運命なんてクソくらえ

 オメガバース。この世界には6つの性がある。男女という性の他に、α、β、Ωという3つの性。

 一般的に多い性はβだった。男女ともにβ性が一番多い。カリスマ性と強い力を兼ね備えた所謂エリートに多いのがα。そして、今でこそ蔑まれる事が少なくなったが、ヒエラルキーの最下層にいるのがΩだ。αよりも数が少なく、αの子どもを唯一産むことが出来る存在。

「…マジか」

 俺はオメガだった。生まれてこの方、根っからのベータだと思っていたのに、いざ検査してみたらまさかのオメガ。まさかそりゃ無いぜ、ともう一度検査を依頼したがやっぱり何度検査しても結果が覆ることは無かった。

 それからと言うものも、俺は徹底してオメガと言う性を隠した。元々抑制剤が効きやすい体質だったのもあってか、周りにオメガだと露見した事は1度だって無い。しかも顔も体格も平々凡々だったのも幸をなし、これまで誰にも気付かれずに過ごして来れたのだ。

 アルファのフェロモンに誘惑された事も無いし、自分のフェロモンでアルファやベータを誘うようなことも無かった。だから思ったよりも簡単にベータに混ざる事が出来たし、これからもそうなのだと思っていた。

 それなのに。

「…───?」

 たまたま友人と飲みに出かけたその帰り道、酔いと眠気覚ましにふらふら適当に歩いていると、暗い路地裏で何やら怪しい会話をしている二人の男を見掛けた。

 全身真っ黒くろすけ。片方はサングラスを掛けWいかにもWなごつい体つきの厳つい男。もう片方は高い身長に長い銀髪が特徴の細身の男。葉巻を咥え、壁に寄り掛かっている姿は見るだけなら目の抱擁かもしれないが、ソイツの醸し出す雰囲気がカタギのそれではなくて…。

