09


 おそ松がああいう風に言われるのを嫌いなことは知っていた。それでも、あれもこれも全部に腹が立って仕方がなくて、それらをすべてぶつける形で結局おそ松を傷つけたのに変わりはない。それを認められないほど、私は子供ではないつもりだ。
 彼は繊細という二文字からはかなりかけ離れている人間だから、私なぞに言われた一言なんてもう気にしていないかもしれない。それでも、あの瞬間。私は私の友人を、明確な自覚を持って傷つけてしまった。あの時私は、あいつを傷付けてやろうと、傷ついてしまえばいいと思ってしまった。でも、今更になって、そんなことを思ってしまった自分が嫌で、悔しくて、やるせなかった。
 謝るつもりはない。私だってさんざん傷ついたし、第一謝ったところで私の罪悪感が少し軽くなるだけ。あの瞬間に感じたであろうおそ松の怒りや悲しさが、消えてくれるわけではないのだから。それに、そもそも謝る機会なんて。
 それでも、どうにもこうにも気がかりだった。それほどまでに、あの言葉はおそ松にとって悪い魔法であることを、私は知っていたのだ。だけど、私ではあいつに会えない。だから、ここに来たのに。

「知らないわよ」

 ピンクを基調とした女の子らしい部屋で、私は小さく肩を落とした。
 そりゃあ、そうだ。あのトト子ちゃんから、献身的な答えが返ってくるなんてハナから期待してなかった。なかったとはいえ……、

「おそ松くんの様子なんて、トト子の知ったことじゃないわ。貴方たちの問題をトト子にまで持ち込まないでちょうだい」
「手酷いわぁ」
「あら、本当に酷いのはあの六つ子ちゃんたちでしょう?」

 彼女はショッキングピンクの机上で頬杖をついて、横目でこちらを見やる。その見透かしたような瞳から逃れるように、今自分が腰を下ろしている派手なカーペットへと目線を落とした。
 高校から私たちと違う学校に通っているトト子ちゃんに、あいつらに理不尽極まりない別れを告げられたことは言っていない。だけど、彼女はすでに気付いているようだった。どこかで様子を窺い知ったのか、それとも何松かが教えたのかは知らないけど。そうじゃなくても彼女は昔から、どこか聡いところのある女の子だったから、別段不思議には思わなかった。

「そもそもね、トト子は貴方ほどあいつらに会ってるわけじゃないもの。ちょっとした変化なんて、いつもベタベタつるんでるトキよりわかるわけがないでしょ」
「いつも一緒にいないし、ベタベタなんてしてないし」
「してるでしょお。貴方、中学の時にも庶民からハーレム気取りだなんて囁かれてたわよ」
「は〜〜〜!? あんな松六人のハーレムなんてあっちも私も願い下げだっつの。だったら六人のトト子ちゃんに囲まれるほうがいい」
「六人のトト子も願い下げよそんなの」

 白々しい目でぴしゃりと言い放たれる。いや、確かに落ち付いて考えたら私だって、トト子ちゃんが六人もいるのは願い下げだわ。一人で勘弁……いや、十分。

「……それにあいつら、トト子にも最近会いに来てないわよ。前はもっとウザいくらいにチヤホヤしてきたのに」
「は? そうなの?」
「それでも、ごくたまーに会った時は普通だけれど。一体何がしたいのかしらね、あいつらは」

 トト子ちゃんはさも面倒くさそうにため息をついた。その些細な仕草でさえ絵になる。美人で、いろんな意味で強くて、かっこいい、素敵な女の子。だから彼女は、ずっとあいつらのマドンナなのだろう。
 それなのにあいつらは、そんな彼女すら避けているのだろうか。一体どうして。トト子ちゃんの言葉を借りるが、本当に、一体何がしたいのか。

「……あら、トキ貴方、そこどうしたの?」
「そこ?」

 聞き返すや否や、トト子ちゃんは椅子から立ち上がってこちらに近寄ってきた。それから優雅にしゃがみ込むと、私の頬に手を伸ばす。右頬の、髪の毛で半分隠れたようなところを、指先が触れた。少しだけ擽ったい。

「ちょっとだけだけど……馬鹿ねぇ、顔に切り傷なんて作って」
「え? 嘘」
「あいつらみたいに喧嘩でもしたんじゃないでしょうね」
「そんなわけ……」

 ないでしょ、と返そうとして、言葉が詰まった。これ、多分昨日のやつだ。おそ松が私を背に庇ってくれていたけど、一度だけ、あいつが受け損ねた鉄パイプが、後ろの私に掠った時があった。その時に小さく皮膚が痛んだような気がしていたが、まさか少しとは言え、切っていたとは。
 一度言葉を切ってしまったせいで、トト子ちゃんは確信を持ったように私の目を見据えた。

「何かあったわけね」
「いや? 多分紙で切った」
「トト子に貴方のちんけな嘘が通用すると思うの? 言、い、な、さ、い」
「いたたたた」

 両頬をぎゅっとつねられてすぐに降参する。鈍い痛みの残る頬に耐えながら、仕方なく、私は昨日のことを掻い摘んでぽつぽつ話した。おそ松に掛けてしまった言葉も。トト子ちゃんは黙って聞いてくれていたけど、前髪の下で形の良い眉が、次第に険しく寄っていくのが見えた。

「なるほど……馬鹿が近くにいて、あいつらも大変ね」
「えっ何?」
「なんでも」

 ポツリと呟かれた言葉を拾えず、聞き返すがはぐらかされる。トト子ちゃんは立ち上がって、私の背後にあった彼女のベッドに腰を掛け直した。

「あいつらも、いつまでもうじうじしてる貴方もいい加減ウザいわ」
「え何、酷くない?」
「トキ、いい加減どうにかしてきてちょうだい。こっちまで迷惑なのよ」
「だから無理無理、縁切られたんだって」
「はぁ? アンタ、本当にそう思ってるわけ?」

 とうとう貴方からアンタに降格するが、こちらも負けじと振り返って睨み返す。わかってんだ。できることならやってるんだよ。本当は、このままなんて嫌だ。だけど、仕方がない。

「……何かしら言いたくない事情があることくらい流石に気付いてる。だけど何にせよ、距離を置かないといけない『何か』があるってんだから、私がどうこう言っても無駄でしょ」

 そう強く返せば、数秒の間を置いて、トト子ちゃんはハァと艶っぽく溜息をついた。それから、心底呆れたような声色で呟く。

「意気地無し」


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