしがないと眦を吊り上げて叱ってくる寮長も今日はいない。暑いけれど、なんだか自由だ。
 寮内には入らず、裏庭を抜けてハリネズミが飼育されている部屋へと急ぐ。いるかな。いや、絶対いるはず。登校日については、帰省前にこの日だと伝えていた。強い確信とかすかな期待を織り交ぜた予感を胸に、早足で歩く。すると……いた。
 工具を片手に何やら作業をしている彼女の後ろ姿を見つけて、大きく息を吸い込んだ。

「用務員さーん!」

 こちらを向いた顔が、俺を見つけた瞬間、パッと太陽のような眩しい笑顔になる。会うのは久しぶりだ。いつもと同じ作業着姿の用務員さんが、俺に向かって大きく手を振った。

「エースくん! おつかれさまです。あら、なんだか灼けました?」
「まあ、ちょっとね。用務員さんは何してんの?」
「ここの部屋の扉の立て付けが悪かったので直してたんです」
「そんなこと言って、俺に会いに来たんじゃないの?」
「もちろん!」
「…………」

 意地悪くからかってみれば、気持ち良いくらいの肯定が返ってきた。毎度毎度こうも素直に好意を伝えられると、こちらも反応に困ってしまう。用務員さんに他意はない。絶対にない……と思いつつ、そこに他意があってほしいとほんのちょびっと願ってしまうのは、思春期のせいということで許してほしい。

「今日も暑いですね」
「言うわりに用務員さん汗かいてないじゃん」
「冷却魔法使ってますから」
「ずっりぃ!」
「後でエースくんにもかけてあげますよ。ハリネズミのお世話、見学させてもらっていいですか?」
「手伝ってくれるなら大歓迎」

 飼育室にふたりで入る。温度管理が徹底されているおかげで、暴力的な暑さがふっとやわらいだ。

「何をするんですか?」
「えーっと、餌やりと水の交換とゲージの掃除とそれから……」

 この一年で不慣れだった生き物のお世話もすっかり慣れてしまった。元々要領が良いのもあって、テキパキとタスクをこなしていく俺の横で、用務員さんはハリネズミと戯れている。

「ちょっと。手伝ってくれるんじゃなかったのかよ」
「ごめんなさい。可愛くてつい」

 言いつつ用務員さんはニコニコとハリネズミ達を見つめていた。この人、小動物好きだよなー。グリムのこともよく構い倒して嫌がられてるし。
 用務員さんと出会ってから、もう一年経つのか。ふいにそんな感慨が胸を掠める。生徒と職員という異なる立場でありながら、俺たちの距離はそこそこ近い。あまり関わりのないクラスメイトや、話したことのない寮の先輩なんかより、ずっと仲が良い自信がある。それでも、全てを知っているわけではない。
 ふいに用務員さんが、顔を上げて俺を見た。丸い目がじっとこちらを見つめてきて、ドギマギしてしまう。
 ちょん。手袋越しの細い指が、俺の鼻頭をつついた。

「やっぱりエースくん、少し灼けましたね」
「…………」

 ふふふと毒気の全くない顔で微笑まれて拍子抜けしてしまう。……一応今、俺たち二人っきりなんですけど? 自分だけ意識していたようで少し悔しい。顔を背ければ、「海にでも行ったんですか?」と呑気な声が問いかけてくる。

「……そう。行ったよ、海」
「あら、いいですね。お友達と?」
「や、家族で」

 数日前、兄貴の帰省に合わせて家族で旅行に行った。この年で家族旅行なんてと最初は面倒に思っていたが、行ってみればそれなりに楽しむことができた。世間一般の目で見れば、多分うちの家族はそこそこ仲が良い。

「そうですか」

 用務員さんは優しげに目尻を下げると深く頷いた。
 サマーホリデーに入る前のこと。放課後、部活が始める前に廊下でバッタリ出くわした用務員さんとなんとなく立ち話しているうちに、サマーホリデーの話題になった。

『用務員さんも帰省すんの?』

 ホリデーの期間は職員も長い休みを取る。用務員さんもホームタウンに帰ったりすんのかな。そんな軽い気持ちで質問した。

『いえ、私は学園に残ります』

 やけにキッパリとそう言われ、俺は言葉を無くした。用務員さんはいつもと同じ、ニコニコとした笑みを顔に浮かべていたけれど……なぜだろうか。それ以上は何も聞くなと言われているような気がした。

