問いと惑いと男達

「よっす」

 携帯電話を弄る手がぴたりと止まる。剣城は細い瞳をさらにつり上げて、声のする方に金色の瞳を寄越した。ここしばらく面と向かって話していなかった幼馴染が、すらりとした手を小さく振っている。その顔に引っ提げているのは、いつもの読めない表情。

「校舎裏に呼び出すとはなんてベタな……まさか、幼馴染みの女の子に長年想いを募らせつつも隠し続けていたのが耐えきれなくなり、意を決して告白?」
「なわけねェだろ。お前のその狂った自信はどこから湧いてくるんだ」

 開口二番、あまりの神経の逆撫でについ拳が出そうになるが、ぐっとこらえて淡々と返す。そもそも、年がら年中ふざけた彼女の戯言に一々取り合ってやる道理などないのだと首を振り「……まあいい」と吐き捨てた。

「そんなことより、どうしてお前」
「ああ待った、その先当ててやろう」
「あ?」
「『どうしてお前はそんなに可愛いんだ日和』」
「ぶん殴るぞ」

 言いつつ、自分より少し低い位置にある彼女の頭に、今度はしっかり拳を落とした。女性に暴力を振るってはいけないと最低限わきまえてはいるが、これはこれだ。「ゲウッ」と日和の口から大袈裟な悲鳴が漏れたが、利き手じゃないしそこまで強くした覚えもないぞ、と剣城は眉を顰める。頭をさすりながらこちらを見つめてくる日和に、小さく息を吐いてようやく本題を切り出した。

「……それで、お前が何故ここにいる」
「何故もなにも、京ちゃんが呼び出したんじゃないか。五分前にメール打ったの忘れちゃった? 痴呆? 弱冠12歳でそれはまずいよ」
「はっ倒すぞ。何故この雷門にお前がいると聞いてるんだ」

 剣城が雷門中学校へ入学したのは、所属するフィフスセクターからの指令に従ったからだ。つまり自分の意思でもなければ、家から近かったなどという物理的な理由があるわけでもない。小学校を卒業し、ようやくこの近所に住まう奇々怪々な幼馴染から離れられると思っていたが、まさかここでも相見えると誰が予想しただろう。剣城はもはや頭痛さえ感じた。

「そりゃー京ちゃんが心配で心配で、夜しか眠れないから進路変えちった」
「ナメてんのか」
「ま、冗談だよ。この学校見学に来て広いし校則緩いしいいなーって思ったから。京ちゃんにそんな影響力ないから安心して」
「ナメてんだろ」
「にしてもクラス離れちゃったね。ま、同じクラスだったら京ちゃんがせっかく獲得しようとしてる尖ったミステリアス一匹狼ポジがパーになっちゃうもんね」
「ナメてんな」

 ごん、と日和の脳天に、今度は強めに拳が叩き込まれる。ひと気のなく静かな空間に衝撃音が溶けた。
 それにしても、一体どこから聞きつけたというのだ。目の前の、このたんこぶを携えた女にだけは己の進学先が割れないよう、その手の話題を回避し続けてきたというのに。対する日和も、あえて中学校について剣城に聞いてくることはしなかった。……まさか、その時点ですでにどこからか情報を入手していたというのだろうか? やたらめったら剣城に構うのが好きな彼女が、訊ねてこない時点でその可能性を考えておくべきだった。じわりと後悔の念がこみあげてきたが、後の祭りだ。
 ──だがどちらにせよ、今さらだ。彼女がここにいる理由を知ったとて、何かできるわけでもないのに。非合理な行動を取った自分にため息が出た。
 俺は俺のすべきことをする、というのはもう揺るがない。こいつがいようがいまいが関係ないし、構わなければさしたる問題はないのだ。言い聞かせるように心の中で唱え、剣城は手に持ったままだった携帯電話をぱちんと折り畳むと、指定外ズボンのポケットにしまった。

「いやあー、京ちゃんがいつ私という存在に気付くかソワソワしてたけど、まさか三日しか持たないとは……まあひよりん超美少女だし目立っちゃうのも仕方ないね」
「自信過剰の鬼か?」

