今牛彗華の幸福






巫彗華という少年は、美しい少年だった。
濡羽色の光沢を放つ長髪は天然のブラックダイヤモンドよりも深く濃い。丹念に磨き上げた宝石を埋め込んだような真紅とグレーの美しい瞳はいつも少し伏せられていてミステリアスな雰囲気がある。普段あまり動きがないからこそ長い睫毛に縁取られたオッドアイが瞬きするたび、光が弾けるようだった。シルクのような甘やかな白さを持つ肌は下手なアンティークドールよりも繊細で清廉。淡い彫りの深さは東洋的だが、きゅっと結ばれた桜の花弁を思わせる小さな唇から漏らされる声は可憐な金糸雀に似ていて、西洋で謳われる春の妖精を思わせる。それだけ見れば瑞々しく咲き誇る花の様だというのに、アンニュイな表情と仄暗い雰囲気も相まって退廃的な色香が纏わりつくそれは、誰が言ったか「セイレーン」。醜い実体を持つそれではなく、声から思い浮かべる幻想的な生き物はきっとこういう感じだろう。ともかく少年というより少女といった方がいいような美貌の彼は、周囲からどこか浮いていた。
人外じみた美貌に加え、無口で大人しく、不意に不安げに周囲を見回すことが多い割にどこか大人びている手のかからない子供。何かを恐れるように人の輪を避ける姿は何からも守ってやりたいという庇護欲を思わせる反面、徹底的に押さえ込んで暴き立てたい、その不安そうな瞳を蕩けさせたいというような凶暴な征服欲を掻き立てた。その欲望をうまくコントロールできない子供たちにはいじめられ、周囲の大人からは屈折した欲望を向けられる。彼を女男と罵り加減を知らない子供と余計なことを知っているからこそ欲望を性欲へと変化させた大人に挟まれた彗華は、周囲への恐怖と自分への嫌悪で震えていた。
それを信頼できるはずの親に言えなかったのは、家庭内でも問題があったからだった。
彗華は父子家庭の生まれだ。母は幼少の頃に事故で死去。父は悲しみに暮れながらもなんとか残された子供である彗華を育てようとしたが、成長するにつれあることに気がついてしまう。彗華が、自分の妻であった女に日に日に近づいていくのだ。美しい女だった。美しいために、生きづらそうに息をする女だった。そんな妻と息子であるはずの彗華が重なり、彗華の父はある日突然壊れてしまった。
彗華を、自分の妻であり彗華の母であった女という扱いをするようになったのだ。彗華が少しでも男らしい言葉遣いをすれば殴り、男らしい遊びを望めば平手で打った。お父さんと呼べばお前は俺の妻だろうとこんこんと言い聞かせられる。一人称は私、父を呼ぶ時はあなた、家事は彗華の仕事。無口で大人しく、本当は甘えたがりで寂しがりな少年を苛むには充分な環境だった。ひとつだけ幸福だったのは、性的な欲求をぶつけられなかったことだろうか。それでも必死に記憶の中の母の姿を思い返しては行動を真似て「母」になろうとしたのは、負い目があったからだ。
事故に巻き込まれて、死んだのは母一人。自分が生き残った。自分を育ててくれている時でも薄々感じていたのだ。きっと、父にとっては母が生き残った方が良かったのだろうな、と。幼いながらにひどい罪悪感に襲われた彗華は、狂った父のごっこ遊びを受け入れていた。
いじめに変態、歪な家庭。
更なる悲劇は友達だと思っていた少年のある一言だった。
「お前、なんであいつと仲良くしてんの?もしかしてホモなん?」
「ちげぇよ!あんなオカマと仲良くなんてない!いつもニコニコして気持ち悪いって思ってたんだよ!」
仲が良かったはずだった。助けてくれたはずだった。どんなに虐められていても友達だと、言ってくれたはずだった。
それなのに、そう思っていたのは自分だけだったのだと。
幼い心に傷をつけるのは当たり前であった。
それから、彗華は学校に行くのをやめた。
やめて、父との「ごっこ遊び」を本格的に続けることを決めた。
続けて、続けて、続けて、続けて、続けて。
彗華の自我が擦り切れて無くなりそうな頃。
救いは、唐突にやってきた。



「あなたが、彗華くん?」


「ゆっくりで構わない。でも、私たちは君と家族になりたいと願っている」


「大丈夫だ、オレが守ってやるから」


いろいろなことがあった。父が精神病棟に入れられたり、引っ越したり、新しい家族ができたり。辛いことは変わらない。性的な目で見られるのはいつものことだし、昔よりも強くなった。友達だって作るのが怖いし、口調も仕草も直せていない。人が怖い。好意が怖い。自分の顔が怖い。
けれどそんな自分を見守ってくれて、話を聞いてくれる家族がいるから、彗華は前を向こうと思えた。少しでも、と手を伸ばせるようになった。
巡り巡って、巫彗華は、今牛彗華になった。
お茶目な義母と、寡黙な義父と、優しい義兄に、迎え入れてもらえた。
その幸福感だけで彗華は、恐怖しか与えないこの世界を生きていけるのだ。