走り出したらとまられない
少しだけ、僕の姉の話をしてもいいかな。
姉の歳は兄上の一つ下なんだ。兄上が飄々とした性格なのは知っての通り。姉はその真反対。闘牛のような性格で、父上の血が濃く受け継がれたのが目に見えるくらい。顔立ちはとても美人なんだよ。顔は。
小さい頃から勝ち気な性格で、父上も姉上が男だったらさぞ強い武将になれただろうと溢すほど。
木刀を振りかざして、戦に連れて行けというのが口癖だった姉上に、一族は猛反対で。年頃の娘が生傷絶えない場所に行くなど言語道断ってね。
戦、戦煩いもので誰の言う事も聞かない。折れた蒙武も、まあ戦場がどのような場所か知ればこの熱も冷めるだろうと僕らとは違う理由で軍事学校に入学したんだよ。
そしたら誰も予想しなかった事が起きたんだ。
「……」
「…どうした」
学び始めて数ヶ月経ったある日。寡黙な表情で昌平君は、微動だにしない硬直した名前に尋ねるが返事がなかった。
「先生、私と結婚してください」
「…は?」
「「はぁぁぁぁぁ⁈」」
そこにいたほとんどの者が空いた口が閉じなかったらしい。先生も。姉上を除いて。
ちょうど兄上が指導を受けていた時にひょっと現れた時のことだった。兄上は笑いを堪えてたみたいだけれど。
「先生の妻になれるなら私は戦場には行きません」
「…頭を冷やせ」
そこにいた全員がそう思った。戦場に行かないというのは願ってもない事だったが、その条件は不可能に近い。昌平君も自分の友の娘に求婚されるという滅多にない経験に中々の衝撃を受けている。どうにかしろと視線を蒙恬に向けた。
「こうなった名前は誰にも止められないんですよ先生」
兄だからと言って彼女を押さえつけることはできないと、蒙恬はさまざまな経験から分かっていた。止めようものなら蒙恬でさえボロボロになって折れて帰ってくるのだから。
「それは難しい、名前。近い年の男にしておけ。お前なら良縁が来る」
「そこらの軟弱な男などと婚約するくらいなら私は兵士になります」
どう粘ろうと結果は玉砕。しかし、彼女は折れない。曲がらない。走り出したら止まらない。それが数年続くやりとりとなる。
「で、今に至る訳だけど」
「へ、へぇ…」
入学したばかりの河了貂は知らない気の強そうな女性に迫られている自分の師を見て蒙毅に尋ねたところ、頭を抱えて苦い顔でそう話し始めたのだ。
彼女はなんとか戦場に行くことはなく、軍事学校の教師として働いている。蒙恬と比べれば劣るが彼女もかなり優秀な成績を残していたからだ。
「先生、私と結婚してください」
「蒙武を”義父上”と呼びたくない」
もう数年やっているとやりとりにも慣れてあしらい方を覚えた昌平君は顔色一つ変えない。名前は悔しそうだ。
「随分と粘るな」
半分呆れた表情で彼女を見る。しかし、本当に嫌なら彼女を教師として置くことはなかっただろう。昌平君も彼女のことを悪くは思っていないのだろうと皆がそう噂する。
顔は似てないが、父親譲りの力強い瞳が揺らぐことなく昌平君を射抜く。
「先生を幸せにできる女性は私一人だと自負しているので」
「かっ、かっこいい…」
男よりも漢。名前はその性格で軍事学校の生徒や教師からも慕われている。その言葉を聞いて河了貂も彼女に惚れそうになった。
「…お前の親父は自分で説得しろ。それが条件だ」
大きなため息とともに辺りはしぃんと静まり返る。
「「えええええええええっ⁈」」
「お前まで何故驚くんだ」
「…まさか、了承して頂けるとは思ってなかったので」
こんなに頬を赤らめている姉上を見たのは初めてだった。女性を感じられるほど成長した彼女は弟の目からみても魅力的に見えた。
「えっ!先生もついに折れたんだ」
「兄上は驚かないのですか?」
兄上に報告をしに行った時のこと。それほどいいリアクションをしなかった蒙恬に蒙毅は首を傾げる。
「いいや、驚き。今年一番だよ。それと同時に先生は俺の義弟になるのがすごく複雑」
「たしかに…」
拝啓、父上。姉上のその折れることのない強い意志のおかげでもう一人、兄が増えました。義理の。