小屋

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一年くらい前に書いたたるりか1話。
名前変換が面倒過ぎたのでここに投げ込む

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「…お兄さん、どこかで会ったっけ?」


かくりと小さく首を傾げ、不可思議そうな表情を張り付けて。彼女は苦し紛れの賭けに出た。

目を丸くして硬直したままこちらを見下ろす青年には勿論見覚えがあり、そして青年の困惑したような表情も至極当然の反応。
だからこそ、どうあってもここで認めるわけにはいかないのだ。
その瞬間に、これまで彼女が築き上げた平穏が一気に崩れ去ることが決定するのだから。

彼女にとっては決死の、滑稽な茶番劇の開幕。




「………結城さん、ですよね?」

戸惑ったような表情でそう繰り返すスーツ姿の青年に、彼女は目を瞬かせることで返した。
内心は冷や汗だか何だかでいっぱいで、心臓の音が耳の奥で忙しなく響き続けている。

大丈夫、やれる。というかやるしかない。

引き攣りそうな頬を雑な鼓舞で抑え込んで、彼女はじっと青年の顔を見上げて考え込むように小さく唸り声をあげてみせた。
演技の経験なんて欠片もないが、どう振舞えば"らしく"見えるかは大体見当がつく。
茶番を演じるのは初めてではない、 …ただ今回は相手が最悪というだけの話。

「うーん…?駄目だ、思い出せないや。どっかで対戦ったっけ?」
「……?」
「あれ、僕の名前知ってるってことはそういうことでしょ?それとも誰かから聞いた?」
「……」

断片的な情報だけを態と口にすると、青年は沈黙したまま二、三度視線を往復させて彼女の姿を確認する。

不自然な状況説明は却って首を絞める。相手が彼であるなら尚更だ。
違和感を持たせないよう細心の注意を払って、情報の欠片から彼自身に結論を導いてもらう必要があった。

最短で、かつ完璧に。それが今回の茶番劇の幕引きの条件。
何せ相手は最も厄介で、最も目敏いある意味で最悪の観客なのだから。

― 茅ヶ崎至。
弱冠二年目にして営業部のエースに挙げられる優秀かつ品行方正、気さくで気取らず細やかな気遣いも併せ持ち、極め付きは下手なアイドルや俳優にも劣らない端正な容姿とスタイル。
営業部の王子などと二つ名で呼ばれる、老若男女問わず絶対の人気を誇る絵空事のような人間。

…奇しくも、そして恐ろしいことに、彼女の会社の同期であった。


こいつにだけは、この化物だけにはバレてはいけない。
見定めるように突き刺さる赤の瞳に、彼女はまた小首を傾げて誤魔化しつつ胸中で呟く。


— 彼女、結城莉花は本来、世間でいうところの"女性らしさ"に縁遠い人間である。

幼少期からままごとより泥だらけになって駆け回る方を好んだし、おしゃべりで何時間も時間を潰せる気質でもない。
自分を飾るのは嫌いではないが服や化粧品やバッグに金をつぎ込むほど熱心にもなれないし、虫を見て悲鳴を上げることもなければ雷を怖がることもない。

そして、休日たった一人でゲームセンターに入り浸る程度のゲーム好きでもあり。
一般的な女性がショッピングやスイーツ巡りに費やす時間と労力と費用は全てその趣味に集約されて、要約すれば典型的な"ゲームオタク"である。

そうしていつも通り最近お気に入りの格闘ゲームに興じていたところで、後ろから声をかけられて振り返った結果が現在の惨状。

もう勘弁してほしい。
胸中で泣き言を溢しながら彼女が必死に視線に耐える中、長い長い沈黙の後に漸く青年が口を開く。

「……別人、にしては似すぎだし。"経理部の女神"にしか見えないけど?」
「は?めがみ?」

何の話だ。
先程までの思考を全て吹き飛ばして、彼女は思わず反射のままに返事を口から溢してしまう。
演技でもなんでもなく、全く身に覚えのない肩書に眉を顰めた。

めがみ。
女神?

