──目が覚めたら、知らない場所にいた。
なんて非現実的でありえないことが現実でありえてしまった時、人間はまず何をするのか。幼馴染み曰くヘタレらしい私の場合は、頭の上に無数のハテナを浮かべたあと再び瞳を閉じ、目の前の机に突っ伏した。いわゆる現実逃避。
を、して、数十秒後顔を上げた。
ここは一体どこなのだろう。
何故私は眠っていたのだろう。
二つの疑問が頭に浮かぶ。それらを解消するには、今までに記憶を掘り起こすのが一番手っ取り早いだろう。というか、それ以外に方法が思いつかない。
私は朝起きて支度を済ませると、幼馴染みを置いていざ希望ヶ峰学園へと向かった。そのあと、確か……えーと? 学園の敷地に入ろうとして……そこから? そこから記憶が飛んでいる?
と、なると、なんだろうか……? 緊張がピークを迎え、とうとう気絶した私を、先生とかが見つけて此処まで運んでくれた……? そういえば、ヤケに体がダルくて重い。なんなら、あちこちが痛むような気さえした。
もし本当にぶっ倒れていたのだとしたら、保健室に運んでくれるのが普通じゃなかろうか、とも思ったが、多分きっとそんな経緯なのだと思う。──というか、私の貧弱な頭では、それ以外の仮定は何一つとして思いつかなかった。
それでは、ここはどこなのか。あたりを見回すと、真っ先に目に入ったのは暗い緑色の壁──つまり黒板。周りには、私がいつのまにか使っていた椅子と机の他にも、たくさんそれらが並んでいて。ほぼ100%、ここは希望ヶ峰学園の教室なんだろうと理解ができた。
だがしかし、これで「ああ納得した」と安心できないのは、それどころか、底知れぬ不安に駆られるのは何故だろうか。……いや、実は答えはとうに分かっている。
奇抜どころの話ではない、青色のヒョウ柄のような壁紙と、本来なら窓があるべき場所に打ちつけられている、頑丈で冷たそうな鉄板。そして部屋の前方に設置されている、監視カメラのような物。まさに「不気味」という言葉がぴったり当てはまるような異常な装飾は、私の恐怖心を存分に掻き立てた。
なんだかあまり見ていたくなくて俯いた時、視界に薄汚れた紙が映った。机のすぐ横の床に落ちていたそれを拾ってみると、うわなんか思ったより汚っ! 漂うクレヨン臭!
……気を取り直して、机の上にあったのを寝てる間に私が落としたのであろうそれに視線を落とす。
『新しい学期が始まりました……心機一転、これからは、この学園内がオマエラの新しい世界となります。』
子供みたいな汚い文字で、しかもよりにもよってクレヨンなどで書かれていた内容は……ただのイタズラだったようだ。なんでお前オマエラ呼ばわりなんだ。というかどうしてクレヨンで書いた。一体誰だこんなセンス皆無ならくがき置いてったのは。……駄目だ、ツッコミどころが多すぎる。そして、こんな薄っぺらい落書きでさえ、私の恐怖を助長させた。クレヨンとホラーゲームは、古来よりセットと決まっているのだ。
(……ひとまず、教室から出てみよう)
黒板の上に掛けられた時計を確認すると、針は7時50分を指していた。確か8時に玄関ホール集合だったっけ……? すでに曖昧な記憶をなんとか掘り返し、再確認しながら私はため息を吐いた。ああ、駄目だ。もう、家に帰りたい……。疲れた、怖い、しんどい……あやつに会って後ろに隠れたい……。一体全体、さっきまでのワクワクさんにも負けないくらいのワクワク気分はどこへ行ったというのだろうか。
しんどさを紛らわすように、結んでいる髪が乱れるのも気にせず後頭部をガシガシと掻く。──そこで私は、ある違和感に気が付いた。
「ん……?」
かさり、と明らかに髪の毛ではない何かが指先に触れる。不審に思い、それを指と頭の間で押さえたまま髪の毛をほどき、下に滑らせるようにして髪の中から取り出した。
(……なんだこれ)
薄っぺらくて真っ白で、破ったような跡があって──それは、誰がどこからどう見ても、紛れもなく正真正銘、『紙の端切れ』だった。
否、真っ白と言うと語弊がある。有体に言えば薄汚い。しかもよれよれのぐしゃぐしゃで、こんな物が髪の毛に挟まっていたのかと思うと凄まじい不快感に襲われる。
一体何だというのだ。裏に返してみても、そこには何も書いていない。依然として薄汚れた紙だ。こんなものが何故、いつの間に、髪の毛の中に埋まったというのだ。紙IN髪、って笑えないし。今朝、普通に髪の毛結んだけど、こんなところにこんなもんを差しこんだ覚えはもちろんあるわけがない。……え、マジで本当に何これ……ゴミ? ゴミがこんなとこに飛んできたの? いやいやないないあり得ない。じゃあまさか寝てる間に誰かに悪戯されたのだろうか。最低だなメリットないだろ!!
