マイナスから


大体一月、それが目安だ。

人間良くも悪くも第一印象というものは強烈に脳内に刻まれるものらしく、その威力から解放され徐々に人間性を見るようになるまでその程度の期間を要する。
別にテレビで見たとか論文を読んだとかそんな尤もらしい根拠はなかったが、単なる経験則として彼女はそれをひとつの指標としていた。

つまり、一か月間はそこら中から突き刺さる好奇の視線に耐える日々を強いられるという事で。




鬱陶しいな、と思う感覚は大分前に破棄してしまった。故に少女は抱えた備品を軽く弄びながら淡々と歩みを進める。

入学して十日は経つというのに、未だにひそひそと噂話をする周囲の人間には視線すら向けず。
幸いなことに話しかけてくるような人間はいないので、完全に無視を決め込んでしまえば特に実害は無かった。


― 見て、あの子だよ

そんな声が耳に入って、はいはい私ですよ何ですかなどと胸中で投げやりに返す。
囁いては視線を向ける彼らから悪意は感じられず、その点嫌悪はないがどうしても乾いた笑みが漏れてしまう。

自分の容姿は少々恵まれて居るらしい、ということには物心ついた頃から知っている。
形容は人によって様々だが貶されたことは一度無かったし、まぁ親に感謝しなくてはなぁ程度には思っているが彼女にはそれ以上の興味が持てなかった。
無駄に目立つし、望んでもいないアプローチや嫉妬は集まるし、デメリットだって少なくない。まぁ周囲の人間性を見やすく友人を選ぶ上では役立つのだが。

親に与えられた身体だ、文句を垂れる気はないが、どうせ見世物パンダをやらされるのなら見物料でもくれないだろうか。最近新作ゲームが立て続けで財布が寂しいんだけれども。
冗談交じりにそう独りごちていると、不意に後ろから硬い声がぶつかった。

「おい」
「…はい?」

一瞬動きを止めて、ゆるりと振り返ると予想した通りの人間がそう穏やかでない目付きで彼女を見下ろしていた。
見上げるのが億劫な程に高い位置にある彼の顔を何とか捉えると、青年は露骨に舌打ちして返す。

「怠けてんじゃねえぞ」
「そう見えましたか」
「…マネージャーを生半可に考えてんならさっさとやめろ。ちやほやされると思ってんなら大間違いだ轢くぞ」
「………」

最早嫌味ですらない直球な言葉を浴びせられながら、彼女はじっと彼を見上げ続けた。

この一つ年上の、所謂先輩にあたる青年だが、彼女はどうやら嫌悪されているようだった。
彼女が数日前に入部届を提出した、バスケ部に所属するこの先輩が、彼女はどうにも苦手である。

どんな恵まれた状況にもデメリットは付きものだ。
つまり入部してこの方彼女は所謂“顔しか見ていない”タイプの男子部員に持て囃され、望んでもいない助力を押し付けられ、マネージャーとしての仕事に差し支えている。
勿論丁重に、最近は露骨にお断りしているのだが、そもそもその程度で引いてくれるような人間は端からそんな親切を装った下心の押しつけなどしない。

そしてそれを気に入らない人間の筆頭が、この悪鬼のような表情で自分を見下ろす彼であった。
表情一つ変えない彼女に、彼はそのまま吐き捨てるように続ける。

「男侍らせたいなら別行けよ、迷惑だから」
「いつ、誰が、そんな寝言言いましたっけ」
「よほど覚悟無ぇとうちのマネなんて続かねぇんだよ、休みもねえし仕事多いし。男狙いの色呆け女ならいねぇ方がましだ」

っち。再び舌打ちをする青年は酷く綺麗な容姿をしているだけに、その威力は強かった。
どこが男狙いだ、さんざん断ってるのが見えないんだろうかこの人。そう少なからず彼女に怒りを覚えさせる言動だったが、あえて彼女は平静を保つことに努める。

「先輩は」
「あ?」
「天下人にはなれないようで」
「…何だそれ」

言葉を紡ぐ間も真っ直ぐ見つめ続けると、彼は僅かに眉を跳ねさせて更に声を低くした。
身長差も相俟って傍目には苛めと勘違いされそうなそれだったが、幸か不幸か先程の野次馬達はどこかへ消えたらしく人気は無い。

数秒の睨み合いの後に、ふいに彼女は僅かに口元を緩めて笑みを描いて見せた。

「女にへらへら媚び諂ってご機嫌取りしてるような色呆け部員こそ長続きするわけないでしょう、あの練習をまともに熟した後に悠長に女のご機嫌取りする余裕があるわけない。証拠にぼろぼろ退部していってるし」
「………」
「きちんとしたチームには自浄作用があるもんです、馬鹿は自ずと辞めていく。それが選手だろうがマネだろうが一緒ですよ。貴方に引っ付いて回ってたやましさ全開のマネの子も昨日辞めましたしね」

にこりと笑みを模ったまま紡いでいくと、彼の眉間に深く刻まれていた皺が徐々に緩み代わりに些かの困惑を滲ませていく。
睨みつけるというよりは、単純に見つめる行為に代わり、彼はじっと自分より随分下にある彼女を見る。

「…天下人は何なんだよ」
「私が先輩の仰る『男狙いの色呆け女』だとすれば、少し待てば勝手に淘汰されていくのに態々突いてくる辺り短気だと思いまして。短気は損気、果報は寝て待て、格言ってのは意味も無く作られるもんじゃないですよ」
「るせぇ」
「まぁ私がお嫌いなら淘汰されるのを待ってみてはいかがですか。ご期待に添えるつもりは更々ありませんけど」

けろりとそう言い放って、それではと小さく一礼すると彼女は早々に踵を返して再び歩き出した。
少し生意気を言ったかなと頬を掻きつつも、特に後悔する気にもなれずそのまま備品の入った箱を抱え直そうとするとふいに手から重さが消える。

そして自分の右隣で、首辺りの高さで支えられている箱を見つめ、彼女は怪訝そうな表情を作った。

「…どういうおつもりでしょう」
「どうせ部室だろ」
「先程ご自分で仰ったことをもうお忘れで?」
「うるせぇ、別にお前に媚びてるわけじゃねぇ。…詫び代わりだ」
「…なるほど、それなら仕方ないので甘えて差し上げます」

自分が両手で抱えていた結構な重量のそれを軽々と片手で支えながら、バツが悪そうに視線を逸らした彼に一瞬目を瞬かせながら。
彼女は呆れたように肩を竦めて、苦笑ともつかない笑みを溢し態とらしい返事を返す。

「つまり少なくとも色呆け女のレッテルは解消して頂けたということで」
「使えるかどうかは別だ、無能なら辞めさせっからな」
「はは、そこまで嫌わなくても」
「勝手な被害妄想してんなくそチビ」


口も柄も悪いし怖いし苦手なんだけど、嫌いではないなぁこの先輩。

そう胸中で呟きながら、彼女はやけに歩幅の広い彼を小走りで追いかけた。


20131203


出会いは最悪とはいかずとも良くないくらいが萌えます。