 俺の視線を感じたのか、ふと流れるように深緑色の三白眼が唐突にこちらに向けられた。

「っ!?!?」

 バチ、と視線がかち合った瞬間、身体に電流が流れたような錯覚に陥った。たった数秒。それなのに、俺の中で警鐘が鳴り響いて止まなかった。


 ───早くここから逃げなくては。


 急いで身を翻して縺れる足を無理やり動かす。酔いも眠気も吹っ飛ぶくらいの衝撃に、心臓がバクバクと脈打っているのを感じた。

「あ、あれは…ダメだ…!」

 目が合っただけなのに、不思議な高揚感に包まれた。反射的に逃げてしまったが、きっとあの場にいたらとんでもないことになっていただろう。

 ───運命の番。

 ふと過ぎったそれに慌てて首を振った。

「うそだろ…!?」

 何が運命だ。何が番だ。そんな事俺の知ったこっちゃない。

 ざわざわと未だ胸が騒いでいたが、全部無視だ。知らない、分からないこんな感情。いらない、必要ないんだ。

「クソが…っ」

 この身体は俺のモノだ。運命だかワケわかんないものに左右される謂れなどない。

「ちくしょう…っ!」

 結局、どんなに周りに溶け込んで見せても、俺はオメガなのだ。ベータにはなれない。子を産むだけの存在。ベータにはなれないのだ。

「…っちくしょう!!」

 どうしてたった一度視線が交じり合っただけでこうも焦がれるのか。じりじりと胸に燻る感覚が不快で、唇を思い切り噛み締めた。

「…いやだ、オメガじゃない…おれは…おれは…!」

 どうして抱かれる側なのだ。どうして子を産むだけの存在なのか。自問自答を繰り返しても一向に答えは出ない。

 勝手に溢れ出てくる涙で前が見えなくなる。ぽたり、地面に涙が落ちて吸い込まれて消えていった。









 あれからどうやって家まで帰ったのか記憶に無い。朝起きたら何故か我が家のベッドの上で、目がパンパンに腫れてブサイク極まりない顔になっていた。

「…ダメだ、休もう…」

 今日は大学休もう。友人に休むとだけ連絡して、再びベッドに倒れ込んだ。

 二日酔いか?なんてからかってくる友人に返信する力も気力もなく、ただ、茫然とベッドで身体を丸めて蹲る。

「…いやだ」

 誰かに縛られるなんて考えたくない。俺は普通に恋して普通に生きたいのに。それをこの血が許してくれない。

「いっそ、死んだら楽になれるのか」

 馬鹿みたいな考えが頭に浮かんで嘲笑する。

「はは、死ぬ勇気なんて無いくせにな」

 そんな勇気も無ければ行動力もない。その事は俺自身がよく分かっていた。

「…運命なんてクソ喰らえ」

 深緑色のあの瞳が脳裏に映し出されて、そしてまた絶望する。

「結局抗う事なんて出来やしない、か…」

 焦がれるようなこの気持ちを誤魔化すことが出来ないまま、俺は再び夢の世界へ旅立った…。








 あれから何日か家に引きこもったが、そろそろ大学の単位も危ないしバイトだって休み続けるには厳しくなってきた頃。漸く重い腰を上げて大学への道程を歩いて向かっていた。

「おー、名字!もう体調良くなったのか?」

「浅田。…ああ、何とかな」

 同じ大学に通う友人の浅田にばったり出会った。彼はベータだ。大学で知り合った奴だが、あっさりとした性格で気があって今では一番仲が良いかもしれない。…ちなみに、この間飲んでいた相手もコイツである。

「まさかお前が二日酔いとはなぁ」

「うるせー」

 ケラケラ笑いながらからかってくる浅田をいなしながら、軽く脛に蹴りを入れる。

「痛って!コラ、蹴るなってば」

「隙があるお前が悪い」

「んだとこんにゃろ」

 落ち込んでいたのが馬鹿馬鹿しくなるようなくだらないやり取り。高校生男子かってくらい子供っぽいやり取りをしながら、俺はホッと息を吐き出した。

 ───大丈夫、オメガだってバレてない。

 今日もこうしてベータに混ざりながらバレなかった事に深く安堵する。いつオメガだとバレるか分からない緊張感と焦燥感。こんな日々をもうずっと過ごしている。周りを騙し自分も騙しながら、解決策も見つからないまま虚像のような嘘の自分を作り出して…。

「なあ、今日サークルの連中で飲み会企画してんだけど名字も来ない?」

「あー…パス。俺、今日バイトだわ」

 正直行きたくなかったから、今日偶然にもバイトが入ってて良かったと思った。

「そっかー。じゃ、仕方ねぇな」

「また今度誘ってよ」

「おー」

 そんな会話をしながら二人は大学へと向かっていった。あの日のあれはたまたまだったのだ。たまたま目が合ってしまっただけで、番になった訳ではない。だからいつもと変わらない日常が始まり、そして終わる…はずだったのに。










 それなのに、どうしてこうなったのだろうか。

「ぅ、ぐ…っ」

 目の前にはあの日会ったあの長い銀髪に深緑色の瞳の男がいた。…それも、俺の首に手を添えて。

「何故あの時逃げた」

 なんで俺は首を締められてるんだろうか、と酸素が足りなく朦朧とする頭でぼんやり考えていた。

 バイトが終わったのは深夜だった。居酒屋でアルバイトしてるのでそんな時間になる事は当たり前だ。深夜だとバイト料もアップするので俺は嫌いではなかった。…だが、それが今回裏目に出たようだった。

 たまたま暗い道を歩いて帰宅している最中、何者かに腕を引かれたと思ったら路地裏に連れ込まれ、悲鳴を上げる間もなく首を絞められ今に至っている。

 ぐ、と圧迫される気管。意識が飛びそうで飛ばない絶妙な力加減で首を絞められながら、俺は必死に言い訳を考えていた。

「う…っ」

「答えろ」

 仮にも運命の番って奴な筈なのに、どうしてこんな乱暴が出来ると言うのか。通常だとアルファはオメガを…番を一番大事にする。それが運命の番なら尚更。アルファの血が濃ければ濃いほどその力が作用すると聞いていたのに…。

