※「碧落に星」浅月さん宅の賢者様と共演させて頂いてます
「気分がいいので一口あげます」
そう言って突き出した肉塊を前に、なまえはぱちぱちと目を瞬かせた。以前賢者が使ってくれた、ベッコウ飴という異界のキャンディによく似た瞳が肉塊とミスラを交互に見る。
「え〜と」
「ガブっといっていいですよ」
「これ生……?」
「さあ?」
曖昧な表情を浮かべてなかなか食いつかないなまえに、痺れを切らしたミスラは肉塊をなまえの口に押し付けた。
「もがっ」
「どうです?美味いでしょう?」
なまえの目が大きく開かれる。口に押し付けた肉塊の赤が、なまえの肌と並ぶとより鮮やかに映った。より美味しそうに見えて、ミスラは一瞬やっぱり全部一人で食べればよかったかな、と後悔した。けれどなまえが肉塊を待つミスラの手を掴むものだから、もっと欲しいと思われているのだと気分が良くなった。腹の奥が熱くなるような感覚に昂揚する。
「もっ……!」
「ちょっと、もっと口開けてくださいよ……あはは、変な顔」
ぐいぐいと肉塊を押し付けるが、なまえは思うほど食べ進めない。この人、口が小さすぎるんですよね。もっと大きく食べた方が美味しいのに。
どうにか口の中にもっとねじ込めないかと、思案していると、こちらに近づいてくる足音に気付いた。この気配は。
「あ、ミスラここにいた」
「賢者様」
キッチンの入り口の方に首だけを動かして目を向けると、やはりそこには思った通りの人物がいた。晴れた空と同じ色をした瞳にミスラとなまえの姿を映した賢者が、次の瞬間にその瞳が溢れそうなほど大きく目を見開く。
「って、ちょーーー!?なになになになしてんのミスラ!!死ぬから!なまえさん死んじゃうから!」
「なんですか?賢者様も食べたいんですか?」
「も……ぐぅ……!」
「違う!いいから!手を離しなさい!!」
慌てて駆け寄ってきた賢者の言葉に意味がわからずも、ミスラは彼の指示に従ってなまえから肉塊を離すと、それを自分の口へと運んだ。
▽▲▽
「ありがとうございます賢者様….あやうく死因が肉塊による窒息死になるところでした」
額に薄らと汗を浮かべたなまえが、深々と頭を下げる。すると鳥の尾のような、長くて綺麗な毛先が揺れた。これが人工毛だと言うのだからこの世界の職人は腕がいい。そんなことを頭の隅に浮かべながら、天も同じように額に汗を滲ませて、疲れた表情でどうにか口角だけを緩く持ち上げる。
「不憫すぎる死因……生肉っぽかったから一応フィガロに診てもらってね」
「はい……ちょっと行ってきます……」
よろよろとキッチンを出ていくなまえを見送ってから、天はキッチンの前でしゃがみ込み、生肉を齧るミスラを見た。
「さてミスラ」
「はい?」
「ちょっと大事なお話があります」
「はあ」
天はミスラの正面にしゃがんで、冬になっても枯れないエバーグリーン色の瞳を覗き込んだ。そうするとミスラもジッと天の瞳を見つめ返す。
「まず人の口に食べ物を突っ込んではいけません」
「なぜですか?」
「危ないからだよ普通に。最悪死ぬからねほんとに」
「はあ……」
ミスラは曖昧に頷いた。わかってなさそうだな、と天は肩を落としながらも、でもミスラってその場ではわからなくても後から理解してくれることあるし……と希望を持って話を続ける。
「あと生肉!駄目!絶対!」
「美味しいじゃないですか」
「美味しいかどうかは別として、危ないんだよ衛生面で。若い魔法使いにもやっちゃ駄目だよ」
「はあ……」
ミスラは手に持った生肉の塊に目を落とす。べとりとした油がテカテカと光っていて、ミスラの口周りは油と血で汚れていた。ただ生肉を齧っているはずのだけなのに、謎の色香を放つ彼に、天は頭を悩ませる。そんな天の悩みも知らず、ミスラは淡々と言う。
「でもあの人も喜んでましたよ。俺の手を掴んできたし」
「それ引き離そうとしてたんじゃないの!?」
「そう言われると……?」
首を傾げるミスラには本当に悪意はないのだとわかる。けれど悪意がない方がややこしいなと、天はため息を飲み込んだ。
「ていうかなんで口に肉突っ込んでたの。新手の拷問?」
「なんか気分が良かったので。一口分けてやろうかなって」
「……」
悪意どころか善意か。天は困って目を細めたが、確かに自分にも覚えがあるなと思わず口角が上がる。やり方はあれだけど、ミスラにとっては親切心で自分の食べ物を分けようとしてたんだな。
「なまえさんと仲良くなったんだねえ」
「はあ、別に、そんなことないと思いますけど」
ミスラの視線が少し揺れる。
なまえが言うには、ミスラとは魔法舎に来る前に出会っているらしい。マドレーヌを二人で半分こしたんだかミスラがなまえからマドレーヌを奪ったんだかなまえがミスラにマドレーヌを施したんだか、なまえの説明の合間にミスラが口を挟んでくるものだからよくわからなかったことを思い出す。
そんなことはないとミスラは言うけど、天から見る二人は、少なくとも人間と魔法使いという隔たりのある中で、友好的な関係を築けていると思った。
なまえは魔法使いを、魔法使いとして見ない。その"人"を見る。それはこの世界ではとても奇特なことだった。
できることが違う。生きる時間が違う。死んで残るものが違う。人間が花なら魔法使いたちは木だ。人間が一冊の本なら魔法使いは図書館だ。見た目こそ変わらないものの、そこにはいくつもの隔たりがある。
