01



彼らと出会う前の最後の記憶は、大粒の涙を溢しながら「ごめんね」と言って私を置いて去っていた女の人の後姿。
そのあとにはすぐ、自分の周りに漂う強い悪臭に顔を歪めて…そして、恐ろしい形相をした大人達が獲物を見るようなぎらついた眼で私を見る姿だ。
齢五つにして、私は自分の命の終わりを悟った。
目の前に立ち塞がる大きな影。振り上げられた凶器。
恐怖を感じることも、逃げようという思考も無かった。
ただただ思ったのは…“死”。


―――その瞬間、何か強い力で身体を引かれる。


目の前にあった影…巨体の男はパイプのような何かで凹むほど叩かれており、既に白目を剥いて意識は飛んでいる。
後ろから現れたのは自分と年齢の変わらないほどの男の子で、黒髪の下に除く雀斑が何故か強く印象ついた。
そして、私の腕を引いてその場から下がらせた影の正体はまたしても同い年くらいの男の子。目に付くのはどこか貴族を思わせるようなボロボロの服装とハット、そして必死に私を映す丸い瞳。

「お前、こっちにこい!!!」

グイッ、と更に強い力で引っ張られた私の身体は自然と前に進みだし、不安定な足場を踏みしめる。
掴まれた手首に感じる、自分とは別の温度。

「エース!!お前も今のうちに!!!」
「わかってる!!!サボも前を向け!!!」

飛びかう言葉と共に私はされるがまま、悪臭漂うあの場所から遠ざかる。
気が付けば周りは大きな木々に囲まれた自然溢れる山奥まで到着し、ゼェゼェと三人で荒げた息を吐き出してその場に座り込んでいた。

「ここまで来れば…大丈夫、だろっ…」
「追手は来てねぇ……」
「…あ、あの……」

荒い息の間に零した声は掠れてあまり綺麗に紡げない。それでも目の前の二人には届いたみたいで、向けられた二組の瞳が私の姿を捉えた。
そして響いたのは、「ばかやろう!!!」と揃った二人の声。

「なんでお前みたいなチビが一人であんなところにいた?!あそこに居るヤツらはタチが悪くて有名なんだ!!」
「俺達がいなけりゃ…今頃“ここ”のゴミ山の一部だ」
「だ、だって…そんな事、言われても…」
「しかもそんな目立つ恰好して…死にてぇのか?!」
「………」

私の手を引いていた、おそらく“サボ”と言われていた男の子が放ったその言葉に私は顔を下げた。
逃げたことにより既に汚れてしまっているが、私が着ている服は一級品素材を使って作られたワンピース。
胸元には何かの花を模したブローチがあり、その中央には私の瞳と同じくらいの大きさのブルーサファイアがあしらわれている。
目立つ格好…つまり、貴族の娘の装いだ。

「…もし迷子だっていうなら、少ししてから街の入り口まで案内してやる。もうすぐゴミの時間で大門を通りやすくなる。悪い事は言わないから、早く家に帰れ」

少しの間を置いて放たれた言葉が空気を震わす。裏表なく紡がれただろうそれは、彼の優しさから私に向けられたものなのだろうけど…。

「…無理よ…」
「は?」
「……帰る家なんて、ない。だって…ここに捨てられたんだもの」
「捨てられた、って…」
「…だってここは“不確かな物の終着駅(グレイ・ターミナル)”…でしょ?」

その一言に目の前の二人は言葉を無くした。
グレイ・ターミナルに捨てられた私…それが意味することを理解したのだろう。

「ねえ、アナタたちはここで生活してるの?」
「…あ?まあ…俺は普段、コルボ山の方で過ごしてるけど…」
「俺はもう少し離れたとこで…」
「なら“私みたいなチビ”でも、生きていけるよね…?」
「は??」

暫く続いた沈黙を破ったのは私自身。俯いている視線の先に映っているのは、とても小さな子供の爪先が三人分。

「私、死にたくないの」
「お前は失敗作だ…」

脳裏に焼き付いて離れない、生まれてから今日まで言われ続けていた言葉。
昨日までの日々は生まれてきた意味も、息をする意味すら分からないものだった。
けれどさっきの、あの襲われたとき。もっとも強く、そして初めて感じた“死”。

同時に強く思ったのだ。私は…“生きたい”のだと。

「…ッ、生きたいの…私は“私”としてッ…だから!!」

ポタッ、と自分の爪先に落ちた水滴が見えた。頬に感じる熱の正体は、きっと…


「…私も、一緒に居させてください!!」


涙で滲む視界に映る、驚きに見開かれた四つの目。
これが私達三人の最初の出会い。そして…すべての始まりだった。


――4年後


「………」

読み終えた本を閉じて天を仰ぐ。普段よりも空が近いのはコルボ山でも一番高いといわれている樹に昇っているせいだ。目を閉じて吹き抜ける風を心地よく感じていれば…それに乗って聞こえてくるのは聞きなれた三人分の幼い声。

「ゴムゴムのぉぉ…ピストる゛!?!?!」
「…だから…何がしたいんだお前はぁ?!?」
「ウベボっ?!」
「これでルフィは俺とエースに0勝50敗。俺とエースは引き分けか…」
「…くっそー!!もう一回!!」
「ダメだ。決闘は一日一人100戦までって決めただろ」
「ヴヴヴ…!!」