"経理部の女神"?
まさか。

確かに彼女の所属は経理部である。
けれどまさか、そんな"営業部の王子"並に薄ら寒い呼び名で呼ばれる筈はないだろう。

今度はあからさまに引き攣った頬を隠すことなく、彼女は恐る恐る青年に問い返した。

「……何、その、けいりぶのめがみって」
「え、改めて聞きたいですか?結構な褒め殺しになりますけど」
「…とりあえずお兄さんが人違いしてることは分かった」


演技半分、本音半分。
自分の与り知らぬところでそんなけったいな二つ名で呼ばれているなど信じたくはない。

若干の寒気を感じながら首を振って返すと、青年は少し目を細めて首を捻る。

「……女神と呼ばれるくらいの美人と同じ顔はそうそう転がってないと思いますよ?」
「………」

不本意だ。と、彼女はため息を溢す。


根本的な話。
彼女自身、自分の趣味を恥じている訳ではない。
良い歳してゲームなんて、という親の言葉はもう五年ほど前に諦められて聞かなくなったし、そもそもきちんと社会人として自立して納税している以上文句を言われる筋合いはないのだから。

けれど、それでも彼女が趣味を隠す選択をした理由こそ、青年が口にしたそれであった。

少し、ほんの少しばかり他人より容姿が優れていて。
色素の薄い緩く波打った髪に、おっとりとした印象を与える整った顔立ち。
体格は小柄で華奢ながら女性らしい曲線も持ち合わせている。

ただ親の遺伝子が優秀だったというだけの話なのだが、幼いときから周囲には持て囃され、同時に僻まれることも多い人生を歩んできていた。

そしてそんな女が無類のゲーム好きの課金癖持ちなどと知れば、本人の意思など関係なしに周囲は好き勝手に騒ぎ立てるのだ。
似合わない。幻滅した。相応しくない。やっぱり裏があった。

彼女にとって小石ほどの価値もない言葉ではあるものの、雨あられと浴びせ掛けられれば鬱陶しくもなる。
趣味を気兼ねなく楽しむために、馬鹿な幻想を抱く人間には知られてはいけない。
それが彼女の出した結論。


そんな経緯の末、趣味を隠すついでに無理のない範囲で周囲の望む姿を演じるようになって久しかった。
勿論それは職場も例外ではなく、その結果、

「美人で優秀、融通利かせてくれるけど締めるべきところは締めるし、気取らずきさくで男性は言わずもがな女性人気も高い。まさに女神様、…っていうのが社内での評価ですよ、知りませんでした?」
「………」

…そういうことになっていたらしい。
思惑通りといえば通りだったが、あまりに上手くいきすぎて周囲の審美眼への信用は右肩下がりである。
今度から過剰に愛想振り撒くのやめよう。
心の内で軌道修正を誓いつつ。

「…お兄さん、まさか"女神"のファン?」
「っ。…はは、まぁ、そうかもしれませんね?」
「はい嘘吐き。ま、その方が良いけど、家で気まずいし」
「?」

面倒なことになったなぁと頭を抱えつつ、忘れかけていた茶番劇の役者へと戻る。
…本来なら全くの赤の他人設定で押し通す予定だったのだが、脚本を修正する必要があるらしい。

少しの間思考を巡らせると、不服そうな表情のまま、彼女は大儀な口調でのろのろと口を開く。


「…そりゃ似てるだろうね。多分その"女神"、僕の姉ちゃんだから」
「……は?」
「この格好見て気付くだろ普通?」

じろりと睨み上げると、また赤の瞳が彼女の頭からつま先までを数度往復する。

「……まぁ、確かに成人女性というよりは小学生男子的な服装、だけど」
「的なは余計。髪も短いし背だって平均より高いのに、何でよりにもよって女だと思ったんだよ」
「…どう見てもボーイッシュな美少女なんだけど」
「うっさいな、すぐ成長期来るし今だけだよ」

むすりと盛大に拗ねた様子で顔ごと視線を逸らしつつ、内心では止まっていた冷や汗が再び流れ出していた。

周囲の目を欺くという意味と、女一人でゲームセンターにいるとむやみやたらに絡まれやすいという理由から常日頃から中性的な格好をするようにしている。
普段は背中まで届く髪をショートのウィッグに押し込めて、余裕のあるサイズのパーカーにカーゴパンツ。
近所の小学生を観察した結果に行き着いたその格好を見て、稀に坊主と呼ぶ対戦相手もいるくらいだから恐らく無理な設定ではない筈だ。

