03
「トキ! 練習に付き合ってくれないか!」
「ええ……また?」
「今回の台本はシンデレラのアレンジ版で、俺は舞踏会に出席する男Cなんだが」
「それ台詞あんの……」
「いや。だがパートナーと共に踊る。だからトキ、その練習に付き合ってくれ」
「私ダンスなんてできないっての」
「ッフゥ〜ン照れているのか? ノープロブレムだ、この俺のリードがあればお前は今宵プリンセスになれ」
「わかったわかったからその痛い語りやめて……」

トキが泣いたのを見た覚えがない。怪我をした時も、感動する番組を見た時も、怒られた時も。トキは涙の一つも見せなかった。だが後から聞いてみれば、意外にもちゃんと痛かったし感動したし怖かったと言っていた。反対に、遊んでいて楽しければ笑うし、例えばおそ松あたりに悪戯を仕掛けられれば怒る。確かに、常にそうであるわけではないが、彼女はちゃんと楽しいとか悲しいとか、人並みに感じているのだ。
ならば、彼女は我慢していたのだろうか。いつも、彼女よりずっと多く泣いていた自分たちがそばにいたから。自分だけでも、しっかりしていなければと思っていたのだろうか。喜怒哀楽の哀だけを強引に押し込めたように、彼女は泣かなかった。
そのトキが、今、自分の前で泣いている。そのことに、俺は、心臓をきつくきつく握り潰されたような気持ちでいた。そして同時に、言い知れぬ感情を覚えていた。
「……なに、アンタは私と話してていいわけ」
ぎろり、と鋭くした目付きで睨み付けられる。怖いとは思わなかったが、酷く悲しかった。
彼女の声は少し、震えているような気がした。だが流れた涙はそこで塞き止められ、それ以上落ちてくることはなかった。頬を袖で拭われたら、もう、まるでほんの一瞬だけの魔法だったみたいに、その泣き顔は跡形もなく消えてしまった。
「……あ……いや」
声が詰まり、うまく出てこない。思わず肩を掴んでしまっていた手を、おそるおそる放した。俺は、一体、何をしているんだ。
「アンタたちは……一体何がしたいわけ。わかんないよ。言ってくれないと、全然」
「……俺たち、は……いや、もう、お前とは話せない」
「今話してるじゃん」
「いやそれは」
「『話さない』じゃなくて、『話せない』なんだね」
「……!」
心臓がどきりと跳ねた。『この計画』は、彼女には、彼女だけにはバレてはいけないのだ。バレてしまったら、上手くいかなくなる。俺たちは六人で決めた『これ』を、絶対に遂行しなければならなかった。
「なんで?」
「……」
「今は話せない? いつか話してくれるの?」
「……、」
余計なことを話してはいけないと、固く口を結ぶ。もはや演劇部で培った演技力など一片も発揮できなかった。じっとこちらを見据える瞳から、逃れるように顔を背ける。その無言を肯定と捉えたのか、彼女はほんの小さく息を吐き出して、俺から視線を外した。
トキの、いつもの感情が読み取りづらい仏頂面を盗み見た。それを見ていると、本当に泣いていたのかすら疑わしくなる。けれど、さっき感じた──自分たちが、頑なに「哀」を見せなかった彼女の泣き顔を引き出したという優越感が、確実に心の隅に居座っていた。
これはきっと間違いなく、俺たちがクズであるところの所以だ。
「……わかった。──じゃあね」
ざくり、心臓のやわらかいところを、よく研がれたナイフで刺されたような気がした。
わかった、という言葉が、じゃあねという言葉が、俺の心臓を深く深く突き刺して、そのまま捻るように抉る。何年も重ねてきた自分達の関係性を、捨て去ることを了承されたのが、痛くて仕方がなかった。言い出しっぺは他でもない、自分たち六人だというのに。なんて滑稽なことだろうか。
一寸の迷うそぶりも見せず、くるりと踵を返したトキ。彼女はしっかりとした足取りで、どんどん俺から離れていく。ああ、待ってくれ。本当は、言いたいことがたくさんあるのに。本当は、本当は──
「トキ、」
勝手に口が動き、彼女の名前を小さく紡ぐ。随分遠くへ行ってしまった彼女に、届くことはなかった。
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