 引き締めた心に間をあけず横タックルを決めてくる日和に、つい反応してしまう己を心の中で殴った。それにしても、日和の自己に対するあまりの過大評価は一体何が根源となっているのだろうか。一周回って尊敬の念を覚えつつも、白けた瞳を向ける。しかし日和が突然こちらをじっと見つめ返したものだから、剣城は思わずまごついた。
 動揺を悟られないように力を込めた眉間に、とん、と脈絡なく触れたのは彼女の指先。他人に触れられるのは久しくて、一瞬だけ呼吸の仕方を忘れた。
 まだ少し肌寒い春の風が、日和の髪をさらい剣城の頬を滑る。指が触れたのはほんの僅かな面積にも関わらず、顔の中心から日和の熱が伝わってくる気がして、しかしそれを煩わしいと思っていながら払い除けることもできない。

「京ちゃんさあ、眉間のシワやめたほうが男前だぜ」
「……余計な世話だ」
「そうかい」

 言って、あっさりと手を離す日和に、剣城は眉間に皺を刻んだままそっと目を伏せた。どれだけ壁を作っても易々と乗り越え、或いは破壊してこちらまでやってくる彼女の放つ、自由気ままな光が。それほど強いわけでもないのに、瞼の裏にはいつまでもその残滓が残る。それが剣城にとっては、いつだって鬱陶しくて敵わない。

「ほいじゃ私は帰るけど……」

 話は終わっただろうと判断した日和は、学校指定の特徴的な鞄を今一度肩にかけ直す。上まできっちりと締められた首元のリボンも、真新しいスカートの鮮やかな青空色も、日和によく似合っているような気がしたが、剣城はそれがどこか気に食わなかった。

「京ちゃん。私は京ちゃんの味方だよ」

 日和の声は凛としていて、いつだって迷いがない。真っ直ぐに剣城の胸の真ん中を貫いていく。そうされればされるほど、相反する二つの感情に苛まれることに、気付いたのはいつ頃だっただろう。

「でもそれは幼馴染のよしみだとか、"あの人"に頼まれただとか、まして建前なんかで思ってるわけじゃない」

 大きな声ではないけれど、よく通り聞きやすい。はっきりと発音された言葉は、何にも邪魔されることなく剣城の耳に届く。

「私が京ちゃんのこと好きだからだよ」

 迷いのない声。疑いのない声。それに乗せて突きつけられる言葉はとうの昔からわかりきったことで、それは常に薄氷の上に立っている剣城の心を軽くし、重くする。
 「それだけだよ」と、最後に言い添えて日和は背を向けた。さらりと揺れた髪が、また春風に弄ばれている。少し前までランドセルを背負っていたはずのその背中が、どこか大人びて見えたのはどうしてだろう。それに妙な焦燥感を覚えたのは何故だろう。
 時間は止まってはくれない。少しも待ってやくれない。まるで時間は足りないのに、途方もなく長く感じるし、進み続けることに酷い虚しさを感じることもある。幼馴染は何も変わっていなくて、それなのに遠く感じてしまう。けれど突っぱねたのは自分自身だとも分かっていて、むしろそれを望んですらいたはずなのに。こんな気持ちになるなんて、あまりにも馬鹿げている。
 日和が渡してくる言葉が、耳に、心臓部に、強くこびりつく。鬱陶しくて仕方がない。煩わしくてやっていられない。
 ああ、だから嫌なんだ。







「なあ、お前」
「はい?」

 静かな足取りで正門に向かっていた日和を引き留めたのは、一人の男子生徒だった。足を止めた日和が、黄色が基調のユニフォームを身に纏うその姿に首を傾げていると、彼は形の良い唇を動かして言葉を続けた。

「さっき、剣城って奴と話してたよな」
「はあ」
「知り合いなのか?」
「ええまあ」
「随分親し気だったようだが……」
「そうですね」
「知り合い以上なんだろう?」
「まあはい」
「……ううん、まどろっこしいな」

 気の抜けた中身のない返事に、彼は思わず頭を掻いた。このユニフォームじゃあ、警戒されるのも無理はないだろうけど。彼はしばし逡巡したのち、下げた眉をきりっと伸ばして翡翠色の瞳を日和に向ける。しかし口を開く前に、ふと周りの視線がちらちら刺さっているのに気が付いた。
 昔から、この顔と二つに縛った桃髪がそれなりに人目を惹く自覚はあったが、加えて今は、入学式の日のことがサッカー部である自分に興味を引き付けているのだろう。困った末に「悪い、ちょっとこっちに来てくれないか?」とダメ元で伝えると、彼女は意外にもあっさりと彼の後ろを着いてきてくれた。
 三日前、シードである剣城によって壊されたサッカー部の旧部室。全壊は免れたものの、ドアが外れ、部室の象徴である看板も真っ二つに割られてしまった。今は修理中のその部室の裏まで移動してから、彼はようやく日和に問う。

