ずるい


意識の遠くの方でジリリとけたたましい音が聞こえてきた。毎日聞きなれたサイレン。とは言え決して危険なものではない。一般人なら殆どの人が世話になる代物。

「遊戯!!早く起きなさい!!」

ベルの音に交じって母親の籠った声が聞こえてくる。恐らく部屋の向こう、廊下から叫んでいるのだ。遊戯は仕方がないとむくりと身体を起こした。

それはいつもの朝と変わりはない。昨夜セットしておいた目覚まし時計と、なかなか鳴りやまないその音にしびれを切らした母親の声で目覚める朝。傍にある大きな窓からは朝日が射していて眩しい。遊戯は目をぐりぐりとこすり大きな欠伸をひとつした。まだ頭が覚醒しない遊戯はのろのろとベッドから抜け出し、枕元に置いていた宝物、千年パズルを首に掛けた。するとこれもやはりいつもの通り、傍に誰かの気配を感じる。

“おはよう相棒。早く準備した方がいいぜ。昨日遅刻したばかりなんだから今日はちゃんと時間通りに登校しないとな!”
「おはよーもう一人のボク・・・・そだねーそーするよ・・・・。」

寝ぼけ眼の遊戯はぽやぽやと聞こえた声に返して部屋を出た。廊下の先の階段を下りてすぐにある洗面所に入ると遊戯は鏡の前に立つ。少しだけ寝ぐせのついているいつもの自分の姿が映る。冷たい水と愛用の洗顔フォームで顔を洗うと漸く頭も目も覚めた。遊戯はこの瞬間が好きだった。さっぱりしたお蔭で幾分か心が浮き立つ。鏡に映る自分ににこりと笑いかけた。おはよう、今日の自分。

歯を磨いた遊戯は着替える前にトイレに向かった。朝の習慣のひとつだ。洗面所の隣のトイレに向かうと先に誰かが入っていた。別に急ぐわけでもないので扉の前で遊戯は順番を待つ。暫くすると中で水を流す音が聞こえ、扉が開けられた。出てきたのは自分の祖父、双六だ。

「おお、おはよう遊戯。」
「おはようじいちゃん。」

扉をあけたまま順番を譲る双六は遊戯の寝ぐせを見て苦笑いをして言った。

「これこれ遊戯。・・・の子なんだからもう少し身なりに気を使いなさい。」
「え?」

丁度扉を閉めかけていたせいで双六の声はぼやけて遊戯の耳に届いた。聞き返した遊戯であるけれどもうすでにそこから立ち去ってしまったらしい双六の声は聞こえてこない。
遊戯は「寝ぐせがどうのと聞こえた気がする」と頭を撫でてからパンツとパジャマのズボンを一緒に下げた。のだが。

「!!?」

清々しい目覚めを果たしたはずの遊戯は、狭いトイレという空間で大絶叫を上げた。

* * *

“・・・・なにを今更驚いてるんだ?相棒。”

ふわりと自分の隣で腕と足を組んで空中で座るような恰好をして浮遊するもうひとりの自分は相方の困惑した顔をきょとんと見つめていた。

「ありえないよ・・・・・・」

こんな格好。
と自分の身体を見下ろした遊戯の視線の先には、もうすぐ冬に入るというのに寒そうに曝け出された自分の生足だった。この表現で間違えないで欲しいのは、決して遊戯が露出狂というわけではないということ。これは今着ている服の構造上、仕方がないものなのだ。ひらひらとした青色の布は太ももの真ん中より少し上までの丈で非常に心もとない。羽織ったピンク色の上着は確かに見慣れているが着たことは一度もないもの。スカートと同じ色のリボンタイは結び慣れていないせいで酷く歪だ。スニーカーと違って底が薄い固いローファーのせいで更に身長が縮んだ気分だ。通学路である街路樹に沿って並んだ店の、とあるブティックの大きなガラス窓の前で、遊戯は足を止めた。生涯することはないと思っていた恰好をした自分が、赤い顔でこちらを見つめている。

「女の子だ・・・・」

童実野高校の女子制服を身にまとった自分の姿。童顔のせいか少し似合っている気がするのが情けない。先ほど自分の身体ではあるが女性の下腹部を見てしまったことの方がもっと恥ずかしいのだが。

