此れを其れと知らなくて

太陽が去って訪れた夜を、かがり火が燃やすように照らす。天皇の御座す京都御所の御垣を守る衛士たちの後ろに立てられた松明のかがり火だ。火の粉がはぜるその赤は月光を掻き消し、夜風が吹こうとも少し揺れるだけですぐに元の姿に戻ってゆく。不規則な揺れに心地よさを覚え、自覚する隙も与えず私の意識と視線を奪っていった。
そういえばかがり火を何かに例えた人がいたな、なんて柄にもなく思いにふけっていると、一人の声が私を現実に引き戻す。

「何ぼーっとしてるの?」

振り返るとそこには柔らかな笑みを浮かべた男が立っていた。
腰には二本の刀、浅葱色の衣を身に纏う――――新選組一番組組長、沖田総司。十代にして天然理心流の免許皆伝者となり、新選組において一二を争う程の実力の持ち主。誰もそれに異を唱えることは出来ないだろう。以前に一度だけ稽古を目にしたとき、剣術について素人の私でも一瞬でその強さを実感した。

「何か考え事でもしてたの?」
「何も」

隠す必要はないけれど、わざわざ親切に自分の心中を教える気分ではなかった。もとはと言えば相手が悪いのだと自分に言い聞かせて私は総司の前を横切った。

「まだ巡察中でしょ」
「もしかして、すねてる?」

おそらく、というよりは今の自分の気分は総司の言った通りだと思う。

今日は元々、一番組は非番だった。けれど、総司の気まぐれのせいで急遽夜の巡察に出ることになったのだ。総司は猫のようなに気まぐれで、周りのことなど気にしない。総司のそんな性格に振り回されるのはこれが最初ではないので私の気持ちも理解してほしい。未だ夏の暑さが残る京の都はたとえ陽が沈んでもある程度の距離を歩けば汗がじんわりと流れるような気温なので、私は極力外出したくなかった。私の体にはそれが合わないようで、夏の時期は日中本当に動く気力がなく仕事以外はずっと部屋にこもっていた。
今日の夜の巡察を一番組が代わりに行うことを告げられたのは晩ご飯前の夕刻だった。他の隊の組長がどうしても今日酒を飲みに出かけたいと懇願して来たため、総司はそれを承諾したらしい。名目上、“京の治安を守る”ことが仕事である新選組にとって見回りである巡察は大事の一つ仕事ではあるが、総司はそういった大義名分にも外聞にも執着がないので、職務放棄ともとれる頼みをすんなりと承諾したのは想像に難くない。

「なんで・・・今日は非番だったのに・・・」

悪気もなさそうに言ってくるので私はわざと大きなため息をついて肩を落とした。私が京の暑さが苦手だということを以前総司の前で口にしたことがあるけれど、そんなことなど覚えていないのだろう。その気まぐれさには本当に困る。

「別にこれといってやる事ないでしょ」

事実を言われたので何の言葉も返せなかった。確かに、後は晩ご飯を食べて寝るだけだった。今日は夕刻前に、与えられた全ての仕事が終わる珍しい日だった。そういう日を気まぐれに潰されたくないと口にするには少し幼いなと思ったので私は不本意ながら押し黙った。

「ということだから、晩ご飯食べ終わったら準備してね」

拒否しない私を見て総司はどこか満足げな笑みを浮かべてそう言って、部屋から去って行った。




陽が沈んでから既に数刻経っているにもかかわらず、京の街はその賑わいを弱めることはなく、夜は夜で独特の雰囲気を醸し出しながら多くの人でにぎわっていた。
その中で新選組の隊服は異質だった。夜の暗さでその異質さは日中よりもましではあるけれど、この街の賑やかさの中に隠れる不逞浪士がいないかと目を光らせる隊士たちは街の人達のそれとは全く異なっていた。私は厳密に言えば新選組の隊士ではないけれど、それでも一生、向こう側に戻って街の賑やかさの中に入ることは出来ないだろう。