 アルファがオメガを傷付けるなんて以ての外だ。余程アルファの血が薄いか、オメガ殺しも厭わず感情が可笑しくなっているかのどっちかだ。

 でも目の前の男から香るアルファの強い匂いから、きっと血が薄い説は違うと判断する。そうだとするとこの男…とんでもないキチガイ男なのか。

「…は、なっ…せ」

 こんな奴に捕まってたまるか、と反抗的な目を向けて、びしりと身体が固まった。言葉通り身動きひとつ取れなくなったのだ。目と目が合って息が止まる。そんな事、初めての出来事だった。

「…っ!?」

 どくり、と心臓が大きく音を立てた気がした。

 男の目には殺意も何も無い。首を絞めているのにも関わらず、だ。ただ、何を考えているか分からない顔で深緑色の瞳が真っ直ぐ俺だけを見据えている。

「──アンタ…っ」

「アニキ!」

 不意に、何者かの声が響いた。

「急に走り出して…こんな所に居たんですかい?」

 この間、側に一緒に居た男だ。サングラスを掛けガタイが良い、見た目からしてカタギでは無さそうな男。

「…ウォッカか」

「え、誰ですソイツ?」

 壁に押さえつけられ更には首を絞められている俺を見付けてやや驚いたような声を上げている。

「さあな」

 知り合いでもないので互いに名前なんて知らない。相手も俺の事知らないし、俺もコイツの事知らない。…でも、ひとつだけ分かるのは───…。

「ただ、コイツは俺の番のようだ」

「っく…」

 ぐ、と更に気道を圧迫され息ができない。俺の首を掴んで離さないソイツの手に思いっきり爪を立ててみても引っ掻いてみてもまるっきり効果無かった。

「つ、番!?コイツがですか!?」

 ウォッカ…──あだ名か何かか?──…と呼ばれた男は酷く狼狽した様子で俺と銀髪の男を見比べている。

「ああ」

 平然と首を締めながらそう答える男の神経を疑いながら、そろそろやばいなとぼんやり思う。

「そ、そんな…ならなんで首なんか締めて…」

「コイツ、前に一度逃げたからな。だから逃げない様に、だ」

 次第に目が霞んできて、苦しさゆえに出てきた涙がじんわりと膜を貼る。意識もぼんやりしてきた所で、漸く男の手が離された。

「げほっ、ごほっ!ぅ…ゲホッ」

 身体が崩れるように地面へへたり込む。急に入り込んできた酸素に頭がクラクラしながらも銀髪の男を睨み付けてやった。…まあ涙でまともに顔も何も見えなかったのだが。

「…まだ反抗的な目を向けるか」

「───殺したけりゃ殺せよ」

 俺の言葉に何を思ったのか、すっと深緑の瞳が細まった。

「運命だの番だのウンザリなんだよ…!」

 俺は誰かの物では無いし、子を産むための道具でもない。

「俺は誰の番にもならない。…アンタ、人を殺すのなんざ慣れてんだろ?だったらソイツらと同じように殺せよ」

 荒く吐き出した息に熱が籠る。それでも俺は言葉を続けた。

「誰かに縛られる運命なんかクソ喰らえだ!」

 はあはあと荒い呼吸を繰り返しながらキッと男を睨みけると、男は冷え切った表情で低く言葉を紡ぎ出した。

「…何故俺がテメーの自殺を手助けしてやらなきゃならねぇんだ?」

 その言葉に、小さく息を飲んだ。

「死にたきゃ勝手に死ねよ」

 酷く冷たい声音でそう言い放つ男に、俺は知らず知らずのうちに身体を小刻みに震わせていた。

「テメーは自分で死ぬ勇気がねぇだけだろ」

 そうだ、その通りだった。自分でこの生命を止めることが出来なくて、怖くて震えて怯えながらもそれでも生きてきた。