それをなまえは、まるで同じもののように接する。流れる時間の違いも、生き方の違いも、そのまままるごと受け止めた上で。
あの柔らかな瞳は、春の陽射しのような、夏の日暮れのような色をした瞳は、どこまでも澄んだまま魔法使いたちを映す。
魔法使いたちに向けられる目が、みんな彼女のようなものであればいいのにな、と天は何度か思った。けどまあ、中には恐れられることを矜持にする者もいる。特に北の魔法使いたちはそうだ。目の前にいるミスラも、親しみよりも恐れを好むように見える。
でもなまえはミスラを怖がらない。どちらかと言えば手のかかる気まぐれな野良猫を相手にするときのような姿勢がしばしば見受けられた。ミスラもまた、口では色々言うものの、なまえの距離感を許しているようだった。
二人の仲はでこぼこで、価値観も生きる時間も魔法使いと人間のままで、そんなお互いの場所を、心地よい場所のひとつとしているように天には見えた。
それが嬉しくて、天は笑う。
「自分の美味しいと思ったものをお裾分けしたかったんでしょう?相手に好意がないとできないと思うよ」
「はあ……」
首を倒して笑いかければ、ミスラはゆっくりと瞬きをして、それから合点がいったように、ああと頷いて天を瞳に映した。
「貴方もよく食べ物くれますもんね」
「え」
ぱちりと瞬きをする。ミスラは普段よりも声を弾ませていた。
「俺のこと好きだったんですね」
「おあ」
「まあ当然ですけどね。俺は強くてかっこいいので」
ふふん、と得意げにミスラが目を細めて、唇の端をゆるりと持ち上げた。天は自分でも見えなかった胸の内を暴かれたような気持ちになって、膝に顔を埋める。
「食べますか?一口あげてもいいですよ」
「……生肉は遠慮しとこうかな……」
「美味しいのに」と言うミスラの声はやはりどこか機嫌が良さそうだった。
▽▲▽
「気分がいいので一口あげます」
ネロに食事の準備ができたと呼ばれて向かった食堂には既にミスラとなまえが席に着いていた。
今日の夕飯はミモザサラダに、野菜のスープ。それからミスラが北の国の森で狩ってきたらしい魔物の肉のステーキ。ネロ曰く、捌くのに苦労はしたが普通に美味しいとのことだった。ネロが言うなら信用できると、天は嬉々として席に着く。そんな時にミスラの声が聞こえて、隣に座るなまえとどんなやり取りをしたのか、メインのステーキを、分けてやろうとしているらしい。
肉厚で、齧った跡のあるステーキにグサリとフォークを突き立てる。肉汁を滴らせながら丸ごとそのままなまえの口に持って行こうとするミスラに、天はいつかの記憶が蘇った。
このままだとまたなまえさんが窒息死手前まで追い込まれるかも……!と腰を浮かせたところで、ミスラがハッとしたように目を見開いた。それから、フォークに突き刺さり、厚みのあるステーキと、困惑しているなまえの口元を交互に見やる。しばらくすると、ミスラは形の良い眉を寄せて、露骨にめんどくさそうな顔をした。それだけではとどまらず、深いため息を吐く。
「はあ〜……あなたって本当に口が小さいですよね……」
「ええ……急になんですか?」
「ちょっと待ってください。仕方ないな……」
ミスラはカトラリーの入った容器に手を伸ばしで、ガチャガチャと音を立てながらナイフを掴んだ。ネロが磨いてくれているカトラリーはいつも澄んだ銀色を纏って、くもりのひとつもない。美しく磨かれたカトラリーを手に持つミスラはなんだか絵になった。まるで美食家のようだが、その手つきは初めて自分で食事をする幼児のようだった。肉を切るという行為自体に慣れていないだろうミスラは金属同士の擦れる音を立てながら、「はあ……」「めんどくさいな……」「まだ大きい……?」「ガブっといった方が美味しいのに……」などとぶつぶつ言いながら肉を切っていく。
そうしてようやく納得できる大きさに切れたのか、満足そうにひとつ頷いてから、フォークを突き刺し、なまえの口元にそれを運んだ。
「はい、どうぞ」
「え」
なまえは目を僅かに見開いて、差し出された一口大のステーキとミスラの顔を交互に見る。天も眉を上げてミスラを凝視した。
浮かせていた腰を椅子に落ち着け、天は黙って二人の様子を見守る。ミスラがちらりと、常緑の瞳を天に向けた。これでいいんですよね?と問うような瞳だった。天はその瞳に応えるように、笑って頷く。それがわかったミスラも、得意げに唇の端を持ち上げた。
「ほら、早く」
「ええ……じゃあ、お言葉に甘えて……」
まったく同じ料理がなまえの目の前にも出されている。なまえは戸惑いを残したまま、けれど少し嬉しそうにはにかんで笑う。
二人の姿は親鳥が雛鳥に餌を与えるようにも、恋人に食事を分け与えるようにも見えた。
誰かに食事を分けることを好意だと天は思う。大なり小なり、相手に対する信頼と愛情があって成り立つものだと思う。大きな肉塊を好きなように齧り付いていいと言うのも確かに愛情で、けれどそれと同じくらい、相手が食べやすいように工夫をするのも、同じくらい確かな。
――愛じゃないかなって、思うんだよ。
二人が一緒に食べる食事はとてと美味しそうに見えて、天は自然と笑みをこぼしながら、カトラリーに手を伸ばした。
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