甘やかす
朝起きて思い立った私は飛び起きて朝ごはんを食べて遊戯の家に向かったわけよ何を思い立ったかってそれはね遊戯にデュエルのご指導をしてもらおうと思ったのよだって私克也にまだ一度も勝ててないし?杏子とは五分五分なんだけど今はそれは置いといてんで遊戯の家に行ってみたらなななんとお店閉まってるしそういえば昨日久しぶりに家族で日帰り旅行行くとか言ってたのすっかり忘れてたのよだからしょうがないから克也に遊んでもらおうと思ったらあいつの家知らないし電話番号も分からないしもういいやこうなったら杏子とーってそういえばあの子はバイトに忙しいのよね!で割と近所のヒロトの家に行ったら今親戚の子の子守で忙しいって断られてだったら了の家でTRPGしよーって思ったら丁度出かけるところで今から即売会がなんとか〜ってリュック背負ってどっか行っちゃってなら龍児のお店に遊びに行こうと思ったらなんかお店繁盛しすぎて龍児には相手して貰えなさそうだし最終的に行きついた海馬コーポレーション本社ビルでスーツの人に話しかけたら顔パスで入れて社長室どこか聞いたら最上階だって言うからエレベーター乗ろうとしたら丁度モクバくんとすれ違って今から兄様のとこ行くならついでにこれ持ってってくれって資料持たされたのでこの******ちゃんが高校生にして立派な大企業の社長で在らせられる瀬人に大事っぽい資料持ってきてあげたわよジュースちょうだい!
「・・・・・・貴様は句読点と言う単語を辞書で引いて来い。」
突然音を立てて扉を開けて入ってきた彼女のマシンガントークに、しかし表情を変えないまま黙って聞いていた海馬は視線を手元のパソコンから離さないまま一言零した。それは至極呆れたような慣れたような、まるで抑揚を感じない声音であった。
「句読点くらい知ってるし。あれでしょ?点とかそういうの。」
「無知が。」
ひどーい瀬人のばーかと間延びした悪態を吐きながら***はモクバから預かったという例の資料をバサバサと揺らした。紙が痛む。
「それより早くそれをこちらに寄越せ。愚図が。」
「ねーねーこれなんの資料?新しいアトラクション?海馬ランドの!ねぇ私海馬ランド行きた〜い!」
資料を素直に海馬の伸ばした手に乗せた***は海馬に近寄ったついでに大きなデスクに寄りかかる。両肘をついて両手で頬を覆った***は瀬人にこれでもかと下から目線で甘えてみるが海馬は全くそれを見ることはない。
「気色の悪い声を出すな。行きたいなら遊戯とでも行け。」
「だから家族旅行だってば!話聞いてた?」
ぐでんとデスクに上体を伏せて万歳と手を伸ばす***の下で先ほどの資料がくしゃりと音を立てる。紙が折れる。
「とどのつまり暇なのだろう?なら偶には無い頭に少しでも知識を詰め込んでみろ。そうすれば多少なりともあの凡骨の相手になるだろう。」
「暇だよ〜予定ないよ〜勉強いやだ〜嫌い〜ジュース飲みたい。」
デスクに突っ伏した状態の***は顔すらデスクに伏せているのでその声は籠っている。海馬はちらりとその伏せた後頭部を見やるとキーボードに置いていた指をずらしてコンコンとデスクを叩いた。気づいた***は“なに?”と言いたげに顔を海馬の方にごろんと向ける。海馬は視線をいつの間にかパソコンの画面に戻して顎でくいっと***の向こう側を指した。振り返るとそこには飲み物が数種ピッチャーに入れられ、盆に敷き詰められた氷で適度に冷やされているではないか。その中に琥珀色の飲み物があることに気付いた***はパッと顔を輝かせていそいそとその飲み物が置かれた台に近づいた。洗われたコップを一つ手にとって目的のピッチャーに貼られた飲み物の名前を確認する。それにぽろりと笑みを零した***はコップに液体を注ぐとゆっくりとそれを味わった。口の中に広がる果実の甘味と少しの酸味。濃い果汁の味に幸せそうに息を吐くと***はピッチャーを氷のプールに戻して部屋の中央に設置された大きなソファにどかりと座ってコップの中身をちびちびと飲み始めた。
一連を視界の端で見ていた海馬は“ふん”と息を吐いてカタカタとキーボードを鳴らす。早くこの企画書を書き上げて次の仕事に移らねばならない。
「ねぇ瀬人、このお菓子食べてもいい?」
「・・・・・・好きにしろ。俺は忙しい。話しかけるな。」
「マッカロ〜ン♪」
