私のプライドは派手な音を立てて割れてしまった。
組織上…一応上司であるガハハと特徴的な笑い声をする男が放った言葉によって。
あの日、あの男は〈ひ弱でパソコンを使った情報収集〉しか取り柄のない私に…こう言い放ったのだ。
―役立たずのひ弱なタークス
―端末を使っての情報収集しか出来ない
―タークスのお荷物でしかない
確かに先輩たちのように任務はこなせないが、情報収集だけは私の取り柄で…。そんな私だがタークスであることを誇りに思っている。
だから、その場ではひたすら我慢して聞いていた。でも、聞き流す器用なことはできず、じわじわと私の心をあの男の放った言葉が浸食していった…
ふとした瞬間にあの言葉を思い出し、馬鹿にされた悔しさ、そしてあの男に言われた通りのひ弱で情報収集しかできないタークスのお荷物という劣等感で右手の爪を立て、左腕を掴む。
このまま何も変わらないと、先輩たちにも迷惑がかかってしまう。誰にも相談せずに、任務やデスクワークがない時は独りでトレーニングルームかシミュレータへ引き籠るようになった。
私の心を蝕んだ言葉はそう簡単に消えやしない…
***
「なあ、ルード。あいつ、最近何してるんだ?左腕にずっと爪を立ててるし、よくオフィスからいなくなるし」
「…聞いていない」
なら、ツォンさんは知っているのか?…疑問を抱き、レノと目を合わせた後、ツォンさんに目を向ける。
視線を感じたのか、"はあ…"と重い溜息を吐いた後、こちらを向きゆっくりと口を開いた。
「先日ハイデッカーと会った後からだ。こちらが聞いても一切口を割らない」
そう言ってまた書類に目を落としてしまった。空き時間にトレーニングルームとシミュレータに行くということはツォンさんに了承を得ているということだが、理由がわからない。どうしたものか…。
「ハイデッカーになんか言われたってことか…?」
「…十中八九そうだろう」
「腕に爪立ててるのが痛々しいんだよなァ…。何かを耐えているというか…」
何か思いつめているようにも見える彼女の腕はきっと…ジャケットを着ているから見えないだけで鬱血し、青紫色に変色してしまっているのだろう。
俺たちのように体を動かす任務ではないため、基本的には安全な場所から情報共有したり、指示をもらったりと支援する側の彼女。何度も助けられ、常に冷静に分析し、敵を先回りすることができる策を即練ってくる。前線にいる俺たちがどれだけ彼女を頼りにしているかを知らない。
「少し出てくる」
"任せたぞ、と"…口パクで言い、手をひらひら振ってよこすレノを横目にオフィスから出て、おそらく彼女がいると思われる63階…リフレッシュフロアのシミュレータへ向かった。
63階のリフレッシュフロアに到着したエレベーターから降りるとそこは夜遅いということもあり、人が疎らだった。
目的のシミュレータまで向かうと、予想通り彼女が使用している。あまり体を動かすことがないが、それなりに戦える彼女ががむしゃらに、そして苦しそうに顔を歪めていて、思わず目を逸らした。
***
シミュレータから出てきたら、ルード先輩がいた。日付がそろそろ変わる時間だというのに…どうしてここへ?彼もシミュレータを使うのかな?どちらかというとレノ先輩と二人でトレーニングルームな気がする…そう考えていると、彼が近づいてきて、私の腕にそっと触れた。
不思議に思い、顔を上げると彼を目が合う。そして、ルード先輩は神妙な面持ちで口を開いた。
「何を言われたのかは知らない…」
ひゅんっ…と息が止まった。咄嗟に顔を下に向ける。
やっぱり先輩たちもみんな…と私の中の闇がじんわりとまた広がっていくそういう感覚に陥る。思わず後ずさりをした瞬間、私の腕に触れていた先輩の手に少し力が入ったことにより、はっとし、恐る恐る顔を上げる。眉を下げ、困ったような、悲しいような…複雑な顔をして私を見ていた。
「落ち着いて、最後まで話を聞いてくれ」
「俺たちが最前で安心して任務を遂行できるのは、後衛で支援してくれている仲間がいるからだ」
「何も知らないだけのやつの言葉を信じるな」
「仲間を信じてくれ」
"仲間を信じてくれ"…そうか、私は先輩たちを信じられていなかったんだ…。タークスの…仲間を信じないという最低なことを私はした…。そう思うと涙が溢れ出てきた。
先輩がいるから、早く泣き止まないと…。焦って目をこするが涙は止まることなく、自分の意志に背き溢れてくる。
「擦るな…」
先輩の大きな手が私の目を覆う。びっくりし、涙が止まった。先輩の香りと心地よい暗さで徐々に落ち着いてきた。
少し経ってから手が退き、胸のポケットからハンカチーフを取り出し、それを私の目元へ当てた。
優しく涙をぬぐい、腕を引かれぎゅっと抱きしめられる。
「笑っていてくれ…」
「すまない。守りたいって思ったんだ」
「…好きだ」
"好き"…?ルード先輩が私のことを好き…?
