神の楽園と白い竜

「いやぁ、すっかり寝てしまいましたなぁ」

 コキコキと音が鳴る肩や首を軽く回しながら、鬼城日和は呑気に呟いた。
 曇天の下、冷たい風が吹きつける草原。さらにその周囲は海に囲まれており、ここが絶海の孤島であることを示していた。生い茂る自然のさらに奥にそびえ立つ物々しい要塞は、豊かな緑の中でひと際浮いて見える。気の抜けた声色とは裏腹に鋭い相貌でそれを見つめる日和に、幼馴染の剣城京介が険しい面持ちで近寄った。

「日和……お前はこの場所を覚えてるか」
「そりゃあ〜流石に数か月前のことなんで。まさかまた来ることになるとは思わなかったけども」
「選手どころかサッカー部ですらないお前まで指名して連れてこさせたからには、何かあるとは思っていたが……」

 ──少年サッカー全国大会・ホーリーロードを勝ち進む雷門サッカー部に、フィフスセクターからの指示が来たのはたった数時間前のことだった。その内容は、強化合宿を兼ねた遠征に出ろというもの。しかし、雷門とは言わば対立関係にあるフィフスセクターによって、行き先も告げられぬまま連れていかれることに、メンバーは全員反発した。だがそれを見越していたフィフスセクターは、ある『餌』を用意していたのだ。雷門メンバーは暫し考えた末に、彼らの思惑に乗ることに決めたのだった。

『なお、鬼城日和も参加させるようにとのことのですので、よろしくお願いしますよ』
『……なんだって?』

 話を持ってきた理事長の金山きんざんの補足に、真っ先に反応したのは剣城だった。金山はフィフスセクターから雷門中学校に送りこまれた男で、眉間に皺を寄せる剣城を見て下卑た笑みを深めた。

『何故あいつまで? あいつは選手でも、ましてマネージャーでもない。サッカー部には何ら関りのない人間だ』
『命令は命令です。彼女が到着し次第、バスも出発させます』

 彼はそれだけ言い残すと、さっさとその場を立ち去ってしまった。残された雷門メンバーには疑惑が渦巻く。何故日和が? 剣城の関係者として? それともなにか特別な理由が? 彼女はこの事態についてなにか事情を知っているのか?
 しかし本人不在のまま思考を巡らせても埒が明かない。剣城が日和の携帯電話に連絡を入れる傍らで、一同はただ彼女の到着を待ち続ける他なかった。──ちなみにその日に限って日和は狙ったように遅刻ギリギリの時間に登校したため、メンバーもフィフスセクターから派遣された運転手も、完全に調子を狂わされていた。敵方の、訓練を受けたような徹底した真顔すら崩すと流石としか言いようがない。
 閑話休題。
 何やらわけ知り顔の剣城と日和に、神童が「お前たちはここを知っているのか?」と問いかけた。剣城は彼の顔を見ることはなく、苦々しげに重い口を動かす。

「ここは、通称『ゴッドエデン』……」
「そう、死した者の霊魂だけが、この島に呼び寄せられる……」
「えっ、」
「お前は少し黙ってろ」
「あだっ」

 剣城の手刀が日和の脳天に落とされた傍らで、神童は一瞬でも反応した自分が馬鹿だったと呆れたようにため息を吐いた。日和の先輩相手ですら構わずおちょくる態度や、口を衝いて出る虚言はもはや日常茶飯事であることを、神童はとうに認識していた。

「ここは……シードを生み出す訓練施設がある島です」
「何……!?」
「私と京ちゃんも昔ここにいたことがあって〜。ここほんとエグい訓練されてるんですよね。あ〜れ脆弱な人だったら死んじゃうって。こんなの明るみに出たら大問題」

 思い出すのも嫌そうに顔を歪める剣城に代わって、日和が語る。彼女の様子は至極淡々としているが、その内容は凄まじいものだった。中学一年生の子どもに語らせることでも、ましてや経験させることでもない。そんなことを、彼女たちは雷門中に来る前に強いられていたというのか──神童が何も言えずにいると、日和が続けて口を開く。

「ま、私は京ちゃんがド心配だったんで勝手についてって乗り込んだんですけどね」

 傍らで聞いていた天馬と信助が漫画のようにずっこけた。
 そうこうしているうちに、いつの間にか他の雷門メンバーも目を覚ましていたようだった。しかし、同行していたはずの葵、水鳥、茜らマネージャーや、顧問の春奈、現在監督を務める鬼道の姿が見当たらない。どこか別の場所に捕らわれているのではないかと誰かが呟くと、剣城と日和は揃って向こうの要塞に視線を向けた。