「ねぇ」

突然隣から声を掛けられ、総司の方へ視線を向けるも、言葉を続けようとはせず、すっと腕を上げて、どこかを指差す。何がしたいのかよく分からず私は眉をひそめながらもそれに従うようにその指差す方を視線で追う。
華やかな大通りから少し入ったところにある、窮屈(きゅうくつ)そうに町屋に囲まれる鳥居があった。その向こうには賑やかな灯りが見え、人々の楽しそうな声がかすかに聞こえてくる。境内(けいだい)はさほど広くはなさそうだが、いくつか夜店が出ているようだった。

「祭り…?」
「みたいだね」
「こんな時期に?」

夏と言うには少し遅く、秋と言うにはまだ早い今この時期に祭りなんて珍しいなと思った。

「行こう」
「いや、今巡察中でしょ」
「大丈夫だよ」
「大丈夫って、他の隊士も一緒に?」

総司は首を横に振った。私はその意図が読めず困惑した。

「長居する訳じゃないし」
「いや、でも」

総司が何を考えてこんなことを言い出したのか全く想像がつかず、どうすればよいか分からなくて戸惑いのあまり総司と鳥居の向こう側を交互に見やった。

「お祭り、好きなんでしょ?」
「な、んで・・・・」

息が、止まる。もうこれ以上何も言えない。言えるわけがない。身体がかっと熱くなる。これは残暑のそれではないと、心の中で私が私に言った。
総司は立ち止まったままの私の手を取り、細い路地へと入っていった。祭りを楽しむ人たちの声が次第に大きくなる。
鳥居をくぐった私たちは巡察中の隊士ではなくなったかのような錯覚に陥る。皆祭りを楽しむことで頭がいっぱいなのか、私たちの着ている新選組の隊服に気付く人はいないようだった。
鼻をかすめる香りは普段の生活では口にしないであろう食べ物のもので、周りにいるのは怒涛の時代の流れの中にいることなど知らないような平和で穏やかそうな面持ちの人ばかり。
祭りなんて何年ぶりだろうか、もはや思い出せなかった。それが少し寂しくも思えたが、込み上げてくる懐かしさと嬉しさと楽しさに一瞬で胸がいっぱいになる。

「何かほしいものある?」

総司にそう言われて気付いたが、私は巡察には一銭も持たない。故(ゆえ)に今、ここに来ても何もできることはない。一瞬にして水を差されたような気分になった。
何かそれが表情に出ていたのか、総司は「ははっ」と笑った。

「ほんと、君って必要最低限の物しか持たないね」
「そりゃ、巡察だし・・・」
「巡察って言わなきゃ来ないしね、君」
「え・・・?」
「ほら、早く言いなよ。僕が買ってあげるから」
「・・・」

「私が祭りが好きだと言ったことを総司が覚えている」と認識した後から、私は総司の言葉を上手く頭で処理できない。これも彼の“気まぐれ”なのだろうか。そして私はその“気まぐれ”に今もただ振り回されているだけなのだろうか。

いや、それでもいい。
何故か今はそれがとても私の気分を良くさせる。そう自分で認めれば戸惑いで固まっていた思考がほどけていく。

「あれが、ほしい」
「あれ?」

周囲の音に掻き消されてもおかしくはない程の小さな声を総司は逃がさず拾い上げた。私の視線を辿った先にあるものを見つけると、総司は驚いたように少し目を丸くした後、ふっと微笑んだ。その反応に心が満たされていくのが自分でも分かった。