“相棒、早く行こうぜ。”

背後で浮遊するもう一人の遊戯も矢張り遊戯と同じく女生徒の恰好をしている。しかし自分が女であることが当然と思っているらしく、偶に髪を弄ったりスカートを気にしたりしている。
どうやら遊戯だけがこの状況を異常だと感じているらしい。

遊戯はどうしてこんなことに・・・と頭を抱えながら仕方なく学校に向かった。


「おはよう遊戯!」
「お、おはよ城之内・・・くん?本田・・・・く、ん・・・・・・」

教室の扉を開けてすぐに聞こえた声に伏せていた顔を上げた遊戯はこれまた驚愕と困惑にぎくりと身体を固めた。

何故なら、親友たちが自分と同じく女生徒の恰好をしているからだ。人の机の上に座って長い足を組み手を机についてリラックスする金髪ロングの城之内と、彼、いや、彼女と向き合って立ち肩につくくらいのこげ茶の髪を高い処で一つに括って肩越しにこちらを振り返る本田がにこやかに挨拶をしている。
遊戯は目をばちぱちと瞬かせた。髪の長さと恰好と身長を違うが声は聞きなれた彼らのもので顔形もそっくりだ。自分に真っ先に挨拶してくれる同級生など、彼らと杏子と***しか居ない。

「なにその男子みたいな呼び方。まだ寝ぼけてんの?」

固まる遊戯に顔を顰める城之内は「しょうがないんだから」と頬にかかった綺麗な金髪を耳元に掛けた。思わず遊戯の背中に悪寒が走る。なんだこれは。一体どうなっているんだ。どうして自分と同じ男という性別であった二人まで女性の恰好をしているのだ。その、胸元の、膨らみは、なんだ!

「ちょっと遊戯、そこに居られると邪魔。」
「え!?あ、ご、ごめ・・・・・・」

背後から突然声が掛かって遊戯は慌てて振り返る。すると視界一面に広がったのは最も身近で見慣れた紺色と白。これは男子の制服だ。遊戯はそれだけはすぐに理解して上を見上げた。のだが。

「!!??」

イケメンがそこにいた。
自分より遥かに背の高い男が、遊戯の背後で開かれた扉と柱に手をついて、まるで遊戯を上から覆うようにして見つめている。思わず遊戯の頬が赤く染まった。美しいフェイスラインに切れ長な瞳。とても意思の強そうな目をしているが孤を描く口元は柔らかで優しい。茶色の髪を無造作に、しかしお洒落に跳ね上げているその男を、遊戯は知らなかった。

「あ〜らおはよう杏子ちゃん!」
「馬鹿城之内。女みたいに呼ぶな。」

ただでさえ女みたいな名前なんだからとぷりぷり呟く男は遊戯と扉の隙間から教室の中に入って自分の席に向かう。遊戯はそんな彼を見ながら大困惑した。今城之内はなんと言った。今杏子を聞こえたぞ。

「〜〜〜〜!!」

まさか。まさか。

(あれが杏子〜〜〜〜!?!?)

あまりにも変わりすぎていて全然分からなかった。どうやらあの美男子は遊戯の幼馴染の真崎杏子らしい。とても信じられないが本田も城之内も彼を杏子と呼び仲良さそうに談笑し始めている。よくよく聞いてみれば少し低いが声は確かに杏子のものにそっくりだ。

遊戯はよろりと扉に寄りかかった。どうやら自分は壮大な夢を見ているらしい。家族は全く変わっていなかったのに、自分を含めこの学校の生徒はみな性転化しているらしい。教室の隅でおとなしくしている花咲らしい生徒も、自分の席で本を読む野坂らしい生徒も、みんなみんないつもとは違う姿をしている。遊戯は頭を抱えた。

(一体どうなっているんだーーーーっっ!!!)

