01


床を鳴らすバレーシューズの音を聞き続けて、もう6年の月日が過ぎた。

その競技と出会ったのは中学1年の春。スポーツが嫌いなわけではないけれど、特別にやりたい何かがあった訳では無かった私はあまり深く考えずに、気心知れてる従兄もいるし、と男子バレー部のマネージャーになった。
……そこで知った。心の底から震え上がるような熱。たった三度の繋ぎで交わされる、怖いくらいの迫力ある攻撃。
鼓膜を震わす声援。痛いくらいの緊迫感。

―――その時から、彼らのするバレーの虜になった。


***


全体練習終了後の恒例サーブ練習。鋭い音を響かせて放物線を描くボールが行き交うコート。その中央に幾つか残されているボール達を流しつつ、私は一人の人物の元へ歩みを進める。
何時もならば練習中でも本気の強気サーブ(またの名を殺人サーブ)を打ち込む筈のその人物は、今日はフローターサーブでエンドライン上を狙っていた。

「…及川」
「ん?…どうしたの名前ちゃん」

監督か溝口くんか呼んでた?ハッ、まさか名前ちゃんからの愛の告白の呼び出し?!、なんて相変わらずの及川節を炸裂させる及川にイラっとする。が、そのふざけたような態度と裏腹に、額に浮かぶ汗がいつもと違う気がして…私の疑問はほぼ確信に変わる。そのまま及川が持っていたボールを取り上げて腕を引いて体育館の隅へ。
「え、ちょ、」なんて間抜けな声を零しながら、ふらつきつつも腕を振り解こうとしない及川は未だに状況を良く理解していない様子だった。
流れ玉が来ない所まで来て私はやっと彼の腕を解放し、半ば無理矢理その場に座らせた。

「な、なに名前ちゃん」
「及川、脱いで」
「はっ?!?!な、を?!」
「脱、い、で」
「だからナニを?!名前ちゃん?!」

ニッコリ、と。普段見せないくらい爽やか〜な笑顔で及川を追い詰める。そんな私の笑顔に動揺し、座り込んだまま二、三歩後退りをしようとするもんだから…うん、逃がさないよ??

「及川さーん???」
「いやいやいやだからどうしたの名前ちゃん!!!ナニする気?!?!」
「…いいからさっさと靴を脱いで見せやがれこのクソ及川!!」
「きゃーーーーーっ!!!」

及川があげた女子のような悲鳴がサーブの音を掻き消して体育館中に響き渡る。
詰め寄った私に対して、及川は自分の胸元を押さえ込んで、まるで襲われてる女の子みたいに顔を赤くしてアワアワと私を見つめるもんだから、更にイライラは増していく。
…さり気無く右足を隠すようにしていること、私が気付かないとでも思っているのだろうか。
両手を自ら使えない状態にしていることを無視し、彼の右足のバレーシューズを脱がす。多少強引に引っ張ってしまった為、小さく「痛っ…」と漏れ聞こえたのは…うん、ちょっとごめん、と心の中で謝っておこう。
目の前に曝け出された及川の足首は、いつもと比べて踝を中心に腫れ上がっていた。

「やっぱりね…」
「………アハ。なんでバレちゃったのさ」
「黙れクソ及川。こんな状態で練習続けてどうなるかわかってんの??ふざけんな」
「怖い怖い怖いよ名前ちゃん!!ごめんなさい!!!」
「なんだクソ川、怪我か?」

ギャーギャー騒ぐ私達が気になったのか(そりゃ気になるよね…)、気が付くと後ろにははじめちゃんがボールを抱えて立っていた。隣に同じようにしゃがみ混んだはじめちゃんは、剥きだしになった及川の足を見て眉間に皺を寄せる。

「岩ちゃんまでそんな怖い顔しないでよ!…ほんと、かるーく捻った?ていうかちょっと痛いかも?ってぐらいだからさ!」
「さっき靴脱がせたとき痛いって言ってた」
「それは名前ちゃんが無理矢理脱がすから!!」
「隠そうとするからだよこのクソ」
「せめて及川≠ヘ付けて??ていうか女の子がそんなこと言わないで!」
「…名前、こいつ保健室な」
「もちろん。みんなは練習続けてくださーい!!」
「…名前ちゃんも岩ちゃんも、俺の言い分無視??」

