友達は一生の宝
がやがやと喧騒とした空気に包まれている居酒屋のとある個室で、中ジョッキになみなみと注がれた生ビールをごくごくと喉をかき鳴らしながら飲み干す一人の女性がいた。身長は150cmくらいの小柄な身体に、茶色のふわふわとしたセミロングの髪、ぱっちりと大きな瞳にマスカラ不要の長いまつ毛。綺麗系ではなくかわいい系に分類されるだろうそんな顔に似合わないくらいの良い飲みっぷりを披露した後、どこぞの親父みたいに盛大な吐息を零すと少々乱雑にテーブルの上にあった紙のコースターの上にジョッキを置いた。
「ぷはぁーっ!あー生き返るー」
彼女の名前は名字名前。何処にでもある(決してホワイトでは無い)一般企業で働くOLである。
「んーやっぱ生ビールが一番美味しい!」
この喉越しが堪らん、と名前は満足気な表情でテーブルに備え付けられているコールボタンを探した。
「さーてお代わり頼もーっと。あ、昴くんは?」
チラリと向かい合わせに座っていた男…沖矢昴にそう問かければ、控えめに首を横に振り「まだ大丈夫です」と返答が返ってきた。
そう、今日名前は大学院生である沖矢昴と居酒屋に飲みに来ていたのだ。
ちなみに、彼との出会いはとあるバーで荒れ狂いながら店のお酒を片っ端から飲んでいた時に声を掛けられ意気投合した事から始まる。聞き上手な沖矢に名前は愚痴をぶちまけスッキリし、それからと言うものも何かあればこうして飲みに誘うくらいに仲良くなったのである。
「そお?じゃあ生ビールだけ注文するね」
名前は店員を呼ぶために備え付けのテーブルコールのボタンを押すと、今度はお通しで出されたもやしのナムルをつまみ始めた。
「ん〜うまっ!」
お酒を飲み美味しい物を食べる。なんと素晴らしい時間だろうか。あっという間に空になった皿を入口付近に置いていると、呼び出された店員がノックとともに声を掛けて個室の扉を開けた。
「お待たせしました〜」
ばっちりメイクをキメた女性店員だ。呼び出しついでに持ってきたのだろう鶏の軟骨唐揚げとタコわさびをテーブルに置きながら注文を受けるべくポケットからハンディーを取り出す。
「何かご注文ですか?」
「はーい、生ビールひとつお願いしまーす!」
「かしこまりました。以上でよろしいですか?」
「大丈夫ですー」
名前の間延びした返事に笑顔で対応すると、すぐさま踵を返し個室から出ていった。
「はぁー美味しそう!あ、昴くんは唐揚げにレモンかけない派だもんねぇ」
「ええ、すみません」
「んーん、良いの大丈夫。それじゃレモン貰うね」
小皿に軟骨の唐揚げを何個か移すと、そこに直接レモンをかける。苦手な人がいるのに容赦なく唐揚げにレモンを絞る人もいるが、名前はきちんと了承を取る事にしていた。折角注文したのに食べれなくなったなんて切なすぎるからだ。名前はレモンが大丈夫だが、苦手な人からしたら嫌なものは嫌なのだから確認は怠らない。
だって美味しい物は自分好みで美味しく食べたいよね!と言うのが名前の自論である。
小皿に移した軟骨を箸でつまむと表情を緩め口へと運んだ。ぱくり。コリコリとした食感も味もパーフェクトに美味しい。
「あー美味しい。幸せ〜」
もぐもぐと幸せそうに咀嚼する姿を眺めながら、沖矢も日本酒をちびりと飲む。彼女は本当に幸せそうにお酒を飲みご飯を食べる。その姿を静かに見ていると、視線に気が付いたのか名前と目が合った。それから心底不思議そうな表情で沖矢の手元にある日本酒をじっと見詰める。
「なんか、昴くんがウイスキー以外を飲んでるって変な感じ」
日本酒も飲めたんだ。と軟骨の唐揚げを食べながらそう言えば、沖矢は何を考えているか分からない飄々とした顔で口を開いた。
「まあウイスキーが一番好きですが、基本的には何でも飲めますよ」
「へえ!悪酔いとかするやつとかも無いの?」
悪酔い…。絡み酒や記憶を失ったりと言うことだろうか。沖矢はふむ、と指を顎に当てた。
「そうですねぇ、今の所そう言ったものは無いですね」
記憶の限り他人に絡んだり記憶を失った事は無い。己の限界まで他人とお酒を飲んだ事も無いし、自分でセーブして毎回飲んでいるので人様に醜態を晒した事は無かった。
「えーいいなぁ。私はワイン系だけは無理なんだよね。少量なら問題無いんだけど、飲み過ぎたら変な酔い方しちゃって…」