 そんな俺を全て見透かすような瞳で男は俺の目の前に何かを放り投げた。

「…っ!」

「あ、アニキ!?」

「黙ってろウォッカ。───ほら、死にたきゃそれ使えよ」

 真っ黒い、それ。手を伸ばせば届く距離にあるそれは、一般人ならまともに見ることなく終わるだろう物。

「使い方くらい分かんだろ?」

 震える手でそれに手を伸ばせば、それは酷く冷たく…小柄な見た目とは裏腹にずっしりと重たく感じた。

「…はっ…はっ…!」

 浅く早い呼吸。今まで触った事もない本物の拳銃に、心臓が早鐘のように脈打った。

「言っとくが、玩具じゃねぇぞソレ」

 ニヒルに口端を上げる男。何を考えているか全く分からない。何故こんなものを渡すのか。俺に…本当に死んで貰いたいのか。

「…っ!」

 こんな小さな銃なのに、意図も簡単に人を一瞬で殺す事が出来る。その事実が酷く恐ろしく感じられた。それでも、俺は震える手でそれを真っ直ぐ前に構えた。

「…ほぉー」

「アニキっ!?」

 ───真っ直ぐ、銀髪の男に向けた拳銃。

 隣にいたウォッカと言う男が焦ったような声を上げる中、銀髪のソイツは事も無げににんまりと口元に笑みを浮かべていた。

 ウォッカは懐から出した銃で俺を牽制していたが、男はそれを手で制する。

「…それで?ソイツで俺を撃つのか?」

 クッと顎でしゃくり銃を指す男。俺は荒い呼吸を繰り返したままただ震える手で銃を構えていた。心臓が破れてしまうのではないかと言うくらいドクドクと脈打っている。それでも銃口は逸らさなかった。

「………」

 その様子をただじっと眺めていたが、やがて男は興味が失せたような表情で鼻を鳴らした。

「…フン、テメーには無理だ。俺に撃つことも、テメーに撃つことも」

 出来やしねぇよ、と言うなり男は俺の前にしゃがみ込んだ。

「っあ…!」

 パッと奪い去られた銃。男はソレを素早く胸ポケットにしまい込むと、俺の首筋に勢い良く手刀を落とした。

「う…っ」

 躱す暇など無かった。くらり、世界が回るような感覚と共に、俺は暗闇の中へ意識を落として行った…。













「どうするんですかい、コイツ…」

 後部座席に横たわる男。恐らく大学生くらいの若い男だ。今は青白い顔で夢の中にいるが、目を開けている時は恐怖に震えながらもジンに歯向かう怖いもの知らず。なかなか一筋縄ではいかなさそうな男だ。ウォッカはハンドルを握りながらジンに問い掛けていた。

「まさか運命の番って…」

 こんな反抗的な奴が、ジンの運命の番だなんて本当なのだろうか。恐る恐る尋ねてくるウォッカに返事をしないまま、ただジンは外の様子を眺めたまま葉巻を燻らせ息を吐き出していた。




「…───う…っ」

 ズキンと痛む頭に思わず呻き声を上げながらも俺はのろのろと目を開けた。

「…ここ、は…」

 ぼやけた視界に映るのは見たことも無い小さな部屋。どうやらベッドに寝かされていたようだ。起き上がりぐるりと見渡すが、見た感じ見張りのような人物は誰もいないようだった。

「…なんだっつーんだよ」

 気を失う前…あの銀髪の男に強制的に意識をシャットダウンさせられた記憶を最後にこんな場所に連れてこられていたとは。殺されてなくて幸い、と言うべきか否か。ともあれ現状を把握しない限り落ち着かないのは確かだ。俺は少々ふらつく足でドアのある方へ壁伝いで歩き始めた。

