不思議なことに、目が覚めた瞬間、自分がどこにいるのか分からなかった。

「…………?」

 そこは掘っ建て小屋のような粗末な建物だった。いや、造りはしっかりしてそうだから、そこまではひどくないか。
 けれどもフローリングというより、板張りといったほうがしっくりくるような無垢材の床。歴史の資料集でしか見たことない藁葺の屋根。中央に置かれた旧式のストーブらしきものが、やたら現代的に感じるが……と、ここまで考えたところで、ようやく寝起きだったなまえの脳がゆるゆると覚醒しはじめた。
 そうだ。ここは―――ストーンワールド。なまえ達が『普通の』生活をしていた現代から、およそ三七〇〇年経った世界。
 とはいっても近代化が進んだ超未来というわけではない。人類全てが石化し文明が滅んだ今、この世は人類が培ってきた人智の全てを無に返してしまった。
 そんな絶望的な状況の中、石化からの奇跡の復活を遂げ、再びこの世界に文明を取り戻さんとする人物がいた。その人物こそがなまえの旧知であり、なまえをこの世に復活させた張本人でもあるのだが、それはさておき。
 作業中にうっかりうたた寝をしてしまったなまえは、身体を起こすと軽く首を回した。硬い床に寝てしまったせいで、少々身体が痛い。
 事の発端は「黙々と手動かしててもつまんないし、みんなでお喋りしながら作業しな〜い?」とゲンに誘われたことだった。何人かで集まって、寒い冬の夜にちょっとした作業会が開かれた。
 よくよく考えれば、自分に割り振られた仕事を人を巻き込んで片付けてしまおうという、ゲンの少々小狡い魂胆だったのだろう。けれどもわずかな灯りを頼りに手を動かしながら、とりとめもない話に夢中になるのは、とても楽しかった。まるで文化祭や修学旅行のような、かつての世界にあった懐かしい行事みたいな感じがして。
 獅子王司との戦争を前になにを悠長なことを思わないでもないが、それでもどうせ同じ作業なら楽しんでやったほうが、精神的にも負担が軽くなるし効率も良い。一連の作業を主導している彼の言葉を借りれば、『合理的』といったところか。
 けれどもおしゃべりに夢中になっている内に、すっかり夜も更けてしまったようだ。ひとり、またひとりと、迫り来る眠気を堪えきれなかった者から、夢の世界へと落ちていく。
 なまえも自分がいつ寝てしまったのか覚えがなかった。手に作業中の部品を握りしめているということは、知らず知らずのうちに寝てしまったのかもしれない。にしても、なぜ着た覚えのない毛布を被っているのか……。
 まあいい。考えるのは後にしよう。暗闇に慣れてきた目で周りを見渡す。みんな雑魚寝状態だが、毛布を被らず寝ている者は、とりあえずいないようだった。
 なまえはホッとすると再び身体を横たえた。自分の寝床へ帰ることも考えたが、自分だけ戻るというのは少々気が引けるし、気持ちよく眠っているみんなを起こすのはもっと忍びない。
 まあ一日くらい床で寝たとしても構わない。ただ寝違え気味の首の痛みがもっと悪くならないようにと、なまえは毛布を引き寄せると寝返りを打った。

「……っ!」

 もう少しで声を上げてしまうところだった。寝返りを打った先に、人の頭が見えたからだ。
 うなじが無防備に晒されている。横になっていても形の崩れない特徴的な髪型。度々野菜に喩えられたりもするが、昔からの強烈なくせっ毛でこうなっていることは、なまえのよく知るところだ。
 千空さん。なまえは声に出さずに、自分に背中を向けて寝ている少年の名前を心の中で呼んだ。
 まず初めに思ったことは、どうして千空がここにいるんだろうということ。作業会の中に彼はいなかったはずだ。考えられるとしたら、遅くまで作業していた彼が何か用事があってこの建物を訪れたら、すでに全員が寝落ちしていた。ので仕方なく全員に毛布をかけて回る羽目になった……。
 まあだいたいこの予想はあっているんだろうと思う。千空の枕元には何かの図面が置きっぱなしになっているし、彼は意外と寝ている人間を見て見ぬふりしてその場に置いておけるようなタイプではない。千空さんは優しい人なのだ。
 不思議なのは、なぜ敢えてなまえの側で寝ているのかだが、まあたまたまここで行き倒れたと考えるのが妥当だろう。横になった千空は、寝息こそ立てていないが、背中が規則的に上下に動いている。すっかり寝入ってしまっている証拠だ。
 なまえは千空に背中を向ける形になるよう、もう一度寝返りを打った。そして静かに目を瞑る。背中側からかすかに伝わる熱が、寒い冬の夜には心地良かった。
 
