02


翌日、烏野高校男子排球部が活動する体育館には、試合の熱気とボールの音を反響する程の静かな相反する空気が流れていた。
誰もが息を飲み、今起こった出来事をただただ呆然と眺めているだけの中、その二人だけは目を合わせることも無く同じタイミングで拳を握り締めていた。

「ーーオシ!!!」

目を奪われた。
まさかこの二人が…こんなにも素晴らしいプレーを、奇跡を起こすなんて。一体誰が想像しただろうか。
俄には信じがたいことを、この二人がやってのけた。
…私が昨日感じたあれは、間違ってはいなかったんだ。

「また決まった!すげええ!!」

再びボールが落ちる音と誰かの叫び。ふと気がつくと得点板の数字は逆転していて、蛍達のチームが追い込まれている。
最初はバラバラだった影山くん達のチームが、一つの武器を手に入れたことにより勢いづいていく。
この展開にきっと…流石の蛍も、澄ましてなんていられないだろう。

「そう何本も抜かせるかよ!!」

その証拠に、日向くんをブロックする時の表情が真剣そのものだ。…でも、それはムキになり過ぎている証拠でもある。
ふわっ、と静かな音を上げて影山くんがトスを上げたのはレフトにいる田中さんだった。

「いらっしゃアアアい!!」

強烈な音を響かせて忠くんの足元に落ちたボール。綺麗に決まったスパイクは日向くん・影山くんチームの第1セット先取を告げた。
…フリーで打たせた田中さんのスパイク、強烈過ぎる…。

「くそ…」

コートチェンジのためにそれぞれがコートを出る時に聞こえた蛍の言葉。それを追うように聞こえる田中さんの雄叫びに似た声にはちょっと引いていたけど、悔しそうに唇を噛んでいる姿から彼がどんどん追い詰められているのがわかった。

「…月島くん=v
「……何?」
「今のままじゃ負けるよ?」
「……そりゃね。第1セット取られてるし、次取らなきゃ僕達の負けだ」
「うん。それにはあの速攻を止めなきゃ」
「わかってるよ」

予め用意していたドリンクを澤村さんと忠くんに渡してから蛍にも同じものを渡してそんな言葉を伝える。…蛍のブロックを避ける為に生み出された、日向くんの目を閉じて影山くんのトスを信頼し全力スイングで繰り出される速攻。あれを攻略しなければ決定力に欠ける蛍達のチームは負ける。

「あのちっちゃい日向にチョロチョロされるの本当にムカつく…何よりあんなトスからの速攻、普通の人じゃ絶対打てない」
「うん。まさに神業≠チて感じだね。でもさ、まだまだ未完成って感じもしない?」
「………」
「思考は冷静に、視野は広く。…それが月島くんの持ち味でしょ?」
「……ハイハイ」

飲み終わったドリンクとタオルを私に押し付けながら、蛍は再びコートに向かう。
第2セットの始まりを告げる笛の音の中、彼の表情は少しだけ冷静さを取り戻しているようにも見えた。
それは同時に、彼が真剣になったことを物語っている。

第2セット。忠くんのスパイクが影山くんにブロックされたり、蛍のスパイクを日向くんが顔面レシーブをしたりしつつ…19対19。暑さに耐え切れなくなったのか、蛍は着ていたトレーナーを投げ捨てた。
私の足元に落ちたそれを拾い彼の背中を見つめる。
…全身にかいた汗。上がっている息。それでも真っ直ぐに相手コートに向けられている闘志に燃えた瞳。

蛍は本気だ。…ちゃんと、本気でバレーをやってる。

(……ほんと、素直じゃないな…)

心の中でそんなことを思いつつ、腕の中にある蛍のトレーナーを強く握り締める。
…21対25。試合結果は影山くん・日向くんチームの勝利で終わりを告げた。

終わった途端に、日向くんは床に寝そべり影山くんもネットを掴んでなんとか座り込むのを堪えている。忠くんは力尽きて尻餅を着いてるし、蛍は腰に手を当てて上がった息を整えようとしていた。