***は大きなテーブルの真ん中に置かれた皿からピンク色のマカロンを摘まんでぱくりと口に含んだ。外のサクサクな生地と苺のクリームでしっとりとした真ん中の生地が口の中で溶けていく幸せにうっとりする***。それからソファにそっと置かれていたパステルブルーのチェック柄のクッションを抱き枕にして林檎ジュースとマカロンを静かに堪能し始める。好物を食べる時は静かになるのが***の特性なのだ。
そうなることを分かっていた海馬は引き続きタイピングする。***が運んできた少し皺の寄る資料を手繰り寄せ大まかに目を通す。どうやら不備はないらしい。あとは今自分が今打ち込んでいるものを完成させまとめてモクバに回せば新たなアトラクションの着工となる。
カタカタカタカタ
サクッサクッゴックン
二人の人間が奏でる小さな音が広い社長室に馴染んでいく。部屋が最上階に位置するため外の音も殆ど聞こえない。けれどそんな些細な音だけの世界でも、決して***は気まずく感じてはいなかった。寧ろ落ち着く空間である。
「ごちそうさまでした。」
ある程度食した***は満足とばかりに息を零してクッションを抱きしめたままソファに沈んだ。行儀は悪いが履いていたローファーを脱いで足をソファに乗せる。カタカタとテンポの良い音は心地よく耳を打つ。***は目を瞑ってそれに耳を澄ませた。
タイピングとマウスのクリック音に混じって時折コトンと陶器が机にぶつかる音がするのは、恐らく海馬がお供として手元に置いた飲み物を飲んだせい。海馬のことだからそのカップの中身はコーヒーかなとぼんやりとした頭の隅で***は思った。彼の厳格ある風貌からブラックコーヒーを飲むのだろうと城之内辺りには特に思われがちだが、頭を使うからと少しだけ砂糖が入っていることを***だけが知っている。何故知っているかといえば何のことはない、以前海馬が***の目の前で砂糖を入れて見せたからだ。勉強は苦手であるがなにかに集中した時に甘い物が欲しくなるのは***もよくあることなので特に驚くことなく頭の中の海馬のプロフィールにコーヒーには少量の砂糖と記憶したのだ。
抱きしめたクッションに顔半分を埋める。すーっと息を吸えば上品な洗剤の香りがする。海馬の趣味なのか、***にとってもなかなか好みの香りだ。安心する。
するとふんわりと頭の中が揺れた感覚にあれと***は首を傾げた。別に異常なことではない。これは日頃からお付き合いのある感覚だ。つまりこれは、眠い。
それもそのはず朝から散々歩き回った***の身体は疲れていた。お腹もいっぱいになり喉も潤っている。適度な室温と子守歌のような優しいタイピング音にすっかり身体は休息モードに入っていた。
「ね〜瀬人〜・・・・・」
「・・・・・・・なんだ。」
静かにしていたと思ったら急に声を掛けてきた***にやや遅れて返事をする海馬。***の呼びかけの声がすこしふわふわしているのを聞き取った海馬はちらりと視線をデスクトップ越しに***に向けた。
「眠い。」
「なら帰って寝ろ。ここで寝たら邪魔だ。」
ひそりと眉間にしわを寄せて海馬はそう吐き捨てた。本当に暇を持て余しに来ただけなのだなと心の中で舌打ちをする。自分はここ数日忙しくて寝る間も惜しんでいるというのに。
「眠い〜からもう動けない〜からここで寝る。」
「邪魔だと言っているのが聞こえないのか。」
「邪魔してないじゃん、お菓子静かに食べてたでしょ?」
「貴様は食う時だけは静かだからな。」
送ってやるから帰れと溜息交じりに言った海馬はそうして視線を画面に戻す。一旦キリの良いところまで打ち込むと内線電話に手を掛ける。電話一本ですぐに車は用意できる。海馬は電話の短縮ダイヤルボタンに長い指を伸ばした。
「じゃあさ、瀬人も一緒に寝ようよ。」
のだが、その指は***の突然の台詞にぴたりと止まる。胡乱げに投げた視線の先で、***がソファの背凭れに肘を掛けながらこちらを向いて眠そうな目で海馬を見ていた。
「馬鹿か。」
「失礼ね〜。ただ私は今凄く人肌恋しいってだけよ。」
どうせ隣の部屋仮眠室でしょベッドあるでしょ大きいの〜と唇を尖らせて言う彼女の顔は不機嫌顔だ。とどのつまり一人で寝るのは寂しいから一緒に寝てくれと。まるで子供である。これが本当に同級生で高校生なのかと海馬は眉間のしわを更に増やした。
「布団の中暖まるまででいいからさ〜、ほら添い寝添い寝!イケメンに添い寝なんて女の子の憧れね!」