「それで話に戻るが……」
「はい」
「彼女か?」
「おや、京ちゃんが彼女に見えましたか」
「いやそっちじゃなくて」

 思いきって口にした問いを明後日の方向に投げ返され、一瞬体の力が抜けかけた。漫画だったらずっこけてたぞ、俺が。日和の方にも流石にふざけていた自覚はあったようで、「冗談です。私も彼女じゃないですよ」と首を横に振られた。

「じゃあどういう関係なんだ?」
「幼馴染です」

 ようやく欲しかった答えを手に入れ、彼──霧野蘭丸は疲れたように深くため息を吐いた。最初からそう聞けばよかった、と首に手を添えつつ、謎めいた剣城という存在を少しでも知れればと、目の前の日和に質問を重ねる。

「あいつは一体何なんだ? 何が目的なんだ」
「んー、まあそのうち分かるんじゃないですかね。京ちゃんに直接聞いてください」
「……教えてくれるつもりは毛頭ないみたいだな」
「ま、下手に口滑らせて京ちゃんに嫌われたくないですしねー私口軽いんで」
「自分で言うのか……」

 口だけでなく調子まで妙に軽く、霧野の脱力は止まらない。もっとシリアスなムードで訊ねるつもりだったんだが……と内心ぼやくが、元々返答に強い期待もしていなかった彼が、特段気落ちすることもなかった。

「まあでも、どっからどう見てもセンパイたちに協力的ではないので、どうぞご用心を」
「……肝に銘じておくよ。まあ、でも、実は本題はそれじゃないんだ」
「と言いますと? あっもしやこないだの保健室ランデブーの秘匿について、釘を刺しに?」
「……半分合ってるが半分間違っ……いや、もう全部間違ってる」

 まあ、覚えてるなら話が早い。何を隠そう、霧野はあの日からずっと日和という存在を捜し出し、話す機会を窺っていたのだ。本当は二度ほど一年生の教室を回ったのだが、どういうわけか彼女の姿を見つけることはできなかった。他の新入生たちに彼女の特徴を伝えて捜そうかとも思ったが、それも面倒なことになるかもしれないとすぐに諦めた。妙な噂が立っても困るし、ついでに他学年の中であまり長居すると女子に囲まれてしまうという前例が彼にはあった。神童と並んでいるとなおさらだ。
 彼は日和に一歩近づくと、神妙な面持ちで人差し指をぴっと顔の前に立てた。ぱちくりとそれを見つめる日和に、霧野は潜めつつも迫力のある声で告げる。

「いいか、俺と神童はお前が思う関係じゃない。わかるな? お前は勘違いしてる」
「あら〜そうなんですか。そりゃ失礼致しました」
「……本当にわかってるのか?」
「わかってますよ。大丈夫、絶対誰にもリークしませんので」
「やっぱりわかってないだろ!!」
「冗談ですよ、ご友人同士なんですよね」
「そうだ!! 俺と、神童は、幼馴染の、親友同士だ!!」
「へえ、私たちとオソロじゃないですか」

 半ばやけくそになって叫ぶ霧野に、日和は顎に手を添えて頷いた。容姿が整っているだけにその仕草は様になっているが、口から飛び出すのはふざけた言葉ばかり。まったく変わった子だ……と、どこか疲れた様相を呈していた霧野は、日和の次の発言にぴたりと動きを止めた。

「その神童センパイ、こないだ化身を出されてましたね」

 ──化身。選手による、可視化された強大な闘気。その単語は、サッカープレーヤーたちの中でまことしやかに噂されていたもの。それを当たり前に口にしたこの少女は、一体、何なんだ。

「化身は、まー流行りってやつですかねぇ。最近の強ーい選手さんたちはこぞって出せるように訓練されてるわけですし」

 日和の言うところの「強い選手」は、つまりフィフスセクターの派遣するシードのことに違いない。そのシードたちが化身に関する訓練を受けている、そう断言した彼女は、明らかに霧野よりも「それ」について知り得ている。ということは、やはり彼女も剣城と同じで──そこまで考えたところで、その思考を打ち切ったのもまた日和自身だった。

「あ、私はシードじゃないですよ。正真正銘、ただのしがない新入生です。サッカー部に入る気なんてさらさらないし、入ったとて女子は公式試合には出れませんし」
「……それにしては、その手の話題に詳しいように見えるけどな」
「剣城の京ちゃんとの関係で、ちぃとばかしソッチの方にも明るいだけなんですよ」