「はい、二人ともお疲れさま」
「…あ、ありがとう名前ちゃん」
「久々の試合はどうだった?」
「キッツい!もう俺動けないかも…」
「………」

再びドリンクとタオルを蛍と忠くんに渡して労いの言葉を掛ける。忠くんは、ハハハ…なんてあまり力無い笑い声を零していたけど、その表情は精一杯やったことに対する晴れやかなものでもあった。
対する蛍は黙り込んだまま。何か深く考え込むように手渡したドリンクを見つめていた。
その姿を目に写したまま、私はあと二つ抱え込んでいたドリンクを反対側コートの方へと持っていく。

「日向くん、影山くん。お疲れさま」
「わっ、名字さん?!」
「ドリンクどうぞ」
「あ、ありがとうございます!!」
「…あざす」

両手でドリンクを受け取り勢い良く深く頭を下げる日向くん。小さく頭を下げて言葉短に受け取る影山くん。と、各々らしい反応をする二人に思わず笑ってしまう。
日向くんにとってはマネージャーがいる部活に慣れてないってのもあるだろうけど、ぎこちない様子でドリンクを受け取ってる姿がさっきまで神業を繰り広げていた人物とは同じだと思えなかった。

「二人の速攻…本当に凄かった!あんなに精密なトスをあげるセッター初めて見た」
「…ども」
「あと日向くんのジャンプも…昨日も見たけど、今日は更に凄かったね!!」
「えっ、あ、ありがとうっっ!すっげー嬉しいですそれ!!!」
「…月島くん達が負けたのはちょっと悔しいけど、今日から二人と同じチームだと思うと心強いよ」
「……〜〜っ!!」

素直に思ったことを日向くんに伝えれば、彼の顔は見る見る赤く染まっていく。おそらく、今までこういう風に真っ直ぐ褒められたことが無かったんだろうなーとは思うけど…蛍達とは違うその反応に年相応の可愛らしさを感じて思わず小さく笑ってしまった。

「…あっ、そうだ影山!」
「…んだよ」

すると唐突に、日向くんが何か思い出したのか影山くんに耳打ちするとそのまま蛍達の方へと向かって行く。結構大きな声で「月島!」と叫ばれて蛍が振り返ると、日向くんは彼を見上げて右手を差し出す。
しばらくの沈黙の後、蛍からは小さく「………何。」と絞り出したような声が聞こえた。

「試合の最初と最後に握手すんじゃん。…今日の最初はしてないけどっ。それに今日からチームメイトだしっ。嬉しくないけどっ」
「…………」
「はやくしろよっ。お前知らねーの?!ちゃんと『仲間の自覚』を持たないと体育館から放り出されるんだぞ!」
「…君らが体育館出禁になったのは、主将の再三の注意をシカトして勝手に勝負を始めた挙句、教頭のヅラを吹っ飛ばしたりしたからデショ」
「……ぶっ」

スラスラ吐き出されたその文章は、入部初日に菅原さんから教えてもらった日向くん達の情報だ。最初に聞いた時は菅原さんが誇張して話してるのかと思っていたけど、日向くんの反応からそれが事実だということがわかった。…思わず吹き出してしまったのは大目に見て欲しい。

「い…いいじゃねーか細かいことはっ。ハイ、握手ーっ!」
「!?」

私が笑いを堪えてる間に、日向くんが蛍の右手に飛び掛かった。その際に蛍の持っていたペットボトルが宙を舞って、それを受け止めようと忠くんが慌てていたり、影山くんは後ろからニヤニヤしながら眺めているだけだったり…わあわあと叫ばれながら行われているその光景に先輩が「何やってんだけ一年共…」と零しているのも聞こえてしまった。
日向くんに無理やり握られた蛍の右手は心無しか少しホクホクしてる気がして。それを嫌悪感丸出し、というか嫌そうな顔を隠そうともせず、かと言って何とも言えないような表情を浮かべた蛍の元に澤村さんが近付いていた。

「月島。どうだった?3対3」
「……別に…どうでも。エリート校の王様¢且閧セし。僕ら庶民≠ェ勝てなくても何も不思議じゃないです」
「…ふーん…その割に、ちゃんと本気だったじゃん」
「…………」

