純情を孕んだ不純な純情



「飛行機で行こう」という私の提案を、彼は顔を顰めて「新幹線で帰ります」と蹴った。
4年という月日、とりわけ思春期の時間経過は恐ろしいもののようだった。同一人物だとは分かっても、声変わりも済ませたであろう声と私を越す身長にはなんとも言い難い違和感がある。そして一番私にとって“恐ろしい”のは彼の切れる頭だ。幼少期から周りと比べたらそうだとは思っていたけれど、それでも私の「飛行機で行こう」の“意味”を推し量る作業すらしなかっただろう。小学生にそれが可能なはずがない。けれどきっと、成長した今の彼は私の言葉の“意味”を瞬時に理解したのだろう。
大阪から東京へ向かう主な公共交通手段はバス、新幹線、飛行機。私が提案した飛行機はこの中で最も乗っている時間が短い交通手段だ。最終合計時間は新幹線と飛行機では大差ない又はどちらかがより時間がかかる場合もある。どちらにせよそんなものはこの状況の私には誤差だ。空港での時間や在来線のことはこの際除外する。肝心なのは安定した空間の滞在時間をどれだけ減らせるかだ。その時間に質問攻めにされるのは面倒だ。飛行機であれば約1時間、新幹線であれば約2時間半乗っていることになる。だから私は「飛行機」を提案した。そして彼は私の目論見を瞬時に察して顔を顰めて蹴った。
彼が私を見る目はますます疑惑と怒りの色を濃くしていった。眉間に皺まで寄っている。これでは墓穴を掘ったも同然になってしまった。隠されていると分かれば人は無意識にそれが重要な何かだと推察するだろう。これ以上変な勘繰りをされても面倒なので私は彼の思考と遮るように「じゃあこっちね」と新大阪駅へと向かう在来線のホームを目指した。

まだ私が逃げると思っているのか新幹線に乗るまで彼はずっと私の腕を握っていた。そしてご丁寧に彼のとった新幹線の指定席は2列シート、通路側が彼で窓側が私だった。「逃げないよ」と何度か言ったが、彼は「前科持ちが何言ってんですか」と言い返してくるだけだった。彼のその警戒心はあながち間違ってはいない。私の「逃げない」は呪術師の上層部との“契約”があるからであって、五条悟の指示だと言いながらそれとは関係なく連れて帰ると言った彼の意図は量りかねるが、これが彼の私情であれば私は逃げている。それが完遂可能であるかは別として。

案の定、彼は新幹線の中で私に質問を投げかけた。ちょうど京都駅を出発してすぐ後だった。

「なんで突然いなくなったんですか」

平常心を装う彼の言葉の端々には、私に向けられた剥き出しの感情が滲み出ていた。それでも私は瞼を閉じて窓の方へ顔を傾けた。

「狸寝入り決め込むつもりかよ」
「話すことがないからよ」
「は?」

もはやその怒気を冷静さで覆うこともやめた唸るような声だった。

「・・・あなたのその怒りは正当よ。私に怒るのも、謝罪を求めるのも、あなた達にはその権利がある。そして私があなた達に言えるのは、謝罪の言葉だけ」

脳裏にまだあどけなさの残る彼と彼の姉が私の名前を無邪気に呼ぶ姿がよぎる。

「ふざけんな」

ぼそっとつぶやかれた彼の言葉はわずかに震えていた。勝手にいなくなって、再会してもその理由を話そうともしないくせに謝罪だけはするというのだから、怒りを通り越して彼は呆れたのだろうか。

「あなたも少し眠ったら?呪術師、万年人手不足で忙しいんじゃない?」
「随分と他人事ですね。羽月さんも呪術高専通ってたはずですけど、今は呪術師やってないんですか」

お察しの通り、呪術高専卒業と同時に呪術師をやめている。1年浪人の末、今は大学生だ。けれど答える気はないので「さぁね」と肩を竦めると舌打ちが返ってきた。
「狸寝入りを決め込むのか」と先ほど言われたが、私は本当に眠ってしまおうと思っていた。けれど彼の気にあてられてか目をつむっても一向に眠気はやってこなかった。車内販売を知らせる乗務員の声が聞こえてきたので、瞼を開けて上半身を背もたれから起こした。

