剣城と雨空

 ぽつぽつと静かに降り続く雨。少しずつ体温が奪われ、服も次第に浸されていく。髪が肌に纏わりついて気持ちが悪い。数えればキリがない煩わしさを感じながらも、彼が雨宿りという選択を取ることはない。

「ベタですなぁ」

 その彼の背後に、突然女の間延びした声がかかる。彼はぴたりと足を止めつつも、振り返ることは決してしなかった。その前に隣あるいは目の前にやってくるのが鬼城日和という人間であると、剣城京介は身を以て知っていた。

「どうせ捨て犬猫とか小さい子とかに傘あげちゃったんでしょ」

 ぱしゃぱしゃと何度か水の跳ねる音がして、それからひょこ、と視界にレモン色の爽やかな傘が入り込む。その下で日和は、いつもの感情を読み取りづらい真顔を引っ提げて剣城を覗き込んでいた。

「……そんなんじゃない」
「返しにキレがないのは図星の証拠だぜ」
「……チッ」
「京ちゃんてばほんと水も滴るいいツンデレ」
「わけがわからねェな」
「この世の全てがわかってたらつまらんぜ。強くてニューゲームなんて願い下げ」
「本当にわけがわからねェな……」

 相変わらず宇宙人のような言動だ。剣城が面倒くさそうに視線を逸らすと、不意に肌を叩く雨粒が消えたのが分かった。

「はい」

 見れば、爽やか果汁色の傘がこちらに差し出されているではないか。おかげで傘の防御域からはみ出した彼女の髪には雫が掛かって、きらきらと光を反射している。しかし彼女は、確かに剣城のことを不可解なほどに好いてはいるのだが、己を犠牲にしてまで他人を気に掛けるような人間ではない。だからこれは、入れてやるから傘を持てと、暗に言っているのだろうと見当がついた。

「いらねェ。お前は一人で帰れ」
「ほんとに? 京ちゃんてば大丈夫? ひとりでおうち帰れる?」
「どこを心配してんだ!」
「ま、徒歩五分圏内のご近所さんなんだから、帰り道が被っても仕方なかろうて」

 言って、自分より小さな彼女の手が剣城の手を優しく掴んだ──雨に濡れて随分冷えていたのだと、日和の温かい手に触れられて彼はようやく自覚した──と思えば、打って変わって半ば強引に彼女の傘を持たされた。その上、手持無沙汰になった彼女は後ろ手を組んでしまったものだから、無理やり返品することもできない。
 剣城はまた一つため息を吐くと、諦めて二人の間に傘を掲げた。少しだけ日和の方に傾ければ、それに気が付いたのか彼女は腕が触れ合うほどさらに距離を詰めてきた。近付いた分だけ、はみ出した剣城の肩は傘の下に守られた。

「雨に打たれるイケメンも風流だけど、風邪引きまっせ」

 そんなことを言って、日和は白いタオルハンカチを取り出すと前触れなく剣城の頬に当てた。「おい、やめ、」と彼の不機嫌そうな声も聞かず、そのまま雨に濡れたその白い肌を軽く拭いていく。剣城は諦めたのか途中で声を上げるのをやめ、黙って彼女の挙動を受け入れた。空いていたはずの右手は、ずっとポケットに仕舞われたままだった。

「せやせや、やさしい京ちゃんにご褒美をあげよう」
「あ?」
「はい、レモンキャンディー」

 脈絡なくそんなことを言ってきたかと思えば、日和は肩に掛けた鞄を漁って、ハンカチと引き換えに小さな黄色い包装を一粒取り出した。それの封をぴりりと切って、中身が出ないように気を付けながら彼の口元に近付ける。シトリンの石のような美しいそれは、日和にどこか似ていると剣城は思った。
 まったく突然の事ではあったが、彼はぐっと唇を密閉することはなく、それは完全に拒絶してはいないことの合図だった。日和はその様子を確認してから、彼の薄い唇に包装フィルム越しにキャンディーを押し当てて、ころりと口の中に落とした。
 強制的に食べさせられた飴玉を大人しく口内で転がし、しばらくしてから剣城は溢す。

「……甘ったりィ」
「え〜? これ結構酸っぱめだと思ったけどなぁ」


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