12
痛い、痛い痛い痛い痛い痛い痛い。
頬が痛くて痛くて、熱くて熱くて熱い。
せめてもの虚勢として地べたに座り込んだまま、絶対に泣くことも騒ぐこともせずにそいつらを見上げる。絶対負けたくない。屈したくない。こんな奴等なんかに、私の普通を滅茶苦茶にされてたまるか。
『アンタが松野の彼女?』
いや違ェよハゲ──と言い掛けたのをなんとか飲み込み、「人違いです」と言い放った私は咄嗟に駆け出した。脳内で警鐘がガンガン鳴り響く。逃げなければ。関わってはいけないタイプの輩だと、一目で判断した。しかし、運動神経はそこまで悪くはないものの、特別足が速いわけでもない私は、彼らのうちの一人にすぐに追いつかれてしまった。腕を取られ、捻り上げられる。うめき声をぐっと堪え、体を回転させてどうにか振りほどく。再び逃走しようとして──視界が大きくブレた。同時に、頭に恐ろしいほどの鈍痛。それを最後に、私の記憶は途切れていた。
そして、今。何時間経ったかは知らない。けれど目を覚ましたここが、私を捕まえた奴等を含め10人前後しかいない、汚い倉庫か何かの中で、喧嘩にうってつけであることだけはわかった。そして後ろ手に縄で縛られた私は、その「人質」にあたるということも。
ああ、やだやだ。本当に、嫌になる。うんざりする。
でもそれは「巻き込まれたこと」に対してじゃない。こんなことをする奴らが、普通に息をして、瞬きをして、お喋りをして、動いて、笑って、「普通にいる」ことにだ。力を振りかざして、無辜な存在を虐げて傷つけるような奴等が世の中にどっかり座り込んでのさばっているのが、本当に本当に嫌になった。
そりゃ、あいつらだってアホみたいに喧嘩に明け暮れた時期もあったけど、でもそれはいつだって同じ穴の狢に対してだった。何も関係のない、普通の人たちの生き方を邪魔するようなことは絶対しなかった。彼らは理不尽な奴らじゃない。人の道理からは決して外れない。
でもそんなことをこの男たちは知らない。喧嘩をしているあいつらのことしか知らないから。今にも飛びかかりそうにうずうずして、目をギラギラさせて、呼び寄せたのであろうあいつらが到着するのも今か今かと待ちわびている。そして私を盾にとり、あいつらを一方的に殴りつけるなり屈服させるなりしようとしているに違いない。
あいつらはきっと来るだろう。そして、あいつらが負けるビジョンも見えなかった。だから、全然怖くない。怖くなんてないけど、ただただ悔しくて、悲しくなって、捕まった時に殴られた頭と起きた直後に殴られた頬が痛くて、俯いた。
「あれ? 何、泣いちゃった?」
「もうすぐ愛しの彼氏が来るからさ、安心して待ってなよ。何松か知らねーけど」
「青じゃねーの?」
「え、ピンクだろ?」
「いや赤じゃ……」
「いやいや……」
いやもう誰でもいいよ。つーか誰でもないし。でも、怯えて泣いていると思われてるなら都合が良いや。万が一の時、いざとなったらすぐに動いて不意を突けるかもしれないから。
俯いて、そっと目を伏せる。視界を遮ったからか、耳に入る音が鮮明になった気がした。そこで、男たちの騒がしい声に混ざって、どこからか足音がすることに気がつく。それは次第に大きくなって、複数人のものであることがわかった。その音が倉庫の前で止まり、静かになったと思えば、
────ガァン!!
