朝の街、通勤サラリーマンの間をすり抜けて秋都は会社への道を軽い足取り走っていく。 途中で捕まってしまった信号が変わるのを待ちながら、スマホを開くと通知欄には今夜行われる超人レスリングの試合の情報が届いていた。 (あ、伝説超人も参加してるんだ。いいなぁ、仕事じゃなかったら観に行くのに) 届いた内容を流し見して深いため息を吐く。残念ながら今日の仕事は夜遅くまでのシフトだ。 信号が変わり動き出した人の流れに、スマホをポケットにしまうと秋都は歩き出した。 この世界には【超人】という、人間の能力を遥かに超えた者たちが存在する。 彼らは、国や地球などの規模を超えて宇宙全土の平和を護る為、日夜戦っているヒーローなのだ。 TVニュースをつければ正義超人の名前が上がらない日はないし、街で目にする広告の中では最近人気のかわいいアイドルよりも筋骨隆々の超人がポーズを決めていることの方が多い。 そして、もちろん“正義”があれば“悪”が存在するわけで、ポケットの中でアラートが鳴ったスマホには今歩いている道の一つ向こうの通りで悪行超人が暴れているという速報が届いていた。 そちらに向かって走っていく人々が早速到着したらしい正義超人の名前を口にしているのを、羨ましげに眺めつつ秋都の足は真っ直ぐに目的地に向かう。 それが普通で、それが日常。 秋都はそんな世界に生きている。 ***** ビジネス街に向かう人波を抜けて一つ横道に入ったところにある、外装を暗めのネイビーブルーで塗られた二階建てのビルのガラス扉を開け、秋都はそこから続く階段を駆け足で登っていく。 その後ろで静かにしまった扉のガラス部分には金文字で、民間ボディガード会社「VIER《フィーア》」という文字が朝日を受け煌めいた。 「おはようございます!」 二階の事務所に元気な挨拶をして入ると、難しい顔でデスクを囲んでいた上司と先輩が振り返った。 「あら、おはよう秋都」 「おはよう」 「おはようございます。あの、なにかありましたか…?」 良くない雰囲気を感じ取っておそるおそると尋ねれば、上司は少し困った顔で「先に着替えておいで」と秋都を促した。それに素直に頷くと秋都はロッカールームに駆け込む。 自分のロッカーを開けて背負っていたバックを突っ込むと、中からスーツを取り出してドアにあるフックにハンガーをかけた。 着ていた私服を脱ぎながら、そっとロッカールームの外に耳をすます。微かに隣の部屋にいる上司達の声が聞こえてきた。 二人の声色はやっぱり硬く、秋都は思わず「またかな?」と小さく呟いた。 秋都が務める民間ボディガード会社では今現在、少々面倒なクライアントを護衛している。 ぱっぱと着替えを済ませて、ロッカーのドアの内側に備え付けられた鏡で髪の乱れと化粧を直すと秋都はロッカーを閉めた。ロッカールームを出ると秋都は上司の元へと向かう。 事務所の窓際に据えられた大きなデスクにつく上司は、戻ってきた秋都に気付いて手元の書類から顔を上げた。 デスクを挟んで立つ長身の先輩の隣に秋都が立つと、彼女はその手にしていた書類を差し出す。 「ついさっき届いたの、“お嬢様”の今日のスケジュール」 受け取った書類はFAXで送られてきたもののようで秋都がざっと目を通しただけでも、昨日提出されたスケジュールとはがらりと内容が変わっているのがわかった。 思わず顔を顰め「うわっ」と嫌そうな声が出てしまった。 「なんですか、このお出かけの数々は?!」 「どうもねぇ……またお嬢様の“わがまま”がはじまったみたい」 デスクに肘をついて憂いた溜め息を吐いた上司は「やんなっちゃう」と投げやりに吐き捨てた。 「わかっているのかしらね、この子。自分が狙われてるの」 高い料金を払って民間のボディガードを雇うクライアントとは、大概金持ちか諸々の事情により警察にも動いて貰えなかった失礼ながら“難あり”が場合がほとんどだ。 とある金持ちに怨みをもつ輩が、その令嬢を誘拐するという有りがちな犯行声明文を送り付けてきた。 ご令嬢の親はそれに大いにショックを受け警察に駆け込んできたが、今日びの警察はそんな悪戯で終わりそうな犯行声明文に多くの人員を裂くわけにもいかず、とはいえ上層部と大きな繋がりを持つ彼らを無下にも出来ずいう状態に結局その声明文を受け取ってから3日だけSPを派遣することで済ませることにしたようだ。 だが過保護な両親の気がその程度で済むわけはなく、鬼気迫る両親に詰め寄られた警察はついには“知人”ーー元警察官であった上司が経営している民間ボディガード会社をその両親に紹介したというわけだ。 それが此処「VIER」だった。 「敢えて犯人側を挑発するタイプだ、自分は絶対に誘拐されるわけがないという変な自信がおありのようだな」 秋都の持つ紙を上から覗き見ながら先輩が嫌味を滲ませてぼやく。 ずらりと書かれたスケジュールは狙われているのだから大人しくしていればいいものの、ほぼほぼ外出。 過保護な両親の元で育てられた令嬢の我が儘で世間知らず…まるで絵に描いたようなお嬢様っぷりに、此処2,3日任務についている秋都達は溜息をつくしかない。 「なんか、誘拐出来るものならしてごらんなさーいって感じですね…」 「嫌ね、面倒」 「お前より、その“子守”をする私達が面倒なんだが?」 「何よ。私だってしてるわよ、子守」 「どうだかな」 はんなりと笑う上司を呆れた様に先輩が見下ろして深い溜め息を吐き出す。 上司ーー正確に言えばこの会社の社長である山本冬子と秋都の先輩は高校からの付き合いらしく、上司部下の関係ながら二人のやりとりに気負いはない。 「で、どうする?」 「そうねぇ…。日中の警護は事前の予定通り、あなた達二人でやってちょうだい。 夕方から夜にかけてのパーティには私達も合流しておこないましょう」 「了解、ボス」 「はい!」 本日の業務が上司から下されたところで先輩は秋都を振り返った。 「秋都、夏彦と交代だ。10分後に出る」 「了解しました!」 秋都がふざけて敬礼してみせると先輩は口の端を微かに上げ、首をコキリと鳴らしてから二人に背を向けた。 「今日もお仕事頑張りましょうかね」 デスクから立ち上がった冬子はそう言ってにっこりと笑った。