* * *

漸く席に着いた遊戯のもとに城之内たちが集まる。

「今日の数学の小テスト、あたしぜんっぜん自信ないっ!杏子勉強した?」
「勿論したに決まってんだろ。城之内はいつも授業中寝てるからできないんだよ。」
「言えてる。アンタいつも爆睡してるもんねー!」

城之内の間抜けな寝顔超ウケる!と笑う本田に何見てんの!と怒鳴る城之内。声は彼らの筈なのに喋り方や一人称の違いのせいで全く別の人たちの会話を聞いている気分だ。遊戯は鞄から教科書を出しながら気づかれないように溜息を吐いた。

「うー・・・こうなったらあとで***に山聞いておこ・・・・・ってあれ、***は?」

城之内の口から出てきた名前に遊戯は肩を揺らし、顔を上げた。そういえばまだ彼女・・・・いや、この夢のような世界なら彼なのか、を見ていない。

「図書室行ってくるってさっき言ってたじゃない。アンタホント周り見えてないのね。」
「言ってたよーな言ってなかったよーな・・・」
「あ、ほら戻ってきた。」

ん〜と額に指をあてて考える素振りを見せる城之内と本田の背後を杏子が指を指す。先ほど遊戯が入ってきた出入口とは反対側の開け放たれた扉から本を数冊抱えた男子生徒が颯爽と入ってきた。すらりとした足は長くきっちり着こまれた学ランが彼の真面目さを物語っている。短く整えられた黒髪は陽光に美しく輝き銀縁眼鏡の奥にはきりりとした細い目が、真っすぐに前を向いている。まるで地味な風貌であるがどこか凛とした雰囲気を醸し出す彼は同じ16歳の高校1年生とは思えない大人びた空気を醸し出し、遊戯は思わずほうと見とれてしまった。

「おはよう***!」
「・・・!」

杏子が黒板の前を歩く***に片手を挙げて声をかけると、無表情で席に向かっていた***が足を止めてこちらをみた。自分を呼んだのが杏子たちであると分かった***はふうわりと口元と目元を緩める。遊戯の胸がどきりと高鳴った。

「・・・・おはよ、杏子。武藤さんも・・・・」

本を持ったまま4人の元まで来た***は杏子たちに囲まれて席に座る遊戯に気付いて挨拶した。遊戯も躊躇いながら小さく「おはよう」と返した。

「ねぇ***―っ!後で数学の小テストの山教えてーっ!蝶野のやつ絶対今やってる範囲からも出してくると思うからさぁ!!」
「こら城之内。ちゃんと自分で勉強しなさい。自業自得でしょ?」

両手を顔の前で合わせて必死に***に頼む城之内の頭を軽く拳骨で殴る本田に***はおかしそうにくすくすと笑った。

「・・・・構わないよ、本田さん・・・後で、僕の席に、来て、城之内さん・・・・・・」

***の優しい言葉に城之内の大きな瞳がうるりと輝く。

「うあああん!これだから***大好きーっ!!」
「・・・・・!」

城之内が歓声を上げながら***に抱き着く。身長差のある城之内を胸に受け止めた***は片手をよしよしと城之内の頭に置いて撫でた。

「まったく。***は女の子に甘すぎなのよ。」
「しょうがないよ、***は紳士なんだから。」
「・・・・・紳士って・・・・」

腕を組んで険しい顔をする本田にやれやれと杏子は手を腰に当てて笑う。そんな中、遊戯は突然ガタン!と大きな音を立てて立ち上がった。

「!?な、なんだよ遊戯。」
「どうしたの?」

机に手をついて突然勢いよく立ち上がった遊戯に驚いた杏子と本田が何事かと見つめる。未だ***に抱き着く城之内も笑っていた***もきょとんと遊戯を見た。

「・・・・な、」

顔を伏せ、表情を見せないようにしている遊戯の声が震える。自分でも驚いているのだ。こんなにも衝動的になるなんて。

「なんでも、ないよ。・・・・ちょっとトイレ行ってくる。」

杏子と***の間を押しのけて遊戯はとぼとぼと教室の出入口に向かう。そんな後ろ姿を、杏子たちは茫然と見送った

「な、なんだったの、アイツ・・・・」
「さぁ・・・・・」

本田と杏子の呟きに、城之内もコテンと首を傾げるばかり。けれど***だけは、教室から出ていく遊戯を静かに見つめていた。


「・・・・あ、そうか。」

トイレに向かった遊戯は入る寸前で自分が今入ろうとしているのが男子トイレであることに気付いて慌てて方向転換をした。そういえば、自分は今女なのだ。いつもと殆ど変わりない外見であるが小さいながらも一応胸はあるしスカートも穿いている。遊戯はそれに改めて気づくと大きなため息を吐いてトイレの傍の壁に凭れかかった。少し気持ちを整理したかったため遠めのトイレに向かって正解だった。もうすぐ授業が始まるせいで人気は殆どなくて静かだ。廊下の窓からは校庭が見える。どこかのクラスが1限目から体育があるらしく体育着を来た生徒が列をなしていた。