「ほぉー…名前さんが酔うんですか」
沖矢はこれまで名前が泥酔した様子を見た事が無かった。ビールや焼酎、日本酒、ウイスキーだってケロッとした表情で浴びるほど飲むのに頬が赤くなる程度で全く酔わない。日本人はお酒に弱いと聞くが彼女は大層強い人間であった。…本人曰く、実家が酒屋でお酒に慣れているとか。
そんな彼女がワインだけは酔うと言う。沖矢は興味深げに問い掛けた。
「変な酔い方ってどんな酔い方をするんですか?」
酔い方も人それぞれで、人様に迷惑をかけるレベルから可愛らしい酔い方をする人もいる。どんな酔い方なのだろうと答えを待っていると、名前は眉を寄せながら答えを口にした。
「…今以上にハイテンションになって絡みまくるうざったい酔い方するらしい」
「…らしい?」
らしい、とはどういう事だろうか。おっとりとした見た目からは想像できないくらい物事をきっぱりと言い切る性格の名前の曖昧な答えに沖矢は小首を傾げる。
「んー…前に友達家でワインを飲んだ時にそうなったらしいんだけど、記憶がぶっ飛んじゃって覚えてないんだよねぇ」
どうやら記憶が無いためはっきりと答えられないようだ。
「成程。それはそれは…」
「だからそれ以来ワインは禁止してる」
記憶を失って何かやらかしてからでは遅い。自衛のためにもそうした方が良いと沖矢も頷いた。
「それにワインが無くてもこうしてお酒は楽しめるからねぇ」
ビール最高。とジョッキに頬擦りしそうな名前。沖矢は苦笑いを浮かべた。
「名前さんに限って前後不覚後になるような事は無いとは思いますが…本当に気を付けてくださいね」
「はーい」
聞いてるのか聞いてないのか。名前はまたもやハイペースでジョッキを空にすると再び注文すべくコールボタンを押した。
「───でね、うちのアホ課長が私の胸見て随分と寂しい胸元だねって言うからカチンと来てさー」
「ええ」
「笑顔で課長の頭頂部も寂しい事になってますね、って言ったらめっちゃ怒られたんだけど!!めっちゃ面倒臭い仕事押し付けられた!何なのアイツ、絶対許さない」
「…ああ、成程」
「先にセクハラ発言してきたのそっちじゃん!?みたいな!ねえ、どう思う!?」
名前は見た目にそぐわず意外と好戦的な部分がある。媚びへつらうタイプではないので、故にこうして他人と衝突することもしばしば…。そして何かあると愚痴大会と称して沖矢を飲みに誘うのであった。
「確かに私の胸は大きくないけどさぁ!」
事実だけに腹立つわぁーと一気にお酒を流し込む名前。
「そもそもね、人を見た目で判断するなって思わない?」
「そうですね」
「会社の飲み会とかでも、私が生ビールとか日本酒とか頼んだらエッ!?みたいな顔されるんだけどどういう事!?カシオレとかファジーネーブルとか飲んでそう…ってどんなイメージ!?あれはお酒であってお酒じゃない!!ジュース感覚で飲めるわ!!!」
ダンっとジョッキをテーブルに叩きつける名前。相当荒れているようだ。
「好きな物を好きに飲みたいのにそうさせてくれない…。だから会社の人とは飲みに行けないし行きたくない。特に男の人。勝手なイメージ押し付けてくるから嫌」
「はぁ、そうなんですね」
「うん。だから昴くんは本当に貴重な存在だよー」
何飲んでも何食べても文句ひとつ言わない。素晴らしい飲み友達、と笑う名前に沖矢も微笑みかけた。
「僕にとっても名前さんは貴重な飲み友達ですよ」
「うあーっありがとー!本当に昴くんは素晴らしい友達だよ」
何故か唐突に沖矢に向かって手を合わせ拝み始める名前に、沖矢は苦笑いを浮かべる。
「───でも、良いんですか?男と二人きりで飲みに来てて。名前さん、この間彼氏が出来たとか言っていたじゃないですか」
「えー?あー彼氏、ねぇ…」
不意にどこか遠くを見詰める名前に、沖矢が気付かない訳がない。
「…また別れたんですか?」
「えへっ」
そう、名前は見た目が可愛いからすぐに彼氏が出来るが長続きしないタイプだった。名前の性格が悪い訳では無いが、どうやら男はみんな名前の見た目と性格の違いに戸惑い結局「想像と違った」と言われフラれる。言われ慣れすぎて名前は気にしていないようだが、人を見た目で判断するなと言う話である。
