God knows


※転生パロ



五月も中旬に差し掛かった頃、昼休みを終えた後の午後の授業では多くの生徒が夢の中へ誘われる様子が見られる。特に今の授業はつまらないと有名なおじいちゃん先生の倫理の時間。…単調な話し方にただ只管に教科書を読み上げているだけの授業は、どんな真面目な生徒でも睡眠欲が掻き立てられるだろう。その証拠に窓際一番前の席にいるマルコが手で隠しながらだけど堪え切れないというように欠伸を零していた。その後ろの席にはもはや開いてすらいない教科書を枕にして寝ているジャンがいて、その列の一番後ろの席に居るライナーも頬杖を付きながらボーっと黒板を眺めている。
僕の席は廊下側の一番後ろの席で有る為教室の様子が良く見渡せる。だからこそこういう暇な授業の時はクラスのみんなの様子がよく見えたりして……つまり、僕も大概授業に集中していないってことになるかな。

カタンッ、

「…?」

と、静かな空気の中に響いた音。椅子と床が擦れる際に出る音とよく似ているそれにぼんやりとしていた意識がはっきりすると丁度僕の座っている席の斜め前の席から一人の女性とが立ち上がる姿が見えた。

「ごめんなさい先生、…少し頭が痛いので保健室に行ってもいいですか?」
「……確かに顔色が悪いな…仕方ない、行ってきなさい」
「はい…」

おじいちゃん先生に了承を得てから小さく頷いた彼女は少しフラつきながら歩き出す。その際僕の隣の通路を通った時に彼女の顔が見えたが…確かにいつもより青白い顔色で、見るからに調子が悪そうな様子だった。
無意識に教室を出ていく彼女の後姿を視線で追う。覚束無い足取りで進んだ彼女はゆっくりと廊下へと消えていった。

(……名前、大丈夫かな)

彼女の名前は名前・名字。この学校に入ってから知り合った女の子で、いつもは明るく笑う元気な女の子だった。

ただ…彼女には一つだけ気がかりなことがあった。

それはこの学校の入学式の日の事。僕と同じ新入生でごった返していたクラス表の前で自分のクラス、そして幼馴染のライナーとアニのクラスも確認してからその場を去ろうと後ろを振り返ったその時に『初めて』彼女と出会った。
不思議なことに僕はその時、数メートル離れたところに居る彼女とハッキリ目が合ったとわかった。
少し強く吹き付ける春風が彼女の髪を揺らして、一瞬だけ彼女の瞳を隠してしまう。…僕の事を驚いたように見つめた、名前の瞳を。
そしてその髪が流れ再び彼女の瞳が現れた瞬間…名前は僕を瞳に映したまま、大粒の涙を零したのだった。


(……泣かないで、―――…)


その涙を見たとき、自然にそう思ったのだ。人混みを掻き分け、足を縺れさせながら慌てて彼女の元に向かい、息を吐きながら彼女の濡れた頬に手を伸ばす。
僕自身も驚いたその行為に、彼女本人も驚いたのか、涙で溢れた瞳を真ん丸にして僕の事を見上げたのはとても印象に残っている。


「…泣かないで、…君…。……大丈夫?」
「……は、い……」



小さく掠れた彼女の声。鼓膜を揺らすそれは僕にとても懐かしい気持ちを抱かせる。
…そして同時に、彼女の名前を知っているはずだと思った僕の思考に戸惑ったのだった。


「…先生」
「なんだ、フーバー」
「彼女、本当に辛そうだったので…保健委員の僕が付いて行ってもいいですか?」
「そうか?…じゃあ、とりあえず保健室まで送り届けてやってくれ」
「はい、わかりました」

名前の姿が見えなくなってすぐ、手を上げて発言した僕に半ば夢の中に居たはずのクラスメートの視線が集中した。
それを振り切る様に、先生の了承を得るとほぼ同時に僕は廊下へと飛び出す。
教室は二階。保健室は一階の校舎奥にあるから、まだ彼女には十分追いつくはずだ。
逸る気持ちをそのままに、僕の足は駆け出した。
授業中の廊下は当たり前だが人の気配なんてない。無機質な色の空間の先に、未だふらふらと覚束無い足取りの名前の後姿を見つけた。

「名前っ」
「……ベルトルト…?」
「大丈夫かい?…心配だから、保健室まで送るよ」
「…あり、がと…」

僕の呼びかけに振り返った彼女の顔色は先ほどよりもまた更に悪く、もはや土色に近かった。
これは無理に歩かせない方がいいのではないか…とも思ったが、こんな廊下の中途半端なところで立ち止まらせるのも得策とは思えない。
大股で彼女に近づきつつ思考を巡らせながら、僕はそのまま彼女の腕を掴んで自分の方へとその身体を引き寄せた。

