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『彼女』の人生はここを起点に大きな運命に飲まれていった。
全ての光を吸収するかのような漆黒の広がるそこに『彼女』はいた。
アメシストを連想させる瞳は光を失い、虚ろだ。いったいどこを見て何を映しているのか分からない。ただ、『彼女』の瞳には虚無だけが宿っていた。
「 」
うっすらと開いた唇から零れるのは僅かな吐息のみ。
体に力を入れることなく『彼女』は仰向けになっていた。その小さな躰には、『彼女』を構成する臓器や骨があるだけで他には何もなかった。
『彼女』は空っぽだった。
記憶も感情も、今の『彼女』の中には何もなかった。だから『彼女』は自分が一体何者で、何をしていて、どこにいるのか解らない。もっとも今の『彼女』は自分が生きていることすら認知できていない。
『彼女』の吐息しか聞こえなかったこの空間に男の声が響く。
「おまえには、我が一手として旅をして貰う。おまえは我が願いの要となるのだ」
記憶もない『彼女』が男の言葉の意味を理解できるはずもなく、ただ音として認識していた。けれどこれが今の『彼女』にとって初めて聞く言葉だった。だからだろうか、この言葉は痛い程までに鮮明に『彼女』の脳内へ刻み込まれた。
フッと、男から零れた嬉しげな吐息が『彼女』の耳に届いた、その瞬間。
眼を焼き焦がされそうなほど強烈な光が辺りを飲み込んだ。漆黒の闇は乱暴な光で掻き消された。そしてその光が収まった時、もうすでにそこに『彼女』はいなかった。
「もういない。我が願いを妨げる者は」
満足げに笑みを浮かべる男の視線の先には、先ほどまで『彼女』がいた空間があった。先程の強烈な光は『彼女』がそこにいたことさえ掻き消したようだった。今はただ、男のその視線だけが『彼女』がつい先程までそこにいたことを証明していた。
「どれだけの血が流れようとも 必ず叶えてみせる」