01


私には生まれた時の記憶がある。

母親と思われる人の呻き声。私の頭を引っ張り上げる硬い掌。

初めて自分の目に映った世界は薄暗い部屋で蝋燭に照らされた、ゆらゆらと頼りなく揺れる誰かの影だった。

生まれて初めてあげた自分の泣き声に、母親と、そして私を抱いている人が大きく溜め息を吐いたのがわかった。

重い空気を肺いっぱいに吸い込んで、赤ん坊の私は産声と共に呼吸を繰り返す。

これが私の声なんだ、と無意識の内に鼓膜を振動させるそれが自分のものだと認識した。

そして同時に、初めて人間の声を聞いた。

「また、女の子だ…」

初めて聞いた言葉。理解なんて到底できなかったけれど、今ならわかるそれ。

悲哀を帯び、絶望を含んだ言葉。

それはただ私の泣き声に掻き消され空気に溶けた。


* * *



「………」

読み終えた本を閉じて天を仰ぐ。普段よりも空が近いのはコルボ山でも一番高いといわれている樹に昇っているせいだ。目を閉じて吹き抜ける風を心地よく感じていれば…それに乗って聞こえてくるのは聞きなれた三人分の幼い声。

「ゴムゴムのぉぉ…ピストる゛!?!?!」
「…だから…何がしたいんだお前はぁ?!?」
「ウベボっ?!」
「これでルフィは俺とエースに0勝50敗。俺とエースは引き分けか…」
「…くっそー!!もう一回!!」
「ダメだ。決闘は一日一人100戦までって決めただろ」
「ヴヴヴ…!!」

大きなタンコブを押さえながら、更に悔しそうに唸り声を上げているルフィを横目に、エースとサボは対戦成績の書かれた表を見てしばしの沈黙。それから二人同時にお互いを見て、小さな声を零している。

「…また決着つかなかったな」
「ああ…これじゃいつまで経ってもナマエを仲間に誘えねぇ…」
「だからって抜け駆けするなよエース!!二人で決めたことなんだからな!!」
「わかってるって!!だからこうして毎日決着を付けようと必死に戦ってるんだ…!」

ごにょごにょ、ごにょごにょ…何か言い合いをしているサボとエースの背中を見つめて、私は静かに昇っていた樹から地面へ向かう。未だに地面に転がったままのルフィの元へ向かうと、彼は「あ、ナマエ!」と嬉しそうな声を上げた。

「ルフィ、怪我見せて?ちゃんと治療しておかなきゃまた悪化するよ」
「これくらいへっちゃらだ!!怪我の内に入んねぇ!!」
「そういってこないだ傷が化膿して大変なことになったじゃない。いいから見せて」

「また苦い薬飲まされたいの?」とニッコリ笑顔を浮かべて言えば、その時のことを思い出したのかムムムと何とも形容しがたい表情を浮かべてから、渋々といった様子で身体を起こした。
顔は砂に塗れ、全身は傷だらけ。それでも以前よりも軽いものばかりで、そこからわずかにルフィの成長を感じる。
…まあ、少し離れたところで言い合いを始めている“兄”二人は、ここ最近子供っぽくなっていると思うけれど。

「昨日は俺の方が早く獲物を捕まえた!」
「それは俺が主の気を引いたからだ!!それがなきゃエースなんかルフィと一緒に食べられて大怪我してたぞ!!」
「んなことねぇ!!サボに助けられなくたって俺一人で抜け出せてた!!」
「いいや、絶対無理だね」
「なんだと?!」
「ああ゛?!」

「やめなさい二人とも!!」

段々と森を震わせるくらいに声を大きくしだした二人に向かって大声を上げる。ビクッと身体を震わせて同時にこちらを向いた二人は、目を吊り上げて怒った顔をしている私にその時漸く気づいたらしい。

「ナマエ?!いつからここにっ?!」
「エースとサボの87戦目くらいから。みんな夢中だったからずっとあそこから見てたよ」
「それって俺がエースに負けたときじゃんか…」
「一瞬気を失ってたよね、サボ」
「っ…い、一瞬だけだろ?!?!?!」
「5秒くらいは起き上がらなかったけどな」
「黙れエース!!」