「…っクソ、やっぱ鍵が掛かってやがる」

 ドアノブを捻るがガチャガチャ音を立てるだけで一向に開く気配が無い。

「おい!ここを開けろ!!」

 ドンドンと強くドアを叩いて声を上げるが、全く反応も見られず思わず舌打ちが零れた。

「くそっ、何で俺がこんな目に…」

 苛立たしげにドアをガンと蹴り飛ばし、もう一撃とばかりに足を振り上げた瞬間、今まで微動だにしなかったはずの扉が突然開いた。

「ぉ、あっ?!」

 第二陣とばかりに振り上げていた足が空振りふらついた所で、その身体を受け止めてくれた人物とばちりと目が合った。

「おっと、随分と熱烈な歓迎ですね」

 にこり。人好きのする笑顔を浮かべる蜂蜜色の髪に褐色の肌をしたどこかチャラそうに見える男。見た目大学生くらいのソイツは細身な身体に見合わず筋肉が付いているようで、不意打ちにも関わらず俺の身体を難なく受け止め支えてくれていた。

「取り敢えず、こんな場所では何ですから中で座ってお話でもしましょうか」

 決定権はない。笑顔の裏の強引さに俺は僅かに顔を顰めた。


 座ってお話…とは言ったが、一体何を話せば良いのか。俺はベッドに腰掛け、色黒の男はどこからか引っ張ってきた椅子に腰掛け再びにこりと笑みを零した。

「まずはお互い自己紹介でもしましょうか。僕の名前はバーボン」

「バーボン?」

 あからさまな偽名に眉がつり上がる。

「ええ。ここでのコードネームって奴ですよ。ジンから何も聞かされて無いんですか?」

「ジン?」

 またもや聞いたことのない名前に訝しげな表情を浮かべていると、バーボンと名乗った男はほんの少し驚いたような表情を浮かべた。

「まさか、あの男自分の名前すら名乗らなかったんですか?」

「だから誰だよソイツ」

「銀髪の長ーい髪した男ですよ。貴方をここに連れてきた」

「…ああ、アイツか」

 憎々しげに鼻を鳴らす俺に、バーボンはぱちぱちと瞬きを繰り返しているようだった。

「ウォッカから君はジンの運命の番だと聞いたんですけど…違うんですか?」

「バーボンだのジンだのウォッカだの……ここは酒の名前がコードネームなのか?」

 バーボンの問い掛けには答えずうんざりしたように言葉を吐き出せば、バーボンはええとひとつ頷いた。

「本当に何も知らないんですね」

「そりゃそうだろ。そのジンって奴が俺に説明も無しにいきなり手刀食らわせて拉致ったんだから」

「手刀!?」

 それに驚いたのはバーボンの方だった。

「仮にも運命の番にそんな事したんですかあの男は」

 呆れた様な声音の中に微かな同情が見られた。そして再び口を開く。

「え、本当に運命の番なんですよね?ジンの勘違いとかじゃなくて」

 まさかの勘違いでこんな所に連れてきたと言うならどうしよう、と眉を下げるバーボンに俺は思わず溜め息が漏れた。

「…勘違いだったらどんなに良かった事か」

 でもそんな訳がないと言うのは自分が一番良く分かっていた。

「うーん…普通だったら運命の番同士惹かれ合うはずなんですけど…」

 何で君はそんなにジンを毛嫌いしてるんですか、と言われ俺は口を開きかけ…そしてやめた。

「まあ大体の想像はつきます。君、大学ではベータだと名乗ってたみたいですし」

 その言葉に俺はキッと目を釣り上げた。唸るような声でバーボンに低く問い掛けた。

「俺の事調べたのか?」

「ええ。それが僕の仕事ですから」

 周りからは探り屋バーボンって呼ばれてます、なんて軽々しく言うバーボンに思わず舌打ちが零れる。

「君の名前な名字名前君で間違い無いですね?」

「…ああ、そうだよ」

 確信に満ちた声に頷くしかない。名字名前、それが俺の名前だった。

「大方、今までオメガなんて知られたくない、運命なんてクソ喰らえ…なんて思って過ごしてたんじゃないですか?」

「!」

 全くその通りだった。思わず反応に困り言い淀んでいると、バーボンは少しだけ切なそうに目を細めた。