 ……眠れない。しかし、なまえは眠れなかった。
 体勢を変えたり、頭の中で羊を数えたりしてみたが、全く眠れる気がしない。理由は分かっていた。……足が冷たいからだ。
 どうしてこう人体の末端というものは冷えやすいのだろうか。千空に問えば「運動不足による血行不良だ。その辺走ってこい」なんてバッサリ言われてしまいそうだが、そういうことじゃないんだよなぁ……と想像上の千空に少しだけ口答えしてみる。
 現代は良かった。冷えを改善するような便利グッズが山ほどあり、それらはドラッグストアなどで気軽に買えた。ドラッグストアどころか買い物さえ物々交換が基本の今のこの世界では、冷え症改善グッズなど夢のまた夢。現代人って文明に甘やかされてきたんだな。ストーンワールドで暮らす中で、ことある事にそう感じてしまう。
 絵に描いた餅は食べられない。いくら冷え症改善グッズを思い浮かべても、ここには現れない。なまえは自分の足と足を擦り合わせた。どうにが温まって。そして少しでも早く眠りにつきたい。きっと明日も忙しい。やるべき事は山のようにあるのだ。モゾモゾと暗闇の中で必死に足を動かす。

「ん……」
「!」

 しまった。なまえは思わず自分の口を押さえた。身動ぎした際に、背中合わせで寝ている千空に足が当たってしまったのだ。
 起こしてしまっただろうか。なまえは息を潜めて、自分の背中側に神経を集中させる。一瞬わずかに声を漏らした千空は、目を覚ますまでには至らなかったようで、身動ぎひつとしない。なまえはホッと胸をなでおろした。しかし。

「!?」

 突然、なまえの包まる毛布の中に二本の足が入ってきた。思いもよらない事態に心臓が跳ねる。その間にも、温かい足はなまえの冷えきった足をしっかりと挟み込む。身動きが取れない。なまえはおそるおそる首だけで後ろを振り返った。いつの間にか寝返りを打った千空が、目を開けてこちらを見ていた。

『ね』『て』『ろ』

 声を出さずに千空が言う。寝てろ。唇の動きだけで、なんとなくそう言っているのが読み取れた。
 なまえは小さく頷くと自分の首を元の位置に戻した。そして律儀に目を瞑る。千空の足はなまえの冷たい足を挟み込んだままだ。じんわりと伝わる熱は心地良いが、千空の足が冷えてしまうのではないかと心配になる。けれどもなまえが少し足を引こうとすると、千空はますます力を込めてなまえの足を動けなくした。

「…………」

 仕方なくなまえは力を抜いた。申し訳なさは消えないが、冷えが辛くて眠れなかったことは事実なので、ここは甘えることにする。
 千空の足は温かかった。どうして同じ人間なのに、ここまで体温が違うのかと不思議になるくらい。なまえより大きい骨ばった足が、ゆっくりと熱を移してくれる。
 そういえば。微睡みながら、なまえはとあることを思い出した。
 
 まだ人類石化なんていう天災が起こる前のこと。なまえが千空の家で家政婦のアルバイトとして雇われ、初めて迎える冬に、記録的な大雪が降った日があった。
 当然、公共交通機関は全てストップ。帰る足をなくしたなまえは、石神家に泊まらせてもらうことになった。
 お泊まり自体は初めてではなかった。遅い時間の一人歩きは危ないからと、千空の申し出に甘えて石神家から直接学校へ向かう日も何度かあった。そういう時はたいてい客間に布団を敷かせてもらっているのだが、不運なことにその日は雪の影響で停電が起こってしまった。
 真冬に暖房器具が使えないという危機的状況。しかも外は大雪で、酷く冷え込む夜。辛うじてガスは使えたので、ペットボトルを代用した即席湯たんぽでも作ろうかと千空に提案すると、まだ小学生だった彼は子供らしからぬ口調で言った。「とりあえず布団持って俺の部屋に来い。気休め程度にしかならねーが、別々の部屋にいるよりは少しは室温が上がるはずだ。ククク、快適に寝れるかどうかは保証しねーがな」と……。
 そういうわけで、なまえと千空は布団を並べて寝ることになった。確かに寒い部屋で独り寝をするよりは、少しマシな気がする。けれどもやはり、底冷えが辛くて眠れない。即席湯たんぽも最初は温かかったのだが、やはり持続性はなく、今はただの水の入ったペットボトルになってしまっていた。
 寝入るタイミングを逃したな。心の中で後悔しつつ、なまえはじっと冬の寒さに耐えていた。停電さえ直れば、暖房も電気毛布も使えるのに。
 そういえば、千空さんは大丈夫だろうか。子供は体温が高いというが、それはそれとして寒い思いをしていないか心配だ。なまえは隣に寝ている千空の様子を窺うために、ゴロリと寝返り打った。すると、まるまるとした子供特有の大きな瞳と目が合って、なまえは驚きで目を見開いた。