髪型も来ている服もしゃべり方も違うのに彼らは自分のよく知る友人たち。そんな彼らが普通ならしないような行動をしたから驚いただけ。それだけだ。そう思おうとしているのに遊戯の頭の中は先程の抱き合う城之内と***のことでいっぱいだった。女の子とは心を許しあった者同士にならばスキンシップが多くなる生き物だ。元の城之内も同性にのみではあるがスキンシップは多く感情表現が大きい人であった。そこに女性特有の性質が加わればあれくらいの行動も当然と言えば当然なのかもしれない。***も女性であった時もとても優しい人だった。心の広い彼女は人の好意を蔑ろにはしない。だから男である今でも決して城之内の突飛な行動を跳ねのけたりせず受け止めてしまうのだ。

理屈では分かっていた。あれは友人同士のなんでもない戯れだ。それでも。

「・・・・・・」

苦しかった。こんなことで苦しくなるなんてまるで女の子だ。自分はどうやら心まで女の子になってしまったらしい。ほんの少しの心の揺らぎで涙が出てしまうなんて。なんて、なんて弱いんだ。

「知らなかったな・・・・。女の子って、こんなに繊細なんだ・・・・。」

ずるずると凭れた壁沿いにしゃがみ込む。太ももと腹に挟まれた千年パズルが冷たくそして食い込んで痛い。しかしそれにも構わず、遊戯は膝を抱えて顔をうずめた。落ち着かなければ。まだ教室には戻れない。

もう一人の遊戯はそんな相方の痛々しい姿を黙って傍で見つめていた。彼女は起きた時から大切な相棒の様子がおかしいことは気づいていた。何故か自分の身体を見て絶叫を上げる程恥じらいを見せたりブラジャーやスカートを身に着けることに長いこと躊躇いを見せたり、まるで自分が女であることを今初めて知ったような様子を見せていた。おまけにいつもと何ら変わらないはずの友人たちを見て大混乱を起こす遊戯にもう一人の遊戯はいよいよ心配していた。これは今日は休ませるべきだったな、と思っていたら大切な友人と好きな人の身体的接触を目の前でどうどうと見せつけられてしまった。あれには正直自分自身も嫉妬の怒りを覚えたが、今朝からずっと混乱、驚愕と心を擦り減らしていた遊戯にとっては大ダメージだったようだ。完全なるキャパシティ越え。そんな彼女に、語りかける言葉をもう一人の遊戯は持ち合わせてはいなかった。もういやだ、くるしいという感情が自分の胸にも渦巻いている。これは相方の感情だ。心が繋がっている彼女にもそれはしっかりと感じ取れていた。困った遊戯はそっと相棒の傍に寄りそう。精神体である自分の身体は決して遊戯の体温を感じることも、ぬくもりを与えることもできない。それでももう一人の遊戯は、遊戯の肩に頭を寄せた。自分にはこれくらいしかできないから。ただ傍に居ることしかできないから。ごめんな相棒。そう心の中で呟いて、目を閉じた。


暫くして、遠くから足音が聞こえた気がして、もう一人の遊戯は目を開けた。相棒は気づいていないらしく顔を膝に埋めたままだ。遊戯は足音の近づく方をじっと見つめた。見えてきたのは紺色。あれは生徒だ。相棒のこんな姿を生徒に見せるワケにはいかない。それならいっそ自分が表に出てこの場からにげようかと思った遊戯は、その男子生徒の短い黒髪と銀色の眼鏡に気付いて動きを止めた。どうやら迎えに来てくれたようだ。あの人になら任せてもいいかと考えた遊戯はそっと心の部屋に戻った。

