出会いと誤解と保健室
化身なんていうのは、都市伝説か何かだと思っていたのだ。
今の少年サッカーは、フィフスセクターという組織の下で試合結果からその点数差まで徹底的に管理されている。もはや勝利を目指し奮闘するスポーツとは程遠く、見世物のような八百長に成り下がっていた。
そんな中、俺たち雷門サッカー部の前に現れたフィフスセクターからの刺客──通称シード。剣城と名乗ったそいつは、年下ながら我がサッカー部の二軍をたった一人で完膚なきまでに叩きのめし、そして実力者の集う俺たち一軍相手にすら、黒いユニフォームを纏ったその仲間と共に圧倒した。
その剣城の背後から揺れるように現れたのが、近頃サッカープレーヤーの中で噂されていた、化身と呼ばれるそれだった。可視化されるほどの強いオーラが、圧倒的なまでに巨大で身震いさえ覚えるほど鮮明に形を成していく。厚い鎧を身にまとい、大きな剣と盾を手にした姿は、フィクションや歴史上でしか見たことのない剣聖の影。あれによってプレーヤーの力が極限まで引き出されるのか、それとも極限に達したその証拠として現れたのかは知らないが、それからの剣城はさらにスピード、パワー共に増し、飛び入り参加した新入生プレーヤー、松風を酷く痛めつけた。
あれほどまでに気を練り、高めるには、想像を絶するほどの鍛錬が必要であったに違いない。しかし俺たちのキャプテン──神童拓人もまた、松風の言葉をきっかけにその背から黒いオーラを発現させたのだ。剣城と同様に、それはたちまち人型に形成されていき、強大な化身として現れた。敵方の監督によると化身の共鳴現象なるものらしかったが、一日に二度もその信じられない光景を目の当たりにした俺たちは、シードの存在や、雷門サッカー部の大事な歴史である旧部室に手を掛けられたこともあって、まだ夢を──悪夢を見ているような、そんな心地から抜け切れないでいた。
「……ん」
「お、目ぇ覚めたか」
目の前のベッドに横たわっていた男が身じろぎ、俺は思考を打ち切ってそっと声を掛ける。神童はまだ動く力が出ないのか、視線だけをこちらに寄越してきた。
「きりの……」
「大丈夫か?」
「……何があった?」
「覚えてないのか?」
「アイツが……ここを掴んだのは、覚えてるけど。それからは……」
ユニフォームのまま運ばれた神童は、擦り傷だらけの手で己の左胸に刻まれた稲妻マークを掴む。寝起きで混乱しているのかと思ったが、その呆然としたような目はやはり、本当に覚えていないらしかった。おそらく化身を発動させるというのは、それに向けた鍛錬を積んでいないものにとってはややリスキーなものなのだろう。実際、神童はその時の強烈な怒りと衝動、剣城の化身による共鳴によって無理やり引き出されたようなものだった。それ故、相手の棄権により試合が終了した直後、神童は糸が切れたように気を失ってしまったのだ。
「お前、化身出したんだぞ」
「俺が……?」
「あんな怖い顔してるお前、初めて見たよ……よほど剣城って奴が、許せなかったんだろうな」
「……皆は?」
「旧部室の後片付け……壊されただろ」
「!!」
化身を出したことを信じられないのか、事態を呑み込めない様子の神童だったが、旧部室のことはしっかりと思い出したらしい。それまで横たえていた上体をいきなり起こし、あろうことかベッドから降りようとした。俺は慌ててその両肩に手を掛け、なんとか神童を制止しようとする。しかしその力は強く、俺は体勢が悪いこともあってなかなか抑えきれない。
「神童! 無理すんな!」
「キャプテンだぞ俺は!?」
「すみませーん」
──ぴたり。
強情だった神童が、嘘のように動きを止めた。ついでに俺も、動きが止まった。突然の扉の開閉音に、第三者の高い声。俺たちはその体勢のまま、シンクロするようにゆっくりとドアの方に顔を向けた。
「あれ……」
理知的な顔立ちの女子生徒だ。艶のある美しい頭髪が、光を反射して煌めいている。眼鏡の奥に見える鋭い双眸もまた、きょとんと丸められてはいるものの意思の強そうな色を灯していた。端的に言えば、綺麗な女だと思った。
リボンの色からして一年生か。しかし、それならばここにいるのは可笑しい。本来なら今の時間、体育館で入学式が執り行われており、新入生は全員そこへ出席しているはずだが──
「あー……なるほど。失礼しました。ごゆっくり」
そして彼女は、俺たち二人をじっくりと眺めた後にそんなことを抜かして、手を掛けたままのドアノブをまた引いた。ガラガラ、白い四角に遮られ彼女の姿が見えなくなる。何か用事があったのだろうが、それを無視してまで退室したその姿は……何も聞かずに、静かに去って行った彼女は、何かを──絶対に勘違いされてはいけない『何か』を、誤解して行ったように見受けられた。
先ほどまでの息の詰まるような空気は、CM一本分ほどの時間で全て上塗りされた。まるで静かで鮮烈な嵐がやってきて、一瞬で去っていったようだった。
残された俺と神童の間に、嫌な沈黙が漂う。
「…………」
「……大丈夫だ神童。あの子のリボンから察するに新入生だ。あとで俺が捜して訂正しておくから……」
「…………」
慰めるように、或いは自身をも落ち着かせるように神童の肩にぽんと手を置き直したが、神童の硬直はしばらくの間解けることはなかった。
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