クラッカー


※劇場版後の設定です。苦手な人は読まないことをお勧めします。



朝。
作ったばかりのメープルシロップたっぷりなフレンチトーストに一口齧りついて思い立った。そうだ、今日は旧友に会いに行こう。今日という休日に特に予定を立てていなかった***は突然思いついた用事に満足したのかごくんとトーストを飲み込んでにやりと笑んだ。共に用意しておいたりんごジュースの入ったコップが、太陽の光できらきら輝くのが美しかった。

秋の朝は寒い。寒さが苦手な***は一通りの家事を済ませてから昼頃に出かけようと考え、食べ終えた食器を洗うと洗濯機を回して部屋中掃除機をかける。一人暮らしの部屋なので掛け終わるまでにそう時間はかからない。それからテレビラックの上など埃を払い、洗濯の終わった服を干してから着替えるために自室に向かう。この肌寒さなら薄手のニットを着てもいいだろうとパステルピンクのニットを引っ張り出してキャメルのプリーツスカートを穿く。それからパパッと化粧を施して鞄の中身をチェックする。そうだ、行きのついでにケーキでも買っていこう。弟くんも確か自分と同じで甘いものが好きだったはず、と思い立った***は予定よりも少し早めに家を出ることにした。
***の自宅は駅に近い。駅周辺には様々な店が並んでいるので、その中から行きつけのケーキ屋に入って数個見繕って包んでもらった。甘いものなら一緒に働く側近の疲れを癒すのにも最適かな、とケーキの入った箱を受け取りながら***は思った。それから電車に数分揺られてバスに乗り、バス停から歩くこと5分。見上げれば天高く聳えるその建物は昔とちっとも変っていない。何しろこのビルは***の住む童実野町のシンボルなのだから。***がここに訪れたのは約7年振りである。高校を卒業してから普通に大学に進学し、普通に就職して今に至る。当時の友人たちはそれぞれの夢をかなえるために海を越えたり家の仕事を継いだりとバラバラではあるが連絡は絶えず取りあっている。先日そのうちの一人が世界ゲームコンテストで夢の優勝を果たし、お祝いの電話をしたのが最近である。近々散り散りとなっている皆を集めてお祝いの席を設ける予定だ。ある種の同窓会でもある。
今から会いに行く友人は、果たして彼のゲームコンテスト優勝を聞いてなんと思うだろうか。きっと彼のことだから、素直におめでとうとは言わないだろうけれど、ゲーム好きに変わりない彼はきっと興味を持ってくれるはず。いつか彼も交えてみんなで完成したゲームをプレイしたいなと口元に笑みを浮かべながら、***は歩き出した。

出入口にはスーツ姿の男性が二人ほど並んで警備をしていた。どちらの男性も近づいてくる***に気付き表情を引き締める。さて、と***はどうしたものかと歩きながら考えた。昔ならば何故か顔パスでビルの中に入れたがあれから数年経っている。顔形は特に変わったつもりはないのだがそれでも彼らに覚えてもらえているか定かではない。もしかしたら今あそこに立っている男性たちは当時の人たちではないかもしれない。それに今現在、このビルの、会社の社長は変わっている。といってもその社長もこのお土産を渡そうと考えていた弟くんなので知り合いではある。社長の知り合いだ、と言えば通してもらえるだろうか。そう考えながらもついに***は出入口に到着していた。目の前には二人の男。取り敢えず声を掛けてみようと***が口を開くより先に、男たちはまるで***に道を譲るように移動して並んだ。突然のことに***はぱちぱちと目を瞬かせる。もしかしたら7年前の顔パスが未だに有効のようだ。なにはともあれ問題なく会社に入れることに胸を撫で下ろした***はそのまま中に入り、エントランスホールの受付センターで社長に目通りを願いたいことを伝えた。受付嬢は決められたセリフを謳うようにして***を待たせると、どうやら社長の許可が下りたらしい***に傍のソファで待っているように言った。***は素直にそれに従ってソファに腰を掛ける。この会社は建設こそ数十年前だがいつ見ても綺麗さを保ち威厳を放っている。そんな様子に俄か緊張を覚えた***は少しだけ身を縮こまらせた。昔の自分は堂々とこの会社に入って更には社長室にも乗り込んだものだが、流石に久しぶりの訪問となると緊張してしまう。

「やぁ***!久しぶり!」

そんな声に振り返った***は閉まるエレベーターを背景に現れた男性ににこりと笑みを向けながら立ち上がった。

「モクバくん、久しぶり!突然でごめんね!いや〜立派になったね〜!」

背も伸びた!と褒める***に昔は長かった後ろ髪を短く切って整え、淡いピンクのシャツに明るいブルーのネクタイ、それに美しい白いスーツで身を固めた彼、モクバは見た目の印象そのままの爽やかな笑みから照れくさそうな笑みへと変えた。

