05


「一松、何してんの」
「うォわっ!? あ、え、あ……なんだトキか」
「いやビビりすぎでしょ……あれ、ここ、猫カフェ?」
「……」
「入んないの?」
「……この店」
「うん」
「女性客ばっかりらしくて、おれ一人で入ろうもんなら浮くどころか通報される……そんなの死んだ方がマシ」
「大袈裟な……じゃあ兄弟誘えば」
「それはない」
「即答か。じゃあ、私一緒に入ろうか」
「……」
「そこは即答してよ」
「……行くよ、ほら早く」
「行くんかい」







「あの、時池さん」

 一瞬、自分が呼ばれていると気付かなかった。再三述べていることだが、私は友人と呼べる人が少なく、特に女子に名前を呼ばれることなんてほとんどなかったから。その高い声に紡がれた自分の名字に、ある種のミスマッチ感さえ覚えてしまったのだ。

「……え? ……えっ、あ、はい、えと、何……」

 ワンテンポ遅れて、なんとか反応する。だが恐ろしいほどに挙動不審な対応に、一瞬死にたくなった。誤魔化すように髪を耳に掛け、視線をひとしきり泳がせた後、再び彼女に目を向けた。
 その子は、私の後ろの席のクラスメイトだった。彼女は下校準備もせず自席でぼんやりとしていた私を、鞄を肩に掛けたまま見下ろす。

「あっ、えっと……そろそろ帰る?」
「え? ああ……うん」
「そのー、良かったらなんだけど、途中まで一緒に帰らない?」
「えっ?」

 驚いた。とても、物凄く、驚いた。それから耳を疑った。正気か? とさえ思ってしまう。こんなことを言われるのは、あの幼馴染たち以外では初めてだった。

「あっ、もちろん迷惑だったら無理しなくても、」
「やっ、そんなことない、私でいいなら……」
「ほんとう? やった!」

 慌てて弁解すると、彼女は嬉しそうに笑った。こんな風に女の子に笑いかけてもらったのはいつぶりだろうか? 改めて己の交友関係の狭さを自覚させられる。
 私は戸惑いながらも、開きっぱなしだった鞄のチャックを閉じて立ち上がる。それから「じ……じゃあ帰る?」とどもりながら問えば、彼女は「うん!」と朗らかに笑った。







「実は前から時池さんと話してみたいと思ってたんだよね」

 とん、とん。普段よりゆっくりとした足取りで、昇降口までの階段を下りる。彼女の言葉を聞いて、私はまた目を見張った。

「そ……うなの?」
「時池さんは覚えてないかもしれないんだけどね、新学期始まってすぐも、席が前後だったんだよね、私達」
「あ……うん」

 覚えていた。お喋りしたことはついぞなかったが、プリントを回す時に、いつも彼女の人の良さそうな表情を見ていた。そんな彼女と、まさかこんな風に一緒に下校する時が来るとは、あの時は思いもしなかった。

「でも、あの松野くんたちと一緒にいるから、ちょっと……気を悪くしたらごめんね。ちょっとだけ、怖いなって思ってて。あんまり話しかけられなくて」

 彼女は結構、思ったことをはっきりと述べるタイプらしかった。「あの松野くんたち」は、良くも悪くも噂が絶えない。一卵性の六つ子というだけで十二分に注目を浴びる要素があるというのに、それに加えて彼らは少々、問題児と称されるような面も持っていた。そして、そんな彼らと度々一緒にいる私も、真面目で普通な彼女から見たら「怖い」「あまり関わりたくない」タイプの人間に部類されていたのかもしれない。
 ──けれど、恐らく。彼らと一緒にいなかったとしても、私は元来、コミュニケーションも感情表現も得意ではないから、どのみちそれが災いしてしまうだろうと思った。つまり、結局は私自身の問題なのだ。

「でもね、話してみたら全然そんなことなかったや! もっと早く友達になっていればよかったなぁ〜」

 え!? と声を上げようとして、どうにか呑み込む。
 友達……友達? 私と彼女が? もう、そう呼んでいいの? 私が彼女の、友達でいいの?