「こんなタイミングで言うつもりはなかった」
「もう爪を立てて、自分を傷つけないでくれ」
・・・
懐かしい夢を見た。
まだ新人で、ふたりを先輩をつけて呼んでいたころのことだ。あの時、彼に助けてもらってから、爪を立てるという行為はルードへの愛情表現へと変わった。それまでは、自分を傷つけることしかできなかったのに。
昔の私の腕にあった爪を立てたことによる傷はとっくに治っていて、今はない。その代わりに…彼の背中や腕には、爪を立てられた痕やひっかき傷。私がつけたモノが数えきれないほどある。同じベッドに寝そべり、何も身に着けていない彼の体をじっくり見ながらそれらをそっと撫でていると少しこそばゆかったようで彼は身じろぐ。
「気になるのか…?」
「今回も沢山つけちゃったなって思って」
"ふっ…"と優しく微笑み、私を抱き寄せるルード。小柄な私は包み込まれ、視界いっぱいに広がる愛しい人。普段、常に死と隣合せだからか、こういうひと時がとても幸せに感じる。
もっと彼に近づきたいと思い、目の前にある彼の胸に額をぐりぐり押し付けるとより一層彼の香りが強くなり、幸せを噛みしめる。それに気づいた彼はさり気なく、抱きしめる力を強くしてくれた。ああ、もう…本当に好き…。命尽きるときはこの腕に包まれていたい。
いつの間にか飛ばしてしまっていた意識が浮上し、目を開かずにぬくもりが消えていないことを確認する。よかった、まだ傍にいてくれている。安心したところで、瞼を持ち上げるとなにやら真剣な表情でどこかを見ている。…端末を操作しているのかな?もう少しおとなしく待とうと思い、邪魔をしないように観察を始める。
いつもサングラスをかけていて見ることのできない彼の瞳は綺麗なブラウン。優しい瞳をしている。サングラスかけているから強面に見られがちだが、そんなことは一切ない。優しい心を持っている彼は動物に好かれる。この前は野良猫が足元にすり寄ってきて撫でていたら、どんどん野良猫が増えていき囲まれていたな…。
手を伸ばし、ルードの顔にそっと触れる。"好き…"と私の口から言葉がこぼれる。
「俺もだ」
端末から目を離し、ルードの優しい瞳に私が映る。どうしようもないくらい好き。言葉じゃ足りない。ギリギリ痛くないくらいに爪を立てると、構ってほしいことを察したようで、持っていた端末をサイドテーブルに置き、"まるで猫だな"とルードは呟く。
恋人らしくまったり過ごしたのは、もう何日前の話。お互い任務で顔を合わせなかったが、数日ぶりにオフィスへ戻ってきた。やっとルードに会えると浮かれた気分でドアをくぐると、そこには珍しく任務で怪我を負ったのか、オフィスで上半身を晒すルードと手当てを手伝うレノが仲良くソファーに座っていた。
"お疲れ様。大丈夫…?"と声をかけようと私が言葉を発するその前に、レノによって遮られた。
「ん…?相棒…どうしたんだ、この無数のひっかき傷は?」
「…愛猫の愛情表現だ」
それを聞いた瞬間、顔に熱が集中した。どっ、どうして、そういうことをさらっと言っちゃうかな…!思いっきり反応してしまったじゃないか!
レノはこっち見てニヤニヤしてるし!ああ、もうっ!聞かなくてもわかっていただろうに、わざと私に聞こえるように聞いたな!?むむっとして睨みつけていると、わざとらしく私に声をかけてきた。
「帰ってきたのか…!お疲れさまだぞ、と」
「…お疲れ様」
相変わらずニヤニヤしているレノはちらっとルードを見てから、思わず殴りたくなるそのムカつく顔のまま、私にこう言い放った。
「なあ、ルードに愛猫がいるって知ってたか…?」
フォロワーさんとあみだくじで題材決めてで、以下の担当でした。
ルード × 爪を立てる
2020/07/24