ただでさえガタ落ちの気分がさらに滅入る。本日二度目のため息を吐きながら、私は致し方なくその紙を上着のポケットにしまい込んだ。先ほどの落書きは全く関与していないから放置で良いが、私から出てきたゴミをそこらに放置するのはなんとなく気が引けた。どこかでゴミ箱を見つけたら捨てよう。そう考えながら、髪の毛を結び直しつつ教室を出た。
*
迷った。
色々ごちゃごちゃと抜かしておいて、結局それか。自分でも思うが、迷ってしまったのだから仕方がない。
おまけに、廊下は廊下でピンクやら緑やらのネオンカラーの光に照らされていて、教室とはまた違った不気味さがあった。趣味が悪いなんてレベルではない。恐怖のあまり俯き気味にもそもそ歩いていたから二回転んだ。踏んだり蹴ったり。泣きっ面に蜂。
(うわ……この赤い扉さっきも見たし……誰か助けて)
鍵が開かないドアばかりだし、何故かトイレでさえも開かないし……もはや涙目だ。誰でもいいから私を助けてくれ。
やみくもに廊下を歩き回り、次に見つけた扉は──私が最初にいた教室だった。だから戻って来てどうすんだよ馬鹿! バーカバーカ! アホ! 愚か者め!
とうとう私は頭を抱えてしゃがみ込んだ。もう駄目だ、心折れた。怖い。つらい。帰りたい。きっと今頃皆集まって「これで全員だね!」とか言って先に入学式済ませちゃってあとあと私が見つけられた時は皆もう超仲良くなっちゃっててクラスの輪に溶け込めないまま高校生活過ごさなきゃいけないんだァ! 地獄!
「あの…大丈夫?」
「ぎゃっ!?」
突然頭上から降り注いだ声に、思わず女子とは思えない奇声が上がる。時よ巻き戻れ。さらに条件反射で後ろに飛び退きしりもちをついた。かなり痛い。もしかして私って……馬鹿?
しかし、やっと人に会えたのかと思うと、そんな痛みも忘れるほどの嬉しさが込み上げてくる。
私はようやく顔を上げ、声をかけてきた人物を視界に捉える。少し幼めな顔立ちで、頭頂部にアンテナのようなアホ毛を携えた男子が心配そうな、しかしほっとしたような顔でこちらに手を差し出していた。ウッできれば女子が良かった……! いやでも贅沢は言わない! 言わないぞ! ありがとう救世主!
……しかし、これは……手を貸してくれている、のだろうか? なんて親切なんだ彼は。今時珍しいぞこんな紳士的な男子。さすが超高校級と言ったところか。どんな才能なのかは知らないけれど。私はドッドッと脈打つ心臓の存在をなんとか見て見ぬふりをして、彼の手を借りて立ち上がった。
「あ、あり、ありがとう、ございます。えーと……」
「あ、ボクは苗木誠。君も新入生、だよね?」
「エッあっはい。河部蘭、です」
「よろしく、河部さん」
「え、あっ、うん」
無駄にどもっている自分が恥ずかしくなり、再び俯いてしまう。ああ、駄目だ。やっぱりどうしても緊張してしまう。くそ、心の鶏めさっさとフライドチキンにでもなってしまえばいいのに。しかし十数年の人生で丸々肥え太ってしまった私のチキン心は、そう易々と消えてはくれないのだ。
「それで、河部さんはそんな所にしゃがんで何してたの?」
「え!? あー……いや……その、ちょ、ちょっとダルくて……な、なんか緊張し過ぎて倒れちゃった? みたいで……気付いたら教室っぽい所に運ばれてた……んだよね」
「えっ、河部さんも!?」
「……えっ、苗木も?」
お互いに顔を見合わせる。妙な沈黙がこの場を支配した。苗木の口元は思いきり引きつっていて、恐らく私も鏡のように同じ表情をしてるんだろう……と見なくてもわかった。
「……」
「……」
「め……め、珍しいこともあるんだねー! はは……わ、私超健康体人間だから、き、気絶するとか人生初でしてー……」
「……ぼ、ボクも初めてだったよー……はは……」
「……」
「……」
「……と、とりあえず、玄関ホール、い、行きます?」
「……そ、そうだね」
そう提案して反射的に踵を返した時、苗木の口からえ……という声が漏れた。
「玄関ホールって多分……そっちじゃないよ?」
「……」
帰りたい。
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