「まあ、未だオメガの差別は無くならないので気持ちは分からないでもないですけど…」

 バーボンのその言葉に、俺はカッと頭に血が上るのを感じた。

「お前に、──っアルファのお前に何が分かるってんだよ!!」

 社会の頂点に君臨するアルファに、底辺の…それこそ最下層に位置するオメガの気持ちなんて分かりっこない。

「いつ自分が襲われるかも分からない恐怖だって、三ヶ月事に訪れる発情期のあの昂りの辛さだって!お前に…一体何が分かるって言うんだよ!」

「…僕がアルファだって気付いてたんですね」

 激昴する俺とは対照的に、バーボンはやけに落ち着いているようだった。余裕のある表情を浮かべゆるりと言葉を紡ぎ出す。

「僕にも運命の番がいるので良く分かりますよ」

「はあ!?何言ってんのアンタ!?」

 急に運命の番の話になって訳が分からず荒い口調になってしまった。しかしバーボンは構わず言葉を続ける。

「番になった今でも彼を一人で外に出すのは怖いと感じますし、発情期の辛さも一番間近で見てきたので良く知っています」

 オメガの生き辛さを身をもって感じているのはバーボンも同じだと、そう言う。

「でもそれよりも僕が何より怖いのは彼を失う事ですね。運命の番って言うのは絶対的存在なんですよ。代わりなんてない。その人が居れば他は何も要らない」

 そこで漸くバーボンは俺の瞳を真っ直ぐ見詰めて来た。グレーがかったアイスブルーの双眸に射竦められる。

「だからジンも君をここに連れてきた」

「な、に…言ってんだよ」

 何故ここに来てあの男が出てくるのか。しかもバーボンは番をとても大事にしているようだが、あの男はそんな事無かった。あの時の情景を思い浮かべて自嘲気味な笑みを零した。

「俺はアイツに首絞められ殺されかけた上に、拳銃を投げて寄越されて死ぬなら勝手に死ねって言われたんだぞ」

 優しい言葉一つ掛けられてないどころか死ぬなら勝手に死ねと言われる始末だ。そんな二人の間には運命だの何だのそんな雰囲気はまるでなかった。それなのに…。

「へえ、あのジンがそんな事を」

 驚いたような表情を浮かべていたバーボンだったが、次の瞬間には怪しい笑みを浮かべていた。

「でも、君は死んでない」

「…俺はアイツに銃口を向けたんだよ」

「おやまあ」

 目をぱちくりさせて驚くバーボン。…まあ普通なら運命の番相手にそんな事する訳ないのだろう。ただ、俺とアイツが普通では無いだけで。

「よく無事で、と言いたい所ですが、やっぱりこれでハッキリしましたね」

「はあ?」

「だから、最初からジンは貴方を殺す気も自分が殺される気も無かったと言う事ですよ」

「何言ってんの、アンタ…」

 話が通じない。妙に納得したような笑みを浮かべているバーボンに呆れたような目を向けていると、バーボンは指で拳銃を表しながら俺の眉間に人差し指をトンと当てた。

「あのジンが本気で煩わしいと思った人物だったら首を絞めるなんて面倒臭い事する前に眉間にズドン、ですよ」

 バーン、なんて言いながら銃を撃つ真似事をするバーボン。そんなお茶目な行動にツッコミを入れないまま俺は小さく息を漏らした。

「…ただ単に自分の手を汚したくなかったーとかそんな気分じゃなかったーとかじゃねーの?」

「いいえ。そもそもジンが自分の拳銃を他人に明け渡すなんて愚かな行動する訳ないんですよ。あの用心深いジンが、ね」

 ジンの事を良く知っているようだ。…まあお仲間だと言うくらいだから、アイツの事を良く知ってても可笑しくは無いのか。俺は反抗しかけた口を無理やり閉ざした。

「ジンには確証があったんですよ」

「何が…」

「貴方は銃を撃たない、って」

「………」

 確かに、あの時ジンも言っていた。お前には撃つことは出来ない、と。

 でもその後に続いたバーボンの言葉に俺は眉を顰める事になる。

「きっとジンもそうなんでしょうね」

 ───ジンも、同じ…?