「起きてたんですか。千空さん」
「隣でモゾモゾ動かれたら寝れねーだろ」
「ごめんなさい、寒くてつい……。千空さんは大丈夫ですか? お布団もう一枚持ってきましょうか?」
「俺は問題無ェ。それよりも……」

 千空がじっと観察するようになまえを見つめた。

「足、貸してやろうか」

 へ? となまえが聞き返すより早く、千空の足がなまえの布団の中へと突っ込まれた。やわらかい小さな足が、なまえの冷えた足にピタリとくっつき、

「冷てぇ」

 千空が眉をしかめたのが、暗闇の中でも分かる。

「せ、千空さん」
「氷みてーな足してやがんな」
「いいです大丈夫です。千空さんの足が冷えてしまいます」
「問題無ェよ。子供の平熱は大人と比べて〇.五〜〇.六℃ほど高ェからな」
「よくご存知で……」

 相変わらず子供らしかぬ知識量だ。クラスで一番物知りなんていうレベルを超えた彼の博識さには、いつも純粋に感心してしまう。彼の言うとおり子供体温の千空の足は、なまえの冷たい足に触れて尚、ポカポカと温かいままだ。

「どうだ。少しはマシか」
「はい、かなり。子供体温ってすごい……」
「ククク、冷える夜は時々白夜も俺の布団に潜り込んできやがる」
「そうなんですね。やっぱり大人になるにつれ、冷え症ってひどくなるのかなぁ」
「主に血行不良が原因だな。座りっぱなしの時間が長いと、どうしても下半身に血が巡りにくくなっちまう」
「千空さん、詳しいですね」
「電極スパルタスーツを作った時に、人体構造については一通り調べたからな。つっても血行不良を治すなんて一朝一夕でできることじゃねぇ。だからこそ電気あんかや電気毛布が重宝されてるわけだけど、今みたいに停電しちまったらおしまいだわな。こういう時のために自前の発電システムも視野に入れておかねぇと……。太陽光発電は冬場じゃちいっと厳しいか? 手動は手間がかかり過ぎるが大樹のスタミナがありゃあ……」

 冷たかったなまえの足が、次第にじんわりと温まっていく。心地よい温かさに導かれるように、なまえはいつの間にか意識を手放していた。
 
 あの日と同じだ。このストーンワールドでも変わらず、千空が体温を分けてくれている。けれども、あの時なまえを温めてくれた、やわらかくて小さい子供の足はここにはない。成長した千空の足は今はなまえよりも大きい。今、なまえの足に触れているのは、ちゃんと男の人の足≠セ。
 いつの間にこんなに大きくなったんだろう。特別子供扱いしたいわけではないが、やはり出会った頃の幼かった印象が強いのか、なまえの中の千空は、声が低くなっても背を追い越されても、かわいい存在のままだ。
 かわいいけれども、それはそれとして。彼の博識さと、その知識を応用させる思考力、どんな逆境でも地道に歩むことを止めない精神力に関しては、心から尊敬している。
 足先から生まれた熱が、なまえの身体全体に広がる。少し前までは全く眠れる気がしなかったのに、今は気を抜いたらすぐに夢の世界へ旅立ってしまいそう。
 寝入る寸前、なまえは心の中で囁いた。おやすみなさい、千空さん。
 不便で仕方ないストーンワールドだけれど、こんな未知の世界で生きていくことを恐いとは感じないのは、きっと彼がいるからだ。

back
topへ