「流石に7年も経てば背も伸びるよ。」
「あんなにちいちゃかったモクバくんがもう二十歳だもんね。そりゃ私もおばさんになるわ。」
「何言ってんだ、***もまだまだ若いぜ。」

まるで親戚同士の会話のように弾む彼らの会話。***にとってもモクバにとっても、二人の関係は知り合いや友達というよりも兄弟に似たようなものを感じあっていた。

「あ、これお土産。私の好きなケーキ屋さんのケーキなんだ。磯野さんも甘いもの食べられるよね?」
「ありがとう!丁度休憩で甘いもの食べたいなって思ってたんだ。うん、磯野も食べられるよ。後で渡しておくよ。きっと喜ぶ。」

それならよかったと朗らかに笑う***の様子に、モクバは本当に懐かしさを感じていた。数年前はよく会社や時には海馬邸にまで遊びに来ていた***はいつも笑顔を見せていた。今でさえ年を重ねて落ち着いた大人の雰囲気を漂わせているがその無邪気な笑顔を自分も、そして兄も好いていた。だからいつでもその笑顔に会えるように、屋敷でも会社でも彼女が来たら通すように指示してあった。けれどそれから7年間、***がモクバの元に訪れることは全くとなかった。何度か電話やメールだけで連絡だけは取っていて、この町から出ていないことはモクバも知っていた。だから、今日ここに***が来たことには本当に驚いた。気分屋な彼女のことだからまた唐突にここに来ようと思ったのだろうが、それでも素直に嬉しかった。

「***も一緒にお茶して行きなよ。マカロンもあるぜ!」
「マカロン!」

やったと喜ぶ***の好みは相変わらず。まるであの頃に戻ったような感錯覚さえした。

「あ、でも待って。」
「?」

じゃぁ早速と***を案内しようとしたモクバは、***の引き留める声に振り返った。すると***はさっきまでの明るい笑顔にすこしだけ陰りを見せながら、言いにくそうに声を小さくして言った。

「その前に・・・・・・」

* * *

海馬コーポレーションの本社ビルは基本白い塗装で統一されている。その中でもひと際白く眩しいその部屋は、機械の発する熱の匂いで満たされていた。何かの波長を映す沢山のモニターと意味の分からないボタンがたくさんついたコンピューターの前に数人の研究員らしき人が忙しそうにタイピングしている。この部屋は限られた人間しか入る事を許されない場所。そんな部屋に、***は初めて足を踏み入れた。

***の前ではモクバとこの部屋の管理者らしき年配の男が話をしている。***はぐるりとその部屋を見渡して、それから真正面に大きく張られた窓ガラスの向こうに視線は釘付けとなる。
この部屋に直接隣接されたその部屋は真ん中に大きなカプセルがあり、そこからいくつものコードが繋がっている。そしてそのカプセルの中には一人の男が昏々と眠り続けていた。水平よりもやや斜めにカプセルが設置されているお蔭で***が立つ位置からも男の様子はよく見える。特殊な装置を体中に装着し、安らかな寝顔を見せる彼。これらの光景は近未来的でなんと美しいことか。男のくせに綺麗なんてずるい、と***は場に似合わない感想を心の中でぽつりと呟いた。

***はこの男がどういった経緯でこのカプセルに入ったのか、実は友人から聞いていた。ライバルを追って次元を超えるなんて、非科学的なことが苦手だったはずの彼にしては突飛なことをする、と少し呆れたのが当時の自分だった。命を落とすかもしれない実験に今目の前で研究員と話しをするモクバも、それから話してくれた友人たちも、大層心配していたのは***もよく覚えている。大切な友人が手の届くことのない遠いところに行ってしまった。それを理解した***は、それからなんとなく、このビルに近寄ることを拒んでいた。それなのにどうして***がこの場所に来ようと思い立ったのか、それは今朝、朝食を食べようとしたときにふいに目に入ったカレンダーのせいであった。***はお祭りごとが好きなタイプであり、友人たちの誕生日は毎年カレンダーを買い換えるたびにきっちり記入していた。そして今日の日付に、今もカプセルで眠る男の名前が書かれていたのだ。彼が眠ってしまう前までは、突然彼の部屋に訪れて勝手にお祝いのクラッカーを鳴らしていたっけか。そんな懐かしい思い出に***はくすりと笑みを浮かべる。仕事疲れで居眠りしかけてた彼にこっそり近寄ってクラッカーを鳴らす。もちろんそのあと飛び起きた彼にしこたま怒られたのはいい思い出である。彼とモクバと磯野、それから自分の4人で囲んだケーキ。おいしかったな。