「おそらく、監督たちはあの中に囚われていると見ていい」
「人質ってことですな」
「そんな……それじゃあ早く助けに行かないと!」
「まーまー松風氏。ここはすでに敵地。無策で動くのは危ないでっせ」
「でも、早くしないと葵たちが危険な目に遭うかもしれない!」
「そこで私に考えがあるのよ」
「え?」

 困惑する天馬をよそに、日和はその場から数歩歩き出して足を止めた。要塞を見上げるその姿は強い意志を秘めており、なびいた髪が彼女の精悍さを助長させている。彼女は形の良い唇を丸めると、スウッと大きく息を吸い込み──

「は〜くりゅ〜し〜〜〜!!! あ〜〜〜そ〜〜〜ぼ〜〜〜!!!」

 一体その細い胴体のどこにそんな空気を溜めておけたのか。周囲の耳が痛むほどの爆音で、両手をメガホンのように添えて叫んだ日和に、耐性のないメンバーが全員ずっこけた。

「……オイ、日和、そんな古典的な呼び方で出てくる馬鹿がいると思ってるのか」

 そ〜ぼ〜……ぼ〜……とやまびこさえ起きている中、怒りか呆れか、剣城が口元を引きつらせながら静かに問う。

「いやいや、絶対私のこと呼んだの白竜氏でしょ。だって他いなくない? 絶対この辺りで様子窺ってるって。お〜い白竜氏〜! は〜やく出てこないとあることないこと言いふらしちゃうぞ〜い! 白竜氏、前に『今日こそは剣城に勝てるだろうかソワソワ』って花占いで決めちゃったこともあったりして〜〜〜!!」
「日和貴様ァァァ!! 俺を愚弄しているのかァァァ!!」

 突如、雷門メンバーにとって聞きなれない叫び声がした。……否、剣城と日和にとって、それは覚えのある男の声だった。
 地面が微振動を始める。それは徐々に強いものとなり、大仰な音を立てながらその姿を変貌させた。大地に走ったまっすぐな亀裂が左右に開いていく。大がかりな仕掛けを以てして、正方形にくり抜かれたような底から何かがゆっくりと上昇してきた。グリーンの地に、長くまっすぐ引かれた白線は見覚えのある形だ──地中から現れたのは、まごうことなきサッカーフィールドであった。その予想外の事態に、日和と剣城を除いた雷門メンバーの中で動揺が波紋のように広がっていく。

「ちょっと白竜! 段取りと違うじゃん! これじゃあ牙山教官に何言われるか……!」
「ああも侮辱されて我慢なるものか!」
「大丈夫だよ皆白竜の強さを認めてる! 例え花占いが趣味だったとしてもそれは変わらない!」
「奴の虚言だ鵜呑みにするんじゃない!!!!!」

 ……そして、そのグラウンドに立っている少年たちもまた、予想外の事態に動揺を広げているらしかった。中心に立つ、美しい白銀の長髪を持った少年──二の腕にキャプテンマークをつけている──が、周囲の少年たちに詰め寄られている。様子を見るに、白竜と呼ばれたその少年が、予定と違うタイミングでこの仕掛けを起動させたのだろう。しかしその彼の視線は、周囲の仲間たちではなく上方──日和のほうへと向けられていた。

「やっぱりいた〜。やっほーおひさ〜」
「お前は相変わらず突拍子もない言動しかできないみたいだな……!」
「だってよ京ちゃん、言われてんぞ」
「いやお前だろ」

 隣にいた剣城が間髪を入れず切り捨てた。白竜は今度はその彼に視線を移して、調子を取り戻すように不敵な笑みを見せる。

「フンッ……剣城! ここを逃げ出した奴がのこのこ戻ってきたとはな!」
「不可抗力よ〜」
「俺は命令に従っただけだ、白竜!」
「そーよそーよ〜」
「「お前は少し黙ってろ!!」」
「あだっ」

 妙な合いの手を入れる日和を剣城が再び黙らせて、剣城は白竜を睨む。その三人以外、雷門こちら側もあちら側も状況についていけず、完全に置いてけぼりのように見えた。

「……やはり、お前がいては予定を狂わされる」
「お?」

 白竜が小さくつぶやいた途端、突如雷門メンバーのもとに突風が吹き荒れた。冷たい強風とともに巻き上がった砂が肌を叩く。誰もがまともに目を開けていられず、視界を遮られた。それがようやく収まった頃、目元を覆っていた腕を外した剣城が見たのは、いつの間にかフィールドから地上に移動し、日和を横抱きにしている白竜の姿だった。

