きっかけは、参謀である明石の一言だった。
「は?奈落(タルタロス)?」
「ああ、新宿の修羅たちがこっちに来てる。なんでも近くで抗争があるらしい」
奈落を相手どろうなんざ、いくらなんでも無謀だと顔を顰める明石の言葉に、組織の概要を思い出しながら頷く。
奈落タルタロス。
新宿の修羅と呼ばれる組織。泣く子も震え裏社会の人間ですら縮み上がる不良チーム。いつからか彗星のように現れた奈落は、新宿に樹木のように根を張り、誰しもが無視できない一目置かれるほどにまで拡大した。その勢力を崩そうと奈落に潜入したものは、心も骨もへし折られて帰ってくる。それはヤクザであれ、マフィアであれ。そんな話が広まり、いつしか奈落は、新宿の闇を取り仕切る帝王のような立ち位置に座っていた。ただ彼らはそんなつもりもないのか、乱れぬ隊列で淡々と抗争を打ち勝っている。
それは全て、キングと呼ばれる総長のために。心酔する総長と新宿という国のためにしか、彼らは動かない。
そのチームが、こっちにくる。
ぞわぞわとした感覚が背中を這う。見てみてぇ。そう言った真一郎にそうくると思ったと呆れた顔をした明石は、ワカとベンケイにも声をかけてくると言って背を向ける。それが答えだった。
そこで、真一郎は出会ったのだ。
空元気なのか、それとも力の差もわからない馬鹿な奴らなのか目にもの見せてやると下品に声をあげる敵チームと対象的に、奈落は不気味なほどに静かだった。まるで嵐の前の静かさだと感じてごくりと唾を飲む。相手のチームは気づいていないが、他の見物人も自分以外の三人も、五感が研ぎ澄まされるような厳かな雰囲気にピリピリとした緊張を感じ取っていた。
「お前ら、揃ってんなぁ」
そんな奈落側のテリトリーに、はっきりとよく通る低い声が響いた。その方に顔を向け、目を見開く。
低い声をかけたのは、黒い羽織を羽織った着物の青年だった。色の抜けた銀の髪。派手な眼帯をつけた隻眼の色男。大柄で体格のいい、身長は2メートルに近いであろうその男は、不敵に周囲を見回している。まるで強靭な獅子を思わせる風格だった。あれがキングか?そう思って目をやったが、その背に隠された影があることに気がつく。
「じゃ、キング。いつもの頼むぜ」
「ああ」
ハスキーで艶のある声が聞こえた。その声の方に顔を向ける。
それを見た瞬間真一郎は、呼吸を忘れた。
深海の底を覗いた時の色のようなプルシャンブルーの高く結い上げた髪。硬質な冷たさを感じさせる白磁の肌は精緻な作り物のようで、どんなに美しいビスクドールも顔負けであろう。くるんとカールした長い睫毛が猫のように吊り上がった瞳に美しい影を落としている。そこに嵌め込まれた瞳は夜空に瞬く星屑のようで、色素が限りなく薄いその瞳は高貴な輝きを持っていて。西洋人のような高い長身にしなやかな体躯は、引き算の究極形のように美しい。そこにいるだけで、ハリウッドスターのような煌めきを放っていた。
シンプルな服に身を包んだ彼女はローヒールを鳴らしながら、極めて優雅で洗練された動きで奈落の前に躍り出る。
「白銀、今日の相手のやったことを報告しろ」
「はいよ、キング。ーー最近新宿で嗅ぎ回ってる奴ら、それが今日の相手だ。それだけならいい。だがそいつらは、うちのシマで民間人に手を出した。病院に運ばれ、今でも目が覚めてないらしい」
「ご苦労」
白銀と呼ばれた男を見もせず煙草に火をつけ、すぅと息を吸って吐く。そうして彼女は神経全てが尖るような、そんな冷ややかな雰囲気を纏う。
「新宿は舞台だ。私の、私たちの、そしてそこを生きる人々の。脚本家はいない。傍観者もいない。舞台に生み落とされた以上全ての人々が役者であり、命の息吹を演じている。
・・・・・・だが、あいつらはどうだ?ちげぇよなぁ?」
ばちばち、ばちばち。空気が震える。星が瞬くよりも鮮烈に、彼女は声を張り上げた。
「私たちの新宿、私たちの一生をかけた舞台を!もっと上手くやれると横から手を出してきた奴らに邪魔され!それを必死に拒んだ者を嘲笑って穢した!そんな冒涜が許されるか?否!否だ!
ーーゆえに、私たちは手を上げなければならない。声をあげなければならない。それを恐れるな、あいつらは私たちの領分を穢した。なら、それは何をされても文句はないという示しにすぎない」
粉砕を、暴力を、蹂躙を。普通であれば忌諱されるそれらを、それを是だと女はいう。傲慢だ。あまりに、身勝手な言い分だ。それでも女から目が離せなかった。まるでそうあることが当たり前で、最初から人を統べるために生まれてきた王様のようだと思った。
「喝采を!我らの王に喝采を!」
「「「喝采を!喝采を!喝采を!」」」
白銀が、片足を鳴らせば、他の奈落の一員も足を鳴らす。重なり合う声が生き物のように肥大化し、一つの生き物を思わせて震えた。
艶やかな群青の髪を靡かせ彼女は笑う。全てを剥き出しにした苛烈な顔で、黄金の瞳をこれでもかと見開いて叫ぶ。それは、紛れもなく王命だった。
奈落という国の、決定だった。
「さあ火を起こせ!旗を掲げろ!星が落ちるより早く、運命がぶつかり合うより強く!脚本家気取りの観客どもに、華々しい一撃をくれてやれ!」
泣く子も震える新宿のキング。
奈落(タルタロス)の鬼たちの長。
あれが、薬王寺黎(やくおうじれい)。
それが、真一郎と黎の出会いだった。
誰もが突然に始まった、デタラメなシナリオの上で
まるで嵐が起きたように、お前だけしか見えなかった。