 「まあ、センパイが私の話を信用なさるかは別ですが」と日和は続けた。声も表情も終始淡々としていて、まるで感情が読めない。自分が疑われ、少なくとも好意的に思われていないことを察せないほど鈍感にも見えないことからしても、シードの疑いを掛けられることを予測済みだったのか、よほど肝が据わっているのか。どちらにせよ、気は抜けない。

「……シードじゃないからと言って、お前が俺たちの味方であるとは限らないからな」
「おっと、さすが聡明ですね、センパイは」

 率直に褒められているのだろうが嬉しいとも思えない。霧野が警戒を解かないでいると、日和は片手をひょいと挙げて己のリボンのあたりをぺしっとはたいた。

「私が一番味方をしてるのは私自身。だから私は、その私が味方をしたいと思っている京ちゃんの味方です。フィフスセクターは味方じゃないけど敵じゃないです」

 無表情なだけにあまり感情がこもっているようには感じないが、霧野にはそれが嘘とも思えなかった。けれど納得もできなくて、愚問とも思える質問を彼女に投げかける。

「幼馴染みのお前には悪いが、あいつは俺からすれば、性格の曲がった外道にしか見えない。何故あいつの味方をしたいと思うんだ? フィフスセクターが関係してるのか?」

 先ほど、剣城と日和が会っているのを遠目で見た。狭いパーソナルスペースに、互いに触れることも厭わない──と綺麗に表現するには、拳を落とすなどという乱暴な仕草が見られたが──ような距離感。その会話までは聞き取れなかったし、第一盗み聞きまでするのはいくら好かない相手であろうと気が引けた。けれど、日和は確実に剣城京介の味方という立場を確立しているのだと、言葉で説明されずとも感じられる空気を纏っていたのだ。
 日和は少しだけ首を曲げた後、微塵の迷いも感じさせない気強さで霧野の問いに答えた。

「そりゃ、私は"好きで"、京ちゃんのことを好きなんで。誰にも強制されてない。私は誰よりも私の味方だから、その私が好きな京ちゃんの味方をするのは、可笑しなことじゃないでしょう?」

 言葉遊びのようだと霧野は思った。少しだけ頭が痛くなる。桜よりも濃いピンクの頭髪に頭を添えていると、日和はさらに彼を困惑させる言葉を落とした。

「私は私ができることで、京ちゃんの幸せに繋がることをするだけ。だからね、私はセンパイたち雷門サッカー部の敵ではないですよ」
「……は?」

 意味がわからなかった。まるで理解ができなかった。それは彼の理解力の問題ではない。日和の言うことが荒唐無稽で矛盾を孕んでいて、上手く呑み込めなかったから。
 これまでの話の流れを汲めば、日和は自分たちの敵であると暗に言っていたはずだ。しかし彼女は、一見それらしい理屈を並べて反対の事を述べた。これはどういうことだ。
 大きなつり目を丸めた霧野から、日和は視線を外してふぅ、と息を吐く。それはまるでやれやれ、とでも言いたげな色に見えた。

「大きな外側だけを見て、一口に敵だ味方だなんて言えるもんじゃあないですからねぇ」

 それは実に漠然としていて抽象的で分かりにくかったが、日和本人への戒めだけではなく、霧野自身にも言われているような気がした。彼が口をつぐんでいると、今度は日和のほうからずいっと顔を近づけてくる。強く澄んだ瞳が接近し、思わずのけ反った。

「私、鬼城日和です。以後お見知りおきを、ピンクセンパイ」

 前触れの無い自己紹介に、霧野は二度ほど瞬きをした。その間に日和は霧野から離れ、この場を去ろうと動き出す。あまりにも自由気ままな彼女の行動に一瞬呆気にとられたが、霧野はそこでもう一つ疑問が残っていたことを思い出した。告げられた名前を心の中で反芻する暇もなく、慌ててその背中に叫ぶ。

「お前、どうしてあの時保健室に来たんだ! あの時間、新入生は始業式に出ていたはずだろ?」

 彼女は重要な式典を蹴ってまで、自分と神童のいた保健室にタイミングよく現れた。何かを企んでいたのではないか、何か目的があったのではないか。そんな含みのある質問に、前を向いたままの日和はあっけらかんとした態度で「長い式って苦手なんで、サボりです」と返して手を振った。


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