大きなタンコブを押さえながら、更に悔しそうに唸り声を上げているルフィを横目に、エースとサボは対戦成績の書かれた表を見てしばしの沈黙。それから二人同時にお互いを見て、小さな声を零している。

「…また決着つかなかったな」
「ああ…これじゃいつまで経ってもナマエを仲間に誘えねぇ…」
「だからって抜け駆けするなよエース!!二人で決めたことなんだからな!!」
「わかってるって!!だからこうして毎日決着を付けようと必死に戦ってるんだ…!」

ごにょごにょ、ごにょごにょ…何か言い合いをしているサボとエースの背中を見つめて、私は静かに昇っていた樹から地面へ向かう。未だに地面に転がったままのルフィの元へ向かうと、彼は「あ、ナマエ!」と嬉しそうな声を上げた。

「ルフィ、怪我見せて?ちゃんと治療しておかなきゃまた悪化するよ」
「これくらいへっちゃらだ!!怪我の内に入んねぇ!!」
「そういってこないだ傷が化膿して大変なことになったじゃない。いいから見せて」

「また苦い薬飲まされたいの?」とニッコリ笑顔を浮かべて言えば、その時のことを思い出したのかムムムと何とも形容しがたい表情を浮かべてから、渋々といった様子で身体を起こした。
顔は砂に塗れ、全身は傷だらけ。それでも以前よりも軽いものばかりで、そこからわずかにルフィの成長を感じる。
…まあ、少し離れたところで言い合いを始めている“兄”二人は、ここ最近子供っぽくなっていると思うけれど。

「昨日は俺の方が早く獲物を捕まえた!」
「それは俺が主の気を引いたからだ!!それがなきゃエースなんかルフィと一緒に食べられて大怪我してたぞ!!」
「んなことねぇ!!サボに助けられなくたって俺一人で抜け出せてた!!」
「いいや、絶対無理だね」
「なんだと?!」
「ああ゛?!」

「やめなさい二人とも!!」

段々と森を震わせるくらいに声を大きくしだした二人に向かって大声を上げる。ビクッと身体を震わせて同時にこちらを向いた二人は、目を吊り上げて怒った顔をしている私にその時漸く気づいたらしい。

「ナマエ?!いつからここにっ?!」
「エースとサボの87戦目くらいから。みんな夢中だったからずっとあそこから見てたよ」
「それって俺がエースに負けたときじゃんか…」
「一瞬気を失ってたよね、サボ」
「っ…い、一瞬だけだろ?!?!?!」
「5秒くらいは起き上がらなかったけどな」
「黙れエース!!」

再び言い合いを始めかねない勢いで声を荒げていく二人。その様子に溜め息を吐きつつ、ルフィの腫れている傷に絆創膏を貼り付けた。
ゴムゴムの実を食べたゴム人間であるルフィは、本来なら普通の打撃で傷を作ることはない。けれど今治療した傷はエースから受けた打撃によってつけられたものでり、サボからの攻撃でもつけられた傷がいくつもある。…その理由をルフィの祖父であるガープおじいさんから、『愛ある拳は効く』と聞かされたときはよくわからなかったけれど、最近は少しだけその意味を理解した気がする。

「さ、エース、サボ。二人も手当するからこっち来て」
「……別に、俺は手当するほどの怪我はしてねぇよ」
「俺もだ!」
「…エースはサボの鉄パイプが当たったところ。サボはエースの蹴りが入ったところ、それぞれ痛むんでしょ?お互いを騙せても私には通用しないんだから早く診せて」
「………」
「……」

急に黙り込む二人にルフィは不思議そうに首を傾げる。“弟”の手前、どうしても格好つけたかった“兄”達はお互いを見た後、恨めしそうな視線を私に向けた。
その視線が「バラすなよ…」と言っているようにしか見えなくて…私は思わず、ぷっと吹き出してしまった。

「にしししっ!サボもエースも、ナマエには弱っちぃよな!」
「うるせぇ!!そう言ってるお前が一番弱いんだからな!ルフィ!!」
「フン!!それでもナマエが今のところ一番強いじゃねぇか!二人よりも年下なのに!!」
「そ、れは…ナマエには、手加減してやってるんだ。なあ、エース」
「お、おう!!そうだ!!」
「…ふーん、じゃあ、二人とも私ともう一戦やる?」

片腕に持っていた本をルフィに投げ渡し、拳を構えてサボとエースを見つめる。
すると途端に二人は表情を歪めて、慌てたように2,3歩後ずさりをした。

「い、いや!それはほら…遠慮する!!」
「大丈夫、遠慮するような仲じゃないでしょ?」
「は、いや…それにほら!もうすぐ晩飯の調達にいかなきゃっ」
「今日のご飯はマキノさんからの差し入れで、もうすぐ一家に届けられてると思うよ?」
「……だから…あの…」

しどろもどろ、という言葉がぴったりな二人の挙動。
こんなにも二人が慌てる原因は私が一番良く分かっているのだけど、それを一番面白がっているのも私だったりする。

「…ふふ、冗談。既にボロボロな二人を相手にそんなことしないよ」
「……お前が言うと冗談に聞こえないんだよ、ったく」

私の言葉にエースが安心した様に深い溜め息を吐いた。その隣でサボも同じように胸を撫で下ろしている。

「やっぱりナマエが一番強えーな!」
「きっとルフィもそのうち強くなれるわよ。…私の次にだと思うけど」
「んな?!…くっそー!!絶対ナマエよりも強くなってやるからな!!」




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