* * *

「・・・・泣いてる、の。」

声がした。それはとても柔らかくて安心する声。大好きな声であり、でも今ここで聞こえてほしくない声でもあった。

「・・・・・ここに居ちゃ、身体、冷やす。せめて、移動、しよ。」

真面目な彼がこんな時間にこんなところに居るなんて、どれだけ優しいのだろう。暖かな手がそっと遊戯の腕に触れた。

「・・・・・・」

それでも遊戯は何も答えなかった。いや、何も答えられなかった。頭の中はぐちゃぐちゃで、とても言葉なんて出てこない。涙はぽたりぽたりと千年パズルを濡らすばかり。***はどうしようと肩を落とすと、先程のもう一人の遊戯のように遊戯の隣に腰かけて壁に背を預けた。

「・・・・・辛いこと、あったんだね。」

肩膝を立てて座る***の肩と、震える遊戯の肩が僅かに触れ合う。***はそれから口を閉ざしてしまった。

「・・・・・・」

静寂が二人だけの空間を作る。遊戯は分かっていた。それ以上***が口を開かないのは、困っているからじゃない。これは彼の優しさだ。無理に聞き出さないのは自分の知る女性である***と全く同じ。自分が男であった時、恋した女性と全く同じだ。ずるいな。例え性別が変わったって、ボクは君に恋をするんだ。

「・・・!」

ふいに身体を引き寄せられる。暖かな手が遊戯の肩からそっと頭に乗せられて、遊戯の米神あたりに***の頬が触れたのを感じた。

「・・・・・・」

ふうわり頭を撫でる手は大きい。背の小さい自分もいつかこれくらい大きな手になりたいと思っていた頃が酷く懐かしく感じた。

もうこの世界がへんてこりんであろうと、嫉妬で心が乱されようとどうでもいい。こんなに暖かで幸せな時間があるのならどうだって。
遊戯の目から最後の一粒が流れ落ちる。それは***と遊戯の間を繋ぐように、***の胸に吸い込まれていった。

* * *

ややもして漸く気持ちが落ち着いた遊戯は頭を***から離しお礼を言った。それに対し***は問題ないと肩を竦めて笑って見せた。漸く遊戯の口元に笑顔が浮かぶ。***はそれを見てホッと胸を撫で下ろした。

「・・・・・・そろそろ、戻ろう。授業、始まってる、けど・・・・・・」
「!! そうだった!ごめんね***さんを遅刻させて・・・・。」

思いのほか長居していたことに驚いた遊戯はもう一度***に頭を下げる。けれど***は自分が勝手に追いかけてきただけだからと笑ってから立ち上がった。それにつられ立ち上がった遊戯はポンポンとスカートを払う。長時間冷たい廊下に座っていたせいですっかりお尻も太ももも冷えていた。

「・・・・戻ったら、杏子たちに、お礼、言わないと。」
「え?」

遊戯の準備ができたのを見計らって歩き始めた***を追いかけて遊戯は首を傾げた。

「・・・・授業、遅れるの、多分、みんなが、なんとかしてくれてる、と思う、から。」
「・・・・・・!」

任せろ!と親指を立てる杏子たちが容易に目に浮かんだ。きっと保健室に行っているなりなんなり言い訳をしてくれているのだろう。本当に優しい友達を持ったものだ。自然に遊戯の口角が持ち上がった。

「じゃぁボクも後で言わなきゃ!あと謝らないと・・・」
「! 武藤さん!」

パリンッ!
ゴツッ!

***の叫ぶ声と、2つの音が順番に聞こえたと思ったら遊戯の意識がくらりと歪んだ。何が起きたのか全く分からない遊戯は足を縺れさせながら廊下の壁に激突してずるずると崩れ落ちる。霞む視界に僅かに視認できたのは、校庭からバッドを持ったままこちらに走ってくる金髪の生徒と、遊戯の身体を抱き起す酷く焦った***の美しい瞳だけだった。


