08


 喧嘩するのは、嫌いではなかった。むしろ、自分の技術を駆使して相手を打ち負かすのも、一心不乱に体を動かすのも楽しくて仕方がなかった。一種の趣味ないしはストレス発散だったのだろう。だから売られた喧嘩はほぼ全部買ってきたし、自分からその手の輩を挑発することだってあった。
 だが、暴力を伴わない喧嘩……すなわち仲違いを、好き好んでしようと思ったことなど、今までに一度たりともない。断じて。そんなつまらないものに費やす時間など、俺がいくら暇人であろうと持ち合わせていないのだ。

 ──トキに絡んでいた男とその仲間数人は、案の定、以前俺に喧嘩を売り、そして返り討ちに遭った奴らだった。
 トキを背に庇いつつ、計四人に増えた相手と対峙。迫る拳を片手で往なして、躊躇なく顔面にグーをめり込ませる。その勢いで体を回転させ、その隙に襲い来る別の男に回し蹴りを食らわせる。そんなことを繰り返し数十秒。全員前と同じく瞬殺してやった。数に頼れば俺に勝てると思ったのだろうが、甘いな。多少の擦り傷は負ったものの、俺の完全勝利だった。さっすが俺。カリスマレジェンド。

 だというのに、トキは先程から俺と目を合わせなかった。死屍累累のその光景をただじっと見下ろしているだけのこいつは、正直、何を考えているのか分からなかった。
 元々よく分からない奴ではあったけども、それでも案外単純なところのあるトキだ。五人の弟の兄として十数年生きてきた俺にとっては、いつもの目線から「探るもの」に切り替えるだけで、結構こいつのことを理解できた。そういうつもりでいたのだ。今までは。だからこそ、こんな時に限ってこいつの思考が分からないことに、一松の……じゃなかった、一抹の不安を感じていた。

(こいつの様子もそうだが……さてどうするか)

 ここでいつものように話し掛けたりすれば、今度こそ今までの阿呆みてぇな我慢がパーになる。だが、どんなに俺らがトキと距離を置こうが、俺らが今まで蒔いてきてしまった種たちは、今までよく一緒にいたこの普通の女を、依然として俺たちの『弱味』と思っているらしい。こいつに、容赦なく牙を剥いてくる。

 その上、だ。先のトキのような、無鉄砲さ。下手すればトキは、結構な怪我を負っていたかもしれないのだ。男が乱暴に投げ飛ばした鉄パイプが、トキの頭を目掛けて飛んできた時は、本当に肝が冷えた。俺が居合わせてなかったら、もれなく彼女は病院送りだったに違いない。
 しかし、俺がそれを言えるのか。
 トキが男に食らわせた頭突き。あれはいつだったか俺達が、面白半分でこいつに仕込んだものだった。まさか、本当にこいつがそれを使うなど思いもしなかったのだ。だが実際、軽い気持ちで伝授したそれを武器に、トキはあの男どもに立ち向かった。トキは馬鹿だ。人間なんてのは簡単に死ぬんだよ。お前は俺たちみたいに生きちゃいけないんだ。
 改めて込み上げてくる責任感。トキのこの気質の要因は、確実に、俺達にあるのだ。

「……おそ松」

 トキがようやくこちらに顔を向けて口を開く。同時に、何かを投げつけられた。吸い込まれるように飛んでくるそれを片手でキャッチする。それは乱闘の末に俺だかあいつらだかが踏み壊した、あいつらの携帯電話だった。──しかし、ほの暗い路地裏でぴかぴかと光るそれは、画面が割れていながらも、どうやら辛うじてまだ息があったらしい。そして、そこに映っている──もう顔も覚えていない男を殴っている、いつかの俺の姿に、「あ」と小さな声が出た。いつの間に、こんなものが撮られていたんだろうか。こんな風に証拠を残されていたのは初めてだった。
 チッ、と勝手に舌打ちが漏れる。一拍開けてから、俺はそのガラケーを容赦なく逆パカした。それからぱっと手を放し、地面に叩きつけられたところをさらに踏み壊して止めを刺す。そうして今一度トキを見た。あいつは何か喋りたいことがあるが、上手く言葉にならないのか、それとも呆れてものも言えないのか、結局黙ったままだった。ただ、中庭で話したあの時と違って、今度は臆することなく俺を睨んでいた。

「自分のケツぐらい自分で拭えよ、このクズ」

 かと思えば、突然滑らかに話し始めた。
 トキは明らかに怒っていた。そりゃあそうだろう、俺のせいでお前は巻き込まれたんだ。怖い思いをしたし、下手すれば怪我だってしていた。それに、理由なく理不尽に距離を置かれている。
 しかし、こいつが言わんとしていたことは、そういうことではなかったのだ。

「……これじゃあ、誰が停学になったって可笑しくないし、カラ松は、今度演劇部の大会がある。十四松も野球部があるじゃん」

 ──あ、と今度は随分と掠れた声が出た。
 俺たち六つ子は同じ顔をしているせいで、例えば俺が暴力を振るっている写真を誰かに撮られれば、それは端から見れば誰が喧嘩しているかなど分からないのだ。俺はハナから無くすものなどないが、あいつらは大切なものを持っている。その写真一枚で、それが全て台無しになる可能性がある。そこにつけ入って、男たちは俺より優位に立とうとしたのだろう。その写真を出しに、俺に黙って殴られろとでも言うつもりだったのだろう。ただ、それだとまだ不安が残るから、俺達とよく一緒に居るトキも人質か何かとして利用しようとした。きっと、そういうことだった。