「あ〜れ〜た〜すけて〜」
「日和!!」
「鬼城さん!」

 間の抜けた日和の叫びに、剣城と天馬が同時に叫んだ。その様子に気をよくしたのか、白竜は厭な笑みを深めた。

「彼女をどうする気だ!」
「日和を返せ!」

 神童と霧野が、果敢にも一歩踏み出して声を荒らげる。

「鬼城さんなんて捕まえても手に余るぞ!」
「そーだそーだ!」
「とんだじゃじゃ馬ぜよ!」
「後悔するド!」
「皆私の心配してます?」

 続けて叫んだ狩屋、信助、錦、天城に、日和が冷静に尋ねた。どんどん日和を心配していない方向へと向かっていく彼らに、白竜はフッと口の端をつり上げる。

「待て白竜!」
「隣にいながらみすみす奪われるとは……弱くなったな、剣城」
「日和をどこへ連れていく気だ!」
「そ〜よそ〜よ。もっとスカートからガッツリ抱えてくれないとパンツ見えるんだけども」
「えっなっあっすまなっ……ええいお前は少し黙ってろ!!」

 日和の文句に一瞬慌てた白竜だったが、すぐにその整った顔を怒りに染めると、彼は剣城の問いに答えることなく駆け出した。メンバーは剣城を筆頭にすぐさま追おうとしたが、再び突風が彼らを襲い、足止めを食らう。それがようやく吹き止んだ頃には、白竜と日和の姿はもうどこにもなかった。

「クソッ、日和……!」
「そんな、鬼城さんまで……!」

 歯噛みする剣城の傍らで、天馬が嘆く。葵らマネージャーや鬼道、音無に加え、たった先ほどまでそこにいた仲間すら奪われてしまった。その当人こそさして切羽詰まった様子でもなかったが、さすがに敵の手の内に渡ってしまったのを悔やまずにはいられなかった。

「どうする、神童。監督たちを捜すのが先か、日和を追うのが先か、それとも……そこにいる奴らと戦うのが先か」
「ああ……おそらく、彼らは俺たちを見逃してはくれないだろう」
「でも正直、向こうも向こうで戸惑ってるみたいだ。アイツらにとっても、さっきのキャプテンマークの奴の行動は想定外だったんだな……」
「っていうかぁ、鬼城さんなら心配いらないんじゃないですか?」

 神妙な面持ちで話し合う霧野と神童に、横やりを入れたのは狩屋だ。

「なんか向こうのヤツとも顔見知りっぽいですし〜、そもそもあの鬼城さんですよ? むしろ敵のほうが心配でしょ。ね、剣城くん」
「……確かに、そうだな。それに女に手荒な真似をするような奴じゃあないが……」

 狩屋の冷静な言葉に、剣城が納得しかけた時だった。
 ガタン! 大きな音とともに、再び大地に震動が走った。それに伴って、耳障りな騒音はどんどんボリュームを増していく。
 雷門メンバーが狼狽の色を浮かべる中、勢いよく姿を現したのは数台の装甲車だった。それらは残されたメンバーの集う手前で、豊かな緑に轍を引きながら急停車する。土煙が上がる中、間を開けずに車から出てきた男たちは皆軍人のように武装しており、彼らに囲まれたメンバーはさらなる動揺と困惑に襲われた。

「何者だ!?」
「ほォ、それが教官に対する口の利き方ですか」

 神童の凛々しい一声に、どこからか低い声が返答した。──近くにあった巨石の上に、気づけば人の影がある。メンバーの視線がすべて集まったところで、彼は己の権威を示すかのように大袈裟に手を動かした。

「せ〜〜〜いしゅくにィ!!! ……ん?」

 そこに立っていた巨漢の男──牙山道三はノリノリで吼えたのもつかの間、何故か予定外にすでにお披露目されているサッカーフィールドと、そこにキャプテンの白竜がいないことを目の当たりにし硬直した。
 ひゅるり。誰もが沈黙しきったその場を、寒々とした風が吹き抜けていった。







「で? 結局白竜氏は、なして私まで呼んだんですかな?」

 白竜に抱きかかえられたまま、日和がやってきたのは先の場所から離れた森林だった。天気の悪さも相まって、薄暗く靄の立つそこは不気味とも言える。しかし日和はわずかな光にもその美しい頭髪を煌めかせ、まっすぐ白竜を見据えていた。彼はそれを正面から受けることはせず、受け流すように文字通り斜に構えて対応する。

「お前に教える義理はない」
「あ〜んいけず〜。まあだいたいわかるけどね」
「……フン、虚勢だな」
「だって白竜氏は京ちゃんのこと大好きだかんね」

 静寂。
 間隙。
 一瞬の間を空けて、白竜はその整った顔にみるみるうちに驚愕を滲ませた。出し抜けに言われたその言葉は突拍子もなく、脈絡もなく、そして身も蓋もなかった。

