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僕が幼稚園の時、隣の家の「名字のおばあちゃん」の家に同い年の女の子がやって来た。
名字のおばあちゃんは、僕のおばあちゃんよりも若くて携帯もパソコンも使い熟し、体を動かすのが趣味で町内会のテニスクラブとかバレークラブとか色んなところに所属する、とにかく元気で明るいおばあちゃんだった。
旦那さんが随分昔に亡くなっていたらしく、息子さんも結婚して東京で暮らしていたから隣の家の僕ら兄弟の幼稚園に迎えに来てくれたり、両親が仕事の時は預かってご飯を食べさせてくれたりと本当の孫のように接してくれてたりした。
…たまに悪戯をしたりしたのを本気で厳しく叱ってくれたりしたのも含めて、僕らはおばあちゃんに本当に可愛がってもらっていたと思う。

そんなおばあちゃんの家にやって来た女の子。名前は名字名前。正真正銘、名字のおばあちゃんの孫娘。
肩より上に切られたショートの黒髪に当時の僕と同じくらいの背丈。半ズボンにTシャツを着た姿でこんがり日焼けをしたような肌は、「元気いっぱいな腕白少年」という見た目だった。
ただ、そんな見た目に反して少し人見知りなのか、初めて僕と会った時はおばあちゃんの後ろに隠れて一切目を合わせようとはしてくれなかった。

「ほら、名前。蛍ちゃんに挨拶しなさい」
「………」
「まったく、急にしおらしくなって!…蛍ちゃんごめんね。名前はちょっと恥ずかしいみたいなんよ」
「うん…」

おばあちゃんに言われて更に羞恥心を煽られてしまったのか、名前はおばあちゃんの服の裾を皺になるぐらいに握り締めてスッポリというようにその影に隠れてしまう。僕はそれをただただ不思議に思って彼女を見つめていた。
おばあちゃんから聞かされていた「名前」は、ひたすらやんちゃで、お転婆で、台風が服を着て走っているような子で。…けど、今目の前にいる子は大人しくて、人見知りで、恥ずかしさからなのか少しだけ覗いてる耳まで真っ赤にさせている小さな女の子だった。

「ほら!おばあちゃんがいつも電話してる時はもっと色々話してたでしょ!あれだけ蛍ちゃんに会いたいー、って駄々こねてたのはどこの誰?!」
「だ、だって…」
「だってじゃない!ほれ!」
「っ!」

半ば無理矢理、というか強制的におばあちゃんの影から引っ張り出された名前はよろけながら僕の前に現れる。
耳が赤いと思ったけど、それは顔から首、つまり見えてる肌が全体的に真っ赤になっていて僕の前に出された事によってそれが更に加速したような気がする。キョロキョロと視線を彷徨わせ、落ち着き無く手で自分の腕を摩っている。
と、そのときの僕の目に映ったあるもの。

「………ねえ、」
「?!……な、なに…?」
「君、バレー…すきなの?」

彼女の服に印刷されている、バレーボールを模したキャラクターの絵。そういえばこの間見たバレーの試合中継の番組に出ていたテレビの人達も同じ服を着ていた気がする。

「バレー…けいちゃんも好き?なの…?」
「…今質問したのは僕なんだけど」
「!!ご、ごめんね…バレーは…ママとパパが、教えてくれるから…好き」
「ふぅん…そうなんだ」
「けいちゃん、は…?」

きょろり、きょろり。僕の不躾な言い方に益々名前の視線は定まらなくなる。
それでも何とか僕の質問に答えて、今度は名前の方から同じようなことを聞き返される。
バレーは、まあ、好きだと思う。
まだ本格的にやった事は無いし、本物の試合もおばあちゃんがやっているのを一回だけ見に行った事があるだけ。でも、その時に兄ちゃんはバレーの魅力に気付いたのかもうすぐ小学生バレーのチームに入部すると言っていた。

「出来るかどうかは分かんないかど…見るのは好き」
「そうなの?」
「うん。…小学校行ったら、チームには入りたいと思ってる」
「!!すごい!!」

突然、大きな声を上げた名前はさっきまでモジモジしていたのが嘘みたいに僕との距離を一気に縮める。目の前に迫った名前の顔は恥ずかしそうな表情から一変し、キラキラと眩しいくらいの笑顔に僕の方が頬が熱くなった。

「けいちゃんなら絶対、絶対すごい選手になるよ!!わたし、早くけいちゃんの試合が見たい!!」
「……まだ、初めてもないけど」
「いいの!!…私、けいちゃんのこと応援する!!あと、早くけいちゃんと一緒にバレーしたい!!」
「………」
「ね!けいちゃん、―――」


眩しい笑顔。嬉しそうな瞳。初めて触れ合った掌の熱。
今でも鮮明に思い出せる、僕と名前の出会い。

それからの僕達は同じ幼稚園に通い、同じ小学校、中学に進学。小学校で入ったバレークラブで出会った山口も一緒にどんな時も同じ時間を過ごした。
誰もが知ってる僕らの関係は、幼馴染。
そして、月日は流れて…―――

「蛍、ちゃんと持ってきた?」
「当たり前でしょ。…そういう名前こそ、忘れ物してるんじゃない?」
「してません!!ちゃんと鞄の中に……あれ?」
「…はい、朝テーブルの上に置きっぱなしだったから持ってきておいてあげたよ。今まで気づかないなんて馬鹿なんじゃない?」
「う、うるさいな!!偶々、忘れてただけだもん!!」
「忘れてるのがダメじゃんか」
「うっ……」
「ま、まぁまぁ二人とも…そろそろ体育館に着くし、それくらいにしておこう?」
「…ごめんね忠くん。いつもいつも…」
「ううん。ツッキーが素直じゃないのはいつもの事だから」
「…山口、」
「ごめん、ツッキー!」

春の風が吹く道を三人で歩く。目的地は第二体育館。
近づくにつれて僅かに聞こえる準備体操の掛け声とシューズが床を鳴らす音。

「……よしっ!!」

僕の手から受け取った入部届を胸に、名前は一度僕達を振り返る。
嬉しそうな瞳に眩しい笑顔。出会ってから十年以上経ってもその二つだけは変わらない。

「二人とも、これからもよろしくね!!」

向けられた言葉は、心からのもの。
彼女の手によって開かれた、新しい場所への扉。

「…宜しくお願いしまぁーす!」



―――僕らは、高校生になった。






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