黙れクソ川。とはじめちゃんはまた吐き捨てて監督の元へ向かう。
何事かと私達の動向を見守っていた部員達も私の声に戸惑いながらもサーブ練を再開した。
再びボールの音が響きだした体育館の隅。苦虫を噛み潰したような、とにかく苦々しい不機嫌な表情を浮かべている及川は恨めしそうに私の顔を睨みつけていた。

「名前ちゃんの馬鹿」
「馬鹿じゃなくて優秀なの。睨みつけられたって怖くないんだからさっさと保健室行くよ」
「…はいはい」
「肩貸せば歩ける?」
「……うん」

一応手を貸そうと手を伸ばすが、及川は自力で立ち上がれるようで軽く腕を引いただけに終わった。けど体重を掛けるのはやっぱり痛いみたいでそのまま私の肩を支えに使う。ゆっくりと歩き出すと及川も素直に従って歩みを進めた。
体育館から保健室までは遠く離れていない為すぐに到着する。が、私達バレー部の全体練習が終わる時間というのは、他の部活や先生達の勤務時間よりも遅い。勿論、それは保健の養護教諭の先生にも言える為、案の定保健室は電気も消された無人の状態だった。
鍵だけが見回り担当の先生が掛けるから開いていたのが幸いかな…。
電気を点け、とりあえず近くにあった椅子に及川を座らせて冷凍庫から氷、それから氷嚢を準備して渡す。それを使って及川が足首を冷やしてる間に、運動部用にすぐ使えるよう置いてある救急箱から包帯と湿布を取り出した。

「どう?痛い?」
「んー…さっきまで結構我慢してたみたいだね。やっぱり痛いや」
「そりゃね…先生がいないからちゃんと診きれないし、明日午前中は病院行ってね。絶対」
「絶対…ていうか命令だよねそれ、名前ちゃん」
「当たり前でしょ?明日朝練とか来やがったらブッ飛ばす」
「だから笑顔が怖いって!!行く!絶対病院行ってから来る!!」
「分かればよし。さ、こっちに足出して」

私のブッ飛ばす発言に涙目になりながら、及川は例の右足を差し出す。
さっきよりも少しだけ腫れを増した気がするそこは見るからに痛そうだし、そっと指先で触れただけなのに顔を歪めたのがその痛さを物語っている。患部にゆっくりと湿布を貼っめ、足首を固定するように包帯を巻いていく。…足、デカいから重いな…。

「…名前ちゃんさ、なんでわかったの?俺が足痛めたって」
「ん?」

包帯を巻いているあいだ、頭上から及川の静かな声が落とされる。顔は見てないけれど、今彼がどんな表情をしているのか声だけでわかってしまう。…きっと、片目を顰めて眉間に皺を寄せた少し不貞腐れた様な表情だろう。

「最後のブロックの時、着地失敗してたでしょ」
「え…」
「はじめちゃんと接触してそのまま足首グネッてるのが見えたの。…一瞬だったから気のせいかとも思ったんだけど、その後のセットアップの時いつもより跳んでなかったし、サーブ練もジャンプしてなかったから確信した」
「…ハハハ。さすが名前ちゃーん、」

恐れ入りました。及川は両手を膝に当て腰を折り頭を下げて降参≠ニいった。
本当に最初は気のせいだと思ったのだ。ブロックで接触するのは良くあるし、体格的にも及川がはじめちゃんに吹っ飛ばされる確率は低い(というとはじめちゃんは怒るからあんまり言わないけど)。
けど、及川のいつもと違うセットアップのフォーム。その時に歪んだ彼の表情。些細なことだけど、それを見逃せる程、私達の付き合いは短くない。

「国見とか金田一とかの一年が入って練習に熱くなるのもわかるよ。…けどさ、こんな大事な時期に無理するのはダメだって及川自身が一番よくわかってるでしょ?」
「…うん」
「ね?…今年こそ連れてってくれるって約束、守って貰うんだから」
「そうだね」
「連れて行ってくれないとブッコロス」
「だから!!怖いからやめて!!」