急に立ち上がった***は本当に眠いのか疑わしい早さで海馬に近づき資料の紙を持った海馬の腕を引っ張る。何故か褒められながら強引にも立ち上がらせられる海馬は殆ど抵抗なく社長椅子からふらりと離れる。よろめく海馬に***は目を細めて容赦なくぐいぐいと引っ張った。
「俺は寝ない!寝るなら貴様一人で寝ろ!もう子供じゃないだろ!」
「いいから行くのーっ!」
もとより身長に差のある二人。その引っ張り合いは端から見れば完全に子供が駄駄をこねて親をひっぱる姿である。
「俺にはまだっ、やるべきことが・・・・っ!」
ふらりと縺れる海馬の足下。手に持ったままだった資料がふわりと宙に舞い、身体は***の方に倒れる。
「おっとぉ!」
ここで押し倒されてドッキリなんてことになれば少しは色気でもでるのだろうが、***は左足を後ろに下げると海馬の胸板に両手を置いて踏ん張りを効かせて受け止めた。反射神経は良い方ではあるが***には海馬がふらつくことは分かっていたのだ。
「ったく。馬鹿はどっちよ。」
「離せ貴様・・・。俺は今寝てる場合では、」
「もんどーむよー!私眠たいんだから早く行くよ〜!」
そのままずるずる引きずられる形で***と海馬は社長室から繋がる仮眠室に入る。いつでも使えるようにと常に掃除されたその部屋は、しかし海馬は数回しか用いたことはない。***は初めて入ったその部屋の様子をぐるりと観察してからさっさと目的のベッドに向かった。
さらさらの白いシーツとふかふか軽い掛け布団が用意されたベッドは仮眠用とだけあってなるべくシンプルなつくりではあるが大きさは金持ちのそれである。二人寝転がるには十分の広さだ。嫌々連れてこられた海馬は最早口を閉ざしている。***に何を言っても無駄なのは知っていたことであるし何よりもう頭が回らなかったからだ。
それほどまで、海馬は疲弊していた。
「ほら!さっさとジャケットと靴脱いで!そろそろ休憩の時間です!」
海馬からジャケットを強引に奪った***は傍にあった椅子の背凭れに適当に引っかけると海馬をベッドに突き飛ばした。抵抗する力もない海馬はそのまま白い波に顔を埋める。自分の中で堰を切って何かが溢れてきたのを感じた。漸く自分がどれほど疲れているのか自覚したのだ。薄々分かってはいたのだが、矢張りコーヒーだけではごまかしきれなかったようだ。
「よしよし。やっぱりぬくい〜!」
いそいそと自分もベッドに横になる***はまるで自分たちの性別を気にしていない。これも矢張り今に始まったことではないが、この友達よりも近く恋人よりも遠い二人の関係を、海馬は嫌いではなかった。でなければ彼女のために林檎ジュースもマカロンもパステルブルーのクッションも用意はしない。顔パスもさせないし仕事中に話しかけられても無視するだろう。いつかモクバが言った「兄様は***に甘い」と言う言葉を浮かべては消した。
「・・・・・・おい、寝るなら、1時間後に起こせ。」
「りょかい〜。アラームセットしとく。」
携帯電話のアラーム機能を慣れた手つきで操作した***は携帯を枕元にぽいと放って掛け布団にもぞもぞと潜った。すぐにさっきの睡魔が襲ってくるので素直に身を委ねることにした***はホッと溜息を吐く。
「1日睡眠時間3時間を4日間って、アンタ馬鹿ね。」
「お前には、言われたくない。」
柔らかい布団に包まれて矢張り睡魔に抗えなくなった海馬は溶けていく意識の中でぼんやり浮かんだ弟の陰に苦笑した。
ぽん、ぽん
布団の中で手の甲を優しく叩かれる。優しい温度をその手に納めて、二人は共に寝息を立てる。柔らかなその呼吸は二人だけの部屋にふわりと溶けた。
「オレより***の言うことなら聞くっていうのはちょっと妬けちゃうよな。」
散らかった紙を束ねたモクバはそれをデスクに置くとデスクトップに開いたままの作りかけの企画書を上書き保存してスリープ状態にした。これで起きたらすぐに作業の続きができるし誤って電源が切れたとしても保存してあるので今までの過程が消えることもない。
「ま、惚れた女なら仕方ないのかな!」
本人自覚ないけど!と苦笑を零したモクバは、そのまま社長室を後にした。1時間後に起こしに来ないとな、と心の中で呟きながら。
その想いを共有するのは、もっと先の話。
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