…この曲者も曲者の目の前の男に通じるかは別問題だが。


再びの沈黙に入った青年の視線に耐えながら、信じてもいない神と仏とその他諸々に祈る。
この場を凌げるなら何でも良い。
例え他の同僚にバレてもいいから、この男だけはやめてください神様。


有体に言ってしまえば、彼女はこの茅ヶ崎という男が苦手である。
非の打ち所がない完璧王子。そんな化物染みて腹の底の見えない男に、裏がない筈がないのだから。
根拠はない、けれど彼女には断言できた。何故なら自分自身こそ一番の証明事例なのだから。

じりじりと重くなる沈黙に呼吸が出来なくなり始めた頃、漸く青年がその空気を破る。

「……ま、幸みたいなのもいるくらいだしアリなのかな」
「は?ユキ?」
「んーん、こっちの話」

聞き慣れない単語に首を捻るも、青年はからりと笑って先ほどまでの敬語口調を緩めた。
かっちりと締めていたネクタイを緩めて、きちんとセットされている髪をかき回しながら打って変わってニヤリと悪戯っぽい表情を作る。

「ねぇ結城さんの弟君、名前は?」
「は?…お兄さん嫌いだから言いたくない」

そういう設定だが、そうではない。
嫌いというより苦手で、関わりたくないというだけなのだが。

返事を選びかねてじっと睨みつけると、青年は少し困り顔で笑う。

「ごめんって、お姉ちゃんと間違えたのは謝るからさ」
「………」
「俺、茅ヶ崎至ね。お姉ちゃんの同僚。気軽に至お兄さんって呼んで良いよ」
「……呼ばない」
「頑なすぎわろw」
「っ」

くしゃりと楽し気に笑う彼に膨れ面を保ったまま、彼女は内心ひどく動揺した。

これは誰だ。
王子?完璧超人完全無欠の営業部の王子?
王子がネットスラングに草生やしてしゃべる?


知り合いに見つかったという動揺が先に来て状況判断が出来なかったが、よくよく考えれば奇妙だ。
と、漸く彼女の思考は違和感を拾い上げる冷静さを取り戻す。

そもそも何故彼はゲームセンターなどにいるのか。王子ともあろうものがここに一人で来る用事があるはずもないのに。
普段の完璧で作り物めいた雰囲気は今は影もなく、どちらかと言えば、…親近感すら覚えるような。

「………」

そこまで巡らせたところで、彼女は盛大にため息を溢した。

なるほど。
同じ類の、全く異なる人間だと思っていた。
いけ好かない、信用してはならない。知られてはいけない人間だと。
けれど、蓋を開けてみれば、ということらしい。

どうしようかな。そう改めて選択肢を前に悩み直す。
劇的に薄れてしまった苦手意識と、それでもなおまだ警戒を解くべきでないと告げる理性と。
突き合わせてほんの少し逡巡した後に、彼女はゆるゆるとため息を溢す。

「……蓮」
「うん?」
「結城蓮」
「…おぉ、懐き度アップ。おけ、蓮ね」

全く、初めからそう言ってほしい。
自分で始めたことながら、ぐったりと疲労しきって彼女は独り言つ。

もし彼が同類なら、それが予め分かっていれば。こんな茶番は必要なかったのだ。
けれどここまで盛大な茶番を打った後では今更自分から告白するのも気まずく、彼女はそのまま継続を選ぶ。

すっかり信じたのか、あるいは茶番の舞台に上がることを決めたのか。
その判断はつかなかったが、とにかくも青年はからりと笑って彼女の頭を軽く撫でる。

「蓮、暇なら俺と対戦らない?連れが合流する予定なんだけど暇持て余しててさ」
「……いいけど」
「サンキュ。…言っとくけど俺強いよ?」
「対戦った後も同じこと言えるといいね」
「生意気ー。いいね、俺お前好きだわ」
「どーも」


まぁ、バレるか飽きるまではこれでいいか。

考えるのが面倒になって、彼女は小さく肩をすくめて思考を放棄した。



2019/12/18

A3!