剣城を見舞う一年生組
「ここで合ってるのかな……?」
どこか不安げな天馬の問いに、葵は教員から貰ったメモを確認しながらこくりと頷いた。横から覗き込んだ西園や輝も、うんうんと頷いて見せる。
「にしてもあの剣城が風邪なんてねぇ……なんだか信じられないけど」
「天馬くんよりはあり得る話なんじゃないの〜?」
「確かに俺、風邪とかひいたこと全然ないやぁ」
遠回しに「馬鹿」と言いたいらしい狩屋の嫌味も、それの通り馬鹿の天馬には通用しない。周囲が呆れや引きを見せたところで、「じゃ、押すよ?」と天馬は最後に念を押した。
どこか緊張感のある面持ちで、人差し指が呼び鈴に伸びていく。ピンポーン……と、聞き慣れた音のはずなのに、その高音はどこか彼らの不安を煽った。しばらくして、ピッと小気味良い音と共に、女性の声が流れてきた。
『は〜い』
「あっ! おれっ、つるっ……京介くんと同じサッカー部の、松風天馬です! 先生から大事なプリントを預かってきまひた!」
『はぁい、ちょっと待ってて〜』と間延びした声が機械を通して伝わる。それからインターフォンがぶつりと切れたところで、一同はどこかほっとしたように肩の力を抜いた。
「ああぁ、緊張したぁ」
「噛んでたね」
「うううるさいぞ葵」
「それよりさぁ、今の人の声どっかで聞いたことなかった?」
「え? 狩屋くん、剣城くんのお母さんと会ったことあるの?」
「や、そうじゃなくてこう、もっと身近な―――」
狩屋の言葉が、最後まで紡がれることはなかった。無機質な解錠音につられ、彼らの視線がそちらに集約する。そして、閉ざされていた剣城邸の扉が、ゆっくりと開かれた―――
「お待た〜やあやあ来てくれて嬉しいですぞ皆々様方って京ちゃんも言ってるよ」
―――騒がしかった一同は水を打ったように静まり返り、不自然な間を作る。視線を奪われ、声帯を握られ、心臓を掴まれたように何もかもが動かない。唯一、一時停止したようなその場で動くイレギュラーは、きょとんと首をかしげるその女。彼女の両の手が、ぱん! と乾いた音を立てて合わさったと同時に、止まっていた時が動き出した。
「……なっ、ななななんななな、」
天馬の口が、壊れかけのロボットのような音声を吐き出す。それを皮切りに、他の面々の口からも言葉にならない言葉が漏れていく。
見慣れすぎたほどに見慣れた、その姿。
剣城邸で彼らを出迎えたのは、エプロンを身に纏った鬼城日和だったのだ。
*
「いや〜皆部活で疲れてるだろうにまさかあの子のお見舞いに来てくれるなんてお母さん感激ですわよワハハ」
「いや、鬼城さん冗談はいいから」
狩屋の冷静な突っ込みを受けて、あらそうでっか、と日和は似非マダム口調を簡単に投げ捨てた。その間も、まるで主婦のような手際の良さで、彼ら客人にお茶を用意している。
「いやぁ、それにしても……確かに鬼城さん、剣城くんと幼馴染みとは聞いてたけど、まさかこんな通い妻みたいなことまでしてるとは思わないじゃん?」
ニタニタと下卑た笑みを見せる狩屋に、狩屋くんは面白いこと言いますなぁ、と軽々しく返して見せる日和。どう見ても煽っているか揶揄っているようにしか見えない彼に、内心ひやひやしていた葵と西園は、日和のさして気にしていなさそうな様子に大きく安堵した。「かよいづま? 狩屋、かよいづまって何?」ときょとん顔で質問してくる天馬は総出でスルーされた。
「京ちゃんのご家族は忙しいからね、ありがた迷惑なことにアポなしで勝手に押し掛けてきたんだ〜」
「いや言い方」
狩屋は努めて平然とつっこみつつ、ふと考えた。彼女はまだ自分達と同じ中学一年生だ。学校も普通に行っていたはずだ。それなのにわざわざ、帰りがけに寄ったというのだろうか。それも、自分達サッカー部が活動を終えるまで、ずっと。
通されたリビングから、ちらりと見えたキッチンをそっと窺う。コンロにかけられたこぶりな鍋からは、まだ湯気がたっていた。お粥でも作ったのだろうか。
「……鬼城さん、あれ、蓋しなくていいの」
「え? あー、やっべ。センキューかりやん」
「誰がかりやんだ」
ひょこひょことキッチンへ向かう日和の背中を盗み見る。同級生と比べると随分大人びていると思っていたが、やはりまだまだ子どもの背中だった。
ふと部屋の隅に視線を向ければ、掃除機がコンセントに刺さったまま、床に置かれている。さらにそのそばには、乱雑に投げ捨てられた日和のものとおぼしき鞄。日和が剣城にずっと付きっきりだったということが、見てとれた。
「いや〜うっかりしてたわ。あ、そういえば松風くんプリントがどうのこうのって言ってたっけ」
「え? あ、そうそう! はいこれ」
「いやはや、わざわざありがとねん。京ちゃん今眠ったように死んでるからあとで渡しておくわ」