「ね、お腹空かない?私はお腹空いたんだよね。よかったら何か食べない?私一人、隣で食べるのもなんだし。お金なら私が払うから」

彼の返答を聞く前に車内販売のワゴンがもうすぐ来そうだったので「すいません」と呼び止めた。

「えっと、そのお菓子とお茶ください。あなたは?」

彼は即答した。

「コーヒーで」

財布の中から千円札を抜き出し、彼越しに乗務員に渡そうと手を伸ばす。彼はその私の手を押し戻し、代わりにどこから出てきたか分からない千円札を乗務員に差し出した。

「ちょっと、なんであなたが」

彼は戸惑う私と乗務員を押し黙らせるように「これで」と強く言った。千円札を持つ私の右手を彼の左手が膝の上に縛り付ける。困惑の表情は消えなかったものの乗務員は彼の差し出した千円札を受け取り、商品とお釣りを差し出すとそのまま車内販売を続けた。
彼は受け取ったお菓子とお茶を私の膝の上に置き、コーヒーはそのまま前座席背部の網ポケットに入れた。

「お金返すよ」
「いらないです。受け取りません」
「なんでそんなこと」
「俺、もうガキじゃないんで」
「どういうこと?」
「知らないと思ったんですか。羽月さん、俺たちに何か買ってくれる時、自分の財布からお金出してましたよね。俺たちのお金使えばいいのに」

彼の指摘は当たっていたが、そんなことに気が付いているとは思わなかった。恐ろしい観察力。とはいえ、私が絶対に私物を置いて帰らなかったこと、非消耗品は購入しなかったこと、つまりは予め消えると決めていたことは当時の彼は気が付いていなかったようだけど。

「単純に“子供のお金”を使うみたいで嫌だっただけ。それに大した金額じゃないし」

怨霊でも吐き出しそうなため息をついて彼は読んで字の如く、頭を抱えた。今の自分の発言のどこに彼をそうさせる理由があるのか全く分からないので、触れないでおくことにする。迂闊に墓穴を掘るのは避けたい。

「お金、受け取ってくれないの?」

拒否されるだろうと見当はついていたが再度そう訊ねると彼は黙って頷いた。行き先を失った千円札を財布に戻す。
お菓子の箱を開け、二つ入っていた小袋のうち一つを彼の視界に入るように差し出す。そこでようやく頭を抱えるのをやめて彼は顔を上げた。

「気使わないでいいです」
「全くそういう意味ではないわけじゃないけど・・・でも、これ美味しいのよ?クッキーが嫌じゃないなら食べてみて。コーヒーとの相性も私的に良かったよ」

彼はコーヒーを網ポケットから取り出し、小袋を開けてお菓子を口元へ運んでいった。クッキーが彼の口の中でサクッと軽やかな音を立てる。その音に促されるように私も小袋からお菓子を取りだし、口の中へ放り込んだ。言わば定番のお菓子の一つに過ぎないが、久しぶり口にしたせいかその味は私の心の時間を巻き戻すかのように、懐かしさと新鮮さを感じた。

「美味しいです」
「でしょ?」

彼は微笑み、二つ目を取り出した。

ほんのりと、じんわりと心の中に浮かび上がってくる温もりに私は無視を決め込む。

そそくさとお菓子を食べきってお茶でそれらを胃へ流し込み、眠気を何とか引っ張り出して私は瞼を閉じた。
なぜかは知らないが、彼は目的地に着くまで質問はしてこなかった。


純情を孕んだ不純な純情
要らないと捨てたもの
だから2度目はない

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