次に届いたのは、耳に響く硬い衝撃音だった。仄暗かった倉庫に光が一斉に漏れだし、瞼の裏でも目が眩むような感覚に陥る。私はゆっくりと瞳を開けて、顔を上げた。
「よォ、ようやく来──」
余裕染みた男の声は、最後まで聞こえることはなかった。
最初に視界に捉えた黄色いパーカーが、私という人質の存在など気にも留めず単身で突撃してくる。「いよいしょォー!」そいつの大振りな動きに絡め取られた男は、そのまま人外じみた腕力によって投げ飛ばされた。派手な衝撃音とともに、男の潰れた蛙のような悲鳴がする。
「女だ! 女使え!」
倉庫に散らばっていた男たちが、叫びながら私に駆け寄ってくる。その中で一番近く──二歩ほどで手を伸ばせる距離にいた男を、真っ先に捉えていた青パーカーも、すでにこちらへ向かってきていた。青パーカーは握り固めた拳を下から上へ、男の顔に勢いよく当てる。二秒遅れて駆けつけた別の男に、今度は鋭い蹴り。それから私の前にしゃがみ込んで、ぶっ腫れてるに違いない頬にそっと指先で触れた。少しくすぐったくて目を細める。その後ろで、赤パーカーと緑パーカーがまた別の男たちの腹に拳や蹴りを決めているのが見えた。
「トキ、目を瞑っていろ」
低くて優しい、カッコつけの声だ。私は身を任せるように、言われた通り目を瞑った。それから三十秒。たった三十秒ほどの時間、男たちの衝撃音と悲鳴を聞き続けた。
不快な音が消え、後ろ手に縛られた縄に誰かの手が触れる。この冷たい手は、多分体温の低い紫のパーカーだ。くん、と引っ張られる感覚がして、縄を切られたのだろうと気付いた時には、もう私の手は自由になっていた。
そっと目を開ける。前に見えたのは桃色のパーカーだ。手に携帯電話を持っている。証拠を残しているのだろう。彼の奥には、あの男たち全員が見事に地面に倒れていた。
後ろにいた一松が、眠そうな目で私の前に立ちそっと手を差し出す。地面にしゃがみこんだままだった私は、素直にその手を借りて立ち上がった。私よりも固い、男子の手。そしてやっぱり、彼の手は少し冷たかった。
私が逃げるとでも思われてたのだろうか。立ち上がっても、彼には手を掴まれたままだった。それから静かに私の周りに集まってきたトド松、十四松、チョロ松、カラ松、そしておそ松。十四松は、倉庫の端に投げ捨てられていたらしい私の鞄を抱きかかえていた。
彼らは皆一様に、何か言いたげで、申し訳なさそうで、辛そうな静かな顔をしている。馬鹿だなぁ。別に私怒ってないのに。
「……ほら、行くよ」
私が声を掛ければ、固まっていた彼らは魔法が解けたように小さく動き出す。私は主導権を握るように一松の手を引いて、その後ろに他の五人がついてくるのもしっかり確認しながら、揃って死屍累々の倉庫を後にした。

一松を引くトキに追従しながら、歩いて、歩いて、学校近くの公園までようやくたどり着く。そこは昔、皆でよく遊んだ場所でもあった。トキは軋んだベンチに腰を下ろす。甘えたがりのトド松は、少し意を決したようにしてトキの隣に半人分の隙間を空けて座った。逆どなりには、十四松が間にトキの鞄を挟んで、どっこいせと腰かける。古びたベンチが大きめの悲鳴を上げた。
チョロ松は若干だせェグリーンのハンカチを水道で濡らしてきた。それを渡されたトキは、腫れた頬に当てて冷やした。あーあ、あいつら女の顔殴りつけるなんて、本当どうにかしてやがんな。まあ、二度とこいつには手出ししないだろうってくらいにボコボコにしてやったけど。
「……なぁ、トキ」
ベンチに座るトキと十四松とトド松、それから俺の左右にいるカラ松とチョロ松と一松。計六人分の視線がこちらに向いた。
「もう……懲りたかもしんないけどさ、一応改めて聞くよ」
あーあ、本当、こんなはずじゃなかったのにな。タイミングが悪すぎた。いや、でも、今日のことが一週間後や一か月後に起こったって、何かが解決するわけでもなかったけど。
五人には昨日俺の考えを話して、あまりにも自分勝手だと怒鳴られて、また喧嘩になりそうになったけど長男様としてここはひとつ我慢してやって、なんとか話し合うことができた。それで蓋を開けてみりゃ、全員同じこと考えてたわけで。
結局、バカたちが難しいこと考えたってやろうとしたって、上手くいくわけがなかったんだ。六人寄っても文殊の知恵にはほど遠い。思うままに生きてきた俺たちが、何かをするのに感情を抜き去ることなんてできないんだから。友達が傷ついて、自分たちも傷ついてりゃ、続行不可能。瓦解も瓦解よ。だって俺たち、この巻き込まれ体質で幸薄くて甘ちゃんで優しいこいつのこと、大事なんだ。