「いや逆逆。それほんとに死んじゃってるから」
なんだ、一瞬でも感心した自分が馬鹿みたいだ。いちいちおふざけを入れないとやっていけないのかあんたは。口元をひきつらせながら突っ込んだ狩屋は、気持ちを落ち着かせるために用意されたお茶を啜った。
と、その時。リビングの扉ががちゃりと音を立てて開かれた。
「ゲホッ、日和、お前晩飯はどうす……」
フリーズ。一時停止。ぴしり。さまざまなフレーズがこの場を支配した。
戸を開いた張本人である剣城は、目に写った光景に言葉を発せる状態ではなく。見舞い客の彼らでさえ、その沈黙を破ることはできなかった。だがただ一人、やはり日和は、別の次元を生きているようで。
「あ、京ちゃんグッモーニン。皆心配してお見舞い来てくれたんだからちゃんとお礼言いなさいよねもぉ〜」
「いやだから何その口調。マイブームなの?」
そこでようやく先ほどのように口が動いた。本日何度目かわからない突っ込みに、思わず狩屋はため息を吐いた。それを皮切りに、天馬たちはめいめいに剣城への労りの言葉を投げ掛ける。その様子を見ていた剣城は、少しの間目をしばたたかせると、今度はキッと目尻をつりあげて日和の腕を取った。
「お前、こっちに来い」
「おん?」
されるがままに腕を引かれ、二人は客人をリビングに残し廊下へ出ていく。勝手に来ちゃって、剣城怒らせちゃったかな……? と天馬が心配そうに眉を下げ、き、きっとそんなことないですよ! と輝が必死に訴えたところで、ゴンッ! と鈍い音が聞こえてきた。同時に日和の低い呻き声が届き、彼らは顔を見合わせ冷や汗を流す。
「……おいお前ら、わざわざ来てもらったところ悪いが、さっさと帰――」
「「「DVだぁ〜〜〜!?」」」
「は?」
剣城が再びリビングに戻ってきたと同時に、西園、狩屋、葵は揃って叫んだ。その声量に、剣城は思わず目をすがめ、その後ろに続いていた日和もたんこぶをこさえながら小首を傾げている。
「およ、皆さんどしたん」
「ちょっと剣城くん駄目じゃない! 女の子に乱暴しちゃ!」
「そーだそーだ!」
「いくら相手が鬼城さんだからって!」
「かりやん口が滑ってますぞ」
真顔で突っ込む日和には目もくれず、行動の早い葵と西園が彼女と剣城の間に割り入る。事態を察した剣城が弁解しようと口を開くが、それより先に呑気な日和の声が場の空気を抜いた。
「そうそうそれでねぇ皆さんら。京ちゃんが皆に移して部活に支障を来したら大変だから、そろそろお帰りだって」
日和の言葉に、彼らは揃って目を丸くした。そして今度は、その視線を剣城へと集める。
「ばっ……オイ日和、俺はさっさと帰らせろとしか言ってない」
「やだんそんなドスの利いた声出さなくても。素直じゃない京ちゃんのお気持ちを代弁してあげたというのに」
余計な世話だ、と剣城は日和に手を伸ばしその頬を引き伸ばす。あいいいいんと奇声を発する日和は、しかしさして懲りていないように剣城を見上げていた。
そして、そことはまた別の場所から、どこかうるんだ瞳も剣城に向けられる。
「つ……剣城が」
「僕たちの、心配を……!?」
「そ、そんな……まさか」
「つ、剣城くん……!」
「いやいや皆何ジーンとしてんの!? それより鬼城さんの頭でしょ!」
「何をかりやん失敬な」
「ちっげーよそのたんこぶ!」
狩屋がとうとうそれに触れたところで、日和は「あ、これ?」と軽い調子で聞き返した。
「廊下に放置してた雑巾踏んづけてすっ転んで壁に頭打ち付けた」
今度は一同がすっ転ぶ番だった。
*
「それじゃあ剣城またな〜!」
「早く良くなるといいね!」
「鬼城さんも、あんまり無理しちゃ駄目だからね!」
すっかり日の暮れた空の下、天馬たちは剣城と日和に大きく手を振る。その快活な姿を見て、日和は自分のことは棚にあげて「おうおう、若者は元気で良いですなぁ」と呟いた。
「京ちゃん、雷門に来て、サッカー部入って良かったねぇ」
「は?」
「いい友人がたくさんできた」
日和の飾り気も嘘偽りもない言葉が、澄んだ瞳が、剣城に向けられる。それを見ていられなくて、剣城はふいっと顔を背けるが、
「……そうだな」
風邪を引いているせいだろうか。普段より随分と素直なその返事に、日和は気付かれない程度に、少し、ほんの少しだけ、口元を緩ませた。
「あ、そうだ剣城く〜ん。通い妻さん、あんまりこき使っちゃ駄目だよ〜!」
振り返った狩屋がニヤニヤと笑いながら叫ぶ。剣城は目を丸くした後、日和の頭に軽くチョップを落とした。でっ! 私が言ったんじゃないのに! と抗議の声が上がり、見舞い客兼部活仲間兼、友人の彼らからは笑い声が上がった。
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