伏せていた顔を勢い良く上げて、半分泣きそうな怖がってる表情が目の前に迫る。
…うん、もういつもの及川だ。
さっきまでの何処か沈んだ空気を放つ及川なんて、及川らしくない。
高校三年生のこの時期。及川が主将になって、はじめちゃんがエース番号を背負ったこのチーム。
ーーー私達の最後の挑戦の年だ。
気が付けば六年目を迎えた彼らとの付き合い。そのほぼ全部の時間をバレー≠ニいうもので埋め尽くされている私達にとって、今年は文字通り最後の年。
今年こそは白鳥沢に勝つ。そして青葉城西が全国の舞台に立つ。

そんな時に主将が怪我をするなんて、本来ならはじめちゃんお得意の頭突きを私からもお見舞いしたいぐらいなのだから、暴言くらいは目を瞑っていただきたい。

「…はい、完了!」

そんなこんなで及川の足の処置は終了。運動部マネージャー歴六年ともなればテーピングなんてお手の物だ。綺麗に固定された足首を眺め、及川は軽くそれを動かして痛みが響かないことを確認している。

「キツさとかは平気そう?」
「うん。むしろ病院の先生並に綺麗。痛くない」
「誰かさん達のおかげで上達しちゃいましたからねー!」
「ん?ちょっとその誰かさん達って…」
「目の前の人を筆頭にしたバレーお馬鹿さん達」
「…ねぇ、俺褒めたのに酷い言い方…」
「事実でしょ」
「いや、うん。まあそうなんだけどもね…」
「…徹先輩!」

使った道具達を片付けながら、及川とする軽い攻防は最早日常的な当たり前なもの。それを突然切り裂くように響いたのは、最近聴くようになったまだ聞き慣れない高い女の子の声だった。
開けたままだった保健室の扉を大きな足音と共に越えてやって来たその子は、まだ及川の足元にしゃがんで居た私を押し退けるように彼の元に駆け込んで来る。
…彼女は、最近付き合い始めた及川の彼女だ。

「大丈夫ですか?!さっきバレー部の人達に怪我したって聞いて…!!」
「あー…うん。大丈夫大丈夫。ちょっと捻挫しただけだから」
「捻挫…すぐ治るんですか?」
「まあ、軽いやつだと思うし…すぐ治るよこんなの」
「そうなんですね……よかった」

心底安心したように、さっきまで不安一杯で歪められていた表情が少しだけ緩む。少しだけど涙が滲んだように見える瞳で及川を見上げるその横顔は、誰が見たって可愛いと思うほど整っていた。
…確か二年生達が、学年で一番可愛い子だって言っていたっけ…?
彼女は一年生の時からよく練習を見に来ていたし、試合の観戦にも来ているのをよく見かけたことがある。
いつでも可愛い格好をしていて、綺麗に整えられた髪型と頬を染めて一生懸命に及川を応援する姿がとても印象に残っていた。

「…及川、とりあえず荷物取ってくるからここでしばらく待ってて。ついでにはじめちゃんに頼んで及川ん家に電話してもらうから」
「あ、うん。ありがとう名前ちゃん」
「…その間、及川のことお願いしてもいいですか?」
「は、はい!!もちろんです!」
「ん…じゃあよろしくお願いします」

礼儀正しく、それでいて可愛らしくぺこりと下げられた頭。私よりも低い位置にあるそこから見上げられて、女の私でさえ純粋に可愛いと思ってしまう。
何もかもが違う。私と。彼女と全てが真逆。

「ごめんね。せっかく待っててくれてたのにこんなになって」
「いいんです!!先輩が部活頑張ってることは知ってるんですから!!」
「うん……ありがとう」

いつもより少しトーンの違う及川の声。それは彼女≠セけに向けられる、優しさの滲みでるものだ。
私には決して向けられないもの。

「……はあー……キッツイなー、やっぱり」

保健室を後にして思わず零れ落ちた溜息と本音。さっきまで及川に触れていた手を無意識に胸元にやって、痛みを訴える心臓を掴むようにTシャツを握る。
何度見ても慣れない、及川と彼女≠ェ一緒にいるところを見て傷つく事には…。

「クソ及川め……」

及川と出会って6年。共に仲間として過ごした6年。
そして私のこの行く宛のない感情との付き合いも、同じく6年目を迎えていた。





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