筋肉松のお見舞い
頭が酷くぼんやりしていた。全身は倦怠感の海に浸っていて、顔の皮膚も燃え盛り、口の中にこぶし大の石をぶち込まれていた。比喩である。つまるところ、私は風邪を引いていた。おかげさまでせっかくの日曜日に寝込むことを余儀なくされたわけだ。まあ、毎日が日曜日な求職中の私には、残念ながらそんなことは関係ないのだけれど。
ともかく、今の私に必要なのは安静にしていることだ。今日一日は、例えどのような来訪者があろうと闖入者があろうと、布団から這い出ることはしないしお喋りに興じるつもりもない。トイレと入浴以外は布団と一体化するのだ。布団の一部となるのだ。俺が布団で布団が俺で。
そんなことを決めた矢先に、不穏なインターホンの音が響くのだから、やはり私のなけなしの運は過去の大学受験につぎ込んでしまったに違いなかった。
普段なら別段気にすることもないのだが、私の全身を駆け巡る嫌な予感に間違いはない。嫌な予想ほどよく当たるというが、そういうことではなく、前例があるのだ。どこから聞き付けてきたのか、私の具合がすこぶる悪い時に限って、訪ねてくるそいつら。母は確実に、彼らを通す。こちらもすでに裏は取れている。その上十中八九「これから買い物に行くから、看病してやってね」などとはた迷惑極まりない頼みを残すのだ。
とん、とん、とゆっくり、しかし確実に近付いてくる足音。数からして、少なくとも二人以上。一体誰が……何松が来たというのだ! 人が風邪菌に蝕まれてる時に! 転べ! 弁慶の泣き所強打して出鼻をくじかれて退散しろ! なんて馬鹿みたいな願いというか呪いもむなしく、私の部屋の扉は呆気なくかつ勢いよく開かれた。
「お邪魔しマーッスル! トキー!」
「看病は俺たちに任せな!」
「お前らかよ!」
叫んで、深く咳き込んだ。しかも止まる気配がない。追い打ちを掛けるように気管に唾だか痰だかがつっかえて悶絶。苦しくて苦しくて、涙まで滲んできた。あまりにも愚かだ、馬鹿すぎる。
「わー! トキ死んじゃう!? 重病!?」
「おおお落ちつけ十四松! こんな時はあれだ、心臓マッサージだ!」
「違っ……むせっ……」
冗談じゃない。異次元の身体能力を有する十四松に心臓を圧迫なんてされたらそのまま昇天だ。仮にカラ松がやるとしたって、彼も六つ子の中では比較的鍛えている方だ。しかも不器用。確実に召される。天に。
「トキろっこつ折れたらごめんね!」
「ごほっ!? 待っ、げほっ」
死ぬ! 本当に死ぬ! チョロ松お前なんでこういう時に限っていないんだよ!
慌てて上体を起こして逃れようとするが、十四松が混乱したまま私の両肩に体重をかけ、押し倒される形で再び布団に転がる羽目になった。その衝撃で、何の奇跡か一際大きな咳と共に、今までの苦しみが嘘のように呼吸が楽になる。しかし目の前の馬鹿二人は、私の呼吸が正常に戻ったことに気付かない。
十四松がつなぎの袖から伸びる手を、まるで鈍器か何かのような重さを以ってして私の心臓に乗せた。効果音はドスリ。セクハラだなんだ騒いでいられる範疇なら良かった。人命救助によって逆に死を覚悟する人間がこの世のどこにいるだろうか。ここだ。なんて思考を飛ばすのもいい加減このくらいにして、私は空いた右手を握り締めると、眼前の黄色い襟元に向かって目一杯振り切った。
「あごっ!」
ボケたのか素か分からない呻き声を上げ、私の渾身のアッパーを顎に食らった十四松は背中から布団に倒れていく。だがしかしその下にあるのは私の足だ。喉から再び悲鳴が漏れた。
「十四松! トキ! 大丈夫か!」
「うっ……最っ悪…」
「うぅーん……ハッ! トキ蘇ったー!」
「十四松うるさい…カラ松も揺するな馬鹿、ほんと、死ぬ…」
「はっ!? す、すまない!」