「…今度はどんな理由で別れを切り出されたんですか?」
やれやれと額に手を置きながらそう問い正せば、名前は唇を尖らせて文句を言い始めた。
「昴くんと飲みに行こうとしたら俺がいるのになんで!?みたいな事言われた」
「……それは、言われるでしょう」
当たり前だろう、と言う表情で名前を見詰めていれば、どこか不満げな顔で口を開く。
「でもさ、別にやましい事がある訳じゃないから、素直に昴くんと飲みに行ってくるーって言ったんだよ?!」
「…まあ、嘘つかれるよりはマシかもしれませんが…。それでも彼氏は良い顔しないでしょうね」
「そもそも彼がお酒弱すぎなきゃこんな事言わなかったよ!あの人、飲みに行っても一杯飲んだだけですぐに潰れちゃうんだもん!」
結局飲み足りなくて我慢の限界が来ちゃって…。と流石に悪かったと思ってるのか気まずそうにそう零した。
「…結局、僕の名前を出したせいで別れてしまったんですね」
結論から言えばそういう事である。でも、だからと言って沖矢が悪い訳では無いのだが。風評被害が起きないことを祈るばかりである。
「でもほら、彼氏は相性が合わなかったら別れられるけど友達は一生の宝って言うじゃん!昴くんの事を否定する時点でもう終わったも同然だったんだよ」
名前にとって、沖矢昴は失い難い存在であるのだ。彼氏と別れても一日二日落ち込む程度で引き摺る事は無いが、きっと沖矢と喧嘩でもしてしまった日には目の前が絶望に染まるだろう。それくらい、名前にとって沖矢は特別な存在だった。
「まあ結局さ、昴くんを超えられるレベルの彼氏じゃなかったって訳だよ」
「…………」
ウンウン、と一人納得する名前。しかし自分が中々凄いことを言っている自覚が無いようで、沖矢は軽く頭痛のする頭を抑えるのであった。
居酒屋の後は種類が豊富と聞いていたバーを訪れた二人。こうして見知らぬバーを二人で開拓していくのも名前の楽しみの一つである。
落ち着いた雰囲気のバー。初めて訪れたが、なかなかの当たりだと名前はカクテルグラスを持ち上げながら微笑んだ。
初めて訪れた場所では、名前はメニューの片っ端から試していく。そして何が一番美味しいのか確かめるのが好きだった。沖矢はやっぱりと言うか…。ウイスキーを、それもバーボンばかり注文していた。
カウンター席でお酒を楽しみながら会話をする二人。傍から見れば恋人同士かと思われがちだが、二人はただの友人である。名前はグラスを持ち上げ中の氷をからりと回した。
「そろそろさ、周りから結婚しなよーって言われてうんざりしてるんだよね」
はぁ、と溜め息を吐きグラスを置く名前に、沖矢はバーボンを飲みながら相槌を打つ。
「ええと確か今、27歳でしたよね」
「そう、昴くんと一緒」
沖矢と一緒。実年齢は違うのだが、そう言う設定になっている以上否定が出来ずその部分に対しては押し黙るしかない。
「同級生でも出産やら結婚やらで今年は大賑わいだよ…。昴くんの方も似たようなものじゃない?」
「…ええ、まあ」
沖矢が仮の姿で、本当は32歳だと言えば彼女は何と言うのだろうか。一瞬思い浮かんだそれに軽く頭を振りいなすと、沖矢は再び名前の方へ視線を戻した。
「でもまあ結婚は焦ってするものでもありませんし…」
「まあね。実際、私は全然焦って無いんだけどね、うちのお母さんが孫の姿がみたいだとなんだのと口煩くて…。私だってこの人だ!って人と出会えたら結婚して子ども産みたいよ。…でも、世の中そんな上手くいかないんだよねぇ」
「…そうですね」
理想と現実。上手くいかないから人生というものはなかなか難しいものである。
「あーあ、どこかにこう…年上で包容力があって経済的余裕もある素敵な人いないかなー」
「…おや、年上の方が良いんですか?」
初めて聞いた名前の理想のタイプに、沖矢はバーボンで喉を潤しながら軽く相槌を打つ。
「うん。30代前半くらいの落ち着いた雰囲気の人なら最高だねー」
「…ほぉー」
「黒髪オールバックとかさ!目付き悪くて見た目めっちゃヤのつく怖い人っぽいのに、実は中身めっちゃ良い人とかそう言うギャップとかあればなお良し」
「…………」
「まあ、そう言う素敵な人って彼女いたり結婚してたりするんだけどね…」