「…え…っ」
「歩くのも辛いんでしょ?本当は抱き上げて運びたいんだけど…無理に揺らしちゃったら気持ち悪くなりそうだし…僕に体重を預けながら歩いて」
「だ、だいじょうぶだよっ…一人で歩けるから…!」
「そんな顔色で言われても説得力がないよ。病人は大人しく言うこと聞いて」
「……………………はい……」

半ば無理やり言いくるめて、彼女の小さな身体を更に抱え込む。…二メートル近い身長を持つ僕の右腕一本に小柄な名前の身体は文字通りすっぽりと収まってしまった。
触れた部分から名前の体温を感じる。
それは緊張すると共に…驚くぐらい穏やかな気持ちにさせてくれるものだった。

あの入学式の出会いから今日まで、僕は名前に対して不思議な気持ちを抱くようになっていた。
初めて見たときの涙は早く泣き止んで欲しいと思い、笑った顔を見せて欲しかった。
そして少し打ち解けて一緒に過ごすようになると、僕に向けてくれるどこかぎこちない笑顔を見て切ない気持ちになった。
それなのに、友人として仲良くなったライナーやアニ達にはとても自然な笑顔を浮かべて話している姿を見ると…どうしようもなく胸が苦しくなり、ドロドロと嫉妬に似た感情を抱くようになった。

…けれど時々、彼女が遠くから僕の事を見つめているのを知っている。
その時の彼女の表情はライナー達といるときの笑顔とも、僕と一緒にいるときとの表情とも違う。
穏やかで、優し気で、けれどとても切ない…慈愛に満ちた表情。
それを浮かべているときの彼女の姿は、今よりずっと大人びていて…すぐに消えてしまいそうな儚さを持ち合わせているのだった。


―――まるでその背に、大きな翼を持っているように…


「――、」
「…ん?なーに?ベルトルト」
「ふふ…なんとなく?呼びたくなったんだ」
「何それ…変なベルトルトー」
「そうかな?…だって、好きな子の名前はいつでも呼びたくなるものじゃない?」
「っ、……それ、反則」
「変って言ったお返し」
「……ベルトルトー」
「なに?」
「んーん、なんとなく?呼びたくなったから呼びました!」



「………」

不意に、頭の中に響いた会話。そして映像。
ぼんやりと薄れた視界の中に、茶色の見慣れない軍服姿のような姿の女性が、今の名前と同じように僕の腕の中にいる。
僕はそんな彼女の"名前"を呼んで。そして彼女も、僕の名前を呼んでどこまでも嬉しそうに笑っているのが解る。

これは、何だ?
夢にしては意識はハッキリとしているし、だからと言ってこんな憶えの無い映像は見たことが…。

―――本当に、憶えがないのか…?

再び脳内に直接呼びかけるような声。
紛れもなくそれは…僕自身の声だ。

「ベルトルト!!」

僕の名前を呼ぶ、この声は…。

「……ベルトルト?」
「っ、…あ、名前」
「どうかした…?ベルトルトも、顔色悪いよ…?」

名前を呼ばれたことによりどこかに飛んでいた意識が戻る。腕の中から僕の事を見上げて、白い顔色のまま僕を見上げる名前の瞳に自分の焦ったような表情を見た。
気が付くと保健室はもう目の前で、随分長い間ぼんやりとして彼女を支えていたことを自覚する。

「ごめん。ちょっと考え事してた…名前こそ、余計に体調悪くなってたりしない?」
「……なら、いいんだけど。…私は、大丈夫」

大丈夫、という割にやっぱりその表情は頼りない。頑張って笑って誤魔化そうとしてるのが丸わかりの笑顔をあまり見たくなくて、僕は黙って名前の身体を支えている腕に力を込めた。
養護教諭の先生は顔色の悪い彼女をベッドに寝かせて体温計を渡した。気圧の変化による頭痛、それから来る体調不良だろうと言って早退することを勧めていた。

「梅雨時期になるといつも体調崩す体質みたいね…早めに帰って、家でゆっくり休みなさい」
「……はい、そうします」
「フーバーくん、申し訳ないんだけど彼女の荷物を取ってきてもらえるかしら?それと担任の先生にこの紙を渡して」
「はい」

早退許可証を受け取って、最後にもう一度ベッドに横になる名前を見る。
僕の視線に気づいた彼女はまた頼りなく笑顔を浮かべながら手をひらひらと振って「ありがとう」と小さく口を動かした。


―――僕が見たいのは、そんな笑顔じゃないんだ。


「……―――、」

後にした保健室の扉を背に、小さく、自然と零れたある言葉。
自分でも聞きとれなかった囁きに、僕の心臓が大きな高鳴りを覚えた。
身体の中心から湧き上がるような熱。広がっていくもの。

(……僕は"君"を知ってるはずなんだ…君の、本当の笑顔も…)


「ベルトルト、だいすきよ」


"記憶"の中に浮かぶ誰かの影。それに重なる、"名前"の姿。
僕は知ってる。この姿と、そして僕の名前を呼ぶその声は…

僕の、好きな人。


God knows



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