ニッ。と、満面の笑みで告げられた澤村さんの言葉に蛍は黙り込む。
何も飾らない真っ直ぐな言葉と笑顔は蛍が一番苦手な…どう対処していいのかわからない部類らしく、そのまま言葉を続ける様子も無かった。
さすがに主将相手に無視するのは…と、目の前にある蛍の背中に触れようと手を伸ばした時だ。

「名前ちゃん、」
「はっ、はいっ!」
「ちょっと手伝って欲しいことがあるんだけど…いい?」
「もっ、もちろんです!!喜んで!」

運動部男子達の中には不釣り合い過ぎる可憐な声で名前を呼ばれて背筋が伸びる。振り返れば、先輩マネージャーの清水さんが私のことを呼ぶように手招きをしていた。
中途半端に宙を浮いていた手を引っ込めて慌てて清水さんの元へ向かう。

「キャプテン!!」

そんな後ろから聞こえた大きな声。少しだけ視線を向ければ、澤村さんに向かってくしゃくしゃになっている何か≠渡している日向くんと影山くんの姿があった。
くしゃくしゃの何か=c入部届≠無言で受け取った澤村さんはしばらくそれを見つめた後、私の少し先を歩いていた清水さんを呼び止めて「アレ≠烽、届いてたよな?」と言った。………アレ……?

「名前ちゃん、こっちに」
「あ、はい!」

澤村さんに小さく頷いた清水さんはそのまま体育館の外へ。慌てて後を追いかければ清水さんが向かったのはどうやら部室らしい。今は部活中の為か静まり返っている男子運動部の部室棟に入りほぼ初めて入るその空間にキョロキョロと目を奪われていると、清水さんは床に置かれていた段ボールの一つを持ち上げていた。

「もう一つの紙袋の方持てる?」
「あ、はい!…というかそっちの重い方を私が…!」
「ううん、今日はダメ」
「そんな…」
「それ持って、体育館戻ろう」

にこり、と可憐な音を立てて微笑まれればそれ以上何も言えなくて。緊張で頬に熱が集まったまま、私は大きく首を縦に振った。
軽やかな足取りで部室を出てみんなが待つ体育館に戻った清水さん。首を長くして待っていたらしい日向くんがそんな清水さんの動向を見守る中、先輩はダンボールの中からあるものを取り出した。

「うほおおおお!!」
「多分サイズ大丈夫だと思うけど何かあったら言って」
「あザース!!」

真っ黒な背中に浮かび上がる烏野高校排球部≠フ文字。
感動の声を漏らす二人は受け取ったジャージにすぐさま腕を通していて嬉しさを露わにしている。

「お前も着てみろよ〜」
「いや、僕はあとでも――」
「恥ずかしがりやか!いいじゃねぇか着てみろ!」
「〜〜〜〜〜」

二人の後ろでひっそりと清水さんからジャージを受け取っていた蛍に菅原さんと田中さんがすかさず声を掛けている。…いつもなら問答無用で言い返すんだろうけど、先輩だし、これだけ真向から来られる二人に耐性が無いせいで言いくるめられるような形でジャージを着ていく。
忠くんも嬉しそうに袖を通していて、改めて四人並んだ一年生達の姿に先輩たちから「おーっ!」と感嘆の声が漏れていた。

「……これから、烏野バレー部としてよろしく!」

澤村さん、…主将からの一言にその場の空気が変わる。改めて迎え入れられたという実感が湧いてきたように、身体の内側からジワジワと熱い何かが込み上げてきた。

「澤村、ちょっと」
「ん?」
「コレも」
「…ああ」

そんな折、清水さんが澤村さんに声を掛けてあるものを手渡す。それを受け取った澤村さんは頷くと何故か私の元へとやってくる。

「…名字」
「は、はい!」
「お前も、今日から烏野高校バレー部の一員として、清水と共に俺らの事をよろしくな」
「……っ、」

目の前に差し出されたみんなと同じジャージ。主将から直接手渡されたそれをそっと受け取り、澤村さんと、そして隣の清水さんの事を見つめる。
込み上げてくるのは、嬉しさ。

「…こちらこそ、よろしくお願いします!!」

烏野高校男子排球部入部二日目。
それはこれから始まる、長い青春の始まりの日であった。




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