慌てて肩から手を離したカラ松は、しかし私が悪態をつけるまでに復活したことに、さぞかし嬉しそうに笑顔を浮かべた。同様に、十四松も私の足元で小躍りしている。お願いだからじっとしていてください足踏んでる足踏んでる。
しかし何故、よりにもよってこいつらが来てしまったのだ。最も勘弁願いたい面子の登場に、思わず顔が歪み深いため息が出た上で舌打ちしてしまったのは仕方がないことだろう。逆に熱が上がりそうな気さえした。というか、すでに心臓と足に深手を負っている。
「そーだ! 僕たち、トキに子守唄歌おうと思って! 準備してきた!」
「は? いやいらないんだけど」
「フッ、遠慮するな……天より授かりし魅惑のバリトンボイスを持つこの俺の弾き語り、及び自慢のマイブラザーの合いの手が聴けるんだ……喜べ元祖カラ松ガール」
「誰が元祖だ。つーか十四松合いの手係かよ」
指で銃を作って「バァン」とウインクしてみせるカラ松に全力でドン引きしつつ、私は諦めて布団にもぐった。歌いたいのなら気の済むまで歌わせておこう。例えカラ松が何か背負っていたものがギターでも、それを構え出しても、室内で無意味にサングラスを掛け出しても、気にしてはいけないのだ。動くオブジェくらいに思っておけばいい。いい加減、もう疲れた。
それに、何も彼らは私に嫌がらせをしに来たわけではない。結果として先程から私の安眠の妨害しかしていなかったとしても、彼らはちゃんと思いやりを持った優しい友人たちである、一応。善意十割で、良かれと思って子守唄を歌ってくれるというのなら、ぎりぎり、どうにか、甘受してやらなくもないという気にもなれるっちゃあなれるものだ。
「フッ……いくぜ」
「おう」
十四松の返事を合図に、頼んでもいないセッションが始まった。カラ松は自前のギターを掻き鳴らし、その無駄に良い声を喉から放つ。
「六つ子に生まれたよ〜」
「あいあい」
え何この歌まさかの自作! しかも自分らのことかよ!
「六倍じゃなくて〜」
「ろくぶんのいち〜」
「六つ子に生まれたよ〜」
「うぃ〜」
「育て〜の苦労はぁ」
「考えたくない〜」
何この宇宙ソング。一体私はどう反応すればいいのか。
困惑する私をよそに、二人はさぞ気持ち良さそうに熱唱する。ああ、頭がぐるぐるしてきた。どうしてこれが子守唄と言えよう。というか、眠らせる気があるんなら普通ギターとか持ってこなくない? ただリサイタルしたかっただけなんじゃないの?
「六つ子に生まれたよぉ〜」
「ぽぉ〜ん」
ぽーんって何? 生まれた際の擬音? んな簡単に出てこれねえよ! ……あっ十四松ならなんかできそう。
「生活臭もぉ〜」
「「野郎六人分〜」」
やめろ! 何故具合悪い時にいらん裏話聞かされなければならないんだ!
「むぅ〜つぅ〜ごぉ〜にぃ〜生ま〜れた〜」
「むぅ〜つぅ〜ごぉ〜にぃ〜生まぁれた〜」
「「六つ子に生まれたよぉ〜」」
二つの歌声とギターの余韻が耳朶を打つ。繰り返し聞かされた同じフレーズが頭から離れない。これ、絶対タイトル「六つ子に生まれたよ」でしょ。すごく自信ある。
歌い終わった二人は私の枕元に手をついて、子供のようにニコニコと、私の顔に影を落とした。うっかり起き上がったら、とんでもない事故に繋がる近さだが、それを気にするそぶりもない。
何故、そんなに嬉しそうなのか。そんなに病人を前に大合唱したのが楽しかったか。それとも、私のために子守唄を歌ったことが楽しかったのか。自惚れだったら軽く死ねるけれど、もし後者なのだとしたら、いよいよ怒ればいいのか喜べばいいのか分からない。ただ、嬉しくない、なんてことはなかった。
「…………」
「どうだ、眠れそうか!」
「ウィー!」
けど、それとこれとは話が別なのだ。
ドヤ顔を決めこちらを覗き込む彼らに、私はおもむろに言い放つ。
「……目冴えた」
「えっ!」
「えー!?」
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