「***。」

呼ばれてはっとした***は視線をカプセルからモクバに移す。

「案内するぜ。兄さまのもとに。」

カードキーを持ったモクバがどこか切ない顔で***を促す。***はそれにこくりと頷いた。年配の男とその他従業員に見送られ、カードキーで解錠された特別な部屋にモクバと***は静かに入った。自動スライドの扉が閉められる。***の前を歩いていたモクバはそっと***に道を譲り、カプセルの傍まで促した。
***は緊張した面持ちでカプセルに近づく。カツンカツンとパンプスのヒールが奏でる音が高い天井に木霊する。白い光と青い光に照らされる男、海馬は、静かに呼吸を繰り返していた。

「・・・・・・」

不思議な感覚だった。
遠く離れてしまったと思っていた海馬が今目の前にある。まるで年をとった様子のない彼は昔***が懐いていたころと寸分変わりない。まるで7年前に戻ったかのような心地に、ほうと溜息を零す。ああ、変わりない。7年離れていても姿を見ていなくても、生活が変わっても町の光景が変わっても。自分も彼も、変わってない。

ふいに***は持っていた小ぶりの鞄に手を入れて何かを探し始めた。ごそごそ探る様子に後ろで見ていたモクバはなんだと首を傾げた。そうして彼女の手元に現れたのは、青と金色の縞模様の三角錐。
「え」と思わずモクバの口から声が漏れた。あまりにもこの場に似つかわしくない代物の登場に驚き、口元もわずかにひくりと吊る。そんなモクバを振り返った***はにやりと笑んでから口元に人差し指を。悪戯な笑顔が昔の彼女とダブる。モクバは参ったなと溜息を吐いた。

***はそんなモクバの溜息を気にも留めず、三角錐をカプセルの中で眠る彼に向ける。そして三角錐の先に垂れ下がった紐をもう片方の手で持ち、間を置いてぐいっと一気に引っ張った。

パァンッ!!

「お誕生日おめでと〜!」

小気味のいい音は白い部屋に間抜けに響く。ふんわりと香る火薬の匂いは、モクバに***を怒鳴る兄の声に驚いて社長室に飛び込んだ当時の記憶をふつふつと蘇らせた。

「驚いた?懐かしいでしょ〜前にもこれで瀬人の誕生日をお祝いしたよね。今日アンタの誕生日だったの思い出して久しぶりに祝ってあげようかと思って遊びに来ちゃった!ずーっと眠ってるから誰もお祝いとかしてくれないでしょ?だから親切なこの***ちゃんが立派な大企業の社長で在らせられた瀬人にお祝いしにきてあげたってわけ!」

怒鳴り声がないのが物寂しい。***は腰に手を当てて海馬を見下ろした。

「ほらはやく起きないと瀬人の分のケーキも食べちゃうよ!あとマカロンも!私のマカロン用意しといてくれたんでしょ?いつここに来ても瀬人の家に行ってもマカロン用意してくれてるのは私のためだったんでしょ?私がくつろげるようにってかわいいクッション用意してくれたりりんごジュースも私好きって言った覚えないのにやっぱり流石瀬人ね!私がいつも飲んでるの見てたのね、常備してくれてありがとう!今日ももちろん、モクバくんに言って用意してくれたんでしょ?遊・・・アテムの元に行く前に、いつ私が来てもいいように用意しておけって言ったんでしょ?なんでそんな中途半端に私を甘やかすかな。そんなことモクバくんに頼むならなんで7年も起きないかな。モクバくん貴方の仕事引き継いで忙しいのよ。それなのに私を優先してくれてるのは貴方のせいでしょ?弟に迷惑かけるなんてお兄ちゃんとしてどうなのほら早く起きなさい!」

ぽつりとカプセルに落ちた雫がするりと流れる。それはまるで海馬が流した涙のように、ゆっくり、ゆっくりと彼の頬を伝って。

「・・・・・・ほら、起きて。」

1つのベッドで一緒に眠ったことがあった。1時間して携帯のアラームが鳴って。それから彼を起こしたのは。

窓越しに見ていたひとりの研究員は、微かな電子音にハッとした。

「・・・・・・、・・・・・・」
「・・・・おはよ。」

緑の波が大きく波打つ。それは今までになかった反応。研究員たちは騒然とした。***の後ろに立っていたモクバも窓の向こうの研究員たちの様子に何かが起こったことを察する。

「・・・・・・」
「・・・・・・瀬人。」

青い瞳がゆるりゆるりと動いて、漸く***の濡れたこげ茶色の瞳と交わる。7年間動かされなかった身体はまだ不自由のようで、唇が僅かにはくはくと動くばかりで。

「おめでとう。今日が貴方の新しい誕生日ね。」

***の緩やかな優しい優しい笑顔に、海馬の唇が僅かに孤を描いた。

君がいつも待ってくれていたように、私も君を待っていたわ。

2016/10/25 海馬瀬人生誕祝


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