 言っている意味を理解する事が出来ず、続くバーボンの言葉をただ脳裏で復唱する。

「貴方を殺す事が出来なかった」

 殺す事が出来なかった。…本当に?

「運命の番って言うのは、貴方が思う程簡単なものじゃないって事ですよ」

 簡単なものでは無い?どうして?形にはないそれを、どうして理解する事が出来るのだ。

「昔、ジンに聞かれた事があるんですよ」

「…?」

「運命の番なんて煩わしくないのか、って。まあそうですよね。こんなアブナイ事してる人間が、番だなんて大事なものを抱えているなんて弱みを握ってくれって言っているようなものですから」

 アブナイ事。それが一体何なのかは知らないが、きっとろくなものでは無いのは確かだろう。

「そしてその時、ジンは言ってました。俺なら捨てるのに、って」

 ああ、あの男が言いそうな言葉だ。邪魔なものは切り捨てて前に進んで行く。決して後ろを振り返らない、そんな雰囲気があった。

「まあ僕も最初は運命の番なんて必要ないしそもそも番自体持つつもりは無かったんですよ。でも、目の前に実際現れたら…」

 ふわりと幸せそうに微笑むバーボン。心からその番を愛しているのが分かる表情に、俺は思わず息を飲んだ。

「ジンだってきっとそうですよ。実際に貴方を目の前にして、殺すなんて真似出来なかった」

「そんな、わけ…」

「貴方だって彼を殺す事が出来なかったんでしょう?」

 確かに、実際銃口を向けてみたがその指がトリガーを引く事は無かった。…いや、出来なかった、と言う方が正しいかもしれない。

「言葉では何とでも言えるんです。でも、本能は違う」

 本能が互いを求めている。求めずにはいられないのだと、バーボンはそう言った。

「………」

 急に押し黙った俺に、バーボンは少しだけ困ったような笑みを浮かべて見せた。

「まあ君が本気でここから逃げたいと言うなら手伝ってあげれないことも無いですけど…」

 その言葉に、俺の肩がピクリと跳ねる。

「そんな事可能なのか?」

「まあ方法としては、別の人に番になってもらう…とかね」

 貴方はまだ項を噛まれていないようだから。そう言うバーボンに俺は探るような瞳を向けた。

「そんな事したら俺とその相手、ジンって奴に殺されるんじゃねーの?」

「まあ可能性は高いでしょうね。貴方はともかくお相手は確実に殺されそうだ」

 俺だけ助かるとかそんな胸糞悪いこと出来るかよと吐き捨てると、バーボンは冗談ですよとからから笑っていた。

「冗談はさておき、一番有効な手はWいつでも死ぬ覚悟を持っているWって事ですかね」

「死ぬ…覚悟?」

「ええ。アルファはオメガが傷付くのを最も嫌がりますから。…だからと言ってフリだけではダメですよ?本気でいつでも舌を噛み切って死んでやるって気持ちでジンと対峙すればきっと手も足も出ないですよ」

 フリでは無く、本気で死ぬ覚悟…か。

「ジンは鋭いですからね。そこに迷いや躊躇が見られればすぐに嘘を見破るでしょう」

 確かにあの男はやけに勘が鋭かった。本気で死ぬ覚悟の無い俺に銃を投げて寄越すくらいだからな…。

「本当に運命に抗いたいなら、覚悟を決める事ですね」

「…っ、覚悟」

「運命の番が死ぬ事は、残されたパートナーにとって後追い自殺をしてしまうくらい本当に辛いと聞きますから…。きっと番を失うくらいならあのジンだって手放すでしょう。そうなったらボクがうまく手配して外に逃がしてあげますよ」

 死ぬ覚悟。…俺に、そんな覚悟を決めることが出来るのだろうか。今までみたいにただ運命を嘆いているだけでは無く、覚悟を決めて…運命に抗う事が。

 覚悟を決める。そう思っているのに、何故かあの緑の双眸が脳裏にチラついて離れなかった…。

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