だかもう、全部白状することにした。全部話して、その上でこいつに判断を委ねることにした。俺たちはクズだから、もうこうなったらとことんクズを突き詰めてやろう。だって、今までのやり方をトキは望んでいなかったことくらい、わかってたんだから。
「お前、こんな俺たちと友達でいていいわけ?」
だからまっすぐ、何も包み隠さない疑問をトキにぶつけた。変なやつらに絡まれて。顔に怪我作って、痛い思いして。それでも俺たちの友達でいたいなんて、もはや変態だよ。
「友達くらい選べるじゃん。俺らといたらさ、今みたいなことがまたあるかもしれない。いやね? もちろんもう前みたいに馬鹿みてーに暴れ回ったりしないつもりよ。ってか、随分前からそうするようにしてる、つもりだった」
ぺらぺらと、余計な単語を交えながら紡ぎ続けたのは、口を挟まれるのが怖かったからだろうか。俺のことなのに、あまりよくわからなかった。
「でもやっぱお前はさ、俺らが蒔いた種のせいで巻き込まれたりする。俺らはそれが嫌なわけよ。俺たちとつるんでるせいで、お前が怪我すんの。笑えねえじゃんそんなの」
今日だって。昔俺たちに喧嘩吹っ掛けてきて、返り討ちにしてやった奴等の恨みだった。俺たちと一緒にいる弱そうな女のトキを人質にして、俺たち全員を痛め付けて恨みを晴らしたかったのだろう。そのせいでまた、怪我をした。
「喧嘩だけじゃねえ。俺たちのせいでお前までさ、センセーにちょっと不審に思われてたり、怖がられて周りの奴らに避けられてたり。お前ばっか貧乏くじ引いてるじゃん」
トキは本当に、俺たちやトト子ちゃん以外に友達のいない奴だった。時折、好意的じゃねえことを囁かれてるのも耳に入った。先生にだって、流石にそんなことで成績を下げられたりはしてないだろうけど、良い印象は持たれていないのを当事者じゃない俺ですら気付いてた。
「だからさ俺たちさ、お前と友達やめようって決めたんだよね。お前にまとわりついてる悪い"縁"がさ、全部切れるように」
あいつらは何も話さないけど、黙ってトキを見ていた。こういう時に代表して話すのはやっぱり長男の俺で、それでも嫌だと思うことはなかった。自然に受け止められた。どいつの顔も酷く不安定で、そんな奴らに話をさせるなんてしてやらんでも、仕方ねえから俺が話してやるよと、思えた。こんな時でも兄弟のこと考えてるなんて、実は俺ブラコン? キモッ! なんて場違いなところにまで思考を飛ばしたのは、現実逃避だろうか。じっと静かに、深く、俺たちの代表として俺を見つめてくるトキに、耐えきれなくなったからだろうか。
トキは頬に当てたハンカチを下ろして、ゆっくり立ち上がった。両サイドの十四松とトド松の肩がびくりと揺れる。そうしてトキは俺の前に立つと、これまたじいっと俺の目を見つめてきた。低いところから見上げられているのに、妙に迫力がある。責められているような気さえして、視線を逸らすことだけはしないようになんとか耐えていると、トキはハンカチを持っていないほうの手で、俺の頭をはたいてきた。しかも結構強めに。いい音が鳴った。
「馬鹿にすんな」
「はっ?」
「私だって、言われなくても友達くらい選んでる」
心臓が、どきりと跳ねる。
つまりそれは、選んで、好きで俺たちといるってことで。そんなのわかってたけど、口下手気味な本人から直接言葉にされるってのは、逃げ出したくなるくらいむずがゆくて、でも嬉しくて、感情が飽和する。
「悪い縁が切れても、大事な縁まで切れるのは嫌」
大事な縁、だってよ。ほら、お前ら聞いたか? 俺たちとの縁が、こいつは大事なんだってよ。なあ、カラ松。嬉しそうに口元ニヤけさせてんじゃねえよ。チョロ松、驚きすぎてただでさえ小せえ目がさらにミジンコサイズになってんぞ。一松、いつもの闇々しいオーラはどうしたよ。十四松、いつもでっかく空いた口が中途半端に半開きだな。トド松、お前がそんな崩れた顔するの珍しいじゃん。
お前だって人の事言えないって目してんな。確かに、俺も今、きめえ顔してるかも。
「それに……そんなにごちゃごちゃ考えてたのにやっぱり全部やーめたってしたのは、その悪い縁が全部切れるまで、責任とって私を護ってくれるってことでしょ」
そうだよ。そのつもりで、全部やーめたしたんだよ。俺たち。でも、今日は護り切れなかった。それでもいいわけ?