「そ……そうだね、」

 そう返すのが精いっぱいだった。上手い反応がわからない。それでも、彼女の思いもよらぬ言葉は私にとって間違いなく嬉しくて、口の端に変な力が入った。
 彼女とはそのまま、とりとめのない話をした。とは言っても、そのほとんどが口の上手く回らない私の分まで、彼女が振ってくれた話題から成り立っていたけれど。純粋に楽しかった。今までにない新鮮な気持ちだった。
 彼女はあいつらとのことは、あれ以上一切出さなかった。最近はもうずっと会っていないから、もしかしたらなんとなく察してくれているのかもしれないし、「怖い」という印象を持っている彼らのことを、わざわざ話題に出すことはしなかっただけかもしれない。それはわからなかったけれど、今はありがたかった。
 昇降口に着き、各々靴を取り出して三和土に落とす。それを履きながら、彼女はふとしたように言った。

「あれっ……降ってる?」

 つられて、私も外の方に目を向ける。そこには、ぱらぱらと軽く雨が降ってきているではないか。確かに朝から薄曇りではあったが、天気予報は一日曇りマークだっただろうが。空気を読め。勘弁しろ。

「うわ……私今日傘持ってないのに。すぐやむかな」
「ううんどうだろうね……あっ、そういえば! 私ロッカーに折り畳みあるから持ってくる! 一緒に入ろ!」
「えっ、あ待っ、」

 私の制止の声も聞かずに、彼女は履き掛けた靴を脱ぎ捨てて再び下駄箱から上履きを取り出すと、俊敏な動きで来た道を戻ってしまった。そんな彼女の後ろ姿を呆然と見届けながら、思う。
 一緒に入るだなんて、よくもまあ、そんな当たり前のように言えるものだ。
 嫌味でも貶しているわけでもない。むしろ、本当にすごいと思った。初めてちゃんと話して、まだ数分程度しか経っていないというのに、彼女は私を友達だと言った。一緒に傘に入ろうと言った。
(すごいなぁ)
 私にはきっと、一生かかってもできない芸当だ。彼女みたいな眩しい人間になれたら、きっと世界の見方が変わるに違いない。きっと友人に縁を切られることだって……なんて、どうしようもないことを思った。

 私は鞄を肩にしっかりかけ直してしゃがみこむ。彼女が脱ぎ捨てた靴を軽く整えて置き直した。今度、なにかお礼をしないとかなぁ。何がいいかな。何か美味しいものでも奢る? いや、それだと遊びに出掛けることと同義だから、もしかしたら迷惑かもしれない。じゃあ、お菓子か何かでも買って持っていく? そうだ、それがいい。下手に手の込んだものにすると重すぎるし、引かれてしまうかもしれない。かるーく、そういえばこの間はありがとう、って渡せるくらいの安いお菓子くらいが、きっとちょうど良いに違いない──

「っで!?」

 後頭部に、衝撃。回していた思考回路が、その外部からの攻撃によって緊急停止させられる。
 一体なんなんだ、敵襲か? なんてふざけつつ頭をさすりながら、怨念を籠めた瞳で振り返る。しかしそこには誰もいなかった。ただ、ばたばたと忙しない足音が遠ざかっていくのが聞こえた。
 不意に視界に何かが入った気がして、視線を下に落としてみる。──そこには、どこかで見たことがあるような紫色の折り畳み傘が転がっていた。

「……これって、」

 ゆっくりしゃがみこんで、少しだけ躊躇しながらそれを拾う。閉じたままのそれをくるくると回転させると、一ヶ所だけ肉球のワンポイントがプリントされているのに気が付いた。同時に、この傘の持ち主を確信する。

 きっと、雨天を前にひとり棒立ちしてる私を見て、傘が無くて困っていると思ったのだろう。だけど、それはアンタも同じなんじゃないの。私にこれを貸してしまったら、アンタはどうするの。アンタは長い傘が邪魔で嫌いだったから、いつも折り畳みばかりを使っていたのを知ってる。自分が雨に濡れることになるのに、たった一本の傘を貸してくれたの。

(なんで……)

 なんで、こんなことをするのだろう。嬉しいのか、悲しいのかもわからなかった。せっかく、今までいた場所から脱却できそうだったのに。どうしてまた引き戻すんだろう。どうして私を未練がましくさせるんだろう。頭の中がぐちゃぐちゃだった。ゲーム機の長いコンセントが絡まってしまったみたいで、まるでほどくことができなかった。

「時池さーん! お待たせ……あれっ? 傘あったの?」

 ほどなくして戻ってきた彼女が、私の手にある紫の折り畳み傘を見て不思議そうに尋ねる。「……ううん」私はいっそ泣きたくなるような気持ちで、答えた。

「……友達が貸してくれた」
「そうなの? 良かったね!」
「うん……」


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