「なん……だと……!? おい! 日和! もういっぺん言えるものなら言ってみろ!」
「白竜氏は京ちゃんのこと大好きだかんね」
「本当に言うんじゃない!!」
「天の邪鬼〜日和氏にどうしてほしいのよ」
「ひとまずそのでたらめな口を閉じろ!」
「無理無理私喋り続けないと死んじゃうんだよね」
「マグロかお前は!」
「いいね〜お寿司食べたい。ウチのメンバーとさっきの子たちも併せてさ、寿司パしよ寿司パ。ウチのキドカンのポケットマネーで」
「キドカンって誰だ!」
「ウーバーイーツここまで遥々来てくれると思う?」
「知らん!!」

 ぜえぜえと肩で息をする白竜。本当に、コイツと話すのはもはやサッカーの特訓より疲れる気さえする。そんなことを思いながら、彼は鋭い双眸をさらに釣り上げて日和を睨んだ。しかし、彼女にその程度の威嚇が通用するはずもなく。

「白竜氏はさ〜本気の京ちゃんと絶対再戦したかったんでしょ? だから人質的な感じで使えるかもって思って、保険として私を連れてきたんでしょ。だって京ちゃんは私のこと大好きだかんね」

 ──彼女には、彼が自分をここに呼び寄せた理由について、おおそよ見当がついていた。それはわずかな期間ながら、白竜の行動や思考を推察できる程度には、彼との交流があったことを示してもいた。
 彼女の言葉が図星であったのか、白竜は薄い唇をぐっと閉ざす。木々の匂いが、途端に濃く感じられた。

「あとぶっちゃけ白竜氏は私のこともそこそこ大好きだもんね」

 その真面目な空気を破壊するかのように、日和はいけしゃあしゃあと続けて見せ、白竜は再び目を剥いた。

「なん……だと……!? おい! 日和! もういっぺん言えるものなら言ってみろ!」
「ぶっちゃけ白竜氏は私のこともそこそこ大好きだもんね」
「もういい!!!!」

 白竜は再び絶叫した。

「白竜氏どしたの〜今日はとくに元気じゃん」
「うるさい……お前も、剣城も、ここにいた頃はもっと鋭く尖っていた」
「切れたナイフてやつすか」
「黙れ。お前はさておき、剣城に至っては自ら他者と関わることもなかった。ただ上だけを目指していた。この俺とも互角だったのだ」

 白竜は過去に思いを馳せるように瞳を閉じた。髪と同じ、透き通るように白いまつ毛がその目元に僅かな影を落とす。その様を、日和は相変わらず表情を崩さないまま見つめていた。

「今の中学サッカーはかくも愚かだ。男女の区切りを明確にすることで、結果本当に才能のあるお前のようなやつが日の陰に隠れたままになる」
「いや、仮に男女混合でも私サッカープレーヤーやってないからね」
「……」
「私が好きなのはサッカーじゃなくて京ちゃんだしな〜。あとチーム戦好きじゃないし」
「お前、本気で言っているのか?」
「本気も本気。大真面目よ」

 飄々と語る日和に、白竜は眉間の皺をさらに深くして問い詰める。

「お前は勝手にこの施設に乗り込み、あまつさえ自ら訓練参加を志願した」
「京ちゃんが心配だったからね」
「体格の良い男でさえ死の危険を感じるようなそれを、お前は唯一女子の身でありながらもこなしていた」
「まあ日和氏メチャ強だからね」
「……そしてお前は、とうとう化身を発動するまでに至った」
「うんうん。さすが日和氏。天才だな」

 日和はさらりと肯定していたが、白竜が述べた彼女の経歴は明らかに普通ではなかった。ともすれば、異常であった。そのことに彼女自身気づいていないのか、それとも気づいている上で些事であると感じているのか。白竜にはわからなかった。

「お前、本当に剣城のためだけにそこまでしたのか? そこまで利他的な人間など、本当に存在するのか?」
「いるじゃな〜いホラ目の前にとびきり心優しい美少女がさ」
「茶化すな。お前は……お前は一体何なんだ? わずかな期間だが、俺はお前とも競い合った。だが、今でもお前の中身はまるで見えない。一体お前は、何がしたいんだ?」
「そんなの明白だよ」

 彼女は遊ぶようにくるりとその場でターンして見せる。彼女のなめらかな髪の毛が、風を受けてさらりと靡いた。

「私は自分を大事にしてるの」
「……は?」

 一片の迷いもなく言い放った日和に、白竜は酷く間の抜けた声を漏らした。



5周年フリリク/白竜(ゴッドエデン)の話

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