がっくり、と肩を落とす名前。沖矢は何も言えずただ琥珀色のそれを飲むばかりである。
「そう言う昴くんは?彼女とか結婚願望とかないの?」
「…そう、ですね。気の合う方と結ばれたいと思いますが」
「うんうん分かるー」
やはり相性は大切だ。でも名前は自他共に認める面食いである。第一印象は顔で決まると言うのも過言ではない。
「でもさ、やっぱ結婚するならイケメンと結婚したいんだよー。イケメンの遺伝子を受け継ぐ子どもを産みたい」
「……理想が高いのも考えものですね」
「頭では現実なそんな甘くない、妥協しなきゃって分かってるの!でもさぁ…やっぱりイケメンは目の保養になるじゃん…」
どこかにイケメン転がってないかな…と若干据わった目で遠くを見詰める名前。
「成程。…あ、ちなみに僕はどうです?」
頬杖をつき揶揄うような声色でそう尋ねれば、きょとりと目を丸くした名前と視線が合った。
「昴くん…?」
どうやら今までこうして酒飲み仲間として過ごして来たが、異性としては全く考えもしなかったようで、名前は改めてじーっと沖矢の顔を見詰めた。
「…まあ、身長は高いし顔はイケメンだよね」
「そう思って頂けるとは光栄です」
「でもタイプではない。眼鏡属性なのに見た目がチャラいし」
「…と、思ったらなかなか厳しいお言葉ですね」
「でも昴くんは愚痴でも何でも聞いてくれるし優しいし、なんと言っても私と同じくらい酒好きだし!酒飲み仲間として今までで一番性格が合うから大好きよ!」
「おや、照れますね」
ははは、と笑いながらバーボンを飲む沖矢。
「でも、経済的余裕は無さそう」
「…と言うと?」
「だって大学院生でしょ?聞く限りなかなか経済的に厳しいって話だし」
人伝に聞いた程度で本当かは知らないが、大学院生はアルバイトする時間もなかなか無かったりして極貧生活だと聞いた。
「まあそこに関してはなんとも言えませんね」
「でも昴くんってお金に困ってなさそうだよね。実は実家がお金持ちとか?」
着ている服や身に付けているものもそうだが、所作や言動からしてどこぞのお金持ちなのではと勝手に推測している。それによく飲みに誘うがお金に困っている様子も無いし、高かろうが好きなお酒を遠慮なく注文する所もそう言う考えに至る由縁であった。
実際問題どうなんだろう、と沖矢をじっと見詰めていれば、やはり彼は何を考えているか分からない飄々とした顔でこう答えるのだ。
「さて、どうでしょう?ご想像にお任せしますよ」
「ええ、ずるい言い方〜」
沖矢は自分の事をあまり話したがらない。名前もそれを理解しているので深くは尋ねないでいたが、謎は深まるばかりである。
「ま、それはさておき…。やっぱりある程度収入無いと結婚は無理だよ。生活出来なくなっちゃうもん」
「そうでしょうね。…ちなみに、年収の理想は?」
「んー?そうだなぁ…」
飲み干したグラスをテーブルに置き、新たに次のお酒を注文しながら名前は思考を巡らせた。
「ええっと確か日本のサラリーマンで年収が420万くらいでしょー?だからそれくらいあれば充分なんじゃない?」
その言葉に驚いたのは沖矢の方だった。
「…その程度で良いんですか?」
顔だの性格だのかなりこだわりがある癖に、年収に関してはあんまり気にしていない様子に驚いたのだ。その年収なら、FBIの初任給よりもだいぶ低い。
「えー?じゃあ500万くらい?」
最早適当過ぎる返答。沖矢は苦笑を浮かべた。
「見た目や性格はこだわるのに、年収に関しては雑ですね」
「うーん…。まあお金はあって困らないけど、だからと言ってお金が全てじゃないしねぇ。楽しくお酒を飲んで仲良く生活出来れば満足だよ」
「成程」
名前にとって優先すべきものは性格、次に容姿。お金はそこまで重要視するものではなかったのである。
「まあ、顔も良くて性格も良くてお金もあれば文句なしに最高だけどね!」
あっはっは、と笑う名前。実際そんな人いないでしょうと笑い飛ばす。
「どうですかね?案外近くに転がっているかもしれないですよ」
「ええー?本当に?」
その辺に転がっているなら私が拾い上げるのに、と唇を尖らせて言う。
「いつか理想の方に出会えると良いですね」
「昴くんもね」
そんな事を話しながら、二人は緩やかにグラスを傾けるのであった…。