「君も好きだったんだ、金平糖」


それは、いつかの昼下がり、貴方が好きだと言っていたもの――――




今にも雨が降り出しそうな、澱んだような暗い雲が空を覆っていた。天気に気分が左右される性格ではないけれど、それでもこういう日は少し陰鬱とした気分になる。それに重ねて空気が湿っぽく、肌が少しべたべたするのがまた気分が滅入る。
そんな気分を払うように、手に持っていた箒を強く握った。今日は巡察がない代わりに八木邸の物置の整理を仕事として言い渡されていた。八木邸とは新選組が屯所として借りている個人宅の一つだ。何年も掃除されていないようで、乱雑に置かれた箱たちは分厚い埃をかぶっていた。ここにあるのは全て八木家の人達が以前に使っていたものなので粗末に扱ってしまわないよう気を付けなければならない。
突然夜の巡察に行くことになり、何故か祭りに行くという稀有なあの日から一週間がたとうとしていた。けれどその日のことはまるで昨日の出来事のように鮮明に思い出せる。

「・・・・はぁ」

何故かため息が零れ出た。無意識に出たそれに自分でも疑問に感じたが、考えても仕方ないと頭を横に振った。

総司は今日は数名の隊士と千鶴と共に街に出ると今朝言っていたな、とふと思い出す。千鶴とは、行方不明となった父親を捜しに一人上京し、紆余曲折を経て私と同じように新選組に身を寄せることとなったもう一人の女の子だ。彼女は護身術以外の刀の使い方を知らず、ひたむきで、素直で、とても純粋な少女。自分でも思う程、私とは本当に正反対だった。外見や、仕草、そういった目に見えることではなく内面を指して“可愛い”と称すならきっと彼女のような人なのだろうなと、彼女に出会ってしばらくしてそう感じさせられた。

“勝てない”

心の中にふと浮かんだその言葉に胸が締まる。
一体、何がどう彼女に勝てないというのか。どうしてそんな単語が出てきたのだろうか。

「どうして・・・」
「何が?」

突然、背後から覆うように人の影が伸びてくる。

「わっ!?あ!」

自分でも驚くほどの大きな声を上げ、心臓が体ごと飛び跳ねる。持っていた箒を勢いよく投げ出した右手が、棚に置いてあった小さな箱に当たる。それに手を伸ばした瞬間、体の重心が傾く。一瞬一瞬があり得ないほどにゆっくりと流れていくように見えた。

「大丈夫?」

はっと気付いた時には箱の中身は床に散らばり、手には箱の蓋と一枚の札があるだけだった。小さな箱の中身は百人一首だった。箱の中にきちんとしまわれていたからか、札たちはあまり色褪せることもなくその鮮明さを保っていた。

「ごめん、君がそんな驚くとは思ってなくて・・・」

普段の声色とは少し違う総司の声。
「い、や・・・」

床に散らばった百人一首の札から顔を上げると、予想と反して総司はらしくない表情だった。少し戸惑いというか、どこかばつが悪そうな。

「なん、で?」

私の言葉に総司は首を傾げた。首を傾げたいのはこちらの方だ。
いつもなら、普段通りなら総司は悪戯(いたずら)が成功した子供のように笑って―――“総司は猫のようなに気まぐれで、周りのことなど気にしない。”―――そう思っていたのに、そんな表情を見せられると、自分の中の言葉では言い表せない何とも複雑な気持ちになる。上に登っていくような感情とそれを抑えようとする冷めた感情が入り乱れ、胸が“痛い”と声を上げた。

こちらを見つめる翡翠(ひすい)の瞳を直視できなくなって、視線を下ろす。視界の端に、かろうじて手に持っていた一枚の百人一首の札が映る。



嗚呼、此(こ)れは――――――――――




御垣(みかき)守(もり) 衛士(えじ)の焚く火の 夜は燃え 昼は消えつゝ ものをこそ思へ

大中臣能宣朝臣 小倉百人一首 四九




禁中の御垣を守る衛士のかがり火は、夜は赤々と燃えているが、昼間は消えるようになって、まるで、夜は情熱に燃え、昼間は思い悩んでいるわたしの恋の苦しみのようではないか。







――――――――――恋の苦しみ、なのか。

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