それは亀裂ではない
斯くして、前代未聞の日本代表選手による強化合宿が始まった。目下の目標は一週間後に始まるアジア予選に向けてのレベルアップ。まずは初心者──にわかに信じがたいことであるが、無名の選手たちは本当に全員がサッカー初心者であったのだ──に合わせた基礎練習から行われた。初心者の彼らは比較的真面目に練習をこなしていたが、そのレベルの低さや、そもそもの選手選定基準に疑問や不満を抱えている神童は、ますます苛立ちを募らせているように見受けられた。
「ねえ、キミ」
「はい?」
休憩中、神童の様子を横目で確認していた日和は、不意に隣から声をかけられた。頭の両サイドでオレンジの毛束を大きく跳ねさせたその少年……皆帆和人は、自己紹介で自らを頭脳担当と言っていた。その華奢な体躯に、基礎練習中も顔を赤くして必死についていこうとしていたところからも、運動のほうはからきしに見えた。
皆帆は顎に手をやりながら、その大きな瞳を虫眼鏡のように丸くさせて、興味深そうに日和を見つめる。
「キミ、自己紹介で帰宅部って言ってたけど……普通にサッカーの心得があるみたいだね」
「あーまあそっすね」
「そもそも雷門出身だし、『サッカー選手』のキャプテンたち三人とも端から親しげだ」
「よく見てますなぁ」
「とくに剣城くんだっけ。彼は一等仲が良いみたいだね」
「ええやろ〜」
「それからキミのその腕や脚。細いけどちゃんと引き締まっている」
「セクハラですかな」
「おっと失礼。観察、分析して自分の『力』を試すのが好きなんだ」
「探偵さんみたいですなぁ」
さらりと感想を述べた日和は、探るような視線を皆帆に投げ返す。
「して探偵さんは、なして私にそんな興味津々なんですかねぇ」
「キミは、『僕たち』とは違うと思ってね。だけどキャプテンたちともまた少し違う……そうだろ?」
「ん〜なんの話? もっと噛み砕いておねしゃす」
「そんなこと言って、わかってるくせに」
皆帆の意味ありげな笑みを受けながら、日和は先日控室でした野咲との会話を思い出していた。
留学費用を賄ってもらうために、選手として『雇われた』という彼女。おそらく目の前の彼を含め、他の初心者選手たちも、そういった高額な費用がかかるものを報酬に、代表選手として大会出場する手筈になったと見ていいだろう。しかし日和は、監督の黒岩がどのような意図でそんなメンバーを集めたのか、未だ見当もついていなかった。多額の金を掛けてまでして、雇った選手がズブの素人。あまりにも得るものがなさすぎる。
ちなみに日和は、野咲から聞いていた話を神童、天馬、そして幼馴染の剣城にすら話していなかった。余計な混乱を招いても事態は悪化するだけであるし、そもそもこんな話を聞いたら神童などは卒倒してしまいそうだ。
「それで、結局私に何用ですかな」
「ちょっと興味があったんだ。何故監督が、エキシビションマッチであえてキミをスタメンから外したのか。普通なら、素人たちを外して経験者のキミを入れるに決まってる」
「あ〜それな〜私も気になってた。公平性保つためにくじ引きとかで決めてたりして」
「ははっ、こんな選定をした突拍子もない人だ。あり得るかもね」
皆帆は楽しそうに声を上げたが、日和は終始真顔のままであった。その様子を皆帆は探るように眺めていたが、当の本人が考えているのは「このユニフォーム首あっつ」であった。
*
「うおっと」
「お、悪い」
夜もすっかり更けた頃。宿舎内の風呂場に続く扉から突然出てきたのは、長い手足を持った長身の男──井吹宗正だった。偶然前を通りかかった日和が、体勢を崩すことなく俊敏に躱したため、衝突は免れた。
井吹は日中はめていた黒いヘアバンドを外しており、水気を含んだ白い癖毛が抑えられているためか、随分と印象が違うように見える。日和はそれなりに身長が高い自覚があったが、それを上回る身長の彼に見下ろされ、影を作られるのは少し新鮮であった。
「どこに行くんだ」
「普通に自室に戻るとこっすよ。そういう井吹さんは……あーそういや神童センパイと自主練してたっけ。乙でーす」
「チッ……」
井吹は不機嫌そうに舌を鳴らした。彼は頭に浮かんだ顔を忌々しそうに掻き消して、ちらりと日和を窺う。
「そういうお前は、早々に次の試合でベンチ言い渡されてたな」
「それな〜」
日和はどこかつまらなそうに返事をした。夕食後、神童に連れられ、剣城と天馬も交えて監督の黒岩のもとへ直談判に行った際に言い渡された言葉を思い出す。そもそもの発端は、神童による代表選手の再選考の要求であったが、黒岩は取り付く島もなく、選定基準を神童らに開示することもなかった。その流れで「何故エキシビションマッチの際に経験者の鬼城を出さなかったのか」と訊ねた神童に、やはり黒岩は含みのある笑みを浮かべるだけでまともな返答をしない。
業を煮やした神童が次の試合は自分と天馬、剣城、日和の四人だけで行うと宣言すると、彼はようやく口を開いた。
『次の試合で鬼城は使わない』
『まじすか。鬼城びっくりぽん』
『……黙ってろ』
『あだっ』
黒岩のその言葉も、ついでに日和と剣城の腑抜けたやり取りも、スタジアムに自主練習に来ていた井吹の耳にはしっかり届いていたのだ。
「いいな〜井吹さんキーパーひとりだから絶対試合出れんじゃん。別に私も絶対出たいわけじゃないけど〜二連続ベンチだとちょーっとテンション下がるっていうか〜」
「薄々思っていたが、お前も神童たちの部類か」
「それ流行ってんすかねえ。同じチームなんだからわざわざ二分しなくてもよかろうに」
「熱量の違う者同士で交わるのは、毒にしかならないんだよ」
「あ〜それはわかりますわ」
淡々と述べた井吹に、日和は覚えがあるらしくうんうんと深く頷いた。その様子が意外だったのか、彼はそのつり目をわずかに丸くさせると、どこか愉快そうに片笑んだ。
「お前、名前はなんて言ったか」
「嘘〜覚えられてないなんて。鬼城日和ですよ」
「鬼城か」
「井吹さん、さっさと髪乾かさないと冷えまっせ」
「……ああ、そうだな。じゃあな、おやすみ」
「おやすみなさーい」
井吹は今日一番の気の緩んだ表情を見せると、日和に背を向けて自室へと戻っていった。日和は何かを考えるようにその後ろ姿を見つめていたが、すぐに気を取り直して彼女も自身に宛がわれた部屋へと歩き出した。
5周年フリリク/イナギャラ勢との話A
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