「じゃあ、それでいいじゃん」
ほんとに? いいの? 俺たちだってさ、できるならお前の友達のままでいたいよ。でも、お前は今後も痛い目に遭うかもしれないってことじゃん。
「次私が痛い目に遭ったら、全員蹴り飛ばすからね」
あっ、やっぱりそこはしっかりしてんのね。お前の蹴り、鋭いからすげー痛えんだよな。こりゃ、なんとしてもお前には手出しさせないようにしねえとな。
「何事も全部うまくなんていかないよ。でも、その中でも私は……アンタたちとの、縁を、大事にしたいと、思ってるから」
おいおい、もうわかったから。俺たち死んじゃうから、もうそういうこと言わないで。
……って、なんだよ。お前だって馬鹿みたいに耳赤いじゃん。そんな風に、揶揄う余裕も無かった。トキもトキで我慢の限界だったらしく、小さく俯くと踵を返して、ベンチに置かれていた自分の鞄をひったくるように肩に掛ける。そして俺たちの合間を縫って公園の出入り口に向かって歩き出した。
「えっちょっ、トキどこ行くの?」
「学校。保健室寄って、午後から出る」
「ええ〜!? 真面目〜!!」
「うっさいこちとら無断欠席してんだよ」
「あっほんとだウケる!」
「笑いどころじゃない」
「いっっっで!! 強烈!!」
結局蹴りを食らって身悶えながらも、なんとかトキの隣をついていく。そんな俺たちを追いかけるように、あいつらもバタバタとついてきて後ろや横に並んだ。あ、これ、懐かしい。たまに七人の大迷惑な大所帯で、登下校したりしてたな。久しぶりだ。まだ少し変な緊張があるようにも見えたが、そこは兄弟随一の社交性を持つトド松が口を開く。
「ねえトキ、この間可愛い女の子と一緒に帰ってなかった?」
「そう……新しい友達。羨ましいでしょ」
「本当だよぉ」
そう言ってトド松は笑った。でもその羨ましいは、なんとなくトキに対してじゃなくて、その可愛い女の子とやらに向けられているような気もした。
「いつも受け身に構えてたのは私だから。別にアンタたちのせいじゃないよ」
友達ができないことを指しているんだろうか。この期に及んで俺たちのせいじゃないって言うこいつは、本当に甘々の甘ちゃんだ。確かにお前の気質だってあるかもしれないけどさ。でも、まあ、それでも俺たちとの縁が大事だって言うんだから、性根がクズな俺たちは喜ばずにはいられないんだ。
「……ま、でもトキの一番は俺たちだもんなー!」
「は? 自惚れんなおそ松」
「本当それね。トキは僕たちのこと好きすぎ」
「便乗すんなチョロ松」
「フッ照れなくても良い、お前の気持ちはわかっている……」
「カラ松痛い」
「大して否定はしないんだ……」
「一松うっさい」
「僕たちもねー! トキのこと好きだよ!」
「十四松もうっさい」
「あれぇ、トキさんほっぺが赤いんじゃないのぉ〜?」
「トド松には言われたくない」
ああ言えばこう言う。でも本音は隠しきれてない。何でも話せる。楽しくて仕方がない。俺たちの大事な友人。この空間が、これからもトキと一緒にいることを赦されたみたいで心地良い。そう思ってから、赦すって誰に赦しを乞うたってんだよと思い直して、これからもなんだかんだずっと一緒にいることを、俺たちとトキで決めたんだ、と口の中で言い直した。
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