「ねぇ、用務員さん」

 再びハリネズミを構い始めた用務員さんの肩を叩く。

「ちょっと見ててよ」

 用務員さんに向かって、両方の手のひらを差し出す。首を傾げる用務員さんの前で、その手をひらひらと振ってみる。手品でよく使われる、何も持っていないですよという前振り。
 両の手の指をグッと折り曲げ拳にする。そしてその拳を、自分の顔の横に持っていく。左手でコメカミを軽く叩く真似をしながら首を傾げる。もう片方は耳の横に。まるで、頭の中から出てきた何かをキャッチするように。
 右手を再び用務員さんの前に広げる。

「ほら」
「わっ!」

 さっきまでは無かった小瓶が、手のひらの上に登場したのを見て、用務員さんの両目が驚いたように見開かれた。

「すごい! 新しい手品ですか?」
「それ、あげる」
「え?」
「お土産」

 用務員さんの視線が、俺の顔と俺の手のひらの上にある小瓶とを行き来する。いらないなら……と手を引っ込めようとしたところで、ようやく彼女の指が小瓶にそっと触れた。

「きれい……」

 うっとりしたような声で用務員さんが囁いた。小さな金平糖が詰まった小瓶が、窓から差し込む夏の陽射しに反射してキラキラと輝いている。

「いいんですか? 貰っても」
「男がこんなん持ってても変でしょ」
「ふふ。ありがとう、エースくん」

 小瓶が用務員さんの小さな手に包まれるのを見て、胸の奥に充足感が広がる。不思議だ。自分が誰かに何かをして、こんな気持ちになるなんて。
 サマーホリデーの間、ハーツラビュル寮の一年生達は、ハリネズミのお世話のために最低一日は登校しなければならない。俺が希望したのは、寮生達の間で一番人気のない、休みの期間のちょうどド真ん中に当たる日だった。
 休みの間にわざわざ学園に出てくるなんて面倒くさい。だからその面倒を少しでも回避するために、サマーホリデーが始まってすぐ、もしくは終わる直前、はたまた部活などの用事がある日を誰もが選びたがる。
 デュースに言われた。お前がこの日を選ぶなんて珍しいなって。ちょうどこの辺り暇なんだよ、と口ではテキトーな言い訳を唱えつつ、頭の中にはとある映像がクリアに映し出されていた。
 誰もいない学園に、ひとりで佇む彼女。その姿を思い浮かべると、胸の奥がざらりと波立った。

「課題は順調に片付いてますか?」
「嫌なこと思い出させんなよー……」

 ハリネズミのお世話も無事終わり、用務員さんは鏡の間まで俺を見送ってくれた。すっかり忘れたことにしていた課題の存在を思い出し少し気持ちが萎える。けれども両手を入れたズボンのポケットの中では、俺の手は落ち着かなくスマホを握りしめていた。

「……あのさ、用務員さん」
「なんですか?」

 覚悟を決めて顔を上げる。
「……学園に誰もいない時って暇じゃない? もし時間持て余してるっていうんなら」
「うーん……」

 話し相手になるから電話でも、と続けようとした言葉は、用務員さんの煮え切らない態度で引っ込んだ。

「用務員さん?」
「ああ、ごめんなさい。なんか、ホリデーなのに言うほど暇じゃないなって」
「へ?」
「だって各寮の寄宿スペースはこういう誰もいない時じゃないと中々メンテナンスできないし、この季節は気を抜くと雑草がとんどん伸びていくし……」
「…………」
「あ、それに部活に来てる生徒さん達が時々声かけてくれるんですよ? この間もサイエンス部のトレイくんとルークくんが実験見ていかないかって誘ってくれたり、その前もマジフト部の練習試合後の打ち上げにも呼んでもらったり」

 みんなでバーベキューしたんです。ニコニコと話す用務員さんを見て身体の力が抜ける。なんだよそれ。勝手に感傷を抱いてモダモダしていた自分が馬鹿みたいだ。

「あとそれから馬術部の厩舎を直したお礼に、今度乗馬体験してみないかってシルバーくんが……エースくん?」
「…………」
「なに拗ねてるんですか?」
「別に?! 拗ねてませんけどォ!?」

 なんだよ、面白くねェ。彼女がさみしい思いをしていなくて嬉しいはずなのに、なぜか納得いかない自分がいる。
 用務員さんはそんな俺の気持ちはお見通しと言わんばかりに、優しげな目を細めて俺を見た。

「でも今日は会えて嬉しかったです。ありがとう、エースくん」

 行ってきます。そう言いながら鏡を潜る直前に小さく手を上げると、行ってらっしゃいと用務員さんは大きく手を振り返してくれた。
 用務員さんに渡した小瓶が無くなったぶん、行き道よりもポケットの中が軽い。ついでに、不思議と胸のあたりも少し軽くなった気がする。
 知らなかったことを、少しずつ知っていく。きっとこれからも。
 ホリデーが明けたら、彼女と過ごす二年目が始まる。

back
topへ