真夜中のティータイム




下町の端にある、小さな喫茶店。
すでに街のみんなが寝静まっている深夜に、俺は店の前で足を止める。


とうに閉店時間を過ぎている店は、Closeの看板を立て掛けているものの、店の中が明るい。それを確認してから扉をゆっくりと開けると、入り口に付けられた小さな鐘がカランカラン、と控えめに音を響かせる。人が来たことを店主に知らせるためのものだ。

店内に足を踏み入れた俺はそっと扉を締めながら、恐らく店の奥にいるであろう店主に向けて声を投げた。


「おーい、邪魔するぜ」


しかし返事がない。・・・まさか外出中なのだろうか。
だが、もしもそうなら扉には鍵が掛かっているはず。しっかり者の彼女がこんな時間に、留守番も置かないまま施錠せず店を空けるなんてことは到底考えられない。店が開いているということは、彼女も店にいるはずだと自分の中で完結させてから、今度は名前で呼びかけてみる。


「・・・なまえー?居るのか?」

「・・・あ、はーい。いらっしゃい、ユーリさん」


すると、ゆったりとした返事と共に、店の奥からパタパタと走ってくる音が聞こえてきた。今となっては聞き慣れた音・・・なまえの足音だ。
普段から人の足音を意識して聞くことなんてしていないのに、彼女の足音だと断言できる自分は重症かも知れない。なにが、とは言わないが。


返事が聞こえてすぐ、キッチンの入り口に掛かっている暖簾の間から、なまえがひょっこりと顔を覗かせた。
ふわふわとした長い黒髪を一つにまとめて、見慣れた白いシフォンワンピースに黒いエプロンを身につけている姿は、キッチンで何か作っていたことを表している。


「ごめんなさい、ちょっとオーブンを見ていて・・・。良かったら座っていてください。今温かい飲み物も淹れますので」

「そいつはどーも。んじゃ、お言葉に甘えさせてもらうわ」


少しだけ困ったように眉尻を下げながら言うなまえの言葉に甘えて、俺は端っこのカウンター席に腰を掛けた。
こじんまりとした店の中は、小さなテーブル席が2つと、カウンター席が数席。来店の度にカウンター席を選ぶと「テーブルもあるのに」と言われるが、距離が近いのと、相手と話しやすい方が落ち着くせいで、今ではこの席が定位置となった。
最近はなまえもそれを理解したようで何も行ってこない。俺が店来ると、必ずこの席に運びに来てくれる。



「待たせちゃって本当にごめんなさい。外、寒くなかったですか?」

店内を眺めながらのんびりと待っていると、なまえが飲み物を持ってキッチンから現れる。
カウンター越しに向かい合うと、持っていた飲み物をそっと目の前に置いてくれる。どうやら紅茶を淹れたらしく、置かれたティーカップからふんわりと良い香りが漂ってきた。
カップの横に追加で置かれたも小瓶には透き通ったとろみのある液体が入っており、これは?と中身を尋ねると「それはハチミツです、紅茶に入れてくださいね」と説明が返ってきたので、早速紅茶にゆっくりと注ぎ入れる。


「寒がるほどじゃなかったな。今日は温かい方だったと思うし」

「それなら良かったです。最近は夜冷え込むことも多いので、ユーリさんが風邪引いちゃったら大変だなって」

「そんなヤワな身体してねーから、安心してくれ」


些細なことでも心配をしてくれる彼女に思わず苦笑しつつ、ハチミツを淹れ終えた紅茶を軽くかき混ぜながら平気だと伝えてやれば、安心したような笑みを浮かべて紅茶に口をつけるなまえ。続くようにして紅茶を一口に含むと、ホッとするような、優しい香りと程よい甘さが口いっぱいに広がる。控えめすぎず、かといって甘すぎるわけでもない、俺好みの甘さ。今まで飲ませてもらった中で一番好きかも知れない。



「美味いな、これ」

「良かった!ユーリさんのお口に合うように、新しい配分で作ってみたんです。色々試して頑張った甲斐がありました」

「・・・待て待て。もしかしてコレ、俺のためだけに作ってくれたって事か?」


不意打ちで飛び出してきたなまえの言葉に、思わず聞いてしまった。俺の言葉を聞いたなまえは、どこか誇らしげな様子で大きく頷いた後に、慈しむような優しい表情でティーカップを見つめる。いつもの可愛らしい笑顔とは違う、今までに見たことのない表情に自分の心臓が跳ねた気がするが、気のせいだと思っておく。


「はいっ。これまでの感想を参考にして、やっと納得いくものが出来たから飲んでもらいたくって。・・・ユーリさんのイメージに合う綺麗な色で作れて、個人的にも満足です」


カップに注がれた透き通った紫色を見つめるなまえは、本当に嬉しそうにしていて。これは話すようになってから知ったことだが、なまえは相当な追求型の人間だ。自分が思い描いた物を作るための努力を惜しまず、自分が投資できるものは全て躊躇いなく注ぎ込むことが出来る。その意識も姿勢も純粋にすごいと思えるが、それ故に自分の身体のことを後回しにしがちなのが唯一の欠点、だろうか。



──彼女と知り合ったのは少し前、ラピードの散歩からちょうど帰ってきた時だった。

部屋に戻る途中、何やらフラフラとした歩き方してる奴がいるなと思いつつその姿を眺めていたら、突然その場に蹲るものだから何事かと驚いたのはよく覚えている。
宿屋兼酒場の『箒星』に連れ帰り、女将さんに預けて少ししてから言われたのは「ありゃ寝不足だね、休ませればすぐ良くなるよ」という言葉。

しばらくしてから起きてきた彼女は申し訳無さそうにしていて、理由を聞けば喫茶店の新メニューを作るのに夢中になりすぎてしまっていた、という。話を聞いた女将さんが心配して、下町を回るついでに定期的に様子を見に行けと言われたのが付き合いの始まりだった。


始めこそ見回りのついでに外から様子を見る程度だったが、俺を見つけたなまえがお茶に招いてくれるようになってから、少しずつ話すようになった。

──今では試作品の試食のために、こうして営業時間外の店に入れてくれる程度には心を開いてくれているらしい。



「・・・役得だな」

「? どうかしました・・・?」

「いんや、何もねーよ」


真夜中に甘いものを食べながら、二人きりのティータイム。
ガラじゃない、けど悪くないなんて、頭の片隅で思いながら。絡みつくような、どこか締め付けるようなこの感情には、まだ知らないふりをしておくとしようか。


キョトンとしながらこちらを見上げているなまえを見ながら口に流し込んだ特製の紅茶は、さっきよりも甘みが強くなった気がした。