 だが血気盛んなのは、なにも俺だけではない。進んで喧嘩に身を投じるのはまあ俺くらいだろうけど、あいつら五人だって売られた喧嘩を買う時はある。部活に所属しているカラ松と十四松は、立ち回りがあまり上手くないこともあって、本当にどうしようもない時にしかやり返さないけれど。だから十割俺が悪いかと言われれば、きっとそんなこともないのだ。
 それでもトキは、特に馬鹿で天然なその二人を少し贔屓しているところがあった。輪を掛けて優しいあいつらが、不用意に傷つかないように、と。それならば贔屓、というよりは、心配や庇うといった表現の方が正しいかもしれないが。

 だが、問題はそこじゃない。いや、そこもそうなんだけど。そうじゃなくて。全く、問題、問題、問題だらけだ──トキは。
 こいつは、頭が可笑しいんじゃないかと思う。トキが怒っている理由が「自分が巻き込まれたから」ではないのは、一体どういうなんだろうか。いっそ笑えてくる。こんな風に自分への危機の察知力と回避力がアホみたいに低いトキじゃあ、それこそいつ大怪我したって可笑しくない。そして、そこに大前提として存在するのは、俺達とつるんでいることなのだ。
 とは言っても、元々こいつは自己犠牲型なんていうヒロイン染みた属性ではない。こいつにヒロインなんてポジションは似合わねえ。つまり、それほどまでに俺たちが手のかかる奴らなのだ。トキにとって、そうせざるを得ない存在なのだ。
 でも、友人が、俺らと仲良くしてたら怪我を負わされました。なんて、そんなん洒落になんねえだろ。

 俺たちは多分、トキに悪影響しか与えない。俺はこんなだし、カラ松だって厨二を拗らせ続けているサイコパス馬鹿だし、チョロ松は真面目の皮被っているがなんだかんだクズで、一松も根暗でボソボソとした危ない奴、十四松も異様で異常なテンションを気味悪がられたりしているし、トド松も腹の中は真っ黒なドライモンスターだ。勿論、傍から見たら、の話である奴もいるし、それがすべてなわけではない。だけどそれでも、知らない奴等から見た俺達はとんでもねえ糞餓鬼共に違いない。遅刻欠席サボリも多いし、男兄弟六人という環境で育ってきた訳だから、先にも述べたように、喧嘩っ早いところもある。俺たちは六つ子で、時に殴り合いながら成長してきたから。六人揃えば無敵だと、一時期は全員がもっと荒れていた。
 そんな俺たちの姿をずっと見てきて、トキは強く心配していたのだろう。そして喧嘩というものを普通よりずっと身近に感じていたのだろう。だから知らず知らずのうちに、今の無鉄砲で防御力のお粗末なトキができた。
 そして、そんな問題児ども六人全員と仲良しこよししていれば、トキだって一緒くたに纏められるに決まっていたのだ。こうやって俺らに恨みを持った奴に利用されるし、トキの友達が少ないのは、何もこいつがコミュニケーション力に乏しいことだけが原因ではなかった。それをトキが気付いているのかは分からないし、というか気付いてないような気しかしないけど。

 だから、やっぱりお前は俺たちなんかと友人でいないほうが良いって、そう言おうとしたのに。

「あんた何やってんの、長男のくせに」

 トキのその、俺にとって何より残酷な一言が。徐々に取り戻しつつあった冷静さを、一瞬にして木っ端微塵にした。
 胸が気持ち悪いほどざわつき、強烈な吐き気に襲われる。顔と喉が異様に熱くて苦しくて、言いたかったことが、すべて脳内から消し飛び、真っ白になる。その空っぽになった頭に、今度はぐつぐつと激しく沸騰したように血が昇り、滾り、そして、

「っの……うるっせーよブス!! 死ね!!」

 ──ああ、俺は、一体、何をしているのだろうか?

 トキは……俺が「長男だから」「長男でしょ」といった言葉を投げ掛けられるのが嫌いであることを知っている。長男、それがどうした。俺達は六つ子であって全員同い年だ。最初に生まれただけで、どうして俺ばかり長男、長男と言われなければならないんだ。理不尽だ不公平だ、そんなことをよく思っていた。
 それを、俺の気持ちをよく知ってくれているはずのトキに、その言葉を武器にされたことが腹立たしくて悔しかった。何があっても、わざわざ俺たちを傷付けたりなんてしなかったトキに、その言葉を選ばれたことが悲しくて仕方がなかった。同時に、そうなるまで怒らせてしまったのかと思うと、後悔ばかりがこみ上げてきた。それで頭の中がぐちゃぐちゃになって、上手い事思考回路が回せなくなって、勢いに任せてしまったのだ。
 だからって……だからってさあ。

「……ガキかおれは……」

 般若顔負けの形相を見せたトキが、俺の脛を魂込めて蹴り飛ばし去っていったのと、痛みに悶えながら「やってしまった」と後の祭りじみたことを思ったのは、きっと想像に難くないだろう。
 俺の頭はやはり、小学六年生あたりから一向に成長していない、奇跡のバカなのだと。俺は俺自身で再確認してしまったのだ。


Back
Topへ