「・・・・・・!」

遠くでチャイムの音が聞こえた気がしてハッと目が覚めた。一番に見えたのは白いで天井だ。それから薬品の匂い。ここはどこだという脳内の質問に導き出された保健室という答えで、遊戯は肩の力を抜いた。それにしてもどうして自分はこんなところに居るのだろうか。不思議に思った遊戯は取り合えず起きようと身体を起こした。すると左の後頭部にずきりと鋭い痛みを感じた。まるで鈍器で殴られたような痛みだ。何故?と首を傾げていると、遊戯が寝ているベッドの周りを囲んでいたカーテンの一部がシャッと開く。驚いてそちらを見ると何故か学ラン一式と遊戯の鞄を持った少女が立っていた。

「え、え、***・・・・・・さん・・・・・・」

なんで髪長いのと思わず口から出かかった言葉を寸前で飲み込んだ。何故なら彼女は、***は女生徒の恰好をしてぽかんとこちらを見つめていたからだ。あの短かった黒髪は腰辺りまで真っすぐに流れ銀縁眼鏡はなく遮るものがない大きな目はゆるりと緩んだ。

「・・・・・良かった。目、覚めた・・・・・・」

ホッと笑った***に遊戯の胸はどきりと高鳴る。やはり自分は彼女のふとした時に見せる笑顔に弱いようだ。

「・・・・・・武藤くん、覚えてる・・・・?君、体育で、城之内くんの、打った、野球ボール、頭に当たったの。」

言われて思い出すように遊戯は天井を見上げた。そういえば自分は今何故か体操着を着ている。そうか、そういえば今朝は1限から体育があって男子は野球をしていたのだ。そして奇跡的に2塁に出てた自分は3塁に向かって早めに出ていたお蔭でバッターである城之内が打ったボールを頭に食らってしまってそのまま気絶したのだ。なんと情けないと項垂れた遊戯に、***は仕方がないよと苦笑いした。

「え、で、今何時?」
「・・・・・・丁度、お昼。私、先に食べ終わった、から、お見舞いに、来たの。」

後で城之内くんたちも来るという言葉にそうと返事してあれから半分近く授業を休んでしまったのかとますます項垂れる。***は遊戯の着替えと鞄を備え付けの椅子にまとめて置くとくるりと方向転換した。

「・・・私、先生、呼んでくる。職員室で、昼食、摂ってる、から。」
「あ、うん。ありがとう。」

慌てて顔を上げてお礼を言うと、***はこくりと頷いてからほんのり笑みを向け、そうしてカーテンの向こうに去った。すぐに保健室の扉が閉まる音がして、遊戯は大きなため息を吐いた。それにしても変な夢を見た。男女が入れ替わるなんて。女の子になりたいなんて自分は欲求不満なんだろうか?

“相棒!目が覚めてよかったぜ!”

ふいに聞こえた声に見上げるともう一人の自分が嬉しそうに遊戯の顔を覗いて浮遊していた。そうか、***は着替えと一緒に千年パズルも持ってきてくれたお蔭で姿を現したのか。

「心配かけてごめんね、もう一人のボク。まだちょっと痛いけどもう大丈夫だよ。」
“心の部屋から見ていたがびっくりしたぜ。城之内くんもすごく焦ってた。”
「あはは。早く安心させてあげないとね。」

よいしょとベッドから抜け出した遊戯は***が持ってきてくれた制服に着替え始める。そんな姿を、もう一人の遊戯はじぃと眺める。けれどその瞳の奥で映っているのは、少し前に密かに見ていた光景だ。

保健室に運ばれた遊戯を心配した友人たちは代わる代わる見舞いにやってきた。***も勿論、休み時間の度に保健室にやってきた。そして***は、椅子に腰かけて心配そうに遊戯を見つめた。一向に目を覚まさない遊戯に優しい彼女は物凄い不安に駆られたのだろう。ふいに手を伸ばして遊戯の頭に触れた。何度も何度も往復するその手はとても小さく必死だ。どうか早く目覚めて。そんな願いが籠っているのだろう。千年パズルが遊戯の手元にないせいで表に出られないもう一人の遊戯は黙ってそれを見つめていた。けれど暫くもすれば、耐えきれなくなって心の部屋に戻ってしまった。

相棒は、大切な半心だ。そして彼女も、大切な友人。あれは彼女の優しさだ。ただ心配しているだけ。それでも。

“・・・・・・”

この小さな嫉妬の苦しみは、自分以外知らない。

僕は君が。俺は君が。


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