再び言い合いを始めかねない勢いで声を荒げていく二人。その様子に溜め息を吐きつつ、ルフィの腫れている傷に絆創膏を貼り付けた。
ゴムゴムの実を食べたゴム人間であるルフィは、本来なら普通の打撃で傷を作ることはない。けれど今治療した傷はエースから受けた打撃によってつけられたものでり、サボからの攻撃でもつけられた傷がいくつもある。…その理由をルフィの祖父であるガープおじいさんから、『愛ある拳は効く』と聞かされたときはよくわからなかったけれど、最近は少しだけその意味を理解した気がする。

「さ、エース、サボ。二人も手当するからこっち来て」
「……別に、俺は手当するほどの怪我はしてねぇよ」
「俺もだ!」
「…エースはサボの鉄パイプが当たったところ。サボはエースの蹴りが入ったところ、それぞれ痛むんでしょ?お互いを騙せても私には通用しないんだから早く診せて」
「………」
「……」

急に黙り込む二人にルフィは不思議そうに首を傾げる。“弟”の手前、どうしても格好つけたかった“兄”達はお互いを見た後、恨めしそうな視線を私に向けた。
その視線が「バラすなよ…」と言っているようにしか見えなくて…私は思わず、ぷっと吹き出してしまった。

天真爛漫な“弟”ルフィを、口では悪態を吐きながら誰よりも溺愛している“兄”二人。
そこには決して切れない“愛の絆”が存在している。

「怪我の治療をしたら家に帰ろう?今日はマキノさんから貰った差し入れのお肉があるんだよ」
「「「肉!?!?!?!」」」
「そう。だから早く帰ろうね」
「「「…おう!!」」」

三人の揃った声がコルボ山全体に響き渡る。
今日もコルボ山の三兄弟は変わらない平和を過ごしていた。


 * * *


ミョウジ・ナマエ、それが私の名前。コルボ山の山賊・ダダン一家で暮らし始めて今年で9年を迎える。
過酷なはずである山の暮らしでただの子供の私が今日まで生き延びてこられたのは、過保護過ぎると言える一家の兄達のおかげだろう。
物心つく頃には、私の家族は棟梁であるダダンと、一家の歳の離れた兄達、そして一つだけ年上のエースという男の子だけだった。
本当の両親の事はハッキリと覚えていない。だからこそ今まで暮らしてきて寂しいと思った事なんてないし、ここ最近ではルフィ、サボ、といった更に楽しい家族が増えたおかげで毎日を楽しく過ごしている。

コルボ山はいいところだ。自然や野生の命に溢れて、何よりも自由だ。
そして私の大好きな、愛すべき家族のいる大切な場所。

「まーまー、セシル。遅かったなぁ」
「ワニにでも襲われてるんじゃ二ーかって心配してたんだぜー!」
「ただいまドグラ、マグラ…そんな心配されるほど、私弱くないんだけどな…」

家に帰ると、飛びつかん勢いでやってきたのは剣を背負ったままのマグラと、ピョンピョンと飛び跳ねながら声を上げているドグラに一緒に暮らしているダダン一家の面々。私にとっては兄的存在のみんなは大好きなのだけど…心配性すぎるのが悩みの種だ。

「なーに言ってんだナマエ!!お前が赤ん坊のときなんてな!!山のチンピラみたいなサルに虐められて大泣きしてたんだぞ!」
「それはドグラが、ナマエを抱きながら居眠りしてたせいじゃ…」
「マグラこそ、そのとき助けられなくてオロオロしてただけじゃない…」
「そ、そんなこと…まーまー…昔の話だ…」
「もう私は泣いてるだけの赤ん坊じゃないの!…それに三人を迎えに行ってただけだから街にも近づいてないし、みんなが心配するようなことはないよ」

あまりにも昔の話を持ち出すものだから、フンと不機嫌に顔を逸らしてみんなの間を通り過ぎる。そのまま私が向かったのは、家の奥で座りながらお酒を飲んでいたダダンの元だ。

「ただいま、ダダン」
